第17話 きな臭い反撃の狼煙(のろし)


 紙を仕入れるために、ティミショアラに入る。


 いつもの〝タンポポと金糸雀カナリヤ亭〟に泊まると、ウルダが女将イルマの歓迎を受けた。

 それをおいて、俺はスコール、ヴィヴァーチェ、ヴェルデをつれて部屋に入る。


「よう。お疲れさん」

「うわ。この部屋。香油くさい」


 俺はまず、言った。鼻が曲がりそうなほど濃かった。

 四人部屋のベッドの奥から二番目にティボルがこっちを向いて待っていた。


「あんた、宮殿に行ってきたのか」

「あん? なぜそう思うよ」


「カラヤンさんとメドゥサさんニオイが薄い。いたけどもういない。官舎にでも移ったんか」


「ふぅん。変な言葉を話す犬だな」

 鼻押さえてるからだよ。

「昨日だ。龍公主様から将校団地に家をたまわったんだ」


「将校団地?」


「〝翡翠荘〟の南側にある一等地だ。城壁に囲まれててアゲマント家の上級将校がそこに家を建てて住んでる。ただし、一般人は原則立入り禁止だ」


「カラヤンさん、いくなり佐官で任用されたのか」


「夫婦そろってな。旦那は、大尉だけど中隊を預けられた。ほぼ少佐待遇だとよ。会頭(メドゥサ)は特佐で、同じく少佐待遇。ニフリート様の話し相手だ。会頭。子供の頃から騎士になるのが念願だったらしくて感動してたが、毎日宮殿で遭難しなけりゃいいけどな。これって、お前の予定通りなんだろ?」


「まあね」

 あしらうように言って、俺は旅の荷を解く。


「な、なあ。狼っ。今の話、おっさんが公国軍に入ったってことなのか。カラヤン隊はどうなるんだよ!?」

 スコールが戸惑ったように訴えてくる。


「カラヤン隊は、カラヤン隊だよ。そのために君らを連れてきたんだ。──ヴェルデ。情報を集めてきて。鳥獣のも含めてだ」荷物から銀貨を一枚、彼にはじく。


「わかった」

 おっとり青年が散歩でも出かけるように部屋を出て行く。ティボルは不審そうに見送った。


「なあ。アイツ、役に立ってるのかよ」

「ヴェルデはヴェルデ。ティボルはティボルだろ。それで?」


 俺はティボルと同じベッドに背中合わせで腰掛ける。


「すべての龍公主の四肢を回復させることになった」


 俺は荷物整理の手を止めて、下あごをもふった。


「ついにか……でも帝国にむけて〝龍〟を動かす気じゃあないよな」

「その気はないみてーだったな。例の怪物どもが活発化してるのかもな」


「ティボル。そこは推測じゃまずい」俺は厳しく言った。

「公国。いや後任のバトゥ都督補が、どこまで情報を把握できてるのか、どこまで本気なのか。俺たちはそれを知っておく必要がある」


 ティボルは面倒くさそうにため息をついた。らしくない。俺はさらに言う。


「帝国は、たぶんニコラ・コペルニクスの複製体の復元を始めてる」

「複製体の復元っ? ……はぁあ。ハティヤが言ってたのって、それか。うわっ、面倒くせー」


 俺は振り返った。今日はいつにも増して、やる気がない。


「そんなに疲れてるのか。どうかしたのか?」


 ティボルが苦り切った呻きを洩らす。


「ヴァンドルフ家が謀叛ぼうはんした。オクタビア王女が王国内の諸侯に檄文げきぶんを送ったらしい」


(※注釈 「謀叛」とは本来「むほん」と読むべきところ、ハイファンタジーなのであえて和読みせず「ぼうはん」とした)


「その諸侯の中に、エスターライヒ家は」

「は?」


 俺の問いかけが予想の外だったのか、ティボルが面食らった顔で俺を見る。


「グラーデンの乱でもう一家、不自然な大貴族があるだろ?」

「いや、そりゃわかってるけどよ。だったら、グラーデン公爵側についたんだろう?」


「そこ調べて確定させてきてくれ。俺は、彼が帝国側だと思ってた」

「はあ,帝国ぅ?」


 ティボルが疲れた目で俺の横顔をまじまじと見る。


「彼は今後も動こうとしない。動く時は、帝国の侵攻と同時だろう」

「ふぅん。勝ち馬に乗るどころか、……そうか。あの檄文は、陣営決定の最後通牒か」


 俺は頷いた。


「応じなければ、グラーデン公爵の新体制側──領邦議会制を受け入れたと見なされるだろう。もっとも、エスターライヒ家は大貴族だから、どっちでもいい。

 でも現状は、十年もの間、帝国との戦線を押し上げられなかった責任を問われかねない立場だ。そのことを新政権で糾弾される前に安全圏に離脱する可能性は、充分に考えられる。

