第3話 動乱の中を行く(1)
帝国暦一五一九年・冬──。
〝ミュンヒハウゼンの変〟が始まった。
プーラ、リエカなど主要都市七箇所を含む国王直轄の三七都市を、城壁の内から夜襲。
行政の関連施設を同時多発的に占拠すると、都令、守衛長を始めとする執政幹部二〇〇人から三〇〇人を逮捕、拘禁。一両日中にこれまでの不正事実を白日の下にさらけだし、政治犯を釈放して、法に基づいた税制に改めた。
その手際の良さは民衆を驚かせ、「一晩で悪い魔女にかけられた呪いが解けたようだ」と評された。もっとも、後世の歴史家は「呪いをかけた魔女が倒れても、新たな魔女が現れて別の呪いをかけたに過ぎない」と辛評したが。
また、計画立案に数十年を費やしたとされるこの反乱にも大きな誤算が二つ、起きた。
まず一つは、王都が墜ちなかった。
王府へ乗り込んだグラーデンの腹心三名を含む、将校五〇余名が反撃に遭い、死傷した。
国王軍部将官を逮捕拘禁するため作戦会議室に乱入したグラーデン将校はすぐさま斬り伏せられ、会議場から廊下へ押し返されたという。
のちに
§ § §
「あぁん? 剣を換えろだぁ?」
千軍の長である佐官に昇任したパラミダ・アルハンブラ少佐が、自分の半分しかないエチュードの鼻先に顔を近づけて睨みつけた。
「悪いけど、こっちでもう新しい剣を用意させてもらったよ。──ポロネーズ」
部屋の外に声をかけるとドアが開いて、弟のポロネーズが入ってきた。その手には、鉄の棒。二セーカー弱。彼の愛剣フランヴェルジュと同じ長さである。
「おい、グルドビナ。てめぇ、オレにガキの喧嘩に戻れってのか」
「まず持ってくれ。この場で素振りを一〇回だ。それから話をしよう」
「バカか。ここは室内──」
渡された鉄の棒の重さに、パラミダの顔色が変わった。
「いいからやりなって。次の話ができないだろう?」
エチュードはソファに戻って、ティーポットからカップへ紅茶を注ぐ。そして振り返りざま叫んだ。
「待った!」
エチュードが鋭く制止をかけると、パラミダが振り上げる途中で動きを止めた。
「パラミダくん。上をよく見て。シャンデリアに当たるだろ?」
「おめぇが振れって言ったんだろうが!」
牙を剥いて吠える。エチュードは取り合わなかった。
「周りの物を壊したら、新しい剣はナシだ。今、鍛冶屋に特注品を頼んでる。三日後の作戦会議初参画までに合わせて急いでもらってるところだよ。さあ、まずは二〇回だ」
「おい。増やすんじゃねえ」
「ただの素振りだ。倍になったからって変わらないさ」
「なら……十九回だろうが。今振った」
「これはこれは、わが大将。古今東西、稽古を誤魔化す剣士は出世しないのが、世の常でね。僕はシャンデリアに当たりそうだったから止めただけだよ。さあ二〇回だ。始めて」
パラミダは不満たらたらの顔で舌打ちすると、素振りを始めた。二〇回目を振った時、額にじっとりと汗をかき、肩は少し上下していた。
「終わったぞ、クソがっ」
(十三ポンド(約六キロ)の鉄棒を。紅茶二杯目を飲み終わるまでに振り切ったか。さすが先駆けの将だな)
エチュードは満足げにうなずいた。
「では、話をしようか。廊下に盾を三〇枚、用意した。それをその棒で割ってきてくれ」
「話をするんじゃねえのかよ!」
「ただ叩き割るんじゃ芸がないから、その盾は君に抵抗する」
「──っ!?」
「念を押すよ。盾を割るんだ。兜を割るんじゃない。もちろん、廊下の壁紙や天井にも傷一つ付けずにだ。それが終わったら、武器屋に案内するよ。
