第7話 門の種 前編
とにもかくにも〝ペルクィン株仲間〟は成立した。
次はペルクィンの製造法の技術共有を行わなければならなかった。
三商会に俺がどうやって石けんを製造しているかを公開しなければならなかった。
商品説明会。要は、理科の実験だ。
焼いた貝殻の粉末と活性炭を混ぜて熱し、その上澄み液を牛脂やオリーブオイルと混ぜて熱して撹拌。
工程はそれですべてだから、さあどうぞ。というわけにはいかない。
どのタイミングでどれだけ混ぜるのか。その分量を俺はロカルダにもまだ教えていなかった。鹸化の進行具合を見ながら水酸化カリウムを入れていけばいい。
だが、そのタイミングは俺の判断が必要だった。それをヤドカリニヤ家の大広間に
「そして、できたものがこちらになります。熟成期間は一ヶ月強が必要となります」
「熟成……石けんにもそういうのがあるのか」
中央に座る老人のそばに立って眺めていたメドヴェが唸った。
「この熟成期間は、ワインのような寝かせる期間ではなく、あくまでも先ほど合わせた上澄み液の効能を空気と混ぜることで薄める意味での期間です。この期間内で定期的に撹拌する作業をおろそかにすると、肌が焼け爛れるほど危険で未熟な製品となります」
「狼どの。一つ当たりの原価はいくらになってんだ?」
イスに座った〝黒狐〟ゲルグー・バルナローカが訊ねる。
俺はうなずいて、
「オリーブオイルの仕入れ値にもよりますが、三九ペニーで計算しています」
「少し高いかしらね」
となりに座っていたエディナ・マンガリッツァが爺さまに同意を求める。
「まあ、単価を上げてるのは香りをつける精油だろう。だがバラの精油は貴族からの引き合いは期待できるんじゃねえのかい」
「うーん、そうねえ」
「それならバラは春夏限定品と銘打って、秋冬は柑橘類で代替できるかと」
俺が提案する。エディナ様は手を叩いて、何度もうなずく。なんか可愛く見えてきた。
「季節で変化するのはいいわね。わたくし、オレンジが好きなの」
「その場合。オレンジの皮をすり下ろしたものを蒸留器にかけ、その精油を混ぜるといけると思います」
「なんや。どれもこれも、普段わてらがゴミで
エディナ様のとなりに座るレントが呆れたように言うと、周りからウケた。よかったな。
すると、シャラモン神父が軽く手を挙げた。
「狼さん。香木を使うことはできますか」
「えっと……その場合だと生木から香り成分を抽出することになりますね。普段薫香に使われる乾燥済みの香木であれば、一定期間水で戻して、それから煮出して成分を抽出する手間が必要になります。その場合に石けんに混ぜた時に香りが薄くなる可能性がありますね」
「だがその手間の分、原価も跳ね上がるだろうが、聖職者には受けるだろうな」
〝黒狐〟は唇を歪めつつ、何度もうなずく。
俺は、デメリットも話しておく。
「そもそもこの石けんの洗浄効果は、都市に出回る石けんに比べればはるかに高い性能ですが、これで頭打ちとなります。なので、あとは香りの品数をいかに増やすかと、見栄えですかね」
「見栄え?」
「器です。陶器ではなく、ガラスを考えています」
するとまた二大ボスが顔を見合わせた。
「まだペルクィンは始まったばかりだ。高級品にしちまったら、採算が取れねぇか」
「そうね。ペルクィンが既存の石けんと離れすぎてはお客様の心も離れるかしら」
俺もうなずく。
この世界では、ワインもビールも基本は樽売りだ。
ガラスが使われているのは、高級なワインと医薬品の容器。それ以外のガラス製品は、この町になく、リエカに行くと嗅ぎ
当然、どれも庶民的な値段ではなかった。それもあって比較的安価な陶器が消費者の目にとまりやすい。
「まあ、先は長いんだ。しばらく他の商会の参入もない。見栄えのことはともかく、これでペルクィンは三商会で情報共有できたってことでいいな」
カラヤンが音頭を取ると拍手が起きた。
ようやくプレゼンターとしての俺も肩の荷が下りた。胸に手を置いて会釈すると、拍手は大きくなった。久しぶりに仕事をした感が嬉しい。その時だった。
大広間のドアが開き、ウスコクと傭兵が二名ずつ入ってきた。そして、ヤドカリニヤ家のメイド六人が入ってくる。
〝宴〟の準備だ。
上座テーブルにあった俺の実演器材がつぎつぎ運び出され、かわりに真っ白なテーブルクロスと豪奢な花器がのる。
そして背もたれに彫刻された装飾イスが二脚とその外脇にもイスが一脚ずつ。
一つだった長テーブルも左右に分離。各々にテーブルクロスが掛けられて、燭台と花器が載る。テーブルに、白い
その直後から、カラヤンの表情に怪訝がにじみ出始めた。
