第24話 動乱の中を行く(22)


 次期家政長指名の儀は、〝翡翠荘〟行動で行われた。

 上座に龍公主ニフリートが座り、その両脇を、右翼に兵士長コーデリア。左翼にタラヌ・カターリン枢機卿が固める。


 ウルダが持っていた書簡は、尚書僕射ぼくやと名乗る行政官が読み上げを行った。


 新家政長の名前は、 ヴィクトール・バトゥ。


 ムトゥからのバトゥ。その次はきっと、エトゥかサトゥだな。大穴でイトゥか。

 正直、どうでもいい。


 俺の無興味をよそに、兵士団からは歓声が上がり、文官達からは動揺が見られた。

 新家政長が壇上に上がって、理解した。


 三〇代後半。プロレスラーのような重厚な巨躯を重鎧で固めた偉丈夫だった。屈強さだけで言えば、カラヤンよりも上。髪の多さでは彼の圧勝かもしれない。


 おひい様が目の前でひざまずく新家政長に怯えた目をしているのがウケる。まったく会ったこともない人物なのだろう。


 どうやら、新家政長はオイゲン・ムトゥが当初から指名していた候補者ではなかったらしい。いいのかよ、それで。 


「静粛に。静粛にっ! 次に、新家政長補佐三役の名前を読み上げる。読み上げられた者は、登壇するように」


 総務サトール・ウラキ

 主計ゼルマ・メーアバウム

 渉外ヴァレシ・アタナシウ


 俺がおやっと思ったのは、一都市の龍公主家の家政(執事)とは言え、女性が一人登用されていた。 


「なお、兵士長コーデリア・ナスターセは、以後、軍団長に昇任。新家政長に与力すること」


 文官たちもようやく耳馴染んだ名前たちに溜飲を下げたらしい。散発的に拍手が起きた。新家政長をハリボテと見なし、実質文官サイドでこれからも回していけると思っているようだ。


 新家政長就任にあわせた軍団長の昇任。これで龍公主家は、武断の道に進んでいくことが決まった。

 

 この都市はいわば、東京都議会の上に天皇家お血筋の内親王が乗っている状態。だから、彼らは宮内庁内の役員人事みたいなものだ。

 なのに、ここに集まっている人々の顔は、都市全体が良くなったような晴れやかなものだった。


 彼らはこれから都議会や宰相、そして公都と渡り合いながら、龍公主ニフリートを盛り立てていかなくてはならないのに。


 俺、なんでこんな場に呼ばれたんだろう。


「ウルダ。どうする? まだここにいるかい?」

「……うん。おひい様がお移りになるまで、いたい」

「わかった。俺はティボルの部屋にいるから」

「了解」


 俺はウルダの肩にそっと手を置いて、講堂の出口に向かった。

 その時だった。


「ウラキっ。サトール・ウラキっ! 何をしている。早く登壇せよ」

「あ、はいっ」

「こいつ、立ったまま気絶してましたあ!」


 周囲の同僚に爆笑される中、俺の向こうから足早に歩いてくる黒髪の文官と、俺はすれ違った。


 ……っ?


 俺は講堂を出て廊下を歩く。人気がなくなったところで、左手を見た。


 指の間に板ガム一枚ほどの小さな木札が挿し込まれた。

 路上で配られるポケットティッシュを欲しくもないのに反射的に受け取ってしまった時の、あの妙に悔しい気分になる。


 ──Takraw Hagane? ⇒1fmg


「そんな……あんただったのか」


 俺は即座に木札を握りつぶし、燃やした。

 指示に従うかどうか、その場で五分か一〇分くらい、本気で迷った。


 俺は、生理的に嫌悪する人間の指示には従わない。という素直な生物行動をとれるようにはできていない。


 とくに軍制で育った俺にとっては自分を殺すことを骨の髄まで叩き込まれてきた。国家に忠を尽くすためには目の前の上官の指示に従うことが、一糸乱れぬ群れの統制、勝利に繋がると信じるからだ。

 いや、御託はいい。


 前世界で、俺の人生で、俺の名前をローマ字で間違える人物は一人しか考えられなかった。


 もちろんその人物は、この世界の人間じゃない。

 ライカン・フェニアの世界線でその人物がどういう地位や立場にあったのかは知らない。つか、〈ナーガルジュナⅩⅢ〉に乗ってたことで、もうお察しだ。


 そして、その人物は、俺の人生で唯一〝親〟というべき存在を理解させた。

 最悪な意味で。 


  §  §  § 


 ──1fmg

 これは、一階(1F)にある武器倉庫のことだ。

「mg」はマガジンの略。おもに軍需品の倉庫を指す。元素記号のマグネシウムではない。一般的に雑誌のことも英語でマガジンといい、その略は「mag」だ。

 ちなみに、銃器の弾倉のこともマガジンと言うが、あっちはミリタリー分野としての「mag」だし、マシンガンの略は大文字「MG」「MAG」だ。


 まとめて出すと混同しがちだが、時と場合によって同音異義語を使い分けるのと一緒だ。

 というわけで、悩んだ挙げ句、俺は指示に従うことにした。


 悔しい。本当に悔しいが、でも何かを感じる。

 無視してケガするより、知って後悔しよう。

 これも、その〝親〟の教えだ。まったく遺憾だ。


「あの、すみません。ここって武器倉庫ってあるんでしょうか」

 通りすがりの女官風な人に訊いてみる。


「武器倉庫ですか? もしかして、修練場のことでしょうか。あそこなら武器もたくさん置いてありますし。この先の角を左に曲がれば、金属を叩いてる音が聞こえてくると思いますよ」


