第5話 動乱の中を行く(3)
昼食に〝ヤニェティナ・ペカ〟が振る舞われた。
いわゆる、子羊肉の鍋だ。骨付きの子羊肉や野菜を浅底の大鍋に入れてフタをし、
調理時間にして二、三時間ほど。地元の伝統料理といえた。
セニの町でもペカはあり、タコがよく獲れるので〝ホヴォトニツェ・ペカ(タコの鍋)〟は自分で作っても食べた。時間はかかるが失敗しにくい料理だ。
だから、この鍋を見た瞬間に、ハティヤと目が合った。
この超スローフードは本来、俺たちに供されるはずの食事じゃないな。と。
「ナギサさん。あの……なんか、すみません」
一応、この場を代表して謝っておいた。ナギサ副会頭は気軽に応じて、気にするなと両手を広げてみせた。
「今日は、仕事終わりに手代達と一緒に、新年の会食をする予定なんだよ」
「あ、なるほど」新年会か。
「そう
味付けは、塩とオリーブオイルに乾燥トマト。野菜はジャガイモにニンジンと実にシンプル。肉の臭い消しに月桂樹の葉を散らしてあったが、それがいらないくらい臭みがなかった。
「あ、おいしいっ」ハティヤが賛辞を送った。「羊肉は塩漬けじゃなく生肉から煮てあるのね。それに塩も内陸の岩塩じゃなく海塩を使ってる」
ナギサ副会頭が、手品披露している最中に種をバラされた奇術師の目で俺を見る。
責められるの、俺なの?
そこへウルダが帰ってきた。
その後からずるずると男三人も入ってくる。彼らの顔は見覚えがあるかどうかもわからないほど、ひどく腫れあがっていた。
「どっ、どうしたのっ?」
俺が席を立ってウルダに歩み寄った。灰髪の少女はチロッと舌を出して微笑んだ。
「狼しゃんのこと、ばり
どう見ても、ちょっとやっちゃいましたってレベルじゃないだろ。十三歳にして大物魔女の命を狙った修羅少女の暗殺技術とは一体。
ウルダを俺の席に座らせると、ハティヤが手ずから羊肉を取り分けてやっていた。それを嬉しそうに眺めて食事を始めるウルダは普通の子供のようだった。
俺は〝霧〟たちに木製コップで水を渡してやる。
「お前らも、ウルダの実力は聞いてたろ。なんで逃げたりなんかしたんだよ」
「いきなり現れて……殺されるかと」
「ていうか、殺されそうだったけど」
だんだん不憫になってきた。俺はおもむろに監視役の一人の肩を掴んだ。
「──っ!?」
「力を抜けよ。大事な会食中なんだ。そのひどい顔を並ばせたままなのは、さすがにナギサ副会頭に失礼だからな」
【水】と【風】の〝相生〟マナをハイブリッドで流し込む。彼の顔面の腫れがみるみる引いて元に戻っていく。そばで見ていた仲間はあんぐりと口を開けた。それを三人分。
「グリシモンは? 来てないのか」
「ん。ああ、セニだ。あんたに吹っ飛ばされた時、あばらをやったらしくてな」
「そっか。でも俺は謝らないからな」
彼らは顔を見合わせて、一番幼そうな真ん中が言う。
「おれら〝霧〟は、〝影〟のやることを邪魔しちゃいけない。向こうがムトゥ様直属だからだ。おれらは特別に取り立てられただけなんだ」
俺は鼻先を振って聞く耳を持たなかった。そんな弁解を聞いたところで、刺されたライカン・フェニアが笑って許すわけないだろう。
「話がある。悪いが、下で一杯やっててくれ。もう逃げるなよ」
真ん中の監視役に大銀貨一枚を押しつけて立たせる。
彼らを部屋から出すと、俺はナギサ副会頭とハティヤの間に座った。
「ナギサ副会頭。失礼しました」
「うん。あいつらは」
「彼らは、オイゲン・ムトゥが付けた俺の監視役です」
「あんたの監視? ふーん……あまり有能とは言えない感じだね」
「まあ、そんなところです。では、聞かせてくれますか」
ナギサ副会頭はうなずくと、ティミショアラの現状を話し始めた。
§ § §
会食が終わった後、俺たち四人とナギサ副会頭とは店の外で別れた。
「帰りは蜜蝋を仕入れるんだって? 多めに仕入れられたらこっちにも回してよ」
「ええ。その時はよろしくお願いします」
ありきたりな挨拶でナギサ副会頭を見送ってから、俺はまた〝残忍な毛皮亭〟に戻る。
「あの、皆さん?」
俺は店内までついてくる三人に振り返った。今回の旅はカーロヴァックには止まらず、このまま野外入浴セット2型を作った町マルソニアで一泊の予定だ。馬車の用意があるはずだが。
