第18話 執事は見なかったことにしたい


 ヴァンドルフ家政アデル・クレイフェルトは、自分が場違いな場に立たされていることを痛感していた。


 国境近くの修道院の食堂で、その軍議は開かれた。


 ミュンヒハウゼン公爵家は、現当主の元親で縁続きの王族家。今や実家がこの国の主導権を握った。ならば、ヴァンドルフ家もそちらに呼応して、国家安寧の道を邁進まいしんする。それが代々ネヴェーラに仕えた家の誉れだったのだ。


 だから、その国家に対しての謀叛決起集会など持ち込まれても迷惑千万だった。


「では、まず、皆様方が従えて参られた兵数を申告していただきたい」


 長テーブルの両岸から申告させる兵数を、王女は書記官となる商人風の小男に命じて書き取らせる。


 集まった数字は合計で四八九〇〇。その数で今のミュンヒハウゼン軍に対向しようという。


「どうだ、少ないか」

「いえ、いけると思いますよ。ただ持久戦に弱いというだけで」


 オクタビア王女とその書記官のやり取りに主語がない。

 クレイフェルトは疎外感にむしろ安堵しつつも、ヴァンドルフの家名に傷がつかぬよう、となりの十字架を見上げて祈るほかなかった。


 そこへ、


「おおっ。これはこれは。王国再興の有志諸家の集いと聞いて来てみれば、いささか小粒ばかりの寂しい顔ぶれだな」


 修道士に案内されて入ってきたのは、懐かしいご尊顔。シュレッダー伯爵アンリ様だ。王位継承第三位。婚礼パーティで挨拶回りの折、以来か。


 口を開けば、相手を不快にすることしか言わないので、結局、国王陛下の生前中に婚姻が決まらなかったようだ。先般、どこかの将校と謁見の間で揉め、手厳しくやられたとも聞く。この場にそのお姿を見るだけで、王族の凋落ちょうらくを禁じ得なかった。


「やあ。オクタビア。下水道を通って命からがら王国から脱出したんだってな」


 シュレッダー伯爵が口を開くごとに、他の諸侯の顔が曇っていく。

 クレイフェルトもまた、すぐにでもこの場から立ち去って、当主の世話に戻りたいところだ。


「なあ、アンリ。お前はわたくしの前に現れる時は、いつも手ぶらなのだな」


 オクタビア王女の皮肉に、シュレッダー伯爵が押し黙り、顔色がさっと変わった。


「それとも、わたくしが今欲しいものをここに持参しているのか?」

「あ、ああっ。もちろんだとも。三〇〇だ」

「なに?」


「重装歩兵で、三〇〇。なんとか工面して率いてきたぞ」

「ほう。それで、それを率いる将は」

「えっ?」


「将だ。歩兵三〇〇を率いて敵陣に吶喊とっかんする勇敢なる将はどこだと聞いている」


 沈黙。


「なぜ黙る? 将は、貴公で構わんのではないか?」

「オクタビア王女陛下。おたわむれはご無用に願いますよっ」


 書記官が何か直感して鋭くたしなめ、呼び止めた。だが、オクタビア王女は席を立ち上がると、シュレッダー伯爵の横に立ち、妖艶にとろけたくらく美しい笑顔を近づけた。


「戦う気概もない案山子かかしに鎧を着せてどこへ行こうというのだ。れ者が。

 貴様の前に立っているのは王位継承権第一位オクタビアであるぞ。──ひざまずけっ!」


 次の瞬間。従兄弟が腰に佩いていた短剣を素早く引き抜き、彼の太股に突き刺した。


 シュレッダー伯爵が悲鳴を上げて床に転がる。座っていた諸侯もみな立ちあがった。王女は笑みを浮かべ、続ける。


「ノボメスト奪還戦の折、お前に預けた陛下の兵六〇〇〇は、終わってみれば一五〇〇となっていた。他の部隊損耗は多くで三八名だった。

 なあ、アンリ。さぞかし戦場は楽しかったのであろうなあ。バタバタと陛下の兵が倒れていく様は痛快であったろう。美しかったであろうなあ。

 そして、今は王国存亡の時。なぜ王族の失態者たるお前が、残った一五〇〇すら連れてこなかった?」


「ぐぅっ! うううぅ……っ」


「シュレッダー家には、二人。国王軍からの将がいたよなあ。陛下にねだって迎え入れたのではなかったのか。まさか二人とも戦場で死なせたのか? それとも愛想を尽かされて、グラーデン公爵に寝返ったか? 答えよ。ア~ンリぃ~?」


