第23話 動乱の中を行く(21)


 ダンジョンから戻ってくるなり、ウルダはふてくされていた。

 ベッドで寝ている俺の上に正座し、寝返りで逃げることすら許さぬ構え。

 頬を膨らませているポーズは、ハティヤの真似だろう。


 ここは、ティミショアラ。〝たんぽぽと金糸雀カナリヤ亭〟。


「狼しゃん、迎えに来てくれんやったっ」


 すねた口調で俺を見つめる。愛しくて思わず抱きしめて詫びたくなるが、ここで甘えさせるわけにはいかない。心をぐぐっと鬼にして俺は言った。


「俺が迎えに行くまで、〝翡翠荘〟に留まるように言っておいたよね」

「う……っ」

「それに逃げるにしたって、ダンジョンまで逃げることはないよね」

「……だって」


「隠れる場所が他に思いつかなかった、か。確かにあそこまでティミショアラから離れれば、誰も気づかないよな。それにしても逃げすぎだ。おかげで俺は報告に来た調査役の一人をウルダの捜索に割かなければならなくなった。そこは反省してもらう所だと思うけどな」


 ウルダは不満そうだが、こくりと頷いた。幼くてもそこは傭兵プロ。ストイックに判断できる。 


「それで、どうして〝翡翠荘〟を飛び出したの?」

「……」

「お師匠様が亡くなって悲しかった?」

「それも、あるっちゃけど」


「うん」

「……」

「もしかして、何か渡された? それを守れって?」

「……狼しゃんば巻き込みとーなかっちゃけん」


「ウルダ。そうじゃないって。ムトゥさんがウルダに何かを預けたのなら、それは当たり前のように俺を巻き込みたかったんだ。本当の策士というのは、ウルダがムトゥさんを思う人情の上に冷静な打算ができる人のこととをいうんだ」


 俺の腹の上で正座する少女は困った様子で泣きべそ顔になった。いつもは明るいウルダとは思えないほど板挟みに窮している。

 可哀想だが、この際はっきりさせておかないと、この子のためにならない。


「ウルダ。俺の従者なら、それを渡して──なんて言わないから」

「えっ?」


「俺の従者なら、ちゃんと俺に報告してよ。一体何があったの。ヤバイ話なら、早く逃げたいんだよ。俺としては。そして、ウルダは俺の従者だから、ここに残ることも認めない。

 これから翡翠荘に行ってティボルを連れ戻したら。一緒にこの町を出てもらう。この先、この町がどうなっても俺は知らない。おひい様には悪いけどね。

 なあ、ウルダ。俺とオイゲン・ムトゥには貸し借りがないんだよ。鉄鋼を密取引も約束通りこちらがサンプルを渡した後に、ご破算にした。

 その原因を作ったのは、ムトゥさん自身だ。ずっと続けられる密取引を引継げる人間を用意してなかったことは、彼の責任だからね」


「狼しゃん、お師匠様のこと、怒ってる?」

「怒ってないよ。これは商売だ。商売は怒った方が負けなんだ」

「……」


「ウルダ。もう一度言うよ。きみがどうして〝翡翠荘〟を出たのか。その事情が知りたいだけだ。ムトゥさんから大事な書類や書簡を渡されて、逃げ回っているのならそれでもいいんだ。書簡の内容に俺は興味がないよ。それよりも、ウルダが俺の言いつけを守らなかったことのほうが重要だ。きみは優秀だから、何か余程の事情があったんだろう。そう感じているんだけど」


 ウルダは泣きそうな顔で唇を引き結んでいたが、ふいにメイド服の胸ボタンを外し始めた。


「ちょっと。俺は事情が聞きたいだけだって言ったよな?」

「そやけん。ちょっと見てもらいたか物があるんやけど」


 あ、そういうことね……。

 ウルダがブラウスの下から引っ張り出してきたのは、黄色っぽい防水用の包み紙にくるまれた書簡だった。


「くっそ。やられたあ!」

 俺は思わずベッドで頭を抱えた。

「こっちじゃもう紙ができてる。さらに蜜蝋から蝋紙まで作ってたのか。俺もやろうと思って買付けてたのにぃっ!」


「心からたまがる(驚く)んは、そこやなかろうもん……っ!」

 ウルダが半眼で俺を見据えてくる。

 俺は笑って誤魔化して、蝋紙をほどいた。


 【 上意 】


 他に適当な訳し方が見つからない。内部通達とも行政命令というのとも違う重さ。かといって、遺言状という私的な単語でもない。

 あくまで内々な告示だけど、絶対的な権限と効力をもって下に圧しつけてくる身分組織特有の言葉だ。


 遺言状があったという噂は本当だった。ただし、その内容に異を唱える者は粛清に遭うだろう。そういう書簡だ。これは。


 まずくないか。公国の玄関口で内紛が起きたら……起きたら。


(帝国がグラーデンと組めば、公国の喉元に刃を押し当てることができる)