今造ってる剣は、〝ツヴァイハンダー〟って言ってね。北方のクリムゾン騎士団の斬馬隊が得意としている武器なんだ」
「斬馬ぁ?」
「馬を斬る大剣さ。ノボメストの奪還戦で、観測隊がきみのフランヴェルジュが敵の重鎧を滑っていたという報告を三件も受けた。きみの武器への調整が甘いという話じゃなくてね。
君がこれから先、他の千騎長のように後方で大人しくしててくれるのなら、こんな話はしない。まだ味方の先頭で戦いたいのなら、アルハンブラ隊の切っ先は鋭い方がいい。そういう話さ」
パラミダは鉄の棒を肩に担いで、プイッと顔を背けた。
「なら、こいつを室内で振らせた意味は?」
「次の作戦会議で喧嘩になるかもしれないだろ。抜く感覚を身につけてもらうためさ」
「……ああ、ドレッサー、アントン?」
「シュレッダー伯アンリかい? 呼ぶ時はアンリはいらない。シュレッダー伯だけ覚えてれば、不作法にあたらないよ。あと、相手はみんな、きみの目上どもだ。卿とか貴殿とか敬称を使ってくれよ」
「遅ぇよ」
「は?」
「ノボメスト攻略ん時、あいつが『抜け駆けだ。勲功を辞退しろ』ってうるせぇから、ぶっ飛ばした」
「いつ、どこで?」
パラミダは面倒くさそうに頭を掻くと、
「ノボメスト奪り還して、王都に戻って……論功行賞あって……その帰り?」
エチュードはカップをソーサーへ不作法に落として、額を押さえた。
「あの殿中での騒ぎは、きみの仕業だったのか……伯爵家を殴るとか」
「オレは悪くねぇ。第一、殴りかかってきたのは向こうだ」
「無爵位が、伯爵位を殴る行為そのものがマズいんだよ。この国の法は貴族を守るためだけに存在してる。でも、どうせきみのことだ。相手に気の利いた言葉を売ったんだろう」
「あん? あー、確か……『弱ぇヤツほどよく吠える。戦で尻尾を股に入れた負け犬は、とくにな』だったか。ガキの啖呵だ」
エチュードは声に出して笑い、盛大なため息をついた。
「はぁー。まったく……っ。それで? ちゃんと向こうをキャンと言わせてきたんだろうね」
エチュードの切り返しが気に入ったのか、パラミダはニヤリと笑った。
「まあな。お前、前に言ってたろ。貴族相手に顔は殴るなって。だから、そうした」
「うん。そこから先は僕の耳にまで届いているよ。謁見の間の前でゲロを吐いた伯爵様の噂がさ。町で物笑いの種になってた。にしても、よく決闘にならなかったもんだよ」
「そりゃあ、向こうも腕に物を言わせりゃ、恥の上塗りになるからだろう」
「どうかな。あるいは戦場で、君の背中に矢を射かけようとしてるかもね」
「はぁん。なるほどなぁ。戦場での味方殺しも、貴族の嗜みっつーわけか」
「彼は王位継承権を持ってるからね。戦場での手柄は喉から手が出るほどだし、失態はゲロでも後あとまで響くんだ。でも、きみに耳や腕を落とされるくらいなら、ゲロで身を引いたんだろう。賢明な判断だよ。幸か不幸か、この屋内訓練は無駄にはならなさそうだね」
「ふんっ。新しい剣。気に入らなかったらぶっ飛ばすからな」
「鍛冶屋をかい? 僕は商人で職人じゃないよ。微調整や追加注文なら謹んで承るけど」
パラミダは鼻を鳴らして、部屋を出て行った。
ドアが閉まった直後。船底を棍棒で殴るような凄まじい衝撃音が部屋にまで響き渡った。
ポロネーズは思わず首をすくめたが、エチュードは平然と三杯目の紅茶をカップに注いだ。
「シュレッダー伯アンリ、か。王太子が即位して尚、王位継承を諦めてない。それほど現王太子ドゥドルは相当評判が悪い、か。──ポロネーズ」
