第25話 動乱の中を行く(23)


「よう。遅かったじゃないの」


〝翡翠荘〟三階の客間。


 部屋に入ると、ティボルは窓際でイスに座って、ギターを爪弾つまびいていた。

 メロディにもならず、耳を慰めるだけの不協和音。


 そばの壁にグリシモンがもたれかけていた。

 〝霧〟の三人が知った顔を町で探して見つからないわけだ。グリシモンはずっと翡翠荘の客間に入っていたのだ。


 俺はまず、水差しを手に取ると、コップも使わずがぶ飲みした。


 服の胸元が濡れるのも、絨毯が濡れるのも構わず、全部呑みきった。

 水差しを戻すと、今度はベッドに大の字で横になった。大きく息を吐き出す。


 ティボルも、グリシモンも俺の奇行に声すらかけない。

 俺が目を閉じてしばらく不協和音に意識を預けていると、ふいに止んだ。


「お前さ。ここからいつ帰るわけ?」


 ティボルが面倒くさそうに訊いてくる。俺は目を開けずに言った。


「帰る前に、訊きたいことは、二つだ」


「あん? ……二つでいいのか」

「今のところ訊きたいのは、二つ。あとは成り行き」

「ふーん……。あっそ」


「二人は、西城門で見た、火の魔物の正体を知っているか?」


「火の魔物?」

「セニの西城門へ向かうには、城壁沿いの南北路。東大通り。この三つの路があった。俺は海沿いを走ってから、城壁沿いを南から北にむかっていた。火の魔物は北から現れた。そうだよな」


「お前ね。今、それ訊いてどうすんの? 魔物なんてどうでも──」

「俺が訊いてるんだ。答えてくれ」


 沈黙。


「どっちからでもいい。さあ正直に言ってくれ」


「おれは知らない」

 グリシモンが肩をすくめた。

「火をまとう人型の魔物は初めて見た。あれもあんたの作り出した物じゃないのか。狼」


「違う。──ティボルは?」


 吟遊詩人は盛大なため息をついて、またギターの弦を爪弾き始めた。会話を邪魔しないように。


「……昔、森であんな感じの〝シルヴァヌス〟を見たことがあるけどな」

「シルヴァヌス?」


「森の精霊だ。緑の風をまとって、木の蔓枝つるえだで人の形を真似て現れたんだ。そいつ、音楽が好きでな。夜明けまで夜通し弾された時にはヤバかったな」


「それじゃあ、あれは精霊なのか?」


「さあね。火の精霊ってのは、おいそれと人界に降りてこないって話だがな。山火事とか火の山とか。陽炎揺らめく岩砂漠とか、さ。

 風や水と違って、火は自分を維持するのに大量の〝燃料〟が必要だろうからな。

 だから、人に頼ると生気を食っちまう状態になる。だもんで、吸魂鬼や屍鬼と同視されて、いつも悪者扱いされてるんだと。こいつは小さな村で巫術師シャーマンだっていう婆さんから聞いた話だ」


「精霊って、森以外にもいるんだな」


「そりゃあいるだろ。風や水、それに火。そこに地を加えて、四大精霊。それが人の祈りの力で昇華して四大神──信仰となり、三季を司ってる。春、夏、秋ってな。

 だからその節目に祭りをして、去る精霊を見送り、来る精霊を呼び込むんだ……あれ、前に教えてやらなかったけか?」


「うん。聞いた。その節目の祭りに、みんなまとめて結婚式や洗礼式、成人式を挙げて祝福を受けるってことも。じゃあ、精霊が人を殺すことは」


「それこそ日常茶飯事だろ。神が人間の娘を口説き落として、子供こさえちまうくらいだからな。自然神や精霊と、人との違いなんて所詮、棲んでる場所の問題だ。

 神が高貴で、人が卑しい存在なら、神は人にあがめられることを必要としなかったろう。精霊がきよ御霊みたまで、人が不浄の魂なら、精霊は人とともに歩まず我が道を進んだろう。ってな」


 ギターがまたポロリポロリとつぶやく。


「で、今ので何がわかったんだ?」

「わからないことが、わかった」


「ったく。だったら、時間の無駄じゃねーか」

 ティボルはどこか寂しそうに笑った。


「それじゃあ結局、あの魔物が殺したのは、誰だったんだ?」

「はっ? 誰って、そりゃあ。確か……アルブってヤツじゃなかったか?」


「違う」グリシモンが即座に否定した。「アルブは生きてる。おれがあんたにあばらを折られたせいで動けなかった間、あいつが食い物を差し入れてくれたんだ」


 とたん、ティボルの表情が厳しくなった。


「ちょっと待てよ。それ本気で言ってんのか。おかしいだろっ。マルツィはお前ごと狼を抑えてたんだぞ? だったら、あの城門そばに立ってたのはアルブじゃなきゃおかしいだろうがっ」