「これ、誰に渡せって?」


「それが、なんも言われとらんから困っとーとよ。とにかく持っておいてくれ。誰にも見せるな。お前は私に近しい者だから、なるべく遠くへ避難しておけって」


「なるほどね」


 最初からそれを言えばいいのに。それは蝋紙に包み直して、ウルダに返した。


「もうよかと?」

「よかよか。俺は知らん方が幸せになれっと部類の内容やと察しがついた。やけん、もうよかよ」


「ふうん」

「ウルダは、中見たの?」


 少女はとんでもないと言わんばかりに顔を振った。俺は頷いた。


「見ない方がいいって言うか。完全に俺たちとは無関係だ。そのうち、これを取りに来る人が現れるんじゃないかな」


 噂をすれば影が差す──。その言葉で運命にスイッチが入ったらしい。

 絶妙なタイミングで、下のロビーに甲冑音が入ってきた。

 俺とウルダの耳は良好だ。同時にベッドから飛び起きた。


 ──宿検めやどあらたである。メイド服を着た少女と狼頭の男がここへ逗留しておるか


「ウルダ」

 声をかけて、俺は彼女の短剣をホルスターごと手渡した。


「臨戦体勢はとらなくていい。向こうの誘導に従おう」

「どげんして?」


「その書簡の正式な迎えかもしれない。もしそうだったとしても、ここで手渡しちゃダメだ。ついて行こう。手荒なことをする騎士がいれば斬っていい。あの書簡はそういう大事な物だから」


「ん、了解」


 着替えをすませたところで、部屋のドアがノックされた。

 はい。返事をすると、文官法衣をまとった壮年男性が入ってきた。

 すっげー面倒くさそうに。


「ウルダと狼?」

「そう、ですが……」

「うん。じゃ、ちょっと来てくれる?」


「どこまで?」

「野暮なことを聞きなさんな。さっさと終わらして、さっさとこの町を出たくないの?」


 俺とウルダは顔を見合わせた。

「出たい、です」

「だよね。僕もそうしたいんだ。はぁ、面倒くさ。ほら、来て」

 使者が自分から面倒くさいって言っちゃったよ。


「あの、隣室にもう二人、連れがいるんですけど」

「ん? だぁからぁ。さっさと終わらせれば、すぐに帰れるんだってっ」


 肩ごしに振り返って、面倒くさそうに吐き捨てられた。こういう人を怒らせるとマズい。逆らわない方が良さそうだ。

 隣室のドアが開いて、ハティヤとライカン・フェニアが臨戦の表情を廊下に出した。


「狼っ、ウルダっ?」

「ちょっと〝翡翠荘〟まで行ってくる。朝までには帰ってこられると思うから」

「あ、うん……わかった。帰り支度は?」


「よろしくお願い。蜜蝋はもう買付け発注してあるから」

「りょーかい」


 俺とウルダは〝たんぽぽと金糸雀亭〟の前に待っていた貴族馬車に乗せられた。

 ドアが閉まると、すぐに動き出した。


「狼どの。ご足労申し訳ない」

 先に馬車に座っていたのは、オイゲン・ムトゥ直属の兵士長コーデリアだった。


「兵士長さんが部屋まで迎えに来てくれたら、すぐ理解できましたよ」

「いや、まあ。公平を期すためと、こちらの方が仰るのでな」


「こちらの方は?」俺は文官法衣を見る。


「ヴァルラアム大聖堂司教、尚書令しょうしょれいタラヌ・カターリン様だ」


 ということは、騎士団派と大聖堂派の旗手が呉越同舟しているわけか。


「それで、用件は?」


「うむ。オイゲン・ムトゥ様ご逝去に当たり、内々に最終通達が発令された。その中に、次期家政長の指名の儀があり、その指名状を〝霹靂かみとき〟のウルダに託した旨が書かれていた」