 彼にとって、このタイミングこそ王国の見限り時にしたいだろうな」


「なるほどな。それならオクタビア王女につく連中ってのは」


「永らく王政で甘い汁を吸ってきた中小貴族がほとんどだろうな。領邦議会制の参政権は当面、大貴族までだそうだからね。あとは、待遇に不満のある王族とか。他の領邦と話し合って政治をしても自領に旨味がないと考える大貴族とかも、王女にすり寄っていくかもしれない」


「はぁ。なるほどねえ。けどよ。どこの貴族も冬に戦争する気概はないだろう。グラーデン公爵も反乱で兵站をだいぶ消耗したしな」


「戦争をするかどうかは、オクタビア王女の旗下きかに馳せ参じる兵の数=反乱規模で決まる。どれくらい集まって、どこから勢力図を塗り替えていくのか。それは彼女の胸先三寸さ」


「オレが見た諸侯の数は、二四か二五だった」

 ティボルは鋭い目で言った。

 俺は振り返る。

「見た? 兵士の数は」


「ざっとだが、五万届かない程度だ。邦許くにもとに余力を残してる感じだったな。まあ。冬場に駆り出すんだ。給料も抑えたいだろうからな」


「ヴァンドルフ家の国力と生業は」

「ん、林業と鉄鉱の山をいくつかだったかな。冬場は操業停止」

「農業は」


「公国ほどの穀倉地帯じゃないが、それなり……そうか。兵の食糧か」


 ティボルの直感に、俺は頷いた。


「ヴァンドルフ家の事情も今は、ここティミショアラと似たり寄ったりのはずだ。急激な消費で都市の食糧事情が逼迫ひっぱくする。しかも春になれば帝国が動くかもしれない。旧王国派が巻き返すなら雪が溶けるまでにだ」


「なら、それらを一気に打開する手は一つしかねーか」


 そう、戦争だ。兵力を消耗し、新たな収入源を確保する必要がある。


「ヴァンドルフ領から最も近い、グラーデン公爵の主要都市は?」


 俺がベッドから立ち上がるタイミングで、ティボルがベッドの上に地図を広げた。帆布をつぎはぎした、かなり大きな地図で、細かくまとめられていた。


「シスキアとグラーツと王都ザグレブだな」

「グラーツ?」


「王都の北三〇キール──、ここだ。グラーデン公爵はここの生まれで、町の名前〝砦〟グラデツからグラーデンを名乗っている」


「へえ。詳しいな」

「ずいぶん前に、この町の酒場に顔を出した時、酔っ払いのジイさんに絡まれてな。同じ話を二度も聞かされたんだよ」


「兵二万で落ちそうな都市かな」


「いいや、無理だな。都市が丘の上にあって城壁も高い。帝国もここを押さえることができてりゃ王国侵攻も楽だったが、帝国側からだと断崖でな。諦めてノボメストから王都に向かおうとしたくらいだ。

