第21話 魔狼の王(20)
今さらだが、ここにきて疑問がある。
オラデアの〝魔狼の王〟が、なぜ最初から地熱発電所を狙わず、地熱を有する洞窟をわざわざ探して巣を作ったのか。という点だ。
考えられるとすれば、産卵環境の温度が地熱発電所周辺のマグマ熱地帯では高すぎるという点。洞窟のほうが外敵からの進入を制限できる点。あと、洞窟のあった森林地帯の動物を狩れば、食糧確保に有利だったという点が挙げられる。
だがこの仮説を、あの〝古文書〟が否定してくる。
マクガイアによれば、〝魔狼の王〟との戦闘は宇宙域でも行われている。つまりヤツらは宇宙生物なわけで、そもそもが気温や湿度、無酸素環境に左右されるものではない。なのに、産卵期だけ環境に左右されるというのは、何か理由があるはずだ。
卵を外敵から守るためか。それもあるだろう。だが、それだけか。温湿な環境にこだわりながら、地熱発電所を真っ先に選ばなかったのは、なぜだ。
「誰か。地図をとってくれないか」
俺が声をかけると、幌の中からスコールが顔を出した。
「狼、どした?」
「追跡対象が動きを止めた。──馬車係、進路そのまま。あの先の岩山を迂回したところで停めてくれ」
「りょーかい」
馬車が停まると、俺はウルダにランタンを持たせて地図を広げた。この魔法の利点として地図の上を重ねても見ることができる。
「地熱地帯のだいぶ手前で止まった。ここは古城だ。最寄りの町は……アルバ・ユリア」
所領境だったら、領主への連絡手続きが面倒くさいことになるな。
「その古城に地下があるってことかな」
横からスコールが指摘する。俺は下あごをもふりながら、
「おそらくね。でも城の地下空間なんて広さはたかがしれてる。護衛艦は地上で警戒してるだろうな」
「狼。オレ、斥候出ようか?」
スコールの申し出に、俺は空を見上げた。いつの間にか厚い雲が藍色を帯びていた。
「いや、ここの岩山を登って、望遠鏡で環境偵察だな。ウルダ、馬車係と三人で周囲を確認してみて」
「了解」
三人が魔導具で跳躍したあとも、俺は地図をにらみつけた。
(なんでだ。なぜこの場所で止まった……)
「なあ、腹減ったな」
隊員の一人がぼそりと言った。第7隊はラリサが集めた一〇代の少年が多く、軍隊感覚がまだ浅い。俺が作戦企画中でも、雑談が平気で飛び交っている。
「携帯食糧、食ってろよ。朝になったら、近くの町で調達すればいいだろ」
「ああ、そーすっか。町ついたら何か買ってくるよ。お前どうする?」
「何でもいいよ。食えるんなら」
「それだっ!」
俺は思わず会話に割り込んだ。
「うおっ、おお! へっ?」
「そうだとしたら……くそっ、もう時間がないぞっ!」
俺は急いで腰のカンテラを掲げると、馬車を飛び降りて岩山に向かって左右に振った。帰還指示だ。雑談していた隊員はポカンとしていた。
やがて三人が戻ってくる。
「なにっ、狼?」
「スコール。ヤツらの目的がわかった。つまみ食いだ」
「はあっ?」
ウルダが目をぱちくりさせた。
俺は地図を指で叩くように指し示して説明する。
「旗艦は、デーバの町を脱出した時、自分の産んだ卵しか食べてない。つまりすでに飢えた状態にあるんだ。
そこで、ヤツらは護衛艦の一部を駆逐艦に分離して、旗艦の飢えを癒やすために当座の食糧を調達する必要がある。それがこの町、アルバ・ユリアだ。ここが襲われるっ。迂闊だったよ。全部隊で先回りした裏をかかれた」
「じゃあ、オレ達はどうすりゃあいい?」
「アルバ・ユリアに向かって、そこの領主と会って事情を話し、駆逐艦の迎撃態勢を取る。──馬車係は俺と町へ行こう。俺はこの顔だ。きっと住民は話なんかまともに聞いちゃくれないだろう。俺の主人のフリをしてくれ」
「わかった」
「スコールとウルダは、このまま監視を続けてくれ。ただし、俺たちの狙いは旗艦じゃない。あくまでも駆逐艦の全滅だ。護衛艦がまた数を減らし、食糧が調達できなければ、旗艦はまた卵を食い始める。数を増やせないままオラデアへ進ませるんだ」
「それなら分離した直後に、オレ達で倒していいか。三〇体くらいなら余裕だぜ」
不敵な笑みを浮かべる最強コンビに、俺はぶんぶんと顔を振った。
「だめだ。かならず町に到達させるんだ」
「なんで?」
「調達ルート上で襲撃に遭えば、待ち伏せにあったと警戒されてすぐに古城を出るだろう。その時初めて人間たちの追っ手の存在に気づいて、オラデアへの進路を変えるかもしれない。
でも、町を襲撃した駆逐艦が目標未達で死んだのなら、食糧が調達できなかっただけだ。航行スケジュールに変更はないはずだ」
「なら、ヤツらが追加で襲撃してくることは?」
「その可能性はあるけど、ここでヤツらの食糧補給を阻止できれば、旗艦の飢えは深刻さを増す。産卵期に入った旗艦は、いわばお産間近の母親だ。膨れたお腹を抱えたまま、これ以上環境が整わない古城で長居はしたくないはずだ」
