第22話 狼と鉄狼(9)


 ブルシュトリの森から連絡が来た。

 中央軍三〇〇〇が目前の南山沿いではなく、さらに南。ブルシュトリの森林地帯を迂回して進軍してきた。


 ロイスダールは本気で、公国の未来を摘み取るつもりなのだろう。


 だけど、交戦は最期の最後の手段。三〇〇〇の兵は威嚇とみていいだろう。そのためにアウラール軍とほぼ同数程度の兵力だ。


 平野部に入った時、中央軍から矢文が放たれた。

 内容は、俺とティボルの身柄引き渡し。断れば、今後中央都でのアウラール家の評価が冷遇されるであろう。というもの。


「なあ、スワ。太夫たゆう(サナダ)なら、どうすると思う?」


 ヤマガタ中佐が文を手渡して、副官に尋ねる。副官は女性で、スワ中尉だ。


「……この場で、二人の身柄に見合うブツをよこせって言いますかね」


「うん。太夫が中央都の評価を気にするような真っ当な行政官なら、そもそもオラデア方面には逃げろと指示は出してなかった」


「ですね。だいたい『逃げるついでにカツ丼食べて来い』って、命令の出し方がおかしいです。あっ、〝カツ丼のレシピ〟だったら、二人を引き渡してたかも」

「……あるな」


 いや、ねーよ。マジあり得ねーわ。


「あの、ヤマガタさん……」

「狼。冗談だ。心配するな。我々はこの要求を呑むつもりはないし、義理もない。サナダ家政長から〝カツ丼を守れ〟と発破はかけられていたがな」


「俺よりカツ丼の心配ですか」苦笑するほかない。


「中央軍相手でも遠慮はするな。そういう意味だと現場解釈している」


 俺は目線を下げて少し押し黙ってから。


「あの……ティミショアラからの情報は何か入ってますか?」

「西都の?」


 指揮官と副官は顔を見合わせる。


「何もないが……どうかしたのか」

「実は、ティミショアラではすでに中央軍によって政治、軍事拠点の襲撃を受けているはずです」

「ロイスダールの綱紀粛正が始まっている? いつからだ」

「今から二六時間前だと予測しています」


 そのためにカラヤンに単騎でティミショアラまで戻ってもらったし、メドゥサ会頭やニフリート達が先手を打って、防備に入っていると信じている。


「ロイスダールが黙って三家の野営地からの離脱を見送ったのは、その情報を秘匿する理由があったからと思われます。

 手始めに翡翠の都市部を掌握し、ティミショアラで補給をすませた後、その返す刀で北上し、赤銅。ここは守る兵が少ないとみて、すぐに墜ちる公算でいます。それから距離的に遠い白銀へ。最後に山岳に囲まれた黄金へと攻める計画でしょう」


「では、なぜお前は、あの場で他の指揮官代行たちに、そのことを告げなかった」


「宮廷魔術師エリス・オーの存在です。ロイスダールはエリス・オーとつながっています。大公ともども、いまだに姿を見せなかったのが不気味すぎます」


「エリス・オーか……中央都に、大公のそばにいなかったのか」


「いませんでした。野営地にもその姿がなかったところを見ると……」


 ヤマガタ中佐とスワサワ中尉の表情がにわかに緊張し始めた。


「もしかして、ダンジョンか?」


 俺はうなずいた。

「今から六時間ほど前。野営地から伝令将校が中央都に向けて進発しています」


「なぜ、そのことを知っている」

「俺の従者が、その伝令を狙撃しました。死体もダンジョン内に回収済みです」

「狙撃。それで」


「その伝令は、中央都への伝令とは別に、ダンジョン監視の密命を帯びていた可能性があります。ただ、その伝令は、俺たちがダンジョンに入艦している様子を探るためではなく、エリス・オーの動きを監視するため。でなければ、伝令将校がわざわざダンジョンの三キロ地点まで迂回する理由がないのです」


「あの、狼。そう推測するだけの根拠があるの?」スワ中尉が言う。


「ありません。ですがエリス・オーの人物像や動きだけがずっと手許に情報として集まってこない。ここで野営地の騒ぎに乗じてダンジョンに潜入しているという推測は、最悪のシナリオになります」


 ヤマガタ中佐はドワーフなみに太い腕を胸の前で組むと、


「まさか、太夫もその最悪のシナリオに達して備えたのか? しかし太夫がダンジョンにいながら、エリス・オーに潜入の機会があったのか」


「これも六時間ほどになりますが、敵の斥候が一二〇名態勢でダンジョン内に威力偵察を試みることがありました。山頂付近、中腹、正面玄関を潜入ルートとした破壊潜入です。

 これに対して、サナダ家政長は、中腹の洞窟を崩落させて封鎖。山頂の大型通気口を雪で崩落させて斥候もろともに封鎖。斥候は残りの正面玄関の隔壁を焼き切ることに注力していましたが、その一枚を突破したところで撤収しています」