「大丈夫。フェニアのこと、私も興味あるから」
「大丈夫。ようわからんっちゃけど、うちも興味あるけん」
「大丈夫。どうでもいいけど、興味もないから」
二人、野次馬がまじってるから。とくに最後のは来んなよ。
俺が監視役ポンコツ三人組のテーブルに行くと、肩身狭そうに麦酒をすすっていた。
「おたくら、そんな牢屋に入ったような面して飲む酒はうまいかね」
ティボルが顔を歪めて、辛気くさい目をしたカラスの宴をからかった。
ハティヤ達三人は、となりのテーブルに座る。俺はそこからイスを一つ引き出して、三人のテーブルに逆座る。
「待たせて悪かった。と言っても、こっちも時間がない。今から、あんたらを呼びつけた用件を手短に話す」
「オレらに、何をさせる気だ」
怪しむ声に、俺はうなずいた。
「今からティミショアラで町の情勢を探ってくれ。執政部の動き。商売の流れ。そして〝翡翠館〟の様子。この三つだ。できるか?」
「待ってくれ。オレらは、あんたの──」
俺は彼らの抗弁が終わるのを待たなかった。
「できるか、できないかを訊いている。できないのなら、この話はナシだ。勝手に監視に戻って俺についてくればいい。この先、酒を奢って頼み事をすることはない。できるのなら、ティミショアラまでの旅費はこっちで持つ。この町で家族に土産物を買いたかったらその金も出してやる」
「家族の元に、帰っていいのか?」
「今だけなら一晩くらいは可能なはずだ。ムトゥさんが落ち目なのは知ってるよな。俺たちは友人である龍公主ニフリート・アゲマント・ズメイ様の安全を心配してる。さっき言った三つの情報の内容次第では、病床に伏したムトゥさんに直接会う必要がでてくる」
「ライカン・フェニアのことは、もういいのか」
左の監視役が言った。俺は鼻先を振る。
「そっちはあんたらが気にしなくていい。とにかく正確な現地の情報を集めるのに人手が必要だ。俺はあんた達の監視役としての技術を一時、借りたいと言っているつもりだ」
三人は顔を見合わせて押し黙る。だめだな、グリシモンがいないと判断が遅い。
俺はイスから立ち上がった。
「話は、それだけだ。──ティボル。町を出よう。出発の用意を」
「おう」
俺たち四人は、席を立つと出入り口に向かった。
「さっきも言った。オレら〝霧〟は〝影〟のやることを邪魔できない」
辛気くさい声が言った。こっちを窺ってくる目を見て、俺は理解した。
「博士を殺したヤツらの生き残りが、俺を狙ってるのか」
返事はない。沈黙は肯定だ。別に腹は立たなかった。江戸の仇を名古屋当たりで取る気らしい。正社員は、割と頭が回るな。
「その生き残りは、今この町にいるのか」
三人組は押し黙った。
俺は辛気くさいテーブルに戻ると銀貨を入れた小ぶりの金袋を置いた。
「収集情報は、ムトゥ家政長の容態とニフリート様の様子を最優先。期限は、明日から四日後。俺たちは今夜マルソニアで一泊し、翌午後に次の町へ向かう。仕事の成果はズレニャニンの居酒屋で聞く」
それだけ言い置くと、俺は外へ歩き出す
「ハティヤ、ウルダ。俺の背中は預けたよ」
「りょーかい」
「ん、了解」
「おいおい。オレには声かけないでいいのかよ」
居酒屋のドアが何かの始まりを告げるようにそっと閉まった。
§ § §
──コンッ、コンッ。
セニの町。
外から家の玄関ドアをノックで目が覚める。昼過ぎか。
グリシモンは脇腹を押さえながらベッドから降りた。
二日前から竈に火も
食べ物はアルブが差し入れてくれるが、寒さも手伝ってか便所に立つのも億劫だ。
ノックの音からして、カルヴァツ工房長じゃない。あの人は拳でドアを叩く。
「はーい……今、開けますよ」
のんびりと応じつつ、ドアのかんぬきをあげる前に壁に掛けた短剣の場所を確認する。革鞘に入っているので、少しだけ鞘を浮かせておく。
ドアを開けると、サンクロウ正教会の神父が立っていた。相変わらずの美貌と雪明かりに思わず目を細める。
「あなたが、グリシモンさん?」
本名で呼ばれた。こっちの素性がバレてる。
「いいえ、ハトっていいますが。寄付なら無理ですぜ」
「ふふふっ。これは失礼。ご心配なく。狼さんからあなたの療養を頼まれました」
「療養?」息の根を止めに来たか。「意味がわかりませんね」
