第九章 魔女奪還
第1話 新春大決闘 オオカミ 対 大精霊イフリート
狼が、西門の前で〝何か〟と喧嘩している。
門番兵から奇妙な通報があったのは、家族団らんで夕食を囲っている最中だった。
「何かとは、なんですか」
まったく要領を得ないので、シャラモン神父は聞き返す。
「ですから、何かなんですって。誰かではなく、何かなんです!」
門番兵は自分でも何を言っているのかわからないのだろう。とにかく狼たちを止めてくれと訴えて、家を飛び出そうとした。
「お待ちなさい。もう城門へ戻られるのですか」
「いえ、ヤドカリニヤ家です。確か、ゼレズニー殿も狼と知り合いでしたよね」
「まあ、知り合いというか、あっちが事実上の保護者ですね」
「ええ、そっちにも説得するよう声をかけてきます」
「そんなに大喧嘩なのですか?」
「西の城壁、四分の一が崩れました」
竜でもやって来たのか。シャラモン神父はこめかみを押さえて、軽く唸った。
「念のために確認させてください。あなた、それを見たのですか?」
「もちろんですっ。この目でしっかり見たから今ここにいるんですよ。神父様っ!」
すがるような目で訴えてくる。
シャラモン神父は小さく鼻息して、
「わかりました。城門まで参りましょう。あなたはヤドカリニヤ家に連絡をお願いします。──ハティヤ。来てください」
「はい」
「先生、オレも行きますっ」
「うちもっ」
スコールとウルダの機動剣士コンビが席を立つが、シャラモン神父は手で制した。
「ケンカということは、狼さんの相手は彼の知人のはず。話せばわかるでしょう」
ところが、シャラモン父娘は西城門に行ってみて、その判断が甘かったことを知った。
「なんと……相手は、大精霊イフリートですか」
西の城壁四分の一──約十二セーカーが崩落していた。さらに木造二階建ての門兵の詰め所まで全壊。置き止めされていた馬車が全損し、馬も行方不明。追い出された宿直の門兵が六人、途方に暮れた顔で壮絶な殴り合いを眺めていた。
「先生……」
どうすんの、これ。ハティヤはおののく目で養父を伺う。
シャラモン神父はこめかみを指で揉むと、娘の背中にそっと左手を押し当てた。
「私が合図したら二人に仲裁の声をかけてください。声はできるだけ大きく。言葉選びは任せます」
シャラモン神父は右手で印を結んで小さな声で詠唱する。
「…………はい」
ハティヤは大きく息を吸い込んだ。
──〝二人とも、いい加減にしなさーいっ!〟
次の瞬間。声の波動が、ちょうど取っ組み合ってる二人に直撃した。仲良く背中から城壁に叩きつけられてめり込んだ。
「城壁の崩落が十二セーカーが十六セーカーに拡大しましたが、まあいいでしょう。ご苦労さま」
シャラモン神父は目を見開いて呆然とする娘の背中をぽんぽんと叩いてねぎらう。
「うひぃ~っ。なんなんですか、これ」
「【風】マナの応用です。言うなれば、ペルリカ
「あれ、マナが絡んでたんだ。自分の声でも、なんか素直に感心できないんだけど」
とはいえ、さしあたりの大喧嘩は無血鎮圧された。
城壁の被害は、甚大であったが。
§ § §
「フェニアが殺されたっ!?」
シャラモン一家のシェアハウス。食堂。
ハティヤは横に座らされた当事者二名に、すっとん狂な声で聞き返した。
狼は、耳を垂らし背中を丸めて終始しょんぼり。となりのヘレル・ベン・サハルと名のる大精霊は、赤髪の人の姿でむっつりと窓の外を眺めていた。
ティミショアラにいた時は、名前も知らなかった。そう言えばあの時、狼とは手をつないだりして、とても仲良さそうだったのに。
対岸の査問席には、
「ヤッハ衛兵長。その辺の事実関係は」守衛長がとなりに問い質す。
「はっ。門番の一人が狼と複数名の者による交戦は目撃したようですが、その……」
「なんだね。はっきり言いたまえ。重要なことだぞ」
「はっ。その……被害者と思われる十代の女性が、その……消えまして」
「なに、消えた?」
「はい。狼が抱き留めていたはずだが、すぐに見えなくなったとの報告が。その後、狼が哭き出して、その、火炎をまとったこちらの、ヘレル殿と交戦になった
「ふんっ。別に戦ってなどおらん。フェニアを守れなかった〝負け犬〟に責を問い質した。それだけだ。余が本気になって戦っておれば、この町はとうになくなっておるわ」
ヘレル・サハルが、にべもなく居丈高に吐き捨てた。
