第2話 セニの一夜城壁と魔剣ルーナガルム


「いやぁ。なんか悪かったな。ハティヤにおひい様の土産、選んでもらって」

「いいよ。私たちもリエカに行く用事があったから。楽しかったし」


 手綱を握るティボルはとなりに礼を言うと、ハティヤは笑顔で応じた。


 三日後──。

 雪雲のない晴れた昼過ぎ。セニを発つ〝七城塞公国〟ジーベンビュルゲン行きの馬車は二台である。


 前を行く大型のソリ馬車には、セニの反射炉で精製した鉄鋼五〇tgが載っている。その前後をマンガリッツァ〝石工屋〟の傭兵騎馬隊が八人。護衛する。


 ティボル、ハティヤとウルダの三人は、その後ろからヤドカリニヤ商会の行商ソリ馬車でのんびりついていく。積み荷はいつもの海塩と魚の塩漬け。それから干果実と石けんなどの日用雑貨品だった。帰りの荷は、蜜蝋を予定している。


「しっかし。たった一晩であそこの城壁を修繕し終わっちまうかねえ。あのバケモノコンビは」


「ケンカしてるって言う割に連携はとれてるみたい。二人と話が合ってたフェニアが羨ましいわ」

 ハティヤは前を行く馬車を目で追った。


(あんなバケモノどもと話が合って、羨ましいかねえ……)

 ティボルは明後日の方を眺めつつ、別のことを言った。


「ライカン・フェニアはそっち方面には鈍いって思ってたけどな」


 ハティヤは割と真摯な表情で、消えた友人に思いを馳せた。


「狼もヘレルも、フェニアといると楽しかったみたい。だから急に目の前で消えられたから、二人とも悲しかったんだと思う」


「それで城壁ぶっ壊すほど殴り合うってのも、どんだけだよ。それよりさ、ハティヤは狼のことに関しては、もっとこう、デーンと構えてればいいんじゃねーの? ちょっとくらい貸してやろうってカンジでさ」


 女心がわかってないなあ。そんな一瞥を御者に向けてから、ハティヤは言った。


「私は、狼がフェニアのことをどう思ってても割と気にしてないの。あの子、本当にマジメで頑張り屋だった。だから、今でも嫌いになれないよ。それに、あの子の博識や経験について行けるのって、狼くらいだったし。それはいいの。でも、狼の〝たった一つ〟の気持ちだけは、誰にも渡したくない」


「ふーん。ま、こればっかりは理屈じゃあねえしな」

「そう。言葉にできないの。こういう気持ちって」


 馬蹄は雪道にゆっくりとしたリズムを刻み、北東を目指していく。


  §  §  §


「はっ。たった一晩で城壁ができちまったのかい」

「ああ。まったくわが相棒ながら怖ろしいぜ。あの有言実行はよ」


 セニの町・ホヴォトニツェの金床。

 温かい麦湯を飲みながら、カラヤンは店主に愚痴った。

 ここ二、三日。この鍛冶屋に入り浸っている。新しい剣を作ってもらうためだ。


 この港町には、二件の鍛冶屋がある。

 最初の鍛冶屋では新造に忙しく、急ぎならと中古品を三〇本ほども並べられたが、どれもカラヤンに「これは」と言わせるだけのモノはなかった。


 ここが残った二件目だが、最初、店主カールから「今ちょっと手が放せないから、先にリエカまで行って見てこい」と中古品を見せることさえ断られた。


 仕方なくその言に従って、シャラモン一家の子供たちを連れて馬車でリエカまで見に行った。けれど品揃えが多いだけで、汎用品ばかり。やっぱり直感を刺激するモノがなかった。