「中に入れていただいて、お話を伺っても?」
「丸二日。寝てますんで。竈の火も熾せておりませんので」
断ったつもりだった。なのに神父がずいずいと室内に入ってこようとするので、思わず路を空ける。今やこの町の新たな名士になろうとしているこの神父は、こんなにも図々しい性格をしていたのか。
「神父様。本当に寄付は無理なんですよ」
「ええ、お気遣いなく。見ればわかりますよ」
何気にひどいことを言う。
「ところで、あなたは狼さんの〝本気〟を受けて吹っ飛ばされ、城壁に叩きつけられたのだとか。実に興味深いですね」
「本気?」
ドアを閉めると、神父がくるりと振り返った。同じ男性とは思えない美しい微笑だった。目がキラキラしている。ちょっと怖いんだが。
「狼さんのマナは、どんな手法であなたを吹っ飛ばしたのですか?」
「はっ?」
「狼さんのマナを受けて城壁まで吹っ飛んだのは、あなただけだそうですね。つまり、あなたはマナ効果体質を持っておられる。魔法の素養があるのです。もっと言えば、狼さんが放ったマナが見えてましたよね? どちらの魔法使いに師事を?」
何か妙な雲行きになってきた。聖職者が畑違いの魔法を語り出した。俺は夢を見ているのか。急いで顔を振る。
「おれはガキの頃からずっと根無し草で」
「それでは、お祖母さまのお名前をうかがっても?」
「はっ、祖母さんの名前? ……ジグルトーネですが」
「おやおや。意外なところから懐かしい名前が出てきましたねえ。そうですか東へ移っていたのですね。わかりました。ではあなたの素養は初期修練のたまものでしたか」
神父が満足そうに微笑んで、何度もうなずく。一二〇で死んだ育ての祖母さんと三〇代の神父にどんな接点があったかなんて、とても想像できない。したくもない。
「いい加減にしてくれ。何を言っているんだ、あんたは」
つい乱暴な口調になる。この状況で勝手に語り出す宗教者に冷静でいられる心胆はない。腹も痛いし。
「これは、重ねがさね失礼を。私はね。狼さんの才能に目がないのですよ」
「あいつの才能?」
「ええ。今この話はいいでしょう。さあ、ベッドに寝てください。療養に入りましょうか」
さっきから療養と言っているが、治療じゃないのか。
「あの。神父様」グリシモンはベッドに横たわりながら言った。「その、身体が治ったとして、治療代はいくらくらいになりますか」
「あなたにティミショアラに向かってもらいたいのだそうですよ」
「は? いや、おれは代金の話を──」
「狼さんからの指示です。あなたを治したら、ティミショアラに来るように頼んで欲しいと。手紙で受けています」
正直、あいつとはもう関わり合いになりたくない。
ちょっとでも敵に回れば許されない。隙を見せれば、どんどん追いかけてくる底が知れない怖さがある。
「無理ですよ。工房の仕事もありますし」
「ええ。その仕事の後でかまわないそうですよ。ワインボトルの生産はもうじき終わるはずだそうですね」
狼が、カルヴァツ工房の生産をちゃんと把握していた。なら、従業員のことも気づいていたのか。
グリシモンは質問することをやめた。
神父は何も訊ねなかった。小声で叙事詩のような言葉を紡いでいく。やがて痛めた脇腹にかざされた手が緑色の光に包まれた。肌に触れない程度に近づけてかざす。じんわりと熱を感じて、すぐに収まった。
「はい。おわりです。では、狼さんからの依頼は伝えましたよ」
「ちょっと待ってくれ。おれは行くとは──」
慌ててベッドから起き上がり、思わず手で脇腹を見て押さえる。
「ん。あれっ?」痛みがない。
「コレは治療行為では説明できないのですよ。ですから、療養なのです」
「じゃあ、さっきのが魔法? それならあれは……。狼は言葉を使わずにおれをぶっ飛ばしたのか?」
自分の脇腹を見つめ、怪訝に思いつつ顔を上げた。
目の前に神父の美貌があった。いい匂いがした。思わずのけ反る。
「狼さんは詠唱を使わずに、あなたを吹っ飛ばしたのですねっ。詳しくっ」
治療代は払う。ティミショアラにも行くから、とりあえず、もう出て行ってくれないだろうか。
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