第2話 空が明日を分かつとも(2)
「ユミル、ペルリカ先生呼んできて。──ギャルプは、おじさんを」
わかったぁ! デカい声で応じて、子供が家の外に駆けていく。
何日経ったのか、わからない。
だがここが、セニの町だとわかる。家族の匂いがした。
視界に入ってきたのは、ハティヤ──ではなかった。
長いブロンドの少女。フレイヤだ。
「狼。気分はどう?」
「フレイヤ……ハティヤは」
「留学中よ」
淡白に応じられて、俺は少女をまじまじと見た。
「帝国に留学したの。先生がそう言ってた。春からの仕送りが大変だって」
口裏合わせにしては、笑顔がなかった。
「それなら、ライカン・フェニアは?」
「知らないわ。暴漢に襲われて亡くなったって聞いたけど」
あっけらかんと言われて、俺は責められているとわかった。
「何か食べたいものは?」
「……いらない」
「そう」
少女が部屋から出て行こうとドアノブを掴んだ。俺はそれを見ずに声をかけた。
「ねえ、フレイヤ。……何日、経ってる?」
「あなたがこの部屋のベッドに帰ってきたのは二日前。それ以前の詳しいことは聞いてない。だから先生か、おじさんに訊いてもらえる? あと」
「……?」
「わたし、怒ってるから。殺されたライカン・フェニアは自分で連れ戻せると信じて出て行ったくせに。ハティヤがいなくなっても捜そうともせずに〝逃げた〟あなたのこと。わたし、許してないから」
それだけ言うと、ドアが閉まった。
逃げた。俺は天井を見上げ、拳でベッドを叩いた。
「……逃げちゃいけねぇのかよ」
俺がたどり着いた時には、影も
毛布をかぶり、俺は股の間に両手を入れて、身体を丸める。
もう何も聞きたくない。何も見たくないんだ。
誰だよ。なんで俺なんかをこの異世界に転生させたんだよ。あのまま頭吹っ飛んで死んでればこんな苦しい思い、しなくてすんだのに。
「だからよ。お前のために異世界転生したんじゃねーんだよ」
「……誰だ?」
「この世界線を守るために、俺たちは引っ張り込まれた。その身体で生きろ命じられたんだ」
「世界線……誰だよ」
「前のお前に死ぬことを許したが、お前の魂が死ぬことを許さなかったモンだよ」
「……そのセリフ、お前っ」
「神が、お前の声を使ってしゃべると思うか? そんなイカれたセンスを誰が神だって認めるんだよ。気色悪りぃ」
「お前、もしかして……BIOSか」
「はっはっはっはっ。察しが良くて助かるが、発狂したお前も見たかったがな。意外と冷静で、つまらんねえ」
「な、何しに出てきたんだよ。もう出てこないって言ってたろ」
「馬鹿。お前が勝手にこの身体から降りようとしたからだろ。なら、文句の一つも言ったって罰は当たらんだろうが」
「これは俺の身体だ。俺がどうしようと俺の勝手だろ」
「またその話か。まあ、何度でも言ってやるよ。──そいつは違う。元、お前の身体だ。今は共有。つまり俺にも半分、この身体の所有権がある」
「なんでだよ。家主の承諾もなく、勝手に入り込んできたくせに」
「お前、前の世界線で死んだんだよ。それで所有権失効してんだ。それを俺が間借りって形で共有継続にしてやったんだよ。白鷹ツカサが死んで、抜け殻になってたからワンチャンあると思ってな」
「なら、もう俺はいいよ。降りる。お前に全部移譲するよ」
「ちっ。それができたら、とっくにやってるって言ったろ」
「なら、やれよ。どうしてそこで諦めるんだよ」
「とにかく、予定通りだ」
「は? ……は、はあっ!?」意味がわからない。
「これで帝国に食いこめる糸口が掴めた。あのハティヤって娘のお陰でな。お前は自分の殻に閉じこもって聞いちゃあいなかったろうがな。ティボルって
ティボル、お前ってヤツは……何様? 勝手に俺の手駒を使うなよ。
「それで、ハティヤはどうなったんだ。その、生きてるのか?」
「教えてやらん。ハゲに聞け。とにかくお前、一度帝国へ行ってこい」
「お前が行けよ! 共有者なんだろ。俺はもう、終わりたいんだよ」
「死にたいは、眠りたい欲望と根っこは常に一緒だ。死は、欲望じゃない。結果だ。藤堂一輝先輩は、最後まで諦めなかった。だからお前も、あの炎と爆発の中でも諦めなかった。
