第4話 動乱の中を行く(2)
カーロヴァック。
バルナローカ商会ナギサ支店に、塩と塩漬け魚を卸す。
「ティボル。そっちの荷はティミショアラのだろ? 置いていきなよ」
ナギサ副会頭が、馬車に残った樽をあごで指して言った。
「
仕入伝票と売上伝票の木札を交換して、ティボルは訊ねた。
「誰が次の侍従長? になるかで、町が真っ二つになってるらしいよ」
「えっ、次の?」
「なんでも、オイゲン・ムトゥって重鎮が倒れたんだとさ。それで権力争いが民衆にまで始まってる。今、あそこに行商が入っても、どっちに商品を卸したかで余計な恨みを買うはめになるかもよ」
ティボルが無言で、俺を見る。俺は下あごをもふりながら、目を細めた。
「ナギサさん。オイゲン・ムトゥは倒れただけで、死んだという話はまだ聞こえてこないのですよね」
「そりゃあね。けどあの都市は、鎖国の窓口になってるからね。こっちから向こうへ入る商人達は困惑してるよ。なんだかんだで、その人が目を光らせていたお陰で真っ当な商売ができてたからね」
俺は、もふる手を止めて、ナギサ副会頭を見た。
「塩と塩漬け魚は卸せませんが、その代わりに別の荷を引き取ってもらえませんか」
「品目は」
「鉄鋼。四八tgです」
「おい、狼っ」ティボルが焦った声で俺の腕を引く。「ここでその商品を置いていくのはマズいだろ。〝石工屋〟の傭兵たちをここで返すのか?」
カーロヴァック市内は、つい最近、攻城戦があったばかりなのにグラーデン兵が幅を利かせている。グラーデンの家族も日当たりの良い場所に移ったらしい。
「事情が変わったんだ。ムトゥさんの不調で鉄取引そのものがご破算になれば大損だよ。持っていくのは、約束のサンプルだけでいい。〝石工屋〟のみなさんには、ティミショアラまでの正規額を支払ってリエカに戻ってもらう。強そうな傭兵を連れて歩く方が町を刺激しかねない」
「そりゃあ……そうだけどよ」
ティボルの浮かない顔は、取引とは別の所だ。俺はその肩を持った。
「大丈夫。町が権力を争ってるのは、ムトゥさんの地位だ。
権力ほしさに、龍公主ニフリートを拉致監禁して強引に家政長の地位を簒奪しようとする
そんな俺の思案をよそに、ナギサ副会頭はにんまりと笑みを浮かべた。
「いいのかい? 覚えてるだろうけど、うちじゃあどんな品物だろうと、白札荷(商会外取引)は一割手数料を余分にもらうんだけど」
「なら、この先のシステアの町で同じ話をするだけです。あっちは船がありますから。あれだけまとまった上物の鉄鋼があれば北方へも流せるでしょう、ねえ?」
美女を覗きこむように訊ねる。貸しがあったよね。と。ナギサ副会頭は憎々しげに俺の顔を両手で左右ににゅうっと引っぱった。
「ったく、わかったよ。ティボル、ヤドカリニヤ商会宛ての〝買掛〟(仕入伝票)書くから事務所まで顔貸しな。──ミチル、ゼンさんたちを呼んできな。検品だよ」
「承知しました」ミチルが店へ駆け戻っていく。
「あ、ナギサさん」
俺はバルナローカ商会の副会頭を呼び止めた。
「やっぱり、代金は一割引の六割で構いません」
「あん? そりゃどういう風の吹き回しだい」
「そのかわり、〝買掛〟の伝票には鉄鋼五〇tgでお願いします。そして鉄鋼二tgの〝売掛〟の伝票を切ってもらえませんか」
商人たちはそれで、俺の提案を理解したらしい。ティボルが半口を開けたまま呆気にとられる。ナギサ副会頭はちょっとだけ歪んだ笑顔を作った。
「なるほどね。その二tgがティミショアラへの本命ってことかい」
俺は肩をすくめてみせた。言葉で肯定しない。沈黙は鋼なり。
鉄鋼の売上げから一割を払って、取引名義を換える。王国屈指の大商家バルナローカ商会取引の鉄鋼にするのだ。
ティミショアラの衛兵達に、ムトゥ家政長と
「その上で、向こうの詳しい情報が欲しいのです。売ってもらえませんか。ランチ代で」
ナギサ副会頭は少し考えた後、ニカッと笑った。
