第八章 魔女戦争

第1話 ホムンクルス会議(1)


 オイゲン・ムトゥ。

 やっぱり助けるべきではなかったか。


 彼らの正体がわかった上で、俺はそこまでの懸念にいたる。


 都民から慕われた老賢者は、この城塞都市ティミショアラで権力を持ちすぎた。

 都政の支柱と言うべき人物がある日、忽然と姿を消せばどうなるか。


 死んで生まれるを繰り返す複製体なら、これから先、あの人の死はどのタイミングでも悪すぎる。


 ここから西の隣国、ネヴェーラ王国では長年膠着していた戦局が崩れた。

 王国がアウルス帝国に踏み倒されたら、次は〝七城塞公国ここ〟だ。

 成り行き、敵が最初に掌握しておきたい拠点こそ、ティミショアラになるだろう。


 もう一つ。ダンジョン内でドワーフ三兄妹の長兄マクガイアが、翡翠荘で〝Vマナーガ〟の戦闘があったという。


 大きな力を手にした者は、とかくそれに頼りがちだ。


 戦局に圧されて苦しまぎれに〝Vマナーガ〟を人界戦争に投入すれば、〝七城塞公国〟は世界を敵に回す。

 世界は目の色を変え、科学を飛躍的に向上させるだろう。

 この国を滅ぼすために。


 もはや〝Vマナーガ〟は対徨魔兵器ではなく、対人殺戮兵器となり果てる。

 そうなれば。この世界はお終いだ。


「……疲れてるな。俺」


 まだネガティブ妄想にブレーキがかかる。大丈夫。まだ理性が残っている。とはいえ、魔改造人間の身体はまだ動けそうなのに、頭が疲労困憊だ。


 今回のことで、マナと精神体力のギャップに気づけたのは収穫だが、毎回精神疲労に気づくタイミングが後手に回っているのが厄介だ。


「とにかく、報告書を書かなきゃな……あと新鮮な肉が食いてぇ」

 ぼそぼそと呟いていたら、背中をどやしつけられた。


「何ぼやっとしてんだよ。狼。旦那たちも迎えに出てるぞ」


 ティボルに促され、鼻先を正面に戻す。


 翡翠荘までの道に、人垣ができていた。

 ニフリートが幌から出て、領民たちに手を振っている。おおっという歓声と拍手と、彼女を呼ぶ声が鯨波のごとく馬車全体を揺らす。

「おひい様は、やっぱりみんなから慕われてる存在なんだよな」

「どうしたんだ。ティボル」

 それきり、優男は何も言わなかった。


 壊れた城壁に、太くて黒い角がぶっ刺さっている。行く先の開かれた鉄扉の前で、ひどく懐かしいハゲ頭が何かを叫んでいたが、よく聞き取れなかった。

 ようやく何かが終わった気がしているのに何かが始まりそうな気配が、俺を滅入らせた。


  §  §  §


 突然だが、この〝翡翠荘〟には、風呂がある。

 正確には蒸風呂サウナだ。


 木製のサウナ小屋。適度に隙間の空いた簀の子状の段差ベンチに薄い麻の肌着をつけて座り、焚き石に撒く水の蒸気を部屋に充満させて汗をかかせる。


 吸排気口も二カ所あり、割と近代的な配慮が行き届いていた。

 男女共浴で、女性陣はウルダやハティヤ、メドゥサ会頭も参加。


 意外なところでは、ムトゥ家政長と好奇心旺精霊ヘレル殿下も参加してきた。

 そしてサウナと言えば──


「石炭だ!」


 俺は思わずストーブの中で真っ赤っかに燃え立つ石を見て、声にしていた。

「いいなぁ。いいなぁ。これ、欲しいな」

「おっとぉ? まだ狼が妙なモンに食いついたぜ」


 ティボルがはやしたてると、サウナ部屋が籠もった笑いで満たされた。


「決めた。今回の報酬は、石炭を──」

「はいはい。そういう話は本館でやれよ」


 横から鼻先の石炭に水を掛けられ、立ちのぼった蒸気で俺はその場から追い払われた。ひどい。でも、ティボルさんよ。あんたサウナの入浴方法、どこで知ったんだ。


「さて、まずは調査隊の無事生還を祝する口上を述べさせていただく」


 砂時計をひっくり返して、ムトゥ家政長が言った。


「ダンジョン調査隊のご尽力をもちまして、おひい様を無事当家に連れ戻してくださりましたこと。厚く御礼申し上げます。が」


「が?」


「皆さまは生態スーツの回収に向かわれたはず。おひい様の四肢の回復は、どういうことですかな。そして、おひい様が乗っていた。あの[機体]は?」


 ティボル、スコール、ウルダが一斉にこっちを見る。

 俺は俺で、頭に巻いたタオルを直しながら、言い訳を考えた。


「えっと……あれ? 俺、何かやっちゃいましたかね?」

 てへ。一応、すっとぼけてみる。


 もちろん、それで許されるほど、ここは優しい世界ではなかった。俺への信頼の担保であるカラヤンとムトゥ家政長の視線が同時に刺さる。


「えー。後ほど、お二方に報告書を上申致しますので、この場での報告は概要だけ」


 二人の圧に負け、事務作業を二倍にする墓穴を掘り、俺は朝のうちから徹夜の心配を始めた。