「あっ、なるほどです。ありがとうございます」

 日本人気質でぺこぺこと狼頭を下げて、俺は修練場へ向かう。


 修練場は、バスケットコートぐらいの広さの体育館で、地面は土。今も、数人の衛兵が木剣で乱取り稽古をしている。

 そして、その隅で剣を叩き直しているドワーフがいた。


「あの、タクロウ・ハガネですが」

「んっ? ん、ちょっと待ってろ」


 無愛想に応じられて、ドワーフは仕事を続ける。俺は彼の仕事を眺めて待った。鍛鉄ではなく、錆びた剣の叩き直しだ。練習用にはなるが、実戦なら新しい鉄を持ってきて貼り合わせないと。ふふっ、セニの日本刀作りの時に聞いた職人蘊蓄だ。

 数分して、叩いた剣を水槽に突っこむとドワーフは立ち上がった。座っている時とあまり身長が変わらなかったのはご愛敬。


 彼は背後に並んでいた甲冑の中から、おもむろに兜のバイザーをあげて一通の封書をとりだしてきた。


(隠し場所が、雑っ)


「ほれ」

「あ、どうも」


 封書を渡し終わってドワーフはまた仕事に戻った。

 俺もこの場での開封がためらわれて、修練場を出ることにした。

 無性に落ち着かない。コーヒーが飲みたい。俺は厨房に行ってノンアルコールの飲み物をもらい、厨房から外へ。すぐそばに合った木箱に腰掛けて、開封した。

  

【 親愛なる タクロウ・ハガネ 少尉へ】


「マジかよ」

 俺は思わず手紙を閉じた。


 日本語だ。でもこっちの俺宛てじゃない。俺は、前職三尉だ。

 落ち着け。これは俺を想って書かれたものじゃないけど、この世界にいる俺宛てなんだ。ややこしい。


 深呼吸を二回。俺は意を決して手紙を開く。


【 おそらくこの手紙をきみが読んでいる頃、私は一つの人生を終えている頃だろう

 この世界で貴官と初めて会ったのは、この館のロビーだった。

 だが、すぐにわかったよ

 獣の頭を付けたままでも、あの〝タクロウ〟だとね 


 時間軸が違っても、人の本質とは似るべき所は似るらしい

 心から嬉しかった。貴官と再会できるとは思ってなかったからね

 北千歳に貴官とシロタカ団長を残してきた判断を何度悔やんだか知れない 】


「そうか。あっちの世界の俺は……殉職したのか」


【 だがヨハネス・ケプラーの誕生日がズレていたのは、実に痛快だった

 まったく同じ人物を知っていながら時間軸が違う。私の知っているタクロウではない。頭では理解できても、口調や声、思考パターンは、学生時代の貴官そのものなのだ。心の整理には苦労させられたものだ


