第4話 ホムンクルス会議(4)


 最初、ライカン・フェニアには俺にあてがわれた二階の客室で寝てもらっていた。


 だが、部屋に戻る前に二階の階段で彼女の匂いをとらえ、上階へと動いていた。

 彼女は、いまだ薬が効いて眠っていたはず。俺がサウナに行っている間に目覚めて部屋を出、三階に上がったとは考えにくい。

 もちろん、ムトゥ家政長から移動の連絡は受けてない。


 業腹だった。


 三階は、絨毯の廊下に甲冑姿の兵士が六人。俺を見るなり、左右の壁を背にして敬礼する。


「ムトゥ家政長は、奥の部屋ですか?」最寄りの兵士に尋ねた。

「はっ。狼殿がお見えになれば、お通しするよう申し仕っておりますっ」


 俺が嗅ぎつけてくるのは織りこみ済みか。もう頭は冷えたらしい。


「案内を頼めますか」

「光栄でありますっ。どうぞっ」

 兵士が先導役として俺たちの前を歩き出した。


 ガシャン──。

 扉の向こうで固い物が砕けるけたたましい音がした。

 兵士がびくりと凍りつき、ノックをためらう。


「ここで結構です。あと、ムトゥ家政長と踏みこんだ話をします。人払いもお願いします」

 了解しました。兵士は扉を開けて俺たちを通すと、すぐに扉を閉めた。


 部屋に入ってすぐ、足下に水差しの瓶が砕けて絨毯を濡らしていた。


「フェニアっ」

 天蓋付きのベッドで上体を起こしている黒眉の魔女にヘレル殿下は近づいた。

 ライカン・フェニアは頭の後ろ手に両手を回していたが、右手を抜いて上位精霊に待ったをかけた。

 どうやら、水差しを撥ねつけるほど興奮していたのは老人の方だった。


「貴様っ。フェニアに何を言った!?」


 ヘレル殿下は老人に詰め寄った。

 ムトゥ家政長ことヨハネス・ケプラーは、木製椅子に足を組んで腰掛け、前屈みで膝に頬杖をついていた。やはり老人のそれではない。


「ああっ、まったく。ずいぶん余計なことばかりやってくれたね。こっちのこれまでの努力がすべて水泡に帰しそうじゃないか」


「おやおや。それほど艦内の派閥に軋轢あつれきがあったのですか?」


 俺は訳知り顔で皮肉たっぷりに切り返す。他派閥との競争に先んじるため、悪どいことをやってる敵キャラのテンプレだ。


 ヨハネスにとってよほど頭痛の種らしい。露骨に舌打ちして俺を見据えてくる。

 というか、あんたらの事情なんてどうでもいい。


「君さ。自分がダンジョンに入った目的、忘れたわけじゃないだろう?」

「もちろん。〝私に遠慮するなキリッ〟。でしたっけ?」


「確かに言った。だが、ここまでしろとは言って──」


「途中で招かざる客人達を助けるために貴重な糧食を振る舞いました。なんの情報もなく、予備知識もなく、人知を越えた亜空間に一歩も前に進めない中で、徨魔バグに襲われ、死にかけました。

 それでも、俺はパーティを誰一人損うことなく、おひい様のため、前に進むには彼女の知識を頼る選択肢しかなかった。それはサウナ小屋でも話した通りです」


 博士がベッドからグッジョブと親指を立てる。老人は、魔女のドヤ顔なんて見たくもないのだろう振り返りもしない。


「過程の話じゃない。出発点の話だ。なぜ〝この女〟をここから連れ出したのかと訊いている」

「フェニアは、余の友人だ。害するというのなら、余が相手になろう」


 油に火を注ぐ勢いで突っこんでいく殿下の手を引いて、俺は制動をかけた。案の定、老人は顔を真っ赤にして、ぶち切れた。


「うるさいっ! 黙ってろ、若造。話をややこしくするな。オレはそっちの人狼と話をしてるんだっ」

 