 三弟アンダンテの傭兵会社〈ヴェネレドーロ商会〉にも剣を見に行ったが、全滅だった。アンダンテは馬好きだからか、剣よりも槍にいい出物があった。


「なあ、兄貴。十五の時に魔物に追われて急場の拾いものだったにしても、兄貴はあの剣に思い入れが過ぎてたんじゃねえのかい?」


 帰り際に、アンダンテからそんなことを言われた。

「確かにな。だがなあ……」


 剣は所詮、道具だ。こだわり始めるとキリがないのはわかっている。

 けれど諦めきれない。この先も剣士を続ける限り、剣は自分の命を預ける相棒である。つまらない妥協はしたくなかった。


 リエカから戻った足で、またホヴォトニツェの金床に顔を出す。

 ようやく中古品を見せてもらった。ところが、売り物の剣はたった二振り。しかも衛兵が急場しのぎで買っていくようななまくらだった。


 カラヤンは怒るどころか、興味を持った。


「カール。おめぇ、もしかして新造注文すらも受けてねぇのか」


 セニは今、グラーデン騎兵を撃退したことで、町住民に武器を新造しようという気運ブームが到来していた。

 それでも前寄った店の品数を考えれば、ここが二振りというのは奇妙だった。


 すると店主はふと作業を止めて、ぷっと吹き出した。


「なんだよ、カール。おれ、なんか可笑おかしなことを言ったか?」

「いや。悪い。明日、ここに来い。見せたい物がある」

「なんだよ。気になるだろ」


「明日、全部話してやるよ。今日は忙しい」

「明日の、いつならいい」

「せっかちなところは相変わらずかよ、盗掘兄弟。昼飯を食ったら来い」


 翌日。

 狼たちが旅立つのを渋しぶ見送って、カラヤンは店に寄った。

 店主は昨日と同じ鍛冶場にいた。つちの音をさせず細工仕事をしている。


 先に切り出したのは、店主からだった。


「今、こさえてる剣は狼からの注文だ。金も三日前に全額置いてった。だから俺の店はひと山いくらの鈍くらを作る必要がなくなったってわけだ」


「狼が、剣を……いくらの仕事だ?」

「二五〇〇。狼からの言い値だ」


 新造の剣で、六五〇から一五〇〇が相場だ。銅の剣でも三五〇。

 カラヤンは湯飲みを持ったままイスから腰を浮かして鍛冶場を覗きこんだ。


「どんな剣だ?」

「だから。ちょっと待てって。俺もな。あいつにデカい金袋二つ置いていかれた時には、腰が抜けそうになったぜ」


「言い値の額にか?」

「それも、ある。あと、あいつが本気でテメェの剣を作ろうとしてた想いってのがよ」

「どういうこった」


「あいつはな。最初、自分のために剣をこさえてたんだ。だが、できあがったブツをみて、持ち主にはなれねぇと悟った。それで価値がわかるヤツに渡してほしいと頼まれた」


「それが、おれか?」

「ほぅ? 思い上がるじゃねえか、剣豪。お前のためだとは言わなかったな。ただ、この剣の価値がわかる剣士に、ってな……。ヨシ。あとはこれにはめ込む……めくぎ、めくぎっと」


 鍛冶場が急に静かになり、カラヤンも痺れが切れてきた。イスから腰を浮かしたり、首を伸ばしたりして現物を拝もうとする。


 やがて、店主が鍛冶場から立ち上がった、こちらに振り返ると、ふいによろけた。


「おい、カールっ。大丈夫か」

「ん、ああ。コイツのせいで、ここ三日間、徹夜だ。年甲斐もなく楽しくて仕方なくてな」


 コイツも仕事中毒かよ。カラヤンは苦笑しつつも湯飲みをテーブルに置いた。

 正面に座った店主から顔前につき出されたのは、見たこともない仕様の剣だった。


 シースは赤褐色。保護塗料ヴァニッシュ(ワニスのこと)を幾重にも塗り重ねて光沢をもっていたが、臭いはすでに取ってあった。


 ヒルトは黒。黒の絹糸をひし紋様に編み込まれている。その隙間から見えているのは、鮫革さめがわの白か。そして、銀製の狼の彫金が横たわっている。


「カール……コイツが?」

「ああ。狼が、俺に名付けの栄誉を任せてくれた。聞きたいか」


「どうせ、聞かなくても言うんだろ?」

「いいや、言わねぇよ。お前にこの剣の価値がわかるとなりゃあ、聞かせてやる」


 なんだそりゃ。カラヤンは憮然として剣に手を伸ばした。するとひょいっと剣が上に逃げた。


「おい、カール。冗談はよせよ」


「まあ、聞け。この剣はな。この先、折れずに生き残れば、間違いなく後世から聖剣と呼ばれることになる。狼もそれをわかってたみたいでな。両手で持って拝礼してたぜ。だから、お前もそうしろ」