持ち前の勘のよさで、ただの株仲間結成祝賀会にしては妙だと気づき始めている。
俺は、カラヤンから目を離さない。
テーブルに並べられる〝位置皿〟に合わせて、最前列から、左にエディナ・マンガリッツァ。右にゲルグー・バルナローカが再着席をはじめた。
次に、タマチッチ長官夫妻が新郎と新婦に分かれて座る。
以下、両商会の上位順に席が無言で埋まっていく。
バルナローカ商会側。メドヴェ、ティボル、マチルダが座った。
俺はその彼女の次席だ。友人枠でスコールと座る。となりのマチルダがおろしたての正装で緊張しきりなのが微笑ましかった。
対して、マンガリッツァ・ファミリーは、次席タマチッチ夫人のとなりは空席。四席目から四男レントが座った。その末席が、ロジェリオが友人代表みたいな位置づけだろうか。
この段になって、カラヤンが露骨に顔をしかめた。一般席に自分の席がないことに気づいたようだ。これからこの場で自分の
さらに彼の疑念を決定づけたのは、シャラモン神父だったろう。
まだ誰も座っていない上座テーブルにサンクロウ正教会の様式による清浄の祝福を始める。ハティヤが捧げ持った杯から水を摘まみ、テーブルへ指で弾いて清めている。
そこで始めて、俺はカラヤンの〝異常〟に気づいた。
おい、こりゃ何の真似だ。そんな戸惑いとともに悪企み絶賛計画中の俺へ文句が飛んでくるとばかり思っていた。
それが、なかった。何か……様子がおかしい。
表情が消えていた。目線が誰とも交わらない。無表情でドアへ動き出す。
俺の、狼の眼でちゃんと追っていないと見失うくらい、気配を殺してドアまで後退りを始めた。恐ろしいのは、俺を除いて誰一人、カラヤンの姿を視認しておきながら逃走行動に入っていると気づかないことだ。
ロジェリオなんか、そばを歩かれたのに気づかず、おいおい泣き続けている。ていうか、さすがに婚礼が始まる前から気が早過ぎだろ。
なんなんだ。あのキレッキレの隠密技術は。忍者か。MI6の諜報員か。
俺はとなりの裾を引っぱった。マチルダはびくんと跳ねて袖に隠し持っていた牙笛を吹いた。
ピィーッ!
笛を合図に、大広間のドアが一斉に閉まる。
カラヤンが過敏反応した。反対側へ駆け出し、窓へ飛びこむ。俊敏な判断力と挙動が獣めいていた。
「狼っ!?」
となりに座っていたスコールがイスを蹴って立ち、俺を見る。
「スコールっ、行ってっ。足止めは考えないでいい。とにかく追うんだっ!」
「了解っ」
俺もその後を追って窓から外に飛び出した。
地上に足が着いた時には、カラヤンとスコールの背中は東へ。だいぶ小さくなっていた。
「速っ……馬かよっ」
俺も魔力を使って懸命に背中を追う。迂闊だった。剣士カラヤン・ゼレズニーの力量は並じゃなかった。前から知ってたけど、再確認する。
「狼頭っ」
後方から三騎の騎馬が追ってきて併走する。その中の赤い甲冑に腰には虎シマの毛皮をまいた偉丈夫が声をかけてきた。戦場で見ればさぞ
たしかマンガリッツァ・ファミリーの……えっと、何男だ。もう誰でもいいや。
「先に行ってくださいっ。カラヤンさんの情況が掴めません。婚礼前です。捕縛は控えて説得してください」
「承知したっ」
馬の腹に拍車をかけて、俺の前を騎馬が地を駆っていく。
俺は本道をそれて、獣道のような隘路を走る。森の中に漂うマナを吸収するためだ。
そのアイディアが失敗だった。
ズシャア、ズシャア……ッ。ズシャア……ッ。
うっそうとした枝葉や茂みを左右に払いながら走ってると、ある既視感に襲われた。
俺はいつの間にか、前の世界に戻っていた。
§ § §
あの日──
休暇返上で参加した救難活動当日は、雨が降っていた。
その二八〇人体制に加わり、
最新型のヘリコプター墜落事故現場。
機体は帰投直前、習志野市街から二・四キロはなれた山間の山林に墜ちた。
乗員四名全員が、絶望視された。
藤堂一輝先輩の死体を見つけたのは、捜索隊の第一陣先遣で、墜落ポイントで確認。思っていたより早く遺体が収容できてよかった。安堵を滲ませる周囲をよそに、俺は死体安置テントの中で、先輩のきれいな死顔をずっと見つめていた。
『馬鹿野郎。タクロウ。降下直前で目をつぶるなって言っただろうがっ。死にてぇのか!』
『タクロウ。おれの
『タクロ~ぉ。しつけぇぞ。最新鋭なんだからみんな初めてに決まってんだろ。うまくやるって。大丈夫だって。お前は心配しすぎなんだよ。ばーか』
その三日後。
一般葬儀が習志野駐屯地で行われた。この日、防衛大臣も弔問に訪れたそうだが、俺の記憶にはなかった。
遺体は遺族に渡されるが、先輩のカノジョさんは遺族になれず、泣いてばかりいた。
