第5話 空が明日を分かつとも(5)


 みんなが散会した後、食堂には四人残った。

 俺とヘレル殿下、シャラモン神父。そしてペルリカ先生だ。


「霊界に帰っていただけませんか」


 俺は、少し元気のないヘレル殿下に切り出した。


 理由は三つあった。

 一つは、帝国がすでに大精霊イフリート対策が取られていたこと。


 この世界で、精霊とは有名虚実。名前以外にその姿を見た者はいない特別な存在。あえて言うなら概念に過ぎないと、俺は思っていた。


 それが、あのティボルですら精霊と遭遇していた。また、ハティヤとライカン・フェニアが連れ去られた日の雨が、対イフリート攻撃だと殿下自身から聞かされた。

 事ここに至り、正直マズいと思った。


 俺は、ライカン・フェニアと大精霊イフリート両方の戦略的価値を見誤っていたことになる。 


 相手が精霊の実在を認識し、かつ火の精霊対策を研究されていたのなら、それは手札の中身が読まれているのと同じだ。

 対策を講じられた切り札を持ち続けているのは、俺にも殿下にとっても危険だ。


 そのことは二つ目の、〝霊合〟ダイモーン計画に繋がる。


 霊合とは、不老不死を得るための捨て身の降霊秘術。その術の危険性以上に、成功すれば戦術兵器の獲得としての意味合いも併せ持っている。


 対策を講じられ、弱点を突かれて死にかけたが、火の精霊の破壊力はいまだ四大精霊随一。不老不死と戦略的破壊力を一挙両得できるのなら、弱点はさしたる欠点とはならないはずだ。


 ライカン・フェニアを連れ去った帝国軍は、瀕死でも霊合の素材として精霊イフリートを連れ去りたかったはずだ。それをあえて帝国軍にハティヤを選ばせたのは、博士の機転による見事なファインプレーだった。


 そして、三つ目は──。


「殿下を、博士がいつでも呼びだせる状態にしておきたいからです」

「いざという時、ライカン・フェニアを護れ、ということか。しかし……」


 逡巡を見せる精霊に、俺は頷いた。顕現までの時間がかかる。護衛としては落第だ。


「それに先だって、殿下には霊界に戻って召喚門の顕現術式の研究をしていただきたいのです」


 ヘレル殿下は、自嘲気味に笑った。


「殿下がノロマであることは俺がよく知っています。でも役に立たないとは思ってませんよ」


 殿下が俺を見つめてくる。それをまっすぐ見返し、俺は殿下に羊皮紙を差し出した。

 そこには魔法陣とルーン文字が描かれている。


「これは、なんだ」

「旅に出る前に、シャラモン神父から火精霊の護符をもらっていたのを、ここへ来る時に思い出したのです。低位精霊だそうですが」


 護符というが、正確には精霊召喚術式図というのだそうだ。


 精霊をび出すためではなく、持っているだけで効果がある。


 冬には火の精霊で暖房を。夏には水か風の精霊で清涼を。実際に手を羊皮紙にかざすと、ほんのり熱が伝わる。魔法使いのちょっとした生活の知恵だ。

 と、効果説明をハティヤから、受けた。


 精霊召喚魔法とは、人界から霊界の門を開いて精霊をこの世界に呼び込むことにある。だがこのニュアンスが、精霊本人には伝わりにくかったようだ。


「意味がわからん。これを余にどうしろというのだ?」


「殿下の、霊界から人界へはいってくるのが遅くなる原因として考えられることは、人界から霊界へアクセスする鍵と門を創り出す顕現術式が不十分か、あるいは脆弱だからではないか、と俺は考えました。

 この式図は、いわば人界から霊界ヘアクセスする合い鍵です。これを叩き台にして殿下が持っている霊界から人界へ顕現術式に組み込めば、以前よりは行き来が速くなるのではないか、と」


 すなわち、人界から霊界に戻る時は、霊界の門を使うから殿下も鍵の形状は知っている。だが、霊界から人界へ行く時は、人界の門を開く鍵の形状を知らないから手間取って遅くなる、というイメージだ。