 そして結局、それは最後まで葛藤が続いた。

 もはや、貴官が私の世界にいたタクロウか否かなど問題にならなくなっていた。

 どちらも、私にとって〝使い勝手のいい少尉〟だったわけだからな


 HAHAHA….こんな書き口をすると、貴官はまた立腹するだろう

 だが、許してほしい

 使い勝手もいいが、頼りにも、当てにもしているのだ

 そして感謝もしている。十五歳のおひい様を連れ帰ってくれて


 だから、再び貴官に無理を頼む私を許してくれ。タクロウ。頼む

 ニフリート・アゲマント・ズメイを守って欲しい


 公国が、公都が帝国への拒絶反応を持ち始めている

 ティミショアラは今後、公都の意向によって軍備増強の道を歩まされる


 起因は、ニコラ・コペルニクスの助手と名乗る魔女たちが、〈ナーガルジュナⅩⅢ〉の技術奪取を目論んでいる情報を、私が送ったからだ


 随分悩んだが、やはり私だけの手には負えない逼迫した事態になりつつある

 助手と名乗る魔女は、こちらで確認できているだけで、三人


 エミー・ネーター。マダム・キュリー。ウー・チェンシュン


 いずれも栄誉ある科学者の名を冠し、〝失楽園計画〟に荷担した元乗船研究員たちだ

 彼女たちは異世界への積極的な過干渉に動き出した

 むろん、我々の禁則事項違反だ


 彼女らの狙いは、施設ではなく、その設計技術に携わった科学者たちだ

 帝国は公国科学者たちを〝ミーミルの泉〟とし、そこから代償なく半永久的に叡智を絞りだそうと画策しているようだ


 そして、これだけは忘れないで欲しい


 我々、異世界からきた冒険者は、いまだこの世界の魔法と呼ばれる概念と融合できた者は数名しかいない。

 ニコラ・コペルニクスの生死については現在も調査中だ。推定死亡が覆ったことで、彼女の存在が公都でも危険視されることを伝えておく


 かつてライカン・フェニアが高名な魔法使いと接触を試みたそうだが、彼女にも魔法の会得までは到っていない。

 だからこそ、貴官の作成したものは魅力的な〝技術〟に映るはずだ。留意しておいてほしい


 最後に、

 貴官は気に入らないだろうが、私は貴官と過ごせた翡翠荘での数日が懐かしく、返すがえすも嬉しかった


 さらばだ 息子よ


  寿三=ヨハネス・ケプラー・土方

  前・北千歳駐屯地北部方面特科団副団長 


  

 追伸:先般、石炭と鉄鉱石の輸送取引受取証は、有効に使わせてもらった(^ω≦)b】

  

「有効ってなんだよ。意味分かんねぇよ」あと、絵文字もな。


 オイゲン・ムトゥの真名は、俺の大学時代の物理学教授とまったく同じ名前だった。

 同時に、下宿先の大家の名前でもあった。


 奥さんが日本人で北海道生まれ。ご飯とかしょっちゅうお世話になっていて、めちゃくちゃいい人だった。料理への興味も土方夫人から教わって現在にいたっている。

 そんな菩薩のような夫人と学生結婚を機にドイツから帰化した旦那が最悪の陰謀家だった。


 ゴミ収集日を間違って置いたら不審物扱いでゴミをバラした挙げ句、掃除を言いつけられるのは序の口。深夜に騒音を立てれば、ドアの新聞投函口から閃光発音弾フラッシュ・バン。共通廊下の掃除を怠れば、階段に極細ワイヤーのブービートラップ。

 駐輪場の自転車の並べ方が悪いと言って、マキビシをかれたこともある。

 日常生活が特殊訓練。自宅へ帰ったのに緊張感が増すという謎生活をしていた。


 後日。奥さんに本気で激怒されてからは鳴りを鎮めたが、三ヶ月に一回のペースで鍵が他の部屋と付け換えが三年間繰り返された。郵便受けに入れられた暗号メモでその鍵が手に入る仕組みだった。

 そんなウソみたいなサバイバル生活をなんだかんだ凌ぎきって残った入居者は、俺と故・藤堂一輝先輩だけだった。


 うちの大家が本気で頭がおかしい件。


 土方夫婦も俺が卒業した翌年くらいに北海道の北千歳に移った。

 年賀状は土方夫人に毎年かかさず出していたが、あの〈土方ハイツ〉がどうなったかは聞きそびれたままになっていた。


 藤堂先輩の事故から意気消沈して、俺が北千歳転勤の打診を蹴ったのも、今にして思えば、土方夫婦に合わせる顔がない気がしていたのかもしれない。

 本当に、あの夫人には、俺たちを実の息子のように気にかけてもらった。


 だから、だろう。

 あの時、石炭と鉄鉱石の密輸取引でどさくさにサインを求められ、とっさに違和感を覚えて〝ティコ・ブラーエ〟と書いたのは、〈土方ハイツ〉時代の生存本能のなせるごうだったと思う。


 それをうっかり言おうものなら、あのジジイは言うんだ。いけしゃあしゃあと──、


〝今のタクロウは,私が育てた〟って。


 そういう、なぞの父親面をする人だった。俺の世界の土方先生は。

 ライカン・フェニアの世界の土方・ヨハネス・寿三は、人使いが荒いだけの真っ当な上官だったのかも知れない。そう思いたい。


「くっそ。もう復活すんな。あんただけは……もう俺の前に現れんなよ。こっちは手一杯なんだよ。もう無理だって。あんたまで……助けてられないんだよぉ」


 オイゲン・ムトゥが俺の知り合いだったとか、考えたことは一瞬たりともなかった。


 ただ、あの妙な馴れ馴れしさと、心理誘導の中から向けられる揺るぎない謎の信頼と、俺を小馬鹿にしたような悪戯ギミックに既視感があってムカついていた。

 そのくせ、本当の素性を一切口にしない徹底した個人情報管理は、こちらの直感すら働かせなかった。

 それをこんなタイミングで正体明かすとか……本当にズリーよ。ずるすぎるよ。


 俺はあんなクソジジイのために、泣いてやらない。泣いてなんか、やるもんか。


 どうせ死んだと思っていたら、すぐにひょっこり現れるんだ。

 今や、こっちは狼男。そっちは〝死ねない人ヴァンパイア〟なんだからな。


 なら、サヨナラなんて、いらないだろう?



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