「カールシュタットに最近買いとった居酒屋で〝残忍な毛皮亭〟ってのがある。そこの主人に、あたしと商談だと言っときな。後から行く」
「了解です」
良くも悪くもティミショアラの大黒柱が揺らぎ始めた。
俺たちにとっても引き返せない旅が始まった気がした。
§ § §
ハティヤとウルダを呼んで、指示された居酒屋を探してカールシュタットの町を歩く。
「なあ、ウルダ」
「ん?」
「俺を監視してる〝霧〟の連中は、こっちにまで来てる?」
「うん。来とーよ。連れてこよか?」
あまりにも気軽に応じられたので、俺は目をぱちぱちさせた。
「それって、五人?」
「ううん。三人。あいつら、隠れんぼヘタっちゃけん」
まだ十三歳の少女にばっさりヘタ扱いされては、あいつらも立つ瀬がない。
「それじゃあ、三人とも連れてきてもらえるかな。彼らに仕事を頼みたいんだ」
「わかったっちゃ」
やがて、青錆びた銅板で〝狼の毛皮〟の看板を見つけ、そこでいったんウルダと別れた。
見送る少女剣士の足取りは、散歩に出かける猫みたいに軽ろやかだった。
〝残忍な毛皮亭〟──。
主人は女性だった。俺を見るなり、急に目の色が変えて迫ってきた。
「あらっ。いらっしゃぁ~いっ。ねえ、お兄さんどちらの種族? どこの集落から来たの?」
この人、
違う。そういうのじゃない。俺はとっさに身の危険を感じてあとずさった。
その隙間に、ハティヤが無言で割って入ってきた。
女主人の接近が不自然に止まる。俺からは見えないが、わが主様の顔を見て女主人の笑顔が凍りつき、美貌から結露する。
「えっと。バルナローカ商会さんの紹介で、商談があって来たのですが……」
無言のハティヤに何が起こっているのかわからないが、俺は戸惑いながら用件を切り出す。
女主人は、助け船を得たように顔を上げて表情を緩めた。
「えっ? あ、ああ~。ナギサのお客様だったの。上の一番奥の部屋を使って頂戴。そうだっ。カギ、カギっと」
女主人はそそくさと仕事に戻っていく。
「あの、ハティヤさん?」
「ん、なぁに」
振り返ったわが主様はいつもの笑顔、彼女に何したんですかとは訊けない
「カギ、もらってきてくれるかい」
「りょーかい」
(……ヤンデレの守備力、高すぎるんだが)
そこに遅れて外からティボルが入ってきた。売掛の木札を渡されそうになって、俺は押し留める。その伝票は商人鑑札を持っている人が持ってないと検問で意味がないはずだからと説明した。
三人で、指示された二階奥の部屋に入った。
室内は、窓とベッドがない八畳スペース。中央に丸テーブルが一卓と椅子が六脚。いかにも秘密の商談をする雰囲気だ。
ティボルが珍しく俺のとなりに座ってきて、テーブル中央から水差しを掴んだ。銅のコップに水を注ぎながら、
「お前。向こうに着いたら、どこから始めるわけ?」
「ハティヤとウルダを連れて、ダンジョンに入ってこようと思ってる。だからムトゥさんとの鉄の交渉は任せるよ。売るべき余剰も処分したし、ムトゥさんも体調不良だ。この大口取引の話は流してもらっても構わないよ」
「流す? なんでよ。もったいないだろ」
俺は顔を振った。
「だめだったよ。セニは港町。ヤドカリニヤ商会はいまだウスコク保守だ。そのウスコクにしたって高齢化している。若い働き手が限られてるんだ。人手不足。燃料不足。石炭から出る煙が海を汚す。炭作りとはワケが違った。製鉄業を始めたせいでガラスと石けんの売上げが崩れたら、それこそ目も当てられないよ」
「ふうん。……けど、なんでまた、お前らはあのダンジョンなわけ?」
「博士が、あそこで俺たちを待ってるんだ」
「あー、そのことだけどな。旦那(カラヤン)たちも心配してたぞ。お前が幽霊に取り憑かれてるって」
「そのことに関しては、なんとでも言ってくれていいよ。反論はしない」
「待て待てぇ。そんな言い方はねぇんじゃねーか? みんなお前のこと心配してんだぞ。ハティヤだって、なあ?」