 おまけに、グラーデン公爵にとっては、あの町の魔法学校で学生も教師もやって、今は領主までやってるからな。あの都市がほぼ人生の一部だろう」


 絶対に落ちないし、落とさせない。か。


「でも、彼の居館があったノボメストは落ちたんだよな?」

「そりゃあ、まあ……」

「つまり、戦場において絶対はないってことだ」


「……っ」

「ティボル。俺が謀反して攻めるなら、グラーデン公爵への抑えが欲しいんだよ」

「抑え?」


「王都にいるグラーデン侯爵の喉元に、こう。ナイフを突きつけたいんだ」

 もふもふの首に、ナイフに見立てた手刀をあてがって見せる。


「おい、まさかそのためにグラーツを?」

「たぶんね。ヴァンドルフ家の狙いは、おそらく俺たちが今いる七城塞公国ここさ」


「ばっ! 馬鹿なことを言うんじゃねーよ!」

 ティボルはベッドから立ち上がって叫んだ。

「あのグラーツを落として、そのまま王都に行かずにティミショアラだあ? そんなふざけた行軍ができるわけねーだろうがっ!」


「ほら、な? バトゥ都督補にもそう叫んで、慌てさせたいんだよ」

「ぬぅっ。無理だ。不合理だ。そんなことをしてもこのティミショアラが落とせるはずがねえ」


「そうだな。でも俺なら、グラーツ陥落と同時期にニフリート様の命を狙う」

「なっ!? お前っ」


「ティボル。戦争は不合理なものだって相場は決まってる。その理由は、わかるだろ? 相手の嫌がることをすれば、それに身構えた分だけ隙を見せるからさ」


「お前、こうなることを始めから──」


 自分の作った地図を踏みつけて、ティボルが俺に掴みかかってきた。

 俺はその手首を素早く掴んでひねり、ベッドにごろんと転がす。ティボル先輩は、相当お疲れのご様子だ。


「何言ってんだよ。ティボル。あんたから今もらった情報をこの場で組み上げたら、そんなこともあるかなって思っただけだよ。

 ヴァンドルフ家は、王国への忠誠から、この七城塞公国に対して長い年月を掛けてこの時のための遠謀を用いて予防線を張ってきたんだ。この作戦を実行すれば、自軍の兵の損耗は甚大だ。余程の作戦参謀でもいなけりゃ実行しても兵がついてこない。でも今ならグラーデン公爵がヴァンドルフ領を侵す前に、機先を制することができ、かつ七城塞公国に食いこむ拠点が手に入る」


「くそがっ。ティミショアラ駐留三万超の兵を相手に、二万が勝てるかよっ」


「ティボル。戦争は数だが、算数じゃないんだ。都市を落とすというしっかりした目標を持った二万と、動くにはまだ時間のありそうな共和国軍からの防衛というざっくりした目標を設定された三万とじゃ、兵の気合いが違うよ。

 ましてや、攻める方は明日の食事も事欠きかねない切迫した危機感を持っている。龍公主暗殺で軍の幕僚が犯人捜しをしているタイミングなら、兵一万もいらないだろう」


「なあ、狼」

 今までずっと黙っていたヴィヴァーチェが口を挿んだ。


「なんで、ヴァンドルフは、この都市まちを狙うんだぁ? そのままザグレブを落としちまえば王様になれるんだろぉ?」


 ティボルがベッドに仰向けになったまま俺を見つめてくる。俺は言葉を継いだ。


「ヴィヴァーチェは、ネヴェーラ王国の王様になりたいか?」


「ん? ……いや、お断りだ。狼のそばで話を聞いてると、ごちゃごちゃしすぎてるからさぁ。庶民が気楽でいいや」


 実に欲のない模範的な回答だった。俺はティボルを見る。


「オクタビア王女は周囲に公言するほど、王位に執着がないのかもしれない。その一方で、無類の戦争好きだと思う」


「戦争好き? 女だぞ?」


「そうでもなけりゃ、王国が共和国でまとまろうとしている矢先に、檄文を発して不満分子を集めて、政権奪還作戦を起こすはずがない。ティミショアラにはヴァンドルフ家が長年伏せさせてきた内通者がいることをどこかで知った。王女はそこに勝機を見たんだ」


「それじゃあ、たまたまそこに使える道具があったから、公国に戦争を仕掛けようとしているってのか?」


「都市グラーツを陥落させた後のオクタビア王女の動きで、心理を判断するしかないけど、俺の予想ではグラーツは行政長の首か、早急な修復を要するインフラの破壊をすれば、ティミショアラにとって返すんじゃないだろうか」


「なんで、そんなまねを」

「単純に考えれば、グラーデン公爵と、彼についた諸侯に対するメッセージを送ろうとしているのかも」


 ──王都はいつでも落とせるよ。さあ、諸君。甘い水はどっちかな?


「変なヤツ」

 ヴィヴァーチェは俺の創造したオクタビア王女を適切に評価した。


 だが、ティボルはベッドに大の字になったまま無言。顔色はテキメンに血の気を失っていた。


「ティボル?」

 俺はティボルの詳細地図を新聞紙を広げるようにもって眺めながら、声をかけた。


「聞けよ。二日前。いやもう三日前になるか……ヴァンドルフの教会で軍議があった」

「へえ」


 俺は相づちだけ打っておいた。この地図は本当によくできてて、七城塞公国を囲む壁のラインに〝綻び〟があることまで描かれてある。補修作業も滞りがちなのだろう。人が造った物は手入れをしてやらなければ、たった三〇年でガタがくるのだ。人のつながりも、城壁も。


「総勢二四人の貴族達が王女の前に並んだ。で、いよいよ王女の檄を発する段になって、遅参して現れた貴族がいたんだ」

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