 実際の霊界と人界の境界がどうなっているのかは、俺もよくわからない。

 殿下は、おとがいを摘まんで唸った。


「一理、あるかもな。なら、高位精霊召喚の術式を余に渡せばよいではないか」

「三年かかるそうです。その召喚術式図だけを完成させるのに」


「まあ、低位精霊の召喚術式だけでも誤差が許されませんから、慎重に描いても半日かかりますからね」

 とシャラモン神父が言えば、


「高位式図は、美術品としても価値が高い。絨毯にその術式を描き縫い込んだものをアスワン帝国で一度だけ見たことがある。富豪も買えない額だったぞ」

 ペルリカ先生が懐かしそうに言った。


 俺は言葉を継いだ。


「この術式改変は人界に居続けては、できない作業だと思われるのですが」

「うむ……。だが次に現れた時には、召喚者との契約で、お前たちの敵となっていたらどうする。現れるのが遅い方がよいのではないか?」


「そうですね……それなら、合い言葉を決めましょうか。それで殿下は俺たちを友人と判断してまた霊界に帰ってもらえますか?」


「合い言葉?」


 俺は頷いて、言った。


「〝ノロマな精霊。雨にも負けず、風にも負けず〟──これでいきましょう」


「狼。わかってはいたが、貴様。底意地が悪いぞ」

 微笑むと、俺の目の前で魔法陣の紙が一瞬で燃えつきた。


「狼。ライカン・フェニアやあの娘を守れなかった不甲斐ない余を許してくれるのか」


「言ったはずです。次の機会があります。魂を分かった兄妹の窮地を救えればチャラです。俺は殿下を友ジンだと思ってますから」


 精霊イフリートはおもむろに俺を抱き寄せた。俺も肩に腕を回した。


「次に会う時、お前の敵となっていたのなら、余を殺せよ」

「一応、お訊きしますが、イフリートが死ぬほどの弱点とかありますか」

「退屈だ」

 なら、無理じゃん。俺たちは小さく笑って、別れた。


  §  §  §


 俺は二人の魔法使いの前に、三本の鉛筆を置いた。

「ペルリカ先生、わかりますか」

「ふむ……三本の棒だな。これが?」


 俺は真ん中の鉛筆を指さして、言った。


「これが、この世界の時間糸です」

「ふむ。なるほど」

「左が、俺が元いた世界の時間糸で、右が、博士──ライカン・フェニアやオイゲン・ムトゥという人物のいた世界の時間糸です」


 先を促されて、俺は左右の鉛筆を真ん中の鉛筆と交差するように置いた。


「タテ糸がれた……つまり、お前を含めた彼らはこの世界の異訪人ということだな」


「はい。彼らの目的は、徨魔という自分達の世界を滅ぼした邪神の巣を撃滅することだそうです」

「邪神の巣?」

 シャラモン神父が怪訝そうに俺を見た。


「この世界の空のさらに上の空間──宇宙という空のどこかにあると見ているようです。ですが」

「力尽きたのだな」

 ペルリカ先生の指摘に、俺は頷いた。


「彼らは長い旅に疲れ、旅団の中で内部分裂が起きました。そして五六名ほどの高い知識を蓄えた者達が船の中で事故を装ってを脱走を試みました。この首謀者の名前がスコール・エヴァーハルトという人物」


「なんですって、あのエヴァーハルト家が……異訪人っ?」

 シャラモン神父は軽く目を見開いた。


「そしてもう一人、ニコラ・コペルニクス。高い知識を蓄えた者達の支柱的立場となった女性だそうです」


「誰からそのことを?」

「オイゲン・ムトゥ……俺の元師匠に似ている人物でした」


「似ている? それは狼さんにとっての鏡の世界の住人だったわけですか?」


 シャラモン神父は鉛筆を見て指摘した。

 鏡の世界住人とは、言い得て妙だ。俺は頷いた。


「偶然と言うのか、博士やオイゲン・ムトゥがいた世界は、俺のいた世界と類似点が多い世界の住人でした。そのためオイゲン・ムトゥは俺を警戒しつつも、自分達の事情を理解しやすい部外者として、自分たちの問題に引きずり込んだのです」使い勝手のいい勇者としてな。


「では、途中で拒否すれば良かったのではないですか?」


「はい。全力で拒否して逃げ回った挙げ句が、このザマです。例えば、博士は俺と食文化がとても近く、彼女の持っている知識も俺の世界との類似点が多かった。

 俺にとって得がたい友人です。この異世界で生きていく上で、心の支えと言ってもいい。

 でも、彼女はオイゲン・ムトゥと表向きは反目しているようでしたが、根っこでは同じ。徨魔の巣を探すことに主眼を置いています。というわけで、俺は知らず知らずのうちに彼らの騒動に首をつっこまされていました」


「ということは、今回の帝国の動きは、そこに関連するのか?」

 ペルリカ先生が指摘する。俺は頷いた。


「先ほども名前を出した、脱走組の主導的立場にあったニコラ・コペルニクス。彼女の弟子が何人いたかはわかっていませんが、カリスマ的な指導者だったようです。

 その中に、今回ハティヤを連れ去ったマダム・キュリーの名前があります。これはオイゲン・ムトゥが死の間際に書き遺した俺宛ての手紙でわかったことです」


「狼さん。そのコペルニクスがライカン・フェニアを連れ去りたかった目的はなんですか?」


 シャラモン神父の緊張した眼差しで訊ねてくる。娘が異世界がらみの内部抗争に巻き込まれたのだから当然だろう。だが、違う。そうじゃないのだ。


「神父。違うのです。ハティヤの伝言で、それがはっきりしました」

「違う? 何が違うのですか」


「マダム・キュリー。いえ、マダム・キュリー達がライカン・フェニアを欲したのは、ニコラ・コペルニクスの指図によるものではない。ことが、です」


「ニコラ・コペルニクスではない? では、皇太子ラルグスラーダですか」


「許可したのは、そうかも知れません。ですが、マダム・キュリー達の暗躍は、オイゲン・ムトゥが懸念していた公国科学者の強奪という目的ではなかった。彼は誤解していたのです。