「人が食べられんのなら、他の動物ば食べればよかや、なかと?」
ウルダがお姫様のように無邪気に言った。
「それじゃあ、ウルダは目の前に俺が作ったオムレツがあるのに、木になってるリンゴを食べたいかい?」
「ううん。狼しゃんのオムレツ。うまかもん」
「〝魔狼の王〟もそういう理屈さ。目の前にある人の味を覚えてるから、他の動物には目がいかない。そしてこの寒さだ。食事と産卵の環境。どっちに天秤がふるかは、王のみぞ知る、だ」
子供たちは、いまひとつ理解できなかったようできょとんとしていたが、仕方ない。
作戦開始と
§ § §
まさか、本当に狼が訪ねてくるとは思わなかった。
夜明け前の
ドアが叩かれ、人の声で家人を呼ぶ。その声で私と妻と目が覚めたが、ドアの前まで応対に出たらしい執事のゴドンが狼頭に悲鳴をあげて卒倒した。
剣を手にとり、もう一方の手でガウンをかき合わせて玄関へ出て、目を剥いた。
中肉中背の銀毛の狼男で、しかし凄まじい臭いだった。ヴィチューメン(アスファルトのこと。死体の防腐剤に使用される)を塗りたくったまま墓場から蘇ってきたような悪臭をまとっていた。
「お休みの深い夜分に大変失礼いたします。ご領主様に、ご当地火急の用件にてお話を聞いていただきたく、無理を推して参上いたしました」
割と礼儀正しい狼たちだった。
「貴公ら。身の
すると若者の方が、胸に手を当てて片膝をついた。
「僭越ながら、わたくしは、ティミショアラ都督補ヴィクトール・バトウ配下遊撃隊カラヤン・ゼレズニー大尉従者、ルシアン。そしてこれなるは、わが相棒の、狼と申します」
「おお、バトゥ都督補の配下の方か。して、用件は」
「はっ。まことに勝手な申し出とは存じますが、都督補よりの使者ではございません。只今ご当地の近くの森を通りかかりました折、異形の姿をした魔物がこの町を狙わんとして西の古城に取り憑いた
このまま黙って見過ごして職務のみを全うすれば、主人バトゥの名誉に関わることと判断し、まずはご領主様へ、この急報をお伝えに参りました次第でございます」
なんとも古い礼式口上だったが、むしろ初々しい。そして何より、二人の必死な眼差しに心打たれた。彼らが婆さまの言っていた狼に違いない。
「ワシはこの町の領主ヤーノシュ・フォン・フニャディである。魔物とは、黒いヒルのような異形のことか」
ルシアンという若者はハッと顔を上げると、狼頭と顔を見合わせてうなずいた。
「真に左様にございます。数の程はいまだ不明なれど、手の者が今、動向を監視しております」
「相わかった。──ガブリエラ、下男を起こせ。教会へ走らせて、早鐘を鳴らさせるのだ」
「あの、ご領主様。僭越ながら」
「なんだ?」
狼男が不思議そうにこちらを見つめてくる。
「我らの言葉を信じていただけるのですか」
「ん。にわかには信じがたいことが起こっている。それを信じなければ、この町がおとぎ話に喰われるのであろう?」
「は、はい……っ」
「ならば、今朝の我が見栄と虚勢は、このヒゲだけにするとしよう。この町の窮地、お前たちが尽力してくれると信じようではないか。だからお前たちも、手を抜くなよ」
「ははっ。お任せください」
若者と狼男が深々と頭を下げた。
§ § §
物わかりのいい領主で助かった。
うまくいった暁には、バトゥ都督補から感状(貢献を証明する感謝状。公文書の表彰なので地方領主は結構グッとくるらしい)を出してもらうよう頼もう。
小さな
これを、馬車係が領主と町住民に魔物の存在を説明している間に、二〇個作った。うちの最強コンビが戻ってくるまでにあと二〇個は用意したい。
「狼さん、これなんなんすか?」
布で口と鼻にマスクした隊員が袋に原油を注ぎながら訊いてくる。
「焼夷手榴弾だよ」
「しょーいてりゅーだん?」
「これに火をつけて敵に投げるんだ。投げる時は、素手で持つなよ。必ず革手袋するように。そのヒモを振ってスリングのように敵にぶつけてくれ」
「こんなん、当たるんすか?」
「当てなかったら、給料査定に響きます」
「オニかよっ!?」
「都合、四〇個しか作れなかったんだ。一つも無駄にできない。真剣に当てること。あと接近戦になった時、正面は盾で受け止めて、槍で横から突き崩すんだぞ。三人一組を忘れるな」
「たった九人で勝てるのかな」
「地元住民の皆さんがいるだろ。俺たちだけの戦いじゃない。この町を守ろうっていう人たちの心意気とともに戦うんだ」
そうこうしているうちに、幌の中にウルダが文字通り飛び込んできた。
「狼しゃん。来んしゃったよ! 西から数8!」
「スコールは?」
「バシャっちの所。同じ説明しとるっちゃ」
俺はうなずくと、焼夷手榴弾をいれた木箱をもって幌を出た。
夜明けは近い。
焦っているのは俺たちじゃない。ヤツらの方だ。
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