第35話 狼、上司を殴る


 夕方。

 セニの町に戻ってきた時、門番からヤドカリニヤ邸に向かえと指示があった。

 ライカン・フェニアはうまく説明できただろうか。それなら、今後はもっと忙しくなりそうだ。


 ヤドカリニヤ邸であの若者が立っていた。

 俺を見るなり、来客用に入れと指示がでる。


 俺はうなずくと、敷地内に馬をいれて御者台をおりた。若者に手綱を預ける。


「荷はそのままでいいの?」

「ああ。──ハティヤ」

「大丈夫。マフラーも持って出てる」


 ハティヤを先に歩かせて居館に向かう。その途中で、ふと足を止めた。

 少し離れた場所に見覚えのある黒塗りの馬車が止まっていた。


「狼?」

「ハティヤ、マンガリッツァ・ファミリーが来てる」


 俺たちは玄関で執事ノルバートに迎えられて居館へ入った。


「皆様、食堂でお待ちです」

「わかりました。案内をお願いします」

「はい。それから──」


「……っ?」

「本日、昼過ぎ。商工会にて旦那様がお倒れになりました」


「えっ」

「ほんの四時間ほど前でございます。幸い、意識は戻りましたが、奥様とカラヤン様がひどく取り乱されて、メドゥサ様がご苦労されておりますれば」


 こちらはどうなんだ。間に合ったのか。遅かったのか。


「わかりました。話を聞いてみます」

「なにとぞ、よろしくお願いいたします」


 ハティヤを伴って食堂に入ると、すぐにいつものハゲ頭を見つけた。けれど顔色が悪い。改めて周りを見渡せば、みんなの顔にも元気がない。


「遅くなりました」

「っ!? ……ああ。狼。さあ、座ってくれ」


 円卓の奥座に座る。左にカラヤン。右に、モデラート。以下、メドゥサ会頭。ライカン・フェニア。ヤドカリニヤ夫人ブロディア。ペルリカ先生。シャラモン神父。ティボル。そして、ハティヤが残りの空席を埋めた。


 食堂のドアが閉まり、施錠音。この場には給仕係もいない。


「全員揃ったところで、会議を始める。──ライカン・フェニア、改めて報告を頼む」


 カラヤンの指名で、科学の魔女が起立した。


「四時間前。患者スミリヴァル・ヤドカリニヤを再診察した。触診。兆候確認。レイ・シャラモンによる索敵魔法での内臓透視じゃ。その結果、患者は末期前半の肝硬変を発症しているとの断定に到った」


 肝硬変。末期前半ということは、相当悪いのか。


「さらに、腹腔に水が溜まり、それが他の内臓をも圧迫して機能不全を起こしていると推定。これをこのまま看過すれば──余命は、もって六月。先ほど、これを本人にも通告した」


 言ったのか。必要なことではあったろうけど。ライカン・フェニアに辛い仕事をさせてしまった。


「それでは、本人の手術意思はどうなりました?」

 俺は先を促した。ライカン・フェニアは厳粛な眼差しで見返してくる。


「生きたい。と。孫をこの手に抱いてから、海の向こうを見に行きたい、と。手術同意書に署名した。彼は吾輩に命を預けてくれたのじゃ。吾輩はそれに答えようと思う。──以上じゃ」


 着席した。すると、となりでカラヤンが両手で顔をしきりに擦った。


「狼。おれの早とちりだったんだ。あいつはとっくの前に自分の身体の異変に気づいていたんだ。だが、どうしようもなくて自棄を起こしてた。そこにおれが叱りつけたから……あいつを気落ちさせちまったんだ」


「いいえ、カラヤン。あなたのせいじゃないわ」ブロディア夫人が慰める。


「あの人は叱られて嬉しかったのよ。もう誰も叱ってくれる人がいないから。でも、身体のことはどうしようもなくて。あなたがいなければ、あの人はもっとささくれ立っていたでしょう。カラヤン。あなたがまた、この家を支えてくれたのよ」


 俺は大きなため息をついた。


(意外だ。カラヤンさんの弱点が、お母さんではなく、親友だったなんてな)


 立ち上がると、上司を見据える目に初めて軽蔑をこめた。


「カラヤンさん。申し訳ありませんが、ここは人を救うための場です。泣き言なら外でやってください」

「──っ!?」

「隊長が怖じ気づいたら、隊全体が浮き足立つ。そのことを教えてくれたのは、あなたです。俺はカラヤン・ゼレズニーの弱ったザマが見たくて、ライカン・フェニア博士に医術の知識を使ってもらったのではありません」