「余のせいじゃないっ。あいつらが悪いのだ。余のせいじゃ……ぐうぅ」


 とめどなく血が溢れでる太股を押さえながら、シュレッダー伯爵は床で呻いた。


「ならば、神の御前において己の剣に誓え。死力を尽くして戦うと。王国を取り戻すと誓えっ。さあっ!」


 シュレッダー伯爵は、肩で息をしながら身体を起こすと、短剣の突き刺さった足でひざまずき、剣を抜いた。その剣を両手で握りしめ、額に掲げる。


「余は王国を取り戻す……余は、死力を尽くして──、戦うっ!」


 掲げた剣の刃が突如、傍にいた王女の細首を狙った。


 ガキッ。


 窮鼠の一撃だった。それをオクタビア王女は、従兄弟の太股に刺さっていたはずの短剣を引き抜いており、それでやすやすと受け止めた。


「はぁい。ざぁ~んね~ん。で~、し~、たあっ!」


 血塗られた短剣が、じりじりと剣を持ち主にし返す。相手に振り下ろしたはずの刃が自分の首許にあてがわれると、シュレッダー伯爵の目が恐怖に見開かれた。


「ダッセんだよ。能ナシ。お前みたいな戦の仕方も知らねえヤツが。王族の顔したまま大遅刻して許されるのは、伯爵位までだ。

 俺は王女様なわけよ。時間を守らねーヤツに話の腰まで折られたら、頭にもくるっしょ。おまけにクソしょっぼい数を連れてきちゃってさ。なのに、お前の席があると思った? 危機感なさ過ぎだろ。なあ? なぁなぁっ!?」


 シュレッダー伯爵は抗しきれなくなり、剣を手放した。そして石畳に頭を抱えて丸くなる。


「いやだ、いやだ死にたくないっ。殺さないでっ。助けて……っ」

「ちぃっ。タマ無しがっ」


 オクタビア王女は短剣を石畳に叩きつけ、興ざめした眼差しで一瞥くれて、食堂を出ようと背を向けた。


 その一瞬をシュレッダー伯爵は逃さなかった。短剣を拾い、両手で握りしめて追いすがった。太股や首筋の痛みもかなぐり捨てて、決死の覚悟で王女に襲いかかった。


 よし、仕留めたぞ。

 確信の喜色面とともにシュレッダー伯アンリは、絶命した。


「最初からそういうゴキブリ根性を、戦場で見せてりゃあよかったんだよ。お前」

 床で膝を抱え込むように肉塊となった従兄弟を見下して、オクタビア王女は唾棄だきした。


 彼は自死と見なされた。

 両手で握った短剣が自分の喉を貫いたのだから、事故にも見えなかろうということだけ。

 オクタビア王女に達人剣士のような芸当ができるとは、クレイフェルトも驚きだった。

 悄然しょうぜんとする貴族らをよそに、書記官の小男だけがテーブルに頬杖をついてため息をついていた。


「これだから御貴族様の揉め事は……。これ、パラミダくんがいても絶対止めてないヤツ」


 その時、書記官は丸い顔を上げた。天窓に人影。彼は牙笛を吹いた。


 ああ、早く居館に帰りたい。こんな無頼どもとは金輪際関わりたくない。

 クレイフェルトは無言で佇み、つくづく思うのだった。


  §  §  §


「それで、追われて命からがら脱出してきたのか」

 ティミショアラ。〝タンポポと金糸雀亭〟。


「オレは、お前らみたいに魔法自慢、戦闘自慢じゃねーのっ」


「でも、一応は撒けたんだよな」

 スコールが、今や貫禄すら醸し出して訊ねる。


「お馬さんは、急には止まれませんからねー」

 ティボルが得意げに胸を張る。


「騎馬で追いまくられて逃げおおせるとか、ゴキブリなみの生命力じゃんか」

「あのね。ちゃんと褒めてくれるぅ? オレが貴重な情報ゲットしてきたんだからさっ」


「ふぅん。なんだよ。貴重な情報って」

 疑わしそうに目をすがめるスコール。ティボルはムキになった顔を俺に向ける。


「オクタビア王女のそばに、グルドビナと思われる風体の小男がついてたんだ」

「グルドビナ? それじゃあ、パラミダはやっぱり生きていたのか」


 俺はこの時、その名前をただの腐れ縁として聞き流せなかった。


「おそらくな。いや、オレはパラミダってヤツを見たことねーから、あの場にいたかどうかまで、はっきり言えないんだけどさ。

 グルドビナと思われるヤツは、オクタビア王女に信頼されてた。だったら、パラミダってのも反乱軍の指揮官──とまではいかなくても、グルドビナ傘下で一軍の将を任されてるかもな」


 俺は頷くと、ティボルの地図を眺めながら別のことを訊いた。


「ヴァンドルフ領からグラーツまでの間にオクタビア王女側についてない領主っているのか? 中立でもグラーデン侯爵側についている貴族でも構わない」


「えっ。そりゃあ、まあな」

 地図を返すと、ティボルは真剣な眼差しで地図を眺めて、そして指さす。


「ここのブレダとペシュトって隣接町だ。川を挟んでお互いいがみ合ってる領主がいてな。ここが王国保守と新生共和国支持で割れてるって話だ。つっても、どっちの領主も新生共和国を称えることはしてないし、王国保守だからってオクタビア王女のところに馳せ参じたわけでもねーがな」


「それって要は、川向こうと違うのを支持してるってだけなんじゃねーの?」

 スコールが的を射た推測を言う。


 俺は下あごをもふった。


「そこから先ではどうだい」

「シスキアまでは無視できる小領主ばかりだ。この間の冬洪水で被害が出てる。ここでオクタビア王女について戦争に出かければ領主は領民に殺されかねーな」


「わかった。ティボル。明日、カラヤンさんに会いたい」

「あいよ。それから?」


「二、三日。この町でゆっくりしてほとぼりをさましてくれ」

「ゆっくり? パラミダはいいのかよ」

「ヤツはおそらく、もうこの町に来てる。俺は探さないけどな」


 ティボルとスコールが同時に目を見開いた。

「マジかよ……っ」


「ここは、公国の防波堤であり、オクタビア王女が大公と接触を試みるための橋頭堡でもある。戦争を始めるなら是が非でも落としたい関門だ。下見にはくるだろう。

 それよりも、皆に言っておく。ここ数日、危険な雰囲気の男に出会ったら、まず逃げろ。追尾もナシだ。追いすがられたら、まず斬られると思ってくれ」


「狼。そんなに強いのかぁ?」

 不敵な笑みを浮かべるヴィヴァーチェに、俺はまじまじと見て言った。


「強いんじゃない。強運なんだ。喧嘩や戦争にはどこか運が左右する局面というのが必ずある。そこで運命の賽は、絶対にあの男の不利に働かない。

 昔、俺はあいつを一度だけ叩きのめしたことはあるが、まともに喧嘩したことはないし、戦ったこともない。負けるとわかってるからだ。世の中にはそういう死神も避けて通るような強運持ちがいるんだ」


「でも、あいつ。メドゥサの姉ちゃんには負けてたぜ?」

「パラミダは、メドゥサさんに惚れてた」


 言ってから、しまったと思った。


「はっ、はあっ!?」

 スコールが目を剥いた。俺は仕方なく説明した。


「……メドゥサさんは姉弟だから、向こうの思惑に微塵も気づいていないみたいだった。でもあいつは姉の気を引こうとして露悪趣味に振る舞って、いつしか憎まれるまでに度が過ぎてしまったんだ。それでせめて姉の前だけは弟でいたいから、本気で彼女を殴ることはしなかったんだ」


 俺は顔を振って終わりにした。この話はしたくない。あいつの武運は戦場で活かされるけれど、あいつの人生は一生報われない。かもしれない。


 怪訝そうにするなヴィヴァーチェを見る。


「明日、カラヤンさんに力の使い方を教わりに行こう」


 過去ウスコクを捨てた男は、もう風体もすっかり変わってしまっただろう。


 明日もきっと寒い。

 フードは目深にかぶって出かけよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る