 霹靂とは、落雷のことだ。

 雷(神鳴り)は雲に戻るが、霹靂(神解き)は大地に墜ちる。


 ただ、俺にはその異名がどういう価値をもつのかわからない。

 今は、ウルダの驚き絶句する顔を見て理解するほかなかった。


「あの、家政長って指名制なんですか」


「最終通達に指名がなければ、稟議りんぎとなる。こたびは指名候補がすでにムトゥ様によって公示されていた。その最終決定を我々は尊重しようということで合意した」


「なんだ。それなら内部抗争は沈静したわけですか」

「そもそも我々上層幹部は、内部抗争などしてはおらん。それを下の者たちが勝手に派閥を言いだし、騒ぎ始めたのだ」


 ウルダが俺の袖を引っぱる。俺は頷くだけで彼らに何も言わなかった。

〝霧〟の中で、ちょっとぼんやりした監視役が「町はどっちが勝つかで盛り上がってた」と言った背景がこのことだろう。


 人は、自分にとって都合のいいものだけを見聞きする習性の動物だ。

 退屈な冬にちょっと刺激的なスパイス程度に内部抗争の噂を流せば、酒場の酒も舌もさぞ廻ったことだろう。


 流したのは買収された〈串刺し旅団〉で間違いない。

 さてさて、その噂で誰が一番得をしたかだ。


「先日。ダンジョンに入ってきました」

「ほう。これはまた、突然の罪の告白とは殊勝だねえ」


 カターリン枢機卿は肩をすくめて言った。


「その中で、帝国の斥候と思われる分隊と接敵。また、帝国情報局長エミー・ネーターと名乗る女を中心とする一部隊と遭遇しました」


「なんだとっ!?」

 コーデリアが目を見開いた。


「斥候分隊とは、こちらを捕捉されたためダンジョン内で交戦。分隊四名全員を排除しました。一方のエミー・ネーター隊は、数が多すぎたので撤退しました」


「うむ。わかった。ダンジョン侵入者の履歴通達は公都へ直接連絡が行き、後日こちらへ沙汰がある。お前たちのことはこちらで不問に処理するゆえ、心配するな。……そうか。ついに公国にまで帝国の手が入ってきておるのだな」


 いやむしろ、今まで諸外国の諜報機関が入りこんでないと思ってたこの人の脳筋が不思議。

 すると、窓のさんひじをかけていたカターリン枢機卿と目が合った。


「ねえ、お前。その頭は本物かい」


 ウルダがキッと眉を強ばらせたので、手を握って黙らせる。


「はい、残念ながら」

「前に、ムトゥ家政長と話したことがあってね。帝国が王国を突っ切ってこの都市まちまで来るのに、あとどれくらいかかりそうかなって」


 来るか来ないかではなく、時間か。


「難しいですね。グラーデン侯爵次第ではないかと」

「いーやぁ。そうでもないよ」


「というと?」

 カターリン枢機卿は窓の外の闇を見つめながら、


「グラーデン侯爵はカロッツ2世直轄領の八割をすでに手中に治めたと聞く。王都の王府が落ちないだけらしい。新政権樹立を宣言しても構わないところまできてるんだ。王国軍だけではもう覆せない。

 グラーデン侯爵の当面の問題は、旧王国臣下となる貴族を黙らせることと、諸外国が彼の行いを認めるか否か。違うかい?」


「確かに、そうですね。とくに最大国力を有する帝国が正当と認めれば、周りも強くは異を唱える国は出ないでしょう」


 カターリン枢機卿は頷いた。


「グラーデン侯爵が、帝国に旧王国諸侯の所領を安堵させることを条件に新王国を差し出せば、帝国にとってこのティミショアラまでの道は舗装されたと言っても過言じゃない」


「ええ。それなら……あと二年でしょうか」


 兵士長コーデリアは目を見開いて絶句していた。

 カターリン枢機卿は平然と頷いた。


「ムトゥ家政長はたまに嘆いていたよ。自分の周りには味方が少ないってさ」

「では、ムトゥさんは、公国と帝国の同盟を望んでいたのですか?」


「ふふふっ。同盟か。僕は、帝国と和合する気かと問い質したもんだけど。お前は存外、ムトゥ家政長に似てるねえ。言葉の端々で彼の考えによく符合するよ。まるで師弟か、親子みたいだ」


「親子……狼しゃんが、お兄しゃん?」

 ウルダが目を輝かせながら、俺を見る。


「恐れながら、嬉しくありませんね」


「ああ。僕が本人も喜ぶまい。そう言ったら、彼は笑っていたよ。狼の頭を持つ異形の魔法使いを頼みにするようでは、焼きが回ったのかもしれない、とね」


 そこまで対帝国の備えに公国がまとまらなかったのか。この国は鎖国体制をとりながら、シュコダ王国に守られた地政的立場にあぐらをかいているらしい。


「ムトゥさんと仲がよろしかったんですか?」


「表面上はね。僕は、彼とは、惚れることと、チェスはしないことにしている。どちらも先を読まれて防戦一方だから」


 整いました。って、ちょっと生臭いんだが。


「正直、俺はあの人が嫌いでしたよ。人の手を握りながら、どう騙してやろうかという目でこちらを見るんです」


「うふふっ。そのせいでオイゲン・ムトゥには多くの心酔者はいたが、的確な意見をする友達が少なかったよ。おかげで、彼は死の最期まで有能であり続けなければならなかった。いつも自分をたのみにするから、たよるべき相手を選ぶことがヘタだった。そんな苦労性だから、彼は僕より先に逝ってしまったんだ」


 淡々と故人を偲ぶカターリン枢機卿の横顔は、親友を失ったかつての俺の顔によく似ていた。

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