第6話 空が明日を分かつとも(6)


 久しぶりにカラヤンと飲む。

 深夜に入り、使用人は寝てしまった。つまみは、日本刀。


 拝礼一回。つばに親指をかけて鯉口こいくちを切り、さやを前に返して、そっと鞘から刃をタテに引き抜く。


「狼、ちょっと待て。今のどうやった」

「え?」

「今、親指でガード(鍔)を押し下げて、抜いたのか」

「そうですが」


 鍔を親指で押さえると、はばきが鞘の形状からわずかに浮いて、抜きやすくなる。


「もしかして、カラヤンさん。そのまま抜いてました?」


 カラヤンが「それを先に言え」とむっつり顔で睨んでくるので、俺は鞘に戻して渡す。カラヤンはイスから立ち上がると、さっそく俺がしたように鍔に指をかけて鯉口を切ってみる。


 その場で何度も抜刀を練習を始める。室内であることなど構わず、七度目くらいからすさまじい速度で抜刀しだした。

 (刀身に入れた溝)が入れてあるので刃がぴゅんっとかざ鳴り、薄暗がりに残心の白い軌跡が残る。


 もちろん、居合道の所作ではない。洗練された美しさはないが、経験と実績で極限にまで無駄をそぎ落とした太刀筋の流れに、見惚れた。

 剣士と日本刀が身体と同化、さもなければカラヤンの魂が刀身に乗り移っているようだった。


 思い出したように口に含んだ酒が、実に美味い。

 九度目で鞘に戻した時、カラヤンはがっくりと肩を落とし、笑った。


「お前の作ったもんにしちゃあ妙に融通が利かねえと思ってたが、こういうカラクリだったのか」


 鍔を押さえなくても刃は抜けるのだ。鍔も拵えもない白木造りがそれだ。その時もはばきがストッパーになっている。なので、鯉口を切るのに少し力を込めてやる必要があった。


 たったそれだけのこと。だが戦場ではそのわずかな抵抗、違和感で不覚を取る──かどうかは、俺にもわからない。総じて刀剣が槍や弓より間合いで優位になることがない。

 それでも、カラヤンは剣士であり続けたいらしかった。


 納刀されたものを手渡されそうになったので、俺は丁重に辞退した。

 納まるべきところに納まって、酒が美味くなった。もうそれで満足だった。


「それで、話ってのは?」

「近々に〝七城塞公国ジーベンビュルゲン〟へ行ってもらえませんか」


「なんだと。ちょと待て、知ってるだろ。夏には子供が……」

「春になれば公国が動きます。その引き金が、この冬だと思うのです」


「ニフリート暗殺か」

 俺は神妙に頷いた。カラヤンも懸念していたようだ。


「ヴァンドルフ家が公国へどれほどの調略をかけているかはわかりません。ですが、ティミショアラは、すでに帝国やヴァンドルフ家の密偵が都政でかなり信頼された地位にまで食い込んでいると見ていいでしょう」


「ニフリートの周りは〈串刺し旅団〉が固めてるんじゃないのか」


「新任された家政長ヴィクトール・バトゥという人物が冬の間にどこまで彼らをまとめられるかが未知数です。小さな伝達ミスで、敵に隙を見せればニフリート様が危険となります。

 カラヤンさんにお願いしたいのは、その警備の穴埋めです。どんな警備にも穴はあります。その穴を通ろうとするネズミを外から捕まえて欲しいのです。

 カラヤンさんが情にほだされて色々面倒を見なければ、春の結婚式までには帰ってこれますよ」


「ったく。その口ぶりは、まるでおれが連中にほだされる前提じゃねえか。まあいい。わかった。行こう。だが問題は、うちの女房殿だな」


「メドゥサさん。ニフリート様と仲がいいですからね。でもさすがに今回は無理ですかね」

「逆だよ。あいつから行きたいと言い出すに決まってる」


 意味が分からず、俺は目をパチパチさせた。


「でも。メドゥサさん、そろそろお腹も目立ち始める頃なのでは?」

「そこは本人が問題にしてねぇ。この間だって、ラリサと十八番も稽古してケロリとしてやがったよ」

 

「それ、妊婦さんとして、おかしいですよね?」さすがに俺もいぶかしむ。


「ペルリカも首をひねっていた。お腹の子は順調にすくすくと育っているそうだ。まあ、筋肉の付き方が剣士だからな。あと魔法使いの娘だし」


 説明がつかないことはすぐ魔法使い絡みにするこの世界の風潮おかしいだろ。


「ヤドカリニヤ商会の経営、大丈夫なんですか?」


「むしろ、いないほうがうまく回ってるみたいでな。ナディムから、とうとう雇用人事権まで預けさせられたそうだ。──そのおかげで、肩身が狭いだの。することがないだの。ずっとぼやいてて、耳にタコができそうなんだよ」