「正面玄関の潜入が計画困難ではなく。エリス・オー潜入の時間稼ぎだったと?」

「俺はそう見ています。そこで、お願いがあるのですが」


「悪いが、聞けないな」

 即答された。ヤマガタ中佐は、静かに俺の目を見つめて続ける。


「サナダ家政長から、狼が〝お願い〟〝頼み〟と口にした時は無茶をやるサインだと聞いてる。絶対に聞き分けるなと言われてる。確かにその通りだ。お前の目にはこちらの情を動かす力がある。見ようによっては、ズルい目だ」


 あいつぅ、どんだけ俺のこと分析して部下に広めてんだよ。気色悪いだろ。俺は顔を振った。


「俺は、どうしてもリンクスという魔女を守らなければならないのです。一〇〇人とは言いません。五〇人をダンジョンへの潜入部隊を」


「無理ですね。我が軍には登攀とうはん装備がありません。とくに糧食が」


 スワ中尉が言い切った。俺もアウラール軍の台所実情を知ったからぐうの音も出ない。


「それなら、今から残りの米を炊いて、おにぎりをつくりますよ」

「狼。敵はもう目の前だ。兵力はほぼ同数。隊員五〇人を割くくらいなら、お前がダンジョンへ戻ればいい。違うか」


 正論だった。俺一人なら戻れる。

「ヤマガタさん。俺は正直、もう面倒くさくなっているのですよ」


 俺は二人を交互に見た。


「ロイスダールという人物に出会って、あの男は自分の思考に従っていない。過去のプログラムにそって動いているに過ぎないテキスト人間でした。怖かったけど、剃刀カミソリみたいに薄っぺらい凶人でした」


「……」


「なんであんなヤツに権力を握らせてしまったのかと恨み言がいいたいのではありません。あの男から売られた喧嘩をここで買わないと、いつまで経っても追い回される。守りたい子供たちを幸せにできないと思ったからです」


 グラーデン公爵で懲りた権力者による圧力が、今度は軍事方面からのしかかってきた。心から勘弁して欲しいが、内戦を始めようとしている戦場の真ん中を子供たちを連れて突っ切って逃げるわけにもいかない。


「その気概を見せるタイミングは、野営地の中だったな」ヤマガタ中佐は顔を振った。「ロイスダールは軍規に則って兵を動かした。もうお前の二人だけの問題ではなくなっている。たとえこの場をお前の魔法で一掃できたとしても、次はお前が公国の敵──我々の敵になってしまうんだぞ。それこそ本末転倒じゃないのか」


 スワ中尉もうんうんと頷いてくるので、俺は萎れるしかなかった。


「それに、狼。悪いが、我々はオラデアでカツ丼を食わなきゃならない任務がある」

 ヤマガタ中佐がニカリと笑う。

「ダンジョンに戻るのなら、我々がオラデアに入るまで、魔法であいつらの足止めをする何かを置いていってくれないか」


「足止め?」

 相手は兵三〇〇〇だぞ。でも、その発想はなかった。


「それで戦闘は回避できる。まさか下心丸出しの矢文の返事として、嫌がらせの障害物を造ったからといって、それが交戦布告行為だとわめくヤツもいないだろう」


「障害物……バリケードですか?」


「いや、そんなあからさまなものだと、向こうからがくる。一見、自然物に見えるような、そうだな……道の真ん中に雪像とか置いてみるってのはどうだ?」


 懐かしい業務相談。サナダの影響なのだろうか、発想が突飛だ。俺は思わず笑みがこぼれる。


「北海道の雪祭りみたいな、ですか」


「いや、あそこまで手の込んだもんじゃなくていい。まあ、例えだ。あれくらいデカい物があちこちに……狼。お前、本当に元日本人だったのか」


 まじまじと見つめてくるので、俺は声に出して笑ってしまった。今さらかよ。


「わかりました。枯れ木に花を。雪原に森を造ってみましょう」

 俺は会釈して、自分の大型馬車に戻った。

「雪原に、森……?」


  §  §  §


「おい、対象だ……狼だっ」

「いや、待て。なにか様子が変だ。行軍停止っ!」

「行軍停止っ、全隊止まれ!」


 戦斧を杖代わりにして凍てついた雪の道に狼男がたたずんでいる。


 アルエシェニ山道との合流点に〝ブルシュトリ倒木〟と呼び慣わす岩棚がある。

 高さ五セーカー。厚さ三セーカー。横に三〇〇セーカー。長年の風雨によって丸みを帯びた岩壁で、道幅に合わせて綺麗に六セーカーだけ切れている。人工的に加工したものではなかったようで、自然とそこが道になった。

 この天然の関門を通る人々は、ここを抜ければオラデアまで一本道となることを知っていた。


 その関門の前に、狼が門番よろしく仁王立ちして動かない。


「 死のごとく青白き そは氷結の女王なり

  不香の花よ舞え 不萌の凍土に太陽の手さえ届かず

  天使の囁きよ集え 白銀の原に高き楼閣たかどのの森を築け 」


 ──〝天楼雪獄ヴァルトヘイル〟!