「カール。今度は叙任式の真似ごとか。それとも、宗教にでもかぶれようってのか」


「ごちゃごちゃうるせぇ。俺も狼も、別に宗教にかぶれたわけじゃあねえ。あれは職人ものづくりとしての剣に対する敬虔と見たぜ。この剣は特別だ。俺はあいつのやり方にならうつもりだ。だから、お前もやれ」


「へいへい。拝んだところで、剣がしゃべるわけじゃなし」


 軽口を叩きつつも、言われた通りに柄と鞘を持って受け取ると、頭を軽く下げる。ずっしりと心に響く、良い重さだった。柄の握り具合も、前の剣を思い出させた。


 カラヤンはそっと息を凝らして、剣を浮かせた。


 抜剣後の抵抗がやや強い。ガードの先に〝鎺〟かませが作られている。鞘からの落下防止か。その〝かませ〟に狼の横顔の彫刻。店主の遊び心にしては悪くない。


(ほぅっ、片刃だ……この辺じゃ珍しいか)


 ゆっくりと鞘から刀身を抜くに従い、背筋にどっと汗が噴き出していた。


「っ!? なんだ、こりゃあ……っ!?」

 切っ先が見えた頃に、カラヤンは思わず喘いでいた。


 こいつは魔法剣じゃない。魔法剣なら、かつて帝国時代に上司から握らせてもらったことがあった。

 精緻な詠唱痕タトゥをその刀身に刻み、持ち主からマナを送り込まれることで付加増幅して物体を斬る剣だ。


 これは、それとは違う。まったく別物だ。剣として生まれながらに魔力を含有している。こんなバケモノみたいな剣、見たことがない。


「……魔剣だな」

「俺は聖剣と思ったがな。やっぱり剣士の感覚は違うか」


 カラヤンは刀身に見入って、何度も言葉を失いながらようよう言った。


「聖剣は、王が王であるための剣だ。魔を斬るが、人を斬らない。──魔剣は、人を斬り、魔物を斬り、魔王をも斬って、神すら斬る。コイツはそういう、世界をひらく力を持った剣だ。