 グリシモンは戸惑いを含んだ眼差しで見返した。

「わかってるっ。おれだってアルブが家に来るまで、あいつが燃え死んだと思ってた」


「じゃあ、当のアルブ本人はなんて言ってんだよ」


 グリシモンは仲間の弁護しようと語気を強めた。


「狼の激高で怖くなって自分も殺されると思い、逃げたと言ってる。そしたら、逃げてる後ろで突然、人が燃え上がった。その時のことを思い出して怯え方がひどいんだ。あれが狼の仕業だと勘違いしてる。狼の監視役を脱けられないかと、泣きながらおれに相談してきたほどだ」


「おいおいおいっ。何がどうなってんだ? ていうか、焼き殺されたのって、マジ誰だよっ。アルブは目の前で、それを見てたんだろ?」


 グリシモンは顔を振った。


「アルブは覚えてないらしい。人が目の前で生きたまま焼き殺された記憶が強烈すぎて、その前後の記憶が吹き飛んだんだろう」


「待て、わかった。いったん原点に立ち返ってよっく考えようぜ。そもそも、なんでオレ達がすでに現場にいた前提で話が進んでんだよ!」


 戻る原点そこからかよ。今さらだな。仕方なく俺が種明かしをする。


「俺が〝なぞなぞ姉妹亭〟から追っていたニオイの中に、ティボルとグリシモンのニオイがあることくらい嗅ぎ分けられてた。記憶したニオイは離れてたってわかる」


「うげっ。何言ってんだ、このお犬様っ。超キモいんですけどぉっ」


 ティボルが本気でギターを抱えて後退る。失礼すぎるので、俺はベッドのクッションを投げつけておいた。


「今、方々を頼って、あの事件の調査をしてもらってる。でも、彼らにはあんたら二人の名前は出してない。二人の特定に自信がなかったわけでも庇ってるのでもなく、揺るがない情報だから言ってない。それだけだ。

 グリシモンがあの場で俺に言葉をかけてなかったら、ティボル。俺は本当に皆殺しにしていたんだ」


『わっ、悪く思うなよ。これはあんたとこの町のためなんだ』


「狼。それなら、黒焦げになった男も、そのニオイでわかるんじゃないのか」

 グレシモンが指摘する。俺はかぶりを振った。


「俺が西城門まで追ったニオイは、五人だ。ティボル、グリシモン、マルセル、アルブの四つのニオイだと思う。

 この時点で知らないニオイは一つだけ──これはマルツィだと思う。

 俺が三人に取り押さえ、それを吹っ飛ばして博士のそばに駆けつけた。その時、アルブが俺に恐れをなして現場から北へ立ち去った。

 なら、そのタイミングで別の暗殺関係者が西から入ってきた。としか考えられない。周りはもう暗かった。俺たちがアルブとその人物とを見間違えたとしても仕方ない。逆に、その人物があの計画の首謀者に繋がる重要人物だと思ってる」


「じゃあ、誰だよ。そいつは」

「知らないよ。だから手がかりを聞いてるんだよ。あと、そいつはたぶん門番の格好をしてたと思う」


 俺が言うと、二人はギョッとした。ティボルがギターを苛立った速度で掻き鳴らす。それからすべての弦を手で強く押さえつけて音を断った。


「狼。その理屈はおかしいだろ。門番が魔物に殺されてたら詰め所にいた連中が大騒ぎしてるぜ」


 その後をグリシモンが引き継いだ。


「そうだ。それに門番たちは詰め所から飛び出して何が起こったのか状況を確認しようとしてあの場を動いてなかった。

 その状況で、人が──いや、同じ門番仲間が燃えたのなら、〝影〟たちと同じ町郊外の死体安置所には運ばれてなかったはず。どういうことだ?」


「あの場の門番の数は減ってなかったってこったろ。──おい、狼。門番だっていう根拠はなんだよ。またニオイってのはナシだからなっ」


 俺は鼻先を振った。


「ティボル。城門はまだ開いてたんだよ。博士は門限ギリギリを狙って町を出ようとしていた。一方、男は門番の外見を装い、本来の門番たちの注意から逃れて町に入ってくる予定だった。としたら?」


 俺たちの騒ぎで、門番たちの注意は南に向けられたことで、男は城門の外から城門を潜って侵入。ところが暗殺のタイミングが悪いと見て、現場を北へ抜けようとした。そこを火の魔物に見咎められて殺された。俺はそう説明した。