 俺が静かに、しかしきっぱりと言った。

 するとカラヤンは顔を真っ赤にし、数回、へたくそな深呼吸をする。


「よしっ、狼。やれ!」


 なんの指示か周りが理解するより早く、俺はカラヤンの顔面に右フックを打ちこんだ。

 一八〇センチの巨体がふっとび、背中から壁に叩きつけられ、床に崩れ落ちる。

 殴った手をぷらぷら振りながら、俺はカラヤンのそばに歩み寄った。


「マナも少し込めましたからね。気合いが入りましたか?」

「あ、ああ……。おれがあいつより先にあの世へ逝きそうになったぜ」


 口の端が切れて流血し、頬が早くも腫れ上がりはじめていた。それでもカラヤンの目にはいつもの光が戻っていた。

 俺はカラヤンに手を差し出す。握り返された手から引き上げて、彼をイスに座らせた。


 それから右を見た。

 丸サングラスのイケメンは、我が道を極める。長い足を優雅に組んだまま、兄の方を見ようともしない。


「それで、モデラートさん。あなたは何しにここへ?」

「ただの集金です。売上げの配当をいただきに来ました」


 さすがマフィア。このお通夜ムードを歯牙にもかけない。


「もう受け取ったんですか?」

「ええ。ヴィヴァーチェに運ばせました。兄に挨拶しようとしたら、残れと言われましてね。……失礼、彼女が持っているものが、例の献上品でしょうか」


 ハティヤの前に置かれた布袋を見る。さすがマフィアは目敏い。


「ええ。あとで請願とともにお渡ししますが、せっかく残っていただいていますので、商売の話をしませんか」

「このムードの中で、商売。しかも、あなたと?」


 初めてモデラートの目が俺を見る。雪に突っこんだナイフのようだ。


「あなたは、外科手術というものをご存じですか」

「……ヴェネーシア共和国僭主メディコ家が何人か施術をうけたと聞いていますが」


(施術した方じゃなく、受けた方か。ということは、無麻酔手術か大きな手術じゃない)


「どんな手術だったかご存じありませんか。成功しましたか」

「さあ。噂程度です。なにせ、かの家が延命したところで誰も得をしないもので」


 本当に知らないのか。ま、参考までに聞いただけだ。


「ところで。リエカで〝仕立屋サルト〟というのは、結構有名なんですか」


 もちろん、モデラートが仕切っている店の通称だということは知っている。


「謙遜せず申せば、それなりに、でしょうか」

「外科手術の衣装を作って欲しいと言ったら、できますか?」

「甲冑を作れといわれれば、できないと答えたでしょうね」


 いつもは礼節を重んじる男が、今日はやけにうそぶく。帰ってデートの約束でもあったのだろうか。まさか、いい歳をしてお兄ちゃんぶっ飛ばされてムカついてるってこともないだろう。


「では、商品の発注を依頼します。水をはじき、熱に強い素材で、腕から足まですべてひとツナギにして全身を包むエプロンと言っても差し支えない衣装を……いえ。もう、こちらの手の内を明かしておいたほうがいいでしょう」


 俺はあえてもったいつけたように言う。


「医術を司る神は潔白にして、不浄を嫌います。施術着はもちろん、手袋、覆面、つばのない帽子、さらには施術に使う器具一式すべてに到るまで、沸騰したお湯に浸けこむことで洗礼儀式を行い、不浄を取り除き、病魔を払います」


「エプロン。手袋、つばなし帽子……熱湯。なるほど。それで、色は」

「えっ?」


「人族が着る布です。当然、色はあるでしょう。何色にされますか」

 俺は一瞬迷ってから、「緑で」と言った。前世界のそのままだ。


 モデラートはニコリともせず、足を組み直して、


「もう少し具体的に聞いておきましょうか。エプロンのタイプは」

「着用は頭からかぶるものではなく、腕から袖に通し、背中で紐を結ぶのが望ましいです。そして、使い捨てです。一度着た物は二度と着用しません」


「それで儀式用の法衣というわけですか……なるほど。では、サイズは」


「ライカン・フェニア。彼女に合わせて設えてもらいます」

「となると、あなただと小さいのではありませんか」


「俺はこの頭です。現場には立ち会えません。動物は不浄にあたりますから」

「ふっ。確かにそうですね」

「ただ、彼女に助手として女性二名を付けようかと考えています。予備も考えて、五着ほど注文したいのです」


「いいでしょう。承りました。急ぎ働きになるのでしょうから、期限は半月。割増し料金は五割いただきます」


 足下を見られたが構わない。俺は首を左右に振った。


「料金はそれで結構。こちらから優秀な針子を一人出します。それで五日までにお願いします」

「五日っ?」


 モデラートも虚を突かれた顔をするんだ。


「この救命施術は最も寒い、風のない、月のない日に行います」

「はっ、まるで神聖と称する魔女儀式というわけだ」


「邪法と言われようと、すべては人命を、家族を救うためです。神が与えたもうた定命じょうみょうをこっちで勝手に先延べするのです。神に見られてはならないのですよ」


 もちろん、俺のハッタリだ。

 ところが、みんな理に適っていると一応納得するのだから、不思議な世界だ。

 そんな中で、異世界人の執刀医となるライカン・フェニアは、馬鹿馬鹿しすぎて白目剥いていた。


 この世界には細菌や微生物の概念がまだない。だから神様を相手にした絶対摂理に抗う儀式だと言い切らなければ、患者が土に還っても説明が終わらなくなってしまう。


 そこで慌てた挙動でライカン・フェニアが手を挙げた。


「狼。まだ手術の道具がない。縫合針と糸からして、ないのじゃ」


「そうですね……わかりました。なんとかします」

「ほえ。なんとかできるのかや?」


「糸は絹糸でなんとかします。針の方は、業者発注するしかないでしょうね。俺よりも博士の知識を当てにしていいですか」

「えっ。ああ、うむ……わかったのじゃ」

 萎れたみたいに自信なさげなのが心許ないが、手術に向けて駆け抜けてもらうしかない。

「となると、あとは……そうだ、麻酔っ。うわあ。最大の難関があったよ」


「それなら、もうあるぞ」

「えっ?」


 俺はペルリカ先生を見た。


「ライカン・フェニアに作れと言われて、一晩で麻痺薬を作ってみた。理論上は痛覚のみを止められるはずだ。あとはどこまで効くか動物から魔物まで試してみる必要があるがな」


「えっと。いえ、眠り薬で代用できると思いますが……」

「ふむ。……ふふっ。ならば、合わせて使ってみようか」

 どうしても新薬を使ってみたいらしい。その行き当たりばったり感が怖すぎた。

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