  

「高出力磁場のゆらめきを検知。規模……3テスラ(3万ガウス)っ!?」

 レンブラントが絶叫した。


「こんな場所で、中位魔法だとっ!?」

「兵を下げろ。退避だ。退避ーっ!」


 中央軍将校の悲鳴のような号令は、まわりの雪に吸い取られたようだ。


 狼男が足下から飛び出した氷の柱によって浮上した。それを皮切りに、地面から樹氷が次々と突出。前衛はたちまち追い散らされた。命からがら安全圏まで逃げて、彼らが振り返った時、関門は白結晶のとりでへと変貌していた。


「なんだ。何が起きた?」


 空腹と寒さの中、重い足取りで雪泥を歩いていた後方の兵士らは、久しぶりに顔を上げて隊列の前方に目をすがめた。


「なんだ、あれ……」

 何度目を凝らしても、白い円すい形の樹林が道を塞いでいるように見えた。


「ベラスケスっ」

「わかっているっ。今、アトリエと通信中だ」


 何事かと他の部隊長も集まってきた。

 ベラスケスは正面を向いたまま言った。


「諸君。あれが先ほど送った矢文の返事らしい。その上で、アトリエからの命令を伝える」

「……」


「あの氷の森を破壊して進め。手段は問わない。──以上だ」

「これ以上の追走は悪手ではないのか。手段は問わない。とは」


「言葉通りだ。火薬の使用やレーザーの使用も認めるということだろう。アウラール家にオラデア市内へ入られては、軍の権限が町の権限とぶつかる。狼と無識別機ゼータシリアル(ティボル)の確保が難しくなるだろうな」


「彼らが対抗勢力に深く関与し、情報を持ちすぎてはいた。だが、なぜ今そこまであの二人にこだわる。我々は〝船〟さえ確保できればすむ話だろうっ?」


「レンブラント。。その目的と現状は、別ファイル案件だ。アトリエから、オラデアに潜入予定だった偵察隊員七人のサインが全ロストしたと追記報告を受けた」


「この4時間で、全員。寒さによる通信モジュールの故障か」


「不明。気温はマイナス30度。活動環境に影響はない。全機の識別信号は〝源動核〟ダヴィンチコアと連動している。よって、システム不具合の可能性は28%。こちらから16回、短周波通信を送ったが応答ナシ。半径2マイルの索敵ソナーにも反応ナシ」


「探しに行くのか」


「不可能。我々だけならまだしも、人間の兵士3000人がここで停滞するのは危険と判断される。健康維持の限界だ。これ以上補給を与えなければ、脱走が出る」


「そんなことは、わかっているっ」

「感情律を波立たせるな、レンブラント。適正化させろ。欠陥品の査定を受けたいのか」


「……っ」

「付記。2分前。秘匿回線の通信を受信した」


「ロイスダールのダイダロス回線外か? どこからだ」

「ダンジョンからだ。発信元はエリス・オー」


 レンブラントはなぜか同胞を見渡した。ベラスケスは続ける。


「ロイスダール率いる兵9000の行き先を教えろと提案された」

「理解不能。情報開示を請求する。さっさと通信ログをこっちに送れ」

 ベラスケスは小さく白い息を排気すると、こめかみを押さえて同胞にログを送った。


 ──こちらベラスケス

 ──エリス・オーよ。識別番号88136199

   パスワードは、血染めの紐で蛇の髪を結う乙女


 ──身分認証。ようこそ、エリス・オー様。ご用件をお伺いします

 ──ロイスダール率いる兵9000の行き先と到着時刻を教えてちょうだい

 ──軍事機密における禁則情報に抵触しています。お答えできかねます


 ──あなた達〈ナーガルジュナⅩⅢ〉が欲しいのよね

   このままロイスダールに任せておいていいのかしら


 ──ご質問の主旨がわかりかねます


 ──あなた達は、長い間。人と接してきて、人の気持ちが理解できている

   そのあなた達が人が飢えて苦しんでいる様を無視するロイスダールは

   必要なアイディアを出せるアトリエと言えるのかしら


   (1分のラグ)


 ──ティミショアラ。到着時刻18:49:23となっております


 ──了解よ。それとこれは提案なんだけど

 ──はい


 ──ダンジョンで20人乗りの星間救難脱出ポッドっていうの? それを見つけたわ

   座標ビーコンの周波数を教えて。機密情報を教えてくれたお礼よ


「なぜ、ここで切れたっ」レンブラントが吠えた。

「ジャミングノイズが入った。ロイスダールに傍受された節がある」


「でもさ、星間救難脱出ポッドの存在は聞いたことがなかったけど」フェルメールがいった。

「肯定。私の記憶ファイルにもそのような情報はない。確認が必要だ」


「同意。オラデアまで進むのか」


「肯定。我々に目の前の部下を見捨てる条件設定はない。だが我々の性能を見せるわけにはいかない。部下たちをいったん休憩のために退かせて、我々だけでここを破壊しよう」


 将校達は揃ってうなずくと、持ち場に戻っていった。




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