「なんだい、兄さん」
「シュレッダー伯アンリの次順位の王位継承権者って知ってる?」
「んー、とね。ファクシミリアン伯シャルルだったと思う。三八歳」
「ノボメスト攻略の時、いなかったよね」
「その時は、王都の社交場にいたはずだよ。二年も前に帝国戦線で小規模拠点を二つほど落としていたし、シュレッダー伯より資産が大きいからね。わざわざ奪還作戦の手柄は必要なかったんじゃないかな」
「ふーむ。それじゃあ、ノボメスト三〇万人は、あれからどうなってる?」
「うん。兄さんの読み通りだったよ。国王の直轄領ばかりに散ってるみたいだ。でも」
「でも?」
「プーラとリエカに入ったノボメスト住民はもう地元住民とトラブルになってるみたいだね」
エチュードは窓の外を見た。南の空は穏やかに晴れ渡っていた。
「ふぅむ……〝ハドリアヌスの魔女〟が感づいて手配りしてるんだろう。おまけに、今年の冬はとくに寒いって聞くし。我慢比べ……いや、そろそろ収穫か」
「兄さん?」
「なあ、ポロネーズ。できるだけ詳しい王都の地図を買ってきてくれないか。とくに都内の道路が細かく書き込まれてるヤツがいい」
「うん。わかったよ」
弟は健気に部屋を出て行こうとして、ドアの前で困ったように振り返った。
エチュードは声にだして笑い、自分が座る向かいの席を促した。
「パラミダくんの盾割訓練が終わるまで、紅茶を飲んでいけばいい。甘い物好きだろう? ケーキをお食べよ」
部屋の外で壮絶な衝突音と怒号のする中、兄弟は穏やかな午後のティータイムを過ごした。
§ § §
その三日後──。
反乱軍を押し返した千騎長パラミダ・アルハンブラ少佐は、四半時(三〇分)後には、廊下におびただしい量の血と死体で絨毯をつくったという。パラミダの一騎当千の働きにより、他の王国軍将校も奮戦。反乱軍は王府建物の外にまで押し出された。
国王軍統合本部将校およそ二五〇〇人は、王府に籠城した。
この王府占拠失敗によって、グラーデンは兵七〇〇〇で王府、宮殿後宮を包囲。兵三万で都市の正裏の出入り門を封鎖。冬の市街戦にもつれ込むことになった。
グラーデンは当初、短期決戦を目論んでいた。その最終段階でたった一人の若者のために
もう一つの誤算。それは、この反乱にヴァンドルフ家が沈黙を守っていた。
カーロヴァック攻城戦の救援に向かい、アスワン帝国側に逮捕護送中に殺害されたスペルブ・ヴァンドルフ中将には、弟がいた。
ダーヴィット・ヴァンドルフ。三五歳。
彼は、グラーデン・フォン・ミュンヒハウゼンの実子三男であった。
兄スペルブが二歳の時に長患いをし、先代ジギルストが早々に実子の後継を諦めてミュンヒハウゼン家から養子を迎えた。
けれどスペルブは九死に一生を得て成長し、ダーヴィットは弟としてヴァンドルフ家を支えていた。
元親グラーデンが働きかけて彼との間に密約を結んだのかどうかは定かではない。
一方で、国王もまた双頭鷲に救援を求めたのは想像に難くない。
けれどヴァンドルフ家は、ミュンヒハウゼン軍への加勢も王国軍の救援にも動かなかった。この日和見とも思える停滞が、国内の貴族の足並みをも鈍らせていた。
春には帝国の大攻勢がほぼ確定とされる中で、冬期の戦時損耗は小さくはないからである。
今や、国王カロッツ2世は、自領の孤島となった城で救援を待っていた。
いつ、どこから、やってくるかどうかもわからない奇蹟を祈りながら。
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