 後半のひそひそ悪口は、妻の尻に敷かれた男の悲哀だろうか。


「ああ、そうだ。そのナディムが、商売のことでお前と話がしたいと言っていたな」

「なんでしょうか」

「〝なぞなぞ姉妹亭〟におろしてる、パンを作る薬? あれを商品登録しないかって話だったかな」


 俺は下あごをもふった。


 ベーキングパウダーを登録するつもりで、バタバタしてて忘れていた。だが、本当にそれだけか。向こうから言い出してくるなんて珍しい。


「もしかして、ナディムさん。この町の粉屋を買収する気なんでしょうか」

「粉屋って、マルセルんとこのか?」


 先月まで〝影〟のミェルクリとヴィレネがマルセル夫婦になりすまして経営していた。その二人がいなくなったので事実上の閉鎖状態になったままだ。

 ベーキングパウダーと粉屋。セットで運営すれば、町の主食を牛耳ったも同然。これ以上のボロい儲けはない。


「なるほど。ナディムもいいところに目のつけたな」

「この町に製粉組合ギルドってないんですか」


「ないな。セニは小麦を作る農家がない土地柄だ。粉屋もマルセルの一軒のみ。だからナディムは、リエカの製粉組合に所属する気なんじゃねえのか? マルセルはどうしてたか知らねぇが、他の町の組合に入ってねえと流通からも孤立するからな」


「それでは、所属を機に、あのパンの薬をリエカの製粉組合経由で流通に乗せたとしたら?」


「パンは年がら年中、毎日食ってるモンだ……莫大な利益が出る、かもな」


 ベーキングパウダーを商標登録して販売特許を押さえる。それを製粉組合に割安の使用手数料で配り、独占販売を避けつつヤドカリニヤ商会の名を上げ、人脈を拡大。そして数年後には、リエカへの本店移転。会頭の夫はあの〈マンガリッツァ・ファミリー〉の長男。


 俺とカラヤンは、この場にいないマジメ眼鏡の経営戦略におののいた。ナディム・カラス。ヤドカリニヤ商会で天下を取ろうとしてるのかもしれない。

 もっとも、今のところベーキングパウダーは、パンとパンケーキにしか使い道がないんだけどね。


  §  §  §


「なにしてるの?」

 声をかけられて振り返ると、フレイヤが怪訝そうに見ていた。


「馬車を改造しているんだよ」

「その車輪の棒はなあに?」


「サスペンションと言って、地面から来る衝撃をやわらげる装置」


 サスペンションは、石畳みの路面ですらオフロードなこの世界の道に対応するため車軸懸架リジッドアスクル方式を採用した。

 馬車に車軸を取り付け、それを竜骨にして車輪軸に関節をつけることで路面との高低差から生まれる車体の浮上を抑制。さらに銅製の油圧減衰装置ダンパーを車輪六つ取り付けることで、路面からの衝撃を緩衝する。


 ネジもバネもダンパーシリンダーも〈ホヴォトニツェの金床〉で作ってもらった。

 あと店主には、カラヤン達とともに七城塞公国行きを承諾してもらった。ニフリートを守るために彼の腕がぜひ必要だ。


「そのカラクリって、わたし達のため?」

 フレイヤが分からないなりにそう理解したようだ。


「もちろん。これから長旅になるし、それに今回は大切なお客様を乗せる予定もあるからね。それより、何か用があったんじゃないのかい?」


「うん。傭兵を雇いたいの。シャラモン家専用の護衛っていうのかしら」


 今回の旅でシャラモン家はフレイヤとロギの二人だ。それで察しがついた、俺は背後を振り向かずに言った。


「フレイヤに渡した前金から報酬を出すんならいいよ。あと、雇った護衛の指示には従うように」


「うん、わかった。ありがとう」

 フレイヤはあっさり立ち去った。その場に護衛だけが残った。


「あの、さ……狼」


 スコールが恐るおそる声をかけてきた。俺はそれでも振り返らなかった。


「もう怒ってないよ。それより、新しい短剣は試してみたかい?」

「ああ、うん。ちょっと重くなったけど、使いこなしてみせるよ」


「しっかり身体に馴染ませておいてくれ。俺はリエカで少し仕事をしてから帝国へ行くことになる」


「わかった」

「それと、もう一つ」

「……っ?」


 俺は振り返らずに立ち上がった。


「帝国の密偵がこの町に入ってるはずなんだ。ハティヤを見張っている連中の仲間だろう」

「……マジか」スコールはうつむいて、声を小さくする。


「確証はない。でも入ってなきゃおかしい。ハティヤは皇太子に会ってる。ハティヤはあの物怖じしない性格だから、皇太子も彼女に興味を覚えたはず。そのための密偵だ。捕まえてどうこうする必要はないと思う」


「でも、相手の顔は覚えておきたいよな」


 いい答えだ。俺は頷いた。


「頼めるか。護衛の合間でいい。交戦はするな。敵対の印象を与えるとハティヤの立場が悪くなるおそれがある。見つけても目を合わせるな」

「わかった」


「今回。俺たちはこの距離感で行く。ルート変更の時はフレイヤを呼ぶ。必ず一緒にいて聞いておいてくれ。あと自前の地図を用意し、独自に索敵に動いてくれ」


「了解」


 俺はまた馬車の下に潜り込んで、作業を続けた。

 スコールのブーツがたくましい足運びで遠ざかっていく。

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