 まず、俺はダンジョン潜入後の亜空間で、ライカン・フェニアの案内を頼り、おひい様の急変を受けて、そのまま彼女のアイディアに乗ったことを説明した。


 その中でムトゥ家政長の表情が動いたのは、二点。


 おひい様をリザレクトルームに入れたところ。

 ライカン・フェニアが成人化して俺の前に現れたところだ。


 ニフリートの成人化には表情を変えなかった。


 そこで、ムトゥ家政長はサウナ室の壁を後ろ手にノックした。

「ライカン・フェニアを拘束せよ。部屋から出してはならんな。接近監視を二名。丁重にな」


 はっ。外の返事とともに、複数人が雪を踏んで遠ざかる音がした。


「狼頭っ。フェニアをなぜ捕らえるっ!?」

 ヘレル殿下から友の不当を訴える表情とともに食ってかかられた。俺は事務的に応じた。


「博士は、以前からムトゥさん側にとっては反体制分子として危険と見なされ、ずっと子供の姿でいさせられていたみたいですね。だから今回、成体に戻ったことで、彼は博士が何かまた反乱を企んでいると考えているようです」


「しかし、フェニアは貴様が飲ませたという薬のせいで眠っていた。実際、馬車の中ではずっと間違いなく眠っていた。それは余が知っている」


 何も悪くない。まるで純粋な少年の目で友達を守ろうと必死だった。


「ええ。ですがこの翡翠荘での立場は、制約をつけるべき人物だということです。もちろん、この場の拘束というのは縄で縛る逮捕の意味ではなく、彼女が眠っている部屋に入って介抱がてら逃亡を防ぐという意味の、自由行動の制約です。ですよね?」


 確認すると、老人は穏やかにうなずいた。

「あれは、昔からじゃじゃ猫ゆえ。手を焼いております」

「でも、出発前には親しげに話をしてましたよね?」


 俺の指摘に、老人の顔が〝一緒にしないでくれ〟と困惑顔を振った。

 

「ライカン・フェニアは、〝龍〟が動かなくなったことを奇貨として、バッターリヤ製造を大公に売り込み、アスワン帝国への出向を願い出たところまでは良かったのです。

 が、そのまま三〇〇年も戻ってこなかったのです。こたびのように切迫した情況でなければ、其許そこもとに預けず即刻、首都へ護送しておくべき輩です」


 マジか。だから博士は俺が協力を一度断った時、涙目になっていたのか。


「ちなみにですが、ドワーフ三兄妹もご存じですか」


「無論。彼らはライカン・フェニアの同類でござる。策謀よりも技術面で巻き込まれた連中でしてな。罪状が軽微であったため、ダンジョンの定期保守作業奉仕で減刑された者らでござるよ。

 しかしまさか、其許にほだされて電池が造れるとは思っておりませんでしたがな」


 ううっ。裏事情を知らなかったとしても、なにかやっちゃった感マシマシ。


「ということは。生態スーツはやっぱり政治的な道具にもなってましたか、ね?」


 ムトゥ家政長は、自分の手の内を明かすのを不本意そうに押し黙ると、


「有り体に申せば、そういうことになりますか。自分達で取りに行けば良いものを、無用な損害を出したくないがために他力本願を政治と称して成就させようとする怠惰な守護者たちです。

 だからギリギリまで締めつけて売る恩の値をつり上げておったところです」


 ここでの守護者とは各龍公主の護衛兵のことでなく、各家の家政長のことだろう。

 俺はふいに嫌な予感がした。


「では、〝翡翠荘〟の門前で起きたシュプレヒコールは」


「各家の家政長が、意図して対応しなかったことで、純粋な思考をお持ちの龍公主様をこちらに仕向けたのでしょう。それがしの情に訴えたつもりになっておるのです」


「龍公主様がたの護衛兵長からうかがいましたが。どの龍公主様の髄液も逼迫ひっぱくしているとか」


「然様。しかしながら、それがしは翡翠龍公主の守護者にて……」


 うっ。非情だ。だがそう言われてしまえば、余所者には返す言葉もない。

 龍公主は、死んでも代わりがあるのだ。

 また市井から養子にしたと言って、新しい四肢のない複製体を持ってくればいい。


 これだよ。知ることの反作用だ。


 いやな気分だったが、彼らの国政上の秘密だと言われれば理解はできてしまう。生き永らえさせることを目的としていない。繰り返すことこそが目的だからだ。


 その方策に余所者がいくら倫理だの人道だの持ち出して非難したところで、体制は痛痒を感じないだろう。四肢のない龍公主の体制こそが五〇〇〇体近い複製体の〝戦わなくていい理由〟になっていたのだ。


 俺がライカン・フェニアの話に乗ったことで、結果としてその体制をくじく主因となってしまった。


「ご家老。可愛いこそが正義ではありますまいか」

 唐突に、ラノベに出てくるような迷言を口にしたのは、メドゥサ会頭だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る