 だが斬るためだけに生まれたわけじゃあねえ。持ち主を護るために生まれたんだ。こいつを狼が……」


 カラヤンは我知らず、目許に感情が溢れるのを抑えきれなかった。

 狼という男は、自分には〝過ぎた者〟だと思っていた。やりたいことはやらせてやった。それで周りが喜べば満足する善良なヤツだから。

 だが正直、ここしばらく、カラヤンが持て余していたことは否めない。

 なのに、向こうはこんなおれをまだ思っててくれているのか。


「試し斬りは?」

「昨日……夜中に、すませた。女房にも告げずにな」

「すませた? おい……何を斬った?」


「グラーデン将兵だ」


 カラヤンは驚かなかった。この町に死罪人が出ることはそうそうない。新鮮な死体は貴重だ。


「何人重ねた」

「……五人だ」


 カラヤンは目を見開いて、言葉を飲んだ。


「結果は」


 店主は寝不足の目を下げ、所在なげに両手を挙げてからバサリと下ろした。その時の感覚が蘇ったのか、手が震えていた。


「死体を重ねた丸太ごと斬りきやがった」

「なにぃっ!?」


「いいか、アレグレット。これだけは言っとくぞ。お前が死んでも、その剣を誰かに奪われるな。奪ったヤツは十中八九、狂って人を斬り出すぞ。百人単位でな」


 カラヤンは刀身に刃こぼれ一つないことを確認し、その美しさに長いため息をつく。それから鞘に収め、左胸に押し当てた。


「わかった。もらい受けよう。名前を、聞かせてくれるか」


「〝陽喰狼ルーナガルム〟だ」

 店主はひと仕事終えた顔でイスに深く座りこむと、湯のみから麦湯をがぶりと飲んだ。


  §  §  §


 俺が、まだ編集者だった頃。

 一時期、〝無限チョコレート〟という視覚トリックが流行ったことがある。

 手順は次の通り。


・タテ5×ヨコ5のピースブロックがある長方形の板チョコをご用意。

・まず、これを右端2ブロック下辺から左端4ブロック半ばまでを斜めに切る。

・小さい方をヨコ2ブロックと3ブロックの間をタテに切断。

・そして、最後に3ブロック側の上1列ブロックを切断。


 それらの断片を組み替えると──、アラ不思議。板チョコの形状は変わらないのに一ブロックだけ余る。これは繰り返しても必ず一ブロック余り、形状は変わらない。という数学マジックだ。


 俺はこれを考えついた人、マジで天才だと思った。


 おわかりいただけただろうか。

 形状は変わらない。でもは変わっていく。確実に小さくなっているのだ。一ブロック分。

 ツカサにこれを見せた時、無邪気に目を輝かせて驚いてくれたので、嬉しかったからまだ憶えていた。


 と、言うわけで、このトリックを城壁に利用させてもらった。

 西の城壁で崩落していない無事な壁に、俺は石灰チョークで線を引いた。


「ヨシ。ノロマな精霊。やれ」

「黙れ、負け犬。搾り取られても泣き言を洩らすでないぞ」


 ヘレル殿下が【火】マナの高次エネルギー収束帯で、チョーク線に沿って城壁を切断する。もちろんと言っていいのか、そのエネルギー供給元は、俺だ。

 

 その切断した城壁を総勢六〇人の精霊ジンニに運ばせる。


 こうして、城壁はわずか二時間で、元の長さに戻った。ただし、高さは元の城壁から四〇センチ足りない──崩落した城壁の分だけ下がった。

 なので、そこに崩壊した城壁からサルベージできそうな石灰石を上に積み上げ、新しい水硬性石灰で接着する。


 水硬性石灰とは、石灰石と貝殻を焼いて粉にした物(消石灰)と火山灰土、海水で混ぜた、いわゆる漆喰しっくいセメントのことだ。


 着工からわずか四時間後。城壁の修復が完了。乾燥には数日かかるが、まあ大丈夫だろう。新たに追加した城壁の石は、わずか三八個だった。


 次に、そのまま全壊した門番詰め所の再建にもとりかかる。

 詰め所は元々プレハブ小屋ほどの大きさだったが老朽化していた。なので、使える材料があまりない。


 なので、この真夜中に乗じて、家を盗んできた。


 セニの町には、所有者不明の空き家が多い。

 何十年もそこに人の気配が消えても、石造りの家だけは物言わず生きている。これを採用しない手はない。


 俺は詰め所と同じサイズの小さな廃家を見つけて、ヘレル殿下に指示し、その家の土台を切り取ってもらう。それを屋根付きのまま、精霊のみなさん六〇人で担ぎ上げてもらい、城門そばまで運んだ。


 そこでまた水硬性石灰の出番。内と外の壁をそれで塗り替える。真っ白に。

 最後に、ヘレル殿下に内見を頼む。彼が興味津々に部屋を見て廻るだけで漆喰壁は乾燥完了。まったく便利なご存在だ。


 二階部分は諦めてもらう代わりに、何とか使えそうな廃材を組み直して詰め所の脇に小さな鐘櫓かねやぐらを建てた。二階にあったらしい警鐘もそこに吊す。

 

「おい、負け犬。馬小屋と馬車は」

「それは命じられてません。金で弁償します」

「金?」


「人間として生きていくのに必要で、面倒な道具ですよぉ。あれれ~、大・精霊なのに知らないんですかあ? 今度、稼ぎ方を教えて差し上げましょうかあ?」


「くっ。金くらい知っているっ。調子に乗るなよ……狼頭めっ」


 こうして、夜明け直前にカラヤンに言いつけられたノルマは達成された。

 朝から旅の支度に取り掛からなくてはならない。

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