そんな〝
「だ……黙れ。だまれだまれっ」
「いいや、黙らねぇよ。俺はお前の共有者だ。お前のことなら何でも知ってる。お前は周りから当てにされて頼りにされる勇者役として舞台に上がるのが面倒になっただけだ。
オイゲン・ムトゥの死に際の期待が重かった。その上、あのジイさんが抱えていた問題が透けて見え始めて、こっちに押しつけられるんじゃないかって内心ビクビクしてた。
ウマく立ち回ろうとして現状におかれた自分に向き合うこともせず、逃げる口実ばっかり探してた。
あの娘二人のことだってそうだ。
現着時にはヘレル殿下は瀕死状態だったが、二人の死体がなかった。
帝国の目的となるライカン・フェニアの
なら、犯人は、要人に効率よく言うことを聞かせるためのエサが必要だった。
ハティヤは、ライカン・フェニアを恭順させる道具として使えると犯人が判断して連れて行かれたことに、お前はとっくに気づいてただろうがっ。
次に考えるべきなのは、どうやって犯人が帝国へ娘たちをお持ち帰りするか。
あの時、お前はとっさに川を想定していた。
橋が壊れるほど増水した川なら、船も通らず、誰も使えない。
だが裏返せば、川には誰も近づかない。通れ放題だ。ズレニャニンに土地勘のない犯人が、何も考えずに使いたい放題できる〝一本道〟だった。
そうさ。常識から考えると無茶でしかない方法を、お前はとっくに推理できていた。
なら、後は簡単だ。次は下流へ向かった可能性と、直接帝国へ遡上する可能性を天秤にかけていた。
ところが、その途中でお前は
さあ、何が厭になったんだろうなあ。使い勝手のいい勇者くん?」
「
そこまで言った時、毛布越しに背中へ衝撃が突き刺さり、俺はベッドの下に落ちた。蹴り落とされたらしい。
「このド阿呆。いつまで夢ん中で独り芝居してんだよっ。マジキメェんだよっ」
「ティボル。少しは
「いいんですよ。旦那。この間の話、コイツ寝ながら聞いてやがったんだ。オレ達が必死に走り回ってかき集めて掴んだ手がかりを、こいつはベッドの中でさっさと答えとして持ってやがった。こんな奴、いつまでもサボらせてたら世のためにならねぇ!」
ベッドに肘をついて床から起き上がると、ティボルとカラヤンが俺を見下ろしていた。ふたりの後ろにウルダやスコール、ヘレル殿下。その他大勢も部屋に集まっていた。
廊下には食堂へ戻っていくペルリカ先生とシャラモン神父の背中もあった。
「あ、あの……」
「まず、おはようございますだろうが。何日寝てやがった、この寝ぼすけ野郎っ」
ティボルはいつもの垂れ目を釣り上げて、俺を怒鳴りつけてくる。
思わず目に涙が溜まった。
「背中、めっちゃくちゃ痛ぇ~っ……」
§ § §
関係各位に迷惑をかけたと頭を下げ廻ったのち、一日半かけて報告書を書く。
内容は、ライカン・フェニアの暗殺からアウルス帝国への拉致とその狙いだ。
ライカン・フェニアが五歳ほどの幼い少女となって再誕していること。帝国はすでにそのことを認知しており、その人質としてハティヤが使われたこと。
ライカン・フェニアが帝国がネヴェーラ王国との
帝国魔女の存在は、故オイゲン・ムトゥも把握しており、警戒していたこと。彼女たちの暗躍により公国が帝国への敵対姿勢を強めていること。それが世間に表面化するまであと二年くらいだという俺の見通しも盛り込んだ。
「面倒くせぇ話だな」
報告を聞き終わったカラヤンがまず第一声にうめいた言葉が、俺の気持ちを軽くした。
ヤドカリニヤ家・食堂。
会議は、晩餐後に行われた。
カラヤンを中心に、今回の事件に巻き込んだ大魔法使いペルリカ、シャラモン神父。〝霧〟〝影〟の元監視組。大精霊。ティボル。また拉致被害家族としてシャラモン一家も加わって俺の知り合いが勢揃いした。
ラリサ組の子供たちは、晩餐が終わると客間へ移動した。ユミルがそっちへ行きたそうにしたが、フレイヤに手を掴まれていた。まあ、子供には理解できない退屈な話が多いからな。
報告は、ペルリカ先生もいるので、俺が報告書の読み上げをした。