 まっ先に異を唱えたのはティボルだった。


「なんなんだよ、そのニセ門番の動きは。ライカン・フェニアは目の前のはずだろ。なんで暗殺のタイミングが悪いって、そう言えるんだ?」

「それはたぶん、あんたらのせいでそうなったんだろう」

「ハァア!? っんだそりゃっ!」


 ティボルが目をひん剥いて食ってかかってきた。憎まれ覚悟で暗殺に関わっていたのに、そこへ新たな暗殺者が現れたら、そりゃあ気分も悪かろう。

 俺は天井を見上げたまま,言った。


「その男はたぶん、俺を殺そうとして町に入ってきたんだよ」

 

  §  §  §


 面倒なことになった。

 カラヤンは、裏路地の陰から、とある建物を見つめて分の悪さを感じていた。


 リエカ繁華街。

 プーラとともに中立宣言をしたことで、市内での王国軍と反乱軍の武力衝突はない。国王直轄領の体勢は定まったので、市内に戒厳令が敷かれているわけでもない。城門は閉じられるが門限はいつもの時間。街の人通りも戦時の昏さはなかった。


 ただ、やはりカラヤンにとっては分が悪い。

 となりで、六男のラルゴが画板に帆布を貼りつけて絵を描いている。


 弟は、人の死角になる場所で張り込みについたその五分後にとことこ現れた。

 手にクラブサンドの入ったバスケットを抱えて。

 しかもクラブサンドの具がツナと刻みピクルスと茹で玉子。


 好物の味。明らかに母親エディナの差し入れだった。


 親に所在がバレてる時点で、なんともやりづらい尾行と張込みだ。

 しかも使いが、ラルゴとは。


 ラルゴはあの兄弟の中にいて一番大人しい。実齢二五になったが、見た目が十七歳くらいで成長が止まったような褐色肌の青年だ。


 日常生活で声を発することは稀。数字にめっぽう強く、〈マンガリッツァ・ファミリー〉五部門の経理を十五歳から一人でしている。賃貸借出納。全従業員六〇〇人の給料。ファミリーへの上納。損益計算。四半期の収支報告。買収企業の資産売却益見込み。諸事万端。


 だが、金貨一枚でも合わないと、ひどい癇癪を起こした。


 あの横柄が服を着て歩く四男レントでさえ気を遣うほどの、我が家の鬼主計長だ。


 計算をしていない時は、絵を描くのが好き。インスピレーションが湧くとトイレの中でも描きはじめる癖は二〇年経っても変わらないらしい。だから家にはトイレが二つある。

 そして、ラルゴにはもう一つ、ある奇妙な能力があった。


「なあ、ラルゴ。そろそろ、家に帰らねぇか。もう夜だぜ」


 カラヤンが声をかけてみたが、無視。掃きだめのような路地に座りこみ、立てた膝を画架イーゼル代わりにして、カラヤンの日本刀を一心不乱に見つめて帆布カンバスに落としこんでいる。


 そんなに見たけりゃとカラヤンが外そうとしたら、首が取れそうなほど顔を振ってダメ出しされ、そのままかれこれ一時間半もモデルにされていた。


 母からの手紙によると、ここ最近のラルゴのお気に入りは、狼が母に贈った鉛筆なのだそうだ。珍しく母にせがんで、その製造レシピを買ったらしい。


 さらに、母がラルゴには鉛筆を削るナイフさえ持たせたくないと、狼に相談。小さな木箱に固定したカミソリで、木箱をねじり回すことで鉛筆が削れるモノが追加で贈られて、母をいたく満足させた。


 母は、ラルゴと七男には激甘なのだ。


 カラヤンが腰を落ち着けたセニとの距離も近いせいで、母からの手紙の届く量が増えて困惑している。文面の端々から垣間見る初孫への期待と狼への絶賛が止まらない。


 そんな実家近くで、こぶ付きの張込みだ。やりづらいことおびただしい。

 しかも、セニから追ってきた二人組が飛び込んだ先は、高級娼妓館〈ラ・カンパネルラ〉。所有者は、リエカ三大ファミリーの一郭〈イベリコ・ファミリー〉だ。


 露骨な敵対関係はないが、カラヤンの顔を見るなり全身の毛を針に逆立てる連中である。だから余計にラルゴの存在が効いてくる。喧嘩はもちろん、店に踏みこむことさえやめろと言われているに等しい。


 すると、ふいにラルゴが鳥のさえずりじみた口笛を吹いた。

 絵が上々に出来あがったらしい。機嫌がいい。帰ってくれるかもしれない。


 ラルゴが絵を見せたら褒めなければならないのが、マンガリッツァ家の不文律だ。実際、絵はすこぶる上手い。


 だが、弟の絵を見せられて、カラヤンは褒める言葉を失った。


「おい。ラルゴ。お前、まだ狼とは会ったことないだろ?」


 その絵の中で、相棒がイスに座り、襲いかかる水の魔物と対峙していた。

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