第36話 1ロットの宝の山
翌朝。
早朝の開門とともに、ロギは馬車でリエカに向かうことになった。
「あのさ。その病気って、魔法でどうにかならないの?」
御者台に座る狼と長姉を交互に見比べるように尋ねた。
「うん。ロギの言いたいことは分かる。でも、魔法にだって欠点はあるみたいなんだよ」
「どんな?」
「うん……〝わかっていることしかできない〟ってこと」
「わかっていること?」
「確かに、スミリヴァルさんは病気になった。でも魔法の世界で、その病気とはどんな事象なのかが分ってないんだ」
「えっと。それって……どうして病気になるのか、みたいな?」
狼はこくこくとうなずいた。
「俺もシャラモン神父に直接聞いてみたわけじゃないけど、魔法に何度も触れていると、そう思えるんだ。
魔法は分かっている事象にしか干渉できない。〝死〟という事象が不浄という概念ではないのと同じだね」
「不浄は【闇】だものね。だから清浄法則の【光】で対抗できる。死はどうしたって死だからね」
長姉ハティヤも不甲斐なく同意する。ここの会話レベルは高すぎる。
「じゃあ、姉ちゃん。不浄ってなんだよ」
「〝滅ばざるべきにこそあり、抗