ひかえよ。傀儡くぐつ……くぞ」

「あぁんっ?」


 いやいやいやっまずいまずいって。俺は急いで二人の間に割って入った。


「はいはい。もうそれくらいで結構ですよ。停戦です。停戦っ」

「人狼。こいつはなんなんだっ?」


 なんなんだと問われても、科学じゃ証明できない大いなる存在としか。困ったな。


「ライカン・フェニアの……債権者ですかね」口からのでまかせだ。

「債権? ──おい、フェニア。こいつから、いくら借りた?」


「二億ロット」


 窓を向いてぶっきらぼうに応じる、ライカン・フェニア。とっさに俺までマジかよと聞き返しそうになる。見事な口裏合わせ、いや悪ノリだった。


「冗談だろ。それで首都スレイマニエからはるばるこのティミショアラまでついてきたって? 大した友達クンだなあ。お前を殺す価値すらなくなってるじゃないか」


「確かに、誰かに殺されたら丸損ですもんね」

 ぼそっと追従すると、老人から本気で睨まれた。俺もサッと顔を窓へ逃がす。


「おい。お前たち。まだ他に何か私に黙っていることがあるんじゃないのかっ」


「さあのぅ。狼が、どこまであんたに話したか知らんしの」

「いやぁ。俺も、博士からどこまで話していいか聞いてないので」

「君は、私に洗いざらい報告する義務があるだろうが!」


 すぐに激高されて、俺は首をすぼめた。ベッドでそっぽを向く魔女の口許が少しつり上がった。受けたのでヨシとする。現実は依頼人を怒らせただけだが。


「一〇年前にウルダを連れて入った場所を憶えていますか」


「ああ、憶えているとも。まさか、あのクエーサー亜空間の中を抜けたのかっ!? まったくなんて無茶を……っ。山頂を通れば【第17階層】の格納庫脇に入れたろう? ウルダもそのことを忘れてないと思ったが」


 俺は少し反芻し内心で首を振った。

 ウルダの判断は、あれで正しかった。あの時、吹雪がひどかった。

 最終的なおひい様の容態を考えれば、亜空間を進む選択がマストだった。あのまま吹雪がおさまるのを待って山頂付近を目指してたら、おひい様の急変に対処しきれなかっただろう。結果オーライでは流せない強行突破。やはりライカン・フェニアの存在は、幸運だった。

 ウルダの直接の上司は俺だし、報告書でそれを強調しておけばいいな。


「いえ。それはもういいのです。博士のおかげで、その反重力制御装置の暴走を止めました」


「止めた? え、止めたぁ!? あの亜空間のどこを漂っているかもわからない四つの重力制御装置を見つけたというのか」


「博士は、事前に周回軌道を予測計算していたようです。一時間ほどで全機停止させ、艦底の重力制御室は無事に元通りです。あなた方にとって永久命題的な問題の解消として、立派な功績だと思いますが」


 ヨハネス・ケプラーは、苦々しくベッドに振り返る。

 科学の魔女は、右手を胸に当て、左手を横に伸ばして淑女のお辞儀をしてみせる。ムカツク上司はとことん煽っていくスタイルらしい。俺は言葉を継いだ。


「それで、亜空間消滅後、反重力装置のそばで女性のミイラ死体を発見しました」

「女のミイラ……まさか、にこ──」


「フランシスカ・スカラー」

 おいしいところをライカン・フェニアに奪われた。

「スカラーだって? フェニア。間違いないのか。君は──」


 ライカン・フェニアはベッドの中で親指の爪を噛んだ。


「暴走直前。反重力制御室に降りていったニコラ・コペルニクスを見届けたのも。今回じ重力制御装置の前にあったミイラを確認したのも、確かに吾輩じゃ。眠っている間もずっと考えていたが、わからん。我々は何か大きな誤解をしておるのかもしれんの」


 老人は呆けた様子でとっさに椅子から腰を浮かせ、立ち上がることなくまたイスに尻餅をついた。


「彼女は、私たちを騙していたのかっ!?」


「ふん、アヤツが騙したかったのは、我々じゃない。あんただけじゃろ。そう言えば、ガブリエーロの死から立ち直れぬあの女をずっと気にかけておったマヌケがおったよなあ? そやつの下心がずっと脱走の邪魔だったのかもしれんのぅ」


 痛烈な皮肉。痛快にわらっているこの時だけ、正真正銘の魔女だった。


「なぜだ。なぜなんだ! 人狼っ?」

「えっ、俺ですか。いやあ、ん百年以上前の失恋話を聞かされても」


 とっくに時効だろ。あー、記憶が継続しているから……可哀想に。


「ふんっ。単にあんたがボウヤだっただけじゃろうが」

「博士、もうそれ以上は」

 老人の大失恋の傷に塩を塗るのはやめてあげて。

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