ハティヤは俺を見つめ、何も言ってこない。けれど灰緑色の瞳が言葉以上の何かを語ってくる。「心配してる」ではなく「信頼してよ」と。
俺はこの世界の基準に則って、二人に説明する責任があるように感じられた。少し考える。
「前回のティミショアラで、俺はムトゥさんと博士の三人であのダンジョンの秘密を共有したんだ」
「秘密っ?」
俺はティボルの目を覗きこんだ。気づかないフリでもなさそうだ。
自分が複製体である事実は、ちゃんと人の生を歩んで、毎回死を迎えていれば、本人すら自覚できるものではない。のかもしれない。
それともやはり、ムトゥ家政長などの一部の幹部しか知り得ない領域なのだろうか。
「その秘密はカラヤンさんにも言ってない。そういう約束なんだ。そのせいで俺が乱心したと思われたても仕方ないと思ってる。でも、ティボル。あんたも見たろ。あのダンジョンの中での〝生活〟を」
ハティヤが優男を見る。ティボルは、戻りかけてる記憶をいまだ認めたくないのか。唇を噛んで顔をしかめた後、別のことを言った。
「狼……。お前、ライカン・フェニアに惚れてたのか?」
苦し紛れの問いかけ。だが、嫌いじゃない。俺は顔を横に振った。
俺とライカン・フェニアはプラトニックの中での疑似共感。友達だ。
相手を通じて満たそうとしている感情がお互いに違う。
彼女は知識人としての承認欲求と寂しさ、俺は人であった頃の未練と懐かしさだった。
どう化学反応が起きても、愛には昇華しない。
「博士がもってる知識や経験は、俺がまだバケモノじゃなかった頃にあったものとよく似ているんだ。……うん。似てるだけ。博士と完全な共有共感は不可能かもしれない。
それでも。俺には、この世界で、その頃の話ができる相手がいてくれたことが涙が出るほど嬉しかった。だから博士を失いたくない。取り戻せるものなら取り戻したいと思ってる。それに」
『お願、い……迎えに、来て……。もう、独りで、目覚め……寂し、すぎ……から』
「博士は俺の腕の中で消える直前、迎えに来て欲しいって言ったんだ。その意味を正確に理解できるのは、俺とムトゥさんだけなんだ」
ティボルは難しそうに押し黙ると、必死に理解しようと頭を乱暴に掻いた。
「そのムトゥ様が今、死にかけてるってことは……くそっ。狼。悪いが、オレはおひい様の無事しか考えられねえぞ。けど、つまりこういうことか?」
「……っ?」
「ライカン・フェニアは、取り戻せるんだな。それをお前は信じてるんだな」
俺はうなずいた。彼にもいつか理解できる日が来ると思う。がんばれ。
「うん。信じてる。ティボルも、おひい様のこと頼むな」
「ああ、わかってる。権力争いなんかにおひい様を巻き込むわけにはいかねーからな」
あ、ダメだこりゃ。理解は当分、無理かも……。俺は急いでかぶりを振った。
「違う違うっ、そうじゃないって。ティボル、忘れちゃダメだ。おひい様は普通の気さくな町娘じゃない。既に権力者なんだって。巻き込まれる以前から当事者なんだ。
おひい様のために考えなきゃいけないのは、町の権力争いだけじゃない。中央都との権力争いも考えなきゃ」
「はっ、中央? 中央都ってつまり、大公との争いかよ……っ!?」
まずいな。ティボルって、ラノベの主人公みたいだ。ヒロイン守ることばかりに目がいってて、ムトゥ家政長を失うことで起きる事態の余波というものを見ちゃあいない。
オイゲン・ムトゥが衰えたことだけ見ても、魔封の御札が外れているはずだ。それを抑え込むのではなく、一つひとつ処理して成仏させて片付けなければならない。ニフリート自身で。
その時に、彼女を支えてくれる人々がどれだけいるか。
それが〝親〟の気がかりなのだろう。
そこへドアがノックされて、部屋にナギサが入ってきた。
食欲をそそる匂いとともに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます