第19話 狼、カラヤンと戦う/ 先鋒・スコール
早朝。
ティボルに手綱を任せて、全員で町の郊外に出る。
行き先は、牧場のようだった。
『ドルジ! レナト! また遅れてるぞ。前馬のリズムじゃなく隊全体のリズムに合わせろ!』
聞き覚えのある声がいまだ凍った朝気に拡声して響き渡る。
やがて、馬場柵の向こうで、十数頭の馬群が雪を蹴散らしながら近づいてくる。
『反転! 全速!』
カラヤンの声が命じると、馬たちがイワシの群れのごとく馬首を急回頭する。スピードは落ちないどころかみるみる加速していく。
「おお、機動馬術だ」
機動とは、一般に作戦行動において戦力を適切な時点に、適切な地点に位置させるための部隊運動をいう。行軍・包囲・迂回・突破。この四機動を軸にして行動する。
敵との地形的な位置関係の争奪の重要性は、指揮官の戦意、兵速、陣展開に影響する。また地の利と呼ばれるその地形優位性の保持は、馬と装甲車の違いはあれど陸上で戦っている限りギリシャ時代から変わっていない戦略的要素だ。
前職時代。この機動において効果を発揮する16式機動戦闘車が配備されるという計画を小耳に挟んだ。退職直後、それが北海道で制式配備されたらしい。
もしかしたら人事課にしたがって異動していれば、そっちの配属だったかもとも思ったが、後の祭りだ。
とにかく、カラヤンは騎馬隊の機動練成を独自に行っているらしい。
俺たちが馬場柵に沿って馬車を敷地内に進ませていく。
すると、厩舎の屋根の上から大型のメガホンを手に
上司は、俺たちの馬車に気づいたようだが、教練を続けた。
それから二〇分ほどして教練が終わると、白煙を立ち昇らせた人馬が戻ってくる。カラヤンも厩舎からはしごで下りてやってきた。
「スコールとウルダは、乱取りの準備をしろ」
「マジかよぉ」
再会の挨拶もなく命じられて、スコールとウルダが天を仰いだ。
カラヤンはふてぶてしく笑った。
「ばかやろう。そのためにここまではるばる来たんだろうが。……ラリサは来てないのか」
「妹たちがいるので、今回はセニに残ると辞退しました」俺が言った。
「そうか。まあ、あいつは留守居でよくやってくれているからな」
「あ、あの……兄貴」
俺のとなりでヴィヴァーチェがおそるおそる声をかける。
「お前は見学だ」
「あ……うん」しょげる。
「十五分間三セットの乱取りをする。兵士達は、お前のように相手を殴って蹴って、叩きのめさない。常に相手を組み伏せて、動きを抑え、制する。今日からそれを学んでいけ。いいな」
「えっ?」ヴィヴァーチェは顔を上げた。
「おふくろから手紙はもらってる。できそうだったら声をかけろ。おれが相手してやる」
「お、おうっ!」
ヴィヴァーチェは嬉しそうに頷いた。そして、俺を見る。よかったな。
「んで、副長さんよ」
素で無反応でいたら、カラヤンに肩を小突かれた。
「あたっ。えっ!? あ、俺のことでしたっけ?」
「おい、ラリサからなんも聞いてこなかったのか」
「聞いてましたが、本気にしてませんでした」忘れてた。
「お前も幹部研修に加われ。これは命令だ」
「ちょっと。そんなっ。冗談でしょ? 俺はこれから紙を買いに……」
「ゴブリン一万。退治したそうだな」
「うっ。ああ、ううう……っ」なんでかバレてるよ。
ウルダが、となりでほほうっと変な驚声を上げた。
「なんで知ってるんですかっ。ていうか、それ俺の実力じゃないですからね」
「ヴィヴァーチェの報告は見たまんまを言うから、脚色がない。おふくろが書いた手紙からでもそれがわかる。お前の実力は分かった。もう手加減しねーからな」
違うんだ、ワザとじゃない。不当なイエローカードを審判に訴えるサッカー選手の気分だ。俺は懇願せんばかりに訴えた。
「勘弁してくださいよ。別にゴブリンと直接格闘して勝ったわけじゃありませんし、俺は軍人じゃなくて商人になりたいんですよ」
「関・係・ねえっ。次におれ達に何かやらせたかったら、乱取りで五人抜くんだな」
中途採用でいきなり士官になって、部下を持った途端に強気になるってひどくないか。
「公国の軍律法は知りませんけど、一般民に対しての暴行は禁則事項では」
「お前は、おれの身内だ。一般民じゃあねえ」
「横暴です。集団暴行です。バトゥさんに抗議します」
「バトゥ殿はこの都市のあらゆる上級部署の統括者だ。訴える場所が違うな。ていうか、いい加減、往生際が悪い。もう観念しろ」
もうだめだ。話にならない。俺は逃げた。
そしたら左をティボル。右をヴィヴァーチェに腕をがっちり抱えられた。
「お前。これから先も、カラヤン隊に何かさせるんだろ? そのために旦那をこの国の将校に仕立てたんだよな。だったら、今さらお前だけ外側で汗もかかずに、眺めるだけってのは公平じゃねーだろ?」
「そんなに言うなら、ティボルが研修受けて幹部になればいいだろ。情報たっぷり持ってるんだしさっ。即副長だよ」
「オレはお前と違って、一〇年以上商人やってんだよ。紙はちゃーんと買っておいてやるから、安心して、ここの骨になれよ」ふひひひっと笑う顔が怖い。
ひでー。この人でなしっ。友情が死んだーっ。
「狼っ、いい汗かいた後のビールはうまいぜーぇ!」
それアンダンテの受け売りだろ。ヴィヴァーチェ。お前は酒が一滴も飲めないだろうが。
するとスコールまでダメを押してくる。
「狼。一回だけ兵士たちの鼻を明かしとけよ。みんな、それで納得するんだからさ。ただダンジョンに行って戻ってきただけの英雄より、おれらの
兵隊ってとこは、そういう
「スコール。なんか発想がカラヤンさんに似てきたね」
「は? そりゃそーでしょ。だって、おれの師匠だもん」
ニカリとを歯を見せる若者の笑顔が清涼飲料水のCMを飾れるほどに輝いていて、つらい。
「狼しゃん。ガンバッ!」
ウルダまで両拳を握って、応援してくれる。
くっ。もはや、これまで。孤立無援。四面でドナドナが歌われている。
まさかこの旅に、こんな落とし穴が用意されていたとは。
「ううぅっ……本当に五人だけですからね」
「よし。決まりだな。なら五人目の本陣はおれだ」
(げぇっ!? 本作のラスボスきたーっ!)
「おっさん。ずりーぞ。オレも入れてくれよっ!」
スコールが目を輝かせる。
「なら、お前は先陣を切れ。狼の手の内を全部引っぺがしてこい」
「よっしゃあっ! へへっ、了解っ」
「カラヤンしゃん。うちも、うちもっ!」
ウルダまで可愛く手を挙げて、ぴょんぴょん。あどけない笑顔で保護者の敵に回る。
「ウルダは後陣(副将)につけ。二陣が抜かれたら、中陣にアドバイスしてやれ」
「了解っちゃ」
「あの」俺も腹を括って手を挙げる。
「準備運動してきていいですか。二キールほど走ってきます。そのあとヴィヴァーチェを相手に体操して身体をほぐします。三〇分ほど時間をください」
「うん、認める。──ヴィヴィ。お前も狼と走ってこい」
「まだ監視ですか」
馬鹿にすんな。カラヤンに鼻先でせせら笑われた。
「お前の目つきが変わったから、逃亡は心配しちゃあいねぇよ。この辺はマダラオオカミが多いらしい。巣がどこかにあるんだろう。その駆除を条件に、この土地を冬の間だけ借りてる。
走るのはここの牧場周辺で、あまり遠くへは行くな。ほら、お前らも行ってこい」
カラヤンがパンッと手を叩くと、俺たちはジョギング速度で走り出した。
「ねえ。なんでみんな、そんなに楽しそうなわけ?」
左右を並んで走る若者達に声をかけてみる。すると少し間をおいて、彼らは笑った。
「別に、狼を殴れることが楽しいわけじゃねーよ」
「いや、そりゃそうだろうけどもさ」
「おっさんから色々教わってさ。組み手で相手の戦略っていうか、考え方を知るって相手を信じることだと思うんだ」
藤堂先輩みたいなことを言う。あの人も格闘技は会話だとかいう別次元人だった。
「おれ達は狼のことをもっと知りたいと思ってた。でも狼、普段が忙しいからさ。こういう機会って滅多にないじゃん?」
「そったいそったい。敵とか味方とかやなかよ。うちら狼しゃんともっと繋がりたかよ」
ウルダがスキップしかねないほどウキウキと声を弾ませる。
「それって、俺は皆から愛されてるってことでいいのかな」
「あったり前たい!」
ウルダがバシバシと俺の背中を叩いてくる。
「ちなみに、狼しゃんのスタイルとか、なかと?」
「ウルダ。今それ訊くのはズリーだろ」
妹弟子の抜け目ない情報収集に、スコールが顔をしかめる。
俺は走りながら項垂れて、ぼそりと言った。
「インテリやくざ」
「は?」
「昔、そう呼ばれてた。お前は相手をとことん観察して、その弱点を抉るか、戦いそのものをさせないかで圧倒しようとする。少しは容赦しないと、そのうち友達なくすぞって」
「容赦がない……なんか、すごそうだな」
「そしたら、うちらはもう狼しゃんに弱点晒しまくりったいね」
「お、おうっ。逆に気合い入るぜっ!」
二人は俺を励まそうとしてか楽天的に笑って見せたが、少し表情が硬かった。
§ § §
一陣(先鋒)。
スコール・エヴァーハルト・シャラモン。十五歳。
彼の弱点は、フィジカル面の弱さだ。
この半年余りで、訓練と実戦でつちかった体幹の強化や筋肉バランスは、一般の同年代や成人男性をはるかに凌ぐ強靭さとしなやかさを備えた。
だが文字通りのフィジカル──物理的な身体の成長が遅れている。同世代男性に比べても、ひと回り小さい。
そのため機動力において比類ない効果を出すが、肉弾戦において彼は打撃に特化せざるを得ない。拳打や蹴りなどは一撃必殺の強さでも、組みつきや衝撃を受け止めるといったパワー型ではないわけだ。
なので、身体の大きな敵からの組みつきや体当たりには躱す・避けることしかできない。攻撃を読まれた後よりも、回避行動・回避先を読まれた後に組みつかれると、極端に弱くなる。
「くぅ~、畜生っ! まいった」
「勝者。狼」
開始二五秒。序盤。様子見の
予想外に俺が素早かったのだろう。ブーイング一つ挙がらない。
「あと二本」
「はい?」
俺は思わず審判を見た。
カラヤンは腕組みし、仏頂面で見返してくる。
「勝負としては、お前の勝ちでいい。だが、そんな簡単に片付けられたら、訓練にならねえ。あと二本だ」
うちの上司、ひどくなくなくなぁい?
「スコール。次に同じ負け方をしたら、腕立て二百回だからな。狼をちゃんと敵と認識してかかれ」
「うっす!」
審判兼セコンドの発破がけで、スコールの目つきが変わった。
「次、狼から仕掛けろ。仕掛けなかったら、お前の負けな」
「いやいやいや。カラヤンさん、それはさすがにひどくないですか?」
「お前もちったぁスコールを育てようって気持ちを持てっ。お前の〝眼〟のこと、とっくに気づいてるからな」
やべっ。バレてた。
「おっさん、なんだよ。狼の眼って!?」
スコールが怒った語調で聞き返した。
「狼は、狼本来の眼でお前の動きを見てる。そのつもりでかかれ」
狼本来の眼とは、動体視力のことだ。俺の目は動いている物体がややスローに見える。それで今までの苦境を周りの仲間より少しだけ有利に凌ぐことができた。
「うわ、今までそんなこと考えてもみなかった」
「俺がバケモノだって思いだした?」
「いや、そういうことじゃなくてさ」
スコールが両拳を構えた。
「狼が、いつもみんなから嫌われないようにしてるってことがさ」
うっ。ほんの一瞬の動揺を見逃さず、鋭い拳が飛んできた。避けきれずに脇腹に一発もらう。精神攻撃はズルいぞ。
のど輪を出す。スコールは躱さず素早く払った。俺はその払った腕を掴むや、懐に引き込み、鋭く
「ぐふっ……まいった」
格闘においてフィジカル面の弱さはいかんともしがたい。だから、スコールは負けた悔しさ以上に地表を強く叩いた。
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