「そのおありがてぇ手加減したケンカで、城壁ぶっ壊して、二階建ての詰め所を全壊か。とばっちりにしちゃあ割に合わねぇ内輪揉めだな。あぁ?」
おじさんが厳しい目で大精霊を見据える。
すると、狼は咳をするみたいに背中を震わせて、頭を抱えこんだ。
「俺の、俺のせいなんですっ。俺が彼女にスミリヴァルさんの外科手術を頼んだばかりに、きっと
でも、殺すことはなかった。彼女は人の命を
そう……きっと何かあるんです。彼女はきっとオイゲン・ムトゥと誰かとの権力闘争に巻き込まれただけなんですっ」
「オイゲン・ムトゥとは?」
守衛長の
「〝七城塞公国〟都市ティミショアラ執政の重鎮だ。知り合いでな。──おい、狼。あまり思い詰めすぎるな」
「カラヤンさん」
「あん?」
「お暇をください」
「おひま? お暇ってなんだ」
「俺、ライカン・フェニアを迎えに|〝七城塞公国〟まで行ってきます」
誰も二の句が継げない。たまらず守衛長がとなりを見る。
「カラヤン殿。狼どのは、その……いろいろ大丈夫でござるか?」
「いや、守衛長。大丈夫だ。気にしないでくれ。コイツはここ最近、ずっと働き詰めだったんでな。──狼、お前もちょっと落ち着けよ。な?」
「いいえ。落ち着いてなんかいられませんっ。死の間際、彼女にお願いされたのです。『迎えに来てくれ。独りで目覚めるのは寂しすぎるから』って。彼女が目覚めた時、俺は傍にいてあげたいのです」
査問席から反省席へおとな達が痛々しいものを見る困惑の視線を投げかける。そんな中、狼だけが確信と決意に満ちた目で虚空を見つめている。
「ならば、余も行くぞ。お前なんぞにもうフェニアを任せておけるか」
「勝手にすれば」狼がぼそりと薄暗い声で言った。「ただ暴れて物を壊すだけの、燃費の悪いノロマなんか、俺は連れて行きませんからね」
「なにぃっ!? ……
「あぁ? やってみろよ。背後霊。口先ばっか友達風吹かせて、いざって時には呼ばなきゃ現れもしない、人にエサをタカるだけの役立たずのくせに」
「なら、いっそ貴様ごとこの町を焼き払ってやろうか?」
「やめんかあっ!!」
おじさんが大喝すると、二人はプイッと顔を背けた。
「お前らちょっと頭を冷やせっ。……よぉし、そこまで言うなら、春まで暇をやろう」
「ありがとうございますっ!」狼は席を立って頭を下げた。
「ただしっ。西の城壁と詰め所をお前ら二人だけで
「隊長さん。さすがにそれは無理難題が過ぎますよ」
養父もたまらず
「テメェらで壊したんだから、テメェらで修すのが筋ってもんだろ。しかも狼は物づくりが得意だからな。それなら守衛長も今回のことは大目に見てくれるよな?」
「えっ!? ええ、まあ……運良くケガ人は出ませんでしたから。しかしですな」
「ヨシ。期限は一ヶ月後の
返事はなかった。だが二人が競うように目線をぶつけ合ったのを、ハティヤは見逃さなかった。
§ § §
「ハティヤ。狼しゃんのあの目は、やる気ったい」
子供部屋に戻るなり大きなため息をつく。そこにウルダが心配そうに酔ってきた。ドアの隙間から覗いていたらしい。
「ウルダはどうする? 狼が町を出たら」
「うちは狼しゃんの従者やけん。どこまでもついてくとよ」
「うん。そっか。わかった」
「ハティヤも来ると?」
「当たり前じゃない。そういう約束だもん」
ウルダは待ってましたとばかりに破顔した。その健気さにハティヤはつい灰髪を撫でてしまう。
「なら、オレもっ」
スコールが自分を指さして言う。
「あんたは、お留守番。先生の補助っ」
「えっ、ええぇ……」
「私とウルダが町出たら、フレイヤ達を守れるのは、あんたしかいないでしょ?」
「もう何も起きねーよ。たぶん」軽く両手を挙げて、スコールは決めつける。
「そう思ってたら、あのグラーデンってお爺ちゃんがやって来たんじゃない。しっかり先生とみんなで謝肉祭の準備してなさいよ。大丈夫だって。私たちもそれまでに帰れるように頑張ってくるから」
スコールのしょげる肩を、ハティヤは景気よく叩くのだった。
でも、あれだけ思い詰めてる狼なら城壁の修復を一日で終わらせて、一人でさっさと町を出ていってしまいそうな気がした。
こっちにだって旅の用意がある。あとで二日くらい待ってもらうよう頼んでおかなくっちゃ。
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