 帝国の三魔女は、最初からライカン・フェニア一人に目標が絞られていたんです」


 俺は木のコップで水を飲み、言った。


「マダム・キュリー達の目的は、ニコラ・コペルニクスの再誕です。ただし、ニコラ・コペルニクス本人ではなく、複製体ホムンクルスの復活を求めていた」


「ちょっと待て」

 うつむきがちに指先で眼帯をいじっていたペルリカ先生が話を止めた。


「本人ではなく、ホムンクルスだと? 模造品なんか復活させてどうするというのだ」

 俺は大きく頷いた。


「その模造品に、オリジナルの行き先──ディスコルディアの居場所を聞き出すためではないかと俺は見ています」


 その名前に、二人の表情がさっと凍りついた。そして次には、過去の因業カルマに肩を叩かれたたような失望感に苛まれた表情をする。


「ニコラ・コペルニクスとあの女が、同一人物であると?」


「確証はまだありません。ですが【蛇遣宮】ダンジョン内においてディスコルディアとみられる魔女の攻撃を初めて受けました。交戦になった場所はダンジョンの中枢で、ダンジョンに精通した人間しか近寄らない場所でした。

 ハティヤはその時、現場にいなかったので、スコールかウルダに聞いていただければ、俺とあの女との会話内容の確認は取れます」


「……そうか、お前はまだわたしの魔眼を追ってくれているのだったな」


「〝ケルヌンノス〟が徨魔を呼ぶカギになっている可能性を孕み、かつ先生の魔眼が必須アイテムとなれば、追わざるを得ません」


「前にもそのことを少し言っていたな……そうか。しかし、そうすると。どうやってマダム・キュリーは、師の複製品を手に入れたか。狼、それもハティヤの伝言でわかったのか?」


「はい」


 俺は【蛇遣宮】ダンジョンには入口が二つあり、山の中腹部にある入口には、次元が歪んだ魔空間──反重力制御装置の暴走による多次元異相歪曲時空域では通じないだろうから──が起きていたと説明した。


「その中で、武器を握ったまま切断された人の手を見つけたのですが、切断面が乾いていませんでした」


「切断面が乾いていない? その魔空間では肉体が保存できていた……か」


 俺は頷いた。ペルリカ先生は、どうやらそういう〝歪み〟のことも知っているようだ。


「そうです。つまり、コペルニクスの弟子達は尊敬すべき師匠の複製体をその魔空間に入れて保存していた可能性があります」


 ライカン・フェニアは、コペルニクスが反重力制御装置室で自殺を図ったと言っていた。その背中を自分の目で確かに見送ったのだ、と。

 だが、実際は秘書のフランシスカ・スカラーがコペルニクスの複製体を背負っていたために博士はスカラーの存在を見落としていたのではないか。


 ただし、ここで複製体は死亡すれば強酸によって強制溶解されてしまう。

 この事実は壊れない。なら、コペルニクスの複製体は、〝失楽園計画〟においてオリジナル脱出前には、まだ死んでいなかったことになる。

 だから〝再誕〟させるのだ。

 だがそのことを二人の前では触れない。そこまで説明すると、賢者達も混乱するからだ。


 それをマダム・キュリーらは後日──といっても数百年以上前だろうが、回収に向かった。ところが、何らかの事故でニコラ・コペルニクスの肉体が欠損していた。

 そこでその複製体を修復させるためには、博士のパンドラシステムの知識が必要だった。しかし彼女は三〇〇年もアスワン帝国で重職に就いており、手が出せない。そして今になった。


 再誕可能時期がデッドラインを切りかけていたのかもしれない。だから三人の助手達は再誕後の要人略取計画が分担競合になった。とくにリエカにいたマダム・キュリーが数日かかる場所まで動き、味方の帝国兵一個小隊を排除したことから推測すると、彼女だけは焦りがあったように思える。


「それなら何も誘拐までせずとも、招聘という形でライカン・フェニアに頼めば良かったのではないですか」

 シャラモン神父がもっともなことを言う。だが俺はかぶりを振った。


「コペルニクスと博士は折り合いが悪かった上に、コペルニクスの権謀術数によって地位を隅に追いやられていたそうです。そんな彼女に弟子達は頭を下げて、師匠の再誕を手伝えとは口が裂けても言えなかったでしょう」


「人間的事情でしたか」


「はい。ですからマダム・キュリーにとっても、ハティヤは博士を恭順させるための大事な首輪です。大事に扱われることは間違いないでしょう。そこで──」


 俺は二人に頭を下げた。

「帝国の侵攻速度によって変わってきますが。ハティヤの奪還に、五年の猶予をいただきたいのです」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る