「つまり、ライカン・フェニア暗殺の真相とは、彼女をセニから引き離し、その生まれ変わる別の場所で拉致しようとした計画だった。その手駒に、公国へ潜入していた帝国の隠密がこのセニで動いた。ということか?」
ペルリカ先生が紅茶のカップを手にしたまま言った。
「そういうこったろうな」
「カラヤン。お前はこの話、信じるのか」
「このあいだ報告した、帝国魔女マダム・キュリーの名前はリエカの高級娼妓館で、おれも聞いてる。一連の計画の首謀者と見ていいだろう。翌日、フェニア暗殺の主犯格だった帝国の密偵二名がリエカの埠頭で変死した。もちろん任務の失敗と口封じだろう。──狼」
「はい」
「この報告で、おれが引っ掛かる部分は一点だ。お前とムトゥ殿との関係だ」
「……っ」やっぱりツッコまれるか。
「あの人物が、お前に極秘情報を託すだけの信用を得ていたとは思えねぇんだがな」
「うまく説明はできませんが、オイゲン・ムトゥは、元師匠です」
ティボルと監視組たちが目を剥いた。
「元、なのか?」
「何十年も前です。折り合いが悪く、喧嘩別れをして飛び出しました。いつの間にかこの頭と身体になり、向こうは最期の最後でようやく気づいたようですが」
「なるほど……随分な罪作りをしたもんだな」
「逃げた手前、言い出せなくて」
言い出せるわけがない。別時間軸で世話になった教師兼大家だったなんて。実際は俺の方が最期の最後まで気づかなかったんだから。
「なら、お前。公国を救うために動くのか」
「いいえ。彼から頼まれたのは、ニフリート様の守護です。オイゲン・ムトゥも公国が対帝国、対王国の攻勢機運が止まらないと見通していたのでしょう。というか、帝国は王国を飲み込めば、その勢いをかって公国を踏み潰す気です」
「それは、なぜだ」
カラヤンはわかってて、周りに教えるためにあえて訊いてきた。だから俺も子供でもわかるように言った。
「公国はずっと壁を作って引き籠もっていました。友達がいません。攻め込まれても助けてくれる隣国がないのです」
「なら、公国に道はねぇのか」
「二つくらいしか思いつかないですね。一つは、現ネヴェーラ国王カロッツ2世を助けて恩を売り、ミュンヒハウゼン軍の後背を衝く。これに賭けるしかないでしょう。でも勝算はかぎりなく低い」
「ヴァンドルフ、だな」
カラヤンが腕組みしていった。俺は頷く。
「そうです。ヴァンドルフ家は、公国の出方を見て動けなかったのでしょう」
「あと単純に手柄だな。ミュンヒハウゼン軍は他の貴族が参戦する機会を封じて、一気呵成に王国家の直轄領を攻め落として、大勢を決している。そこへ今さらのこのこ加勢しても、勝ち馬のタダ乗り。簒奪後のヴァンドルフ家の政治発言力は低下。グラーデンだけでなく他の貴族達も認めないだろう」
だが対帝国の
そして、元双頭鷲のヴァンドルフ家が動けば、他の貴族の勝ち馬に乗るタイミングにもなる。その有志参集した兵力にものを言わせて、公国へ雪崩れ込む。
グラーデン侯爵とアウルス帝国両方へ媚びを売るための手土産として。
「もう一つは」
「はい。それは公国がヴァンドルフ軍を打ち破って、王都救難の道を自力で切り開くこと」
「そりゃ無理だな」カラヤンが断じた。「ずっと鎖国して戦場の経験が薄れてるヤツと。アスワン帝国に毎回攻められながら領土を減らさなかった精鋭防衛軍とじゃあ、喧嘩にならねえ」
「はい。ですからムトゥさんは公国龍公主ではなく、おひい様個人を守ってくれと頼んできたんです」それは多分に、自分の娘だからでもあるがな。
「そっか、あれ……そういう、意味だったのか」
ぼそりとティボルが言った。俺の耳には聞こえてるぞ。
コイツは本当にラノベの主人公みたいだ。好きなヒロインのために騎士になろうと頑張って、ついでに国まで救ってやろうという意識高い系の展開。
嫌いじゃないが、敵役の連中がひと癖もふた癖もある鬼謀家ばかりだ。ニワカ忍者でどうにかなるものでもない。格好いいけど、実戦的じゃない。
俺は集まっている賢者たちに言った。
「このまま行けば、ニフリート・アゲマント・ズメイは早晩、暗殺されます」
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