俺は、葬儀の間ずっと先輩の遺骨の行き先だけが気になっていた。
先輩にも、身寄りがなかったから。
──藤堂一尉。機体を住宅街の外へ堕とすので精一杯だったみてーだな
──ああ。よく戦ったよ。今回は不戦派も機体の性能のことばっか叩いてるな
──制式配備は時期尚早、か。つか、あの飛行システム自体、無茶なんだって
──おい。霊前だ。そのくらいにしとけ。……
──ちっ。悪口は言ってねえだろうが
──仕方ねーさ。あいつにとっては親友ってより、兄貴が死んだようなもんだしな
§ § §
「畜生。畜生ぉっ!」
俺の恩人が、また俺の前から大事な人がいなくなる。ふざけるな。もう三度も、あんな辛い思いをしてたまるか。
違うっ。落ち着け。どうしてカラヤンが死ぬと思ってる。よく考えろ。カラヤンは逃げてるだけだろ。アレが自分の結婚式だと気づいた。そうに決まってる。
その意味で、あの俺を不安にさせた豹変。
カラヤンは先輩と同じで、よく怒るくせに本心は顔に出さない人だから。
一方で、カラヤンが今、結婚するのはマズいと考えていたら。これはどうだ。
だが、どうマズい? それはこれから本人を捕まえて問い詰めればいい。
全身の毛がないからとか、ふざけた理由だったら小一時間みんなで説教だ。
まさか、他の土地で既婚済みとか? うわぁ、ドン引きだよ……よしっ。
とにかく全力で逃げ出さなければならないほどの不都合さを感じたのだろう。
問題なのは、その不都合を俺たちでどこまで解決できるか、ということ。
いや大丈夫だ。どこの世界だってだいたいの問題は金で解決できる。今、ありえないほどの金持ちが二人もいるじゃないか。借金しても、石けんで返してみせる。
大丈夫。大丈夫だ。だいじょ、ぶ……。
森を抜けると、丈の長い草がひろがる荒野原に出た。
やや小さくカラヤンのハゲ頭と、スコールが視認できた。遅れて、遠巻きに騎馬も現着した。
そして、なぜか俺の鼻が──、
広大な荒野原から、あの甘い獣のニオイを嗅ぎとった。
§ § §
長兄アレグレットは、亡者の顔をしていた。
顔は土気色。白眼を剥き、口は半開いて舌が垂れさがっている。両手はだらりと前に垂らした前傾姿勢。二本の足で立っているのが不思議なほどだ。
そこに胸から首を伝って顔と頭部まで這いのぼった樹状の血管の禍々しい黒さはどうだ。
ひと目見て、到底生きているようには思えなかった。
「ダンテ様」
「お前たちは、降りるな」
短く指示を残して、まず立ち尽くしている子供のそばに歩み寄る。
「ボウズっ」
近づきながら声を掛けると、少年が短剣を引き抜きざまに振り返った。
いい動きだ。が、自失状態だったか。無理もねぇが油断しすぎだ。
アンダンテは鎌槍を少年に鋭く突きだした。
穂先の狙いは少年のすぐ左横。亡者カラヤンがすでにそこにいた。
カラヤンは少年の肘を自分の肘で跳ね上げ、短剣で槍の穂先を打ち払った。
アンダンテはカッと目を見開き、反対の手で腰の
カラヤンはそれを猫のような柔らかい跳躍で上に躱し、弟の肩を踏んで飛び越えた。
「ちぃっ、よく動きやがるねえっ!」
抜かれた。振り返った時には、長兄は後方の騎馬に肉薄していた。
部下達は〝
その時だった。
茂みの中から飛び出した一頭の狼が、長兄を横から奇襲して押し倒した。
「スコールっ!」
狼頭だった。長兄の腕を背に回し、胸を地面に押さえつけている。とぼけた顔をして体術の心得があるらしい。スコールと呼ばれた少年が、短剣をホルスターに戻しつつ全力接近する。
アンダンテもフセットを腰に戻すと、長兄が沈んでいる茂みに草を足で踏み分けていった。そして、狼頭が押さえ込んでいる家族の狂態を見て、小さく舌打ちした。
詰んだな。直感的にそんな言葉が浮かんだ。
「ヴィオラっ」
アンダンテは部下を呼んだ。
「モデラート兄に、〝宴〟の中止を伝えろ。新郎が重体だ。マムの帰宅を最優先っ」
「了解っ」騎馬が来た道を戻ろうと馬首を返した。
「待ってください!」狼頭がカラヤンを抑え込んだまま制止した。「それはあなたが伝えるべきです」
「いいや。誰が伝えても変わんねぇさ。それに、おれにはしなくちゃならねえ仕事が残ってる」
アンダンテは部下に進発するよう合図する。が、「それは誤報だ!」狼が必死の声で強引に馬を止める。それから鋭くにらみ返してきた。
「仕事とは何ですか」
「兄貴の、介錯だ」
「なら、やはりあなたが戻るべきだ。カラヤンの処遇は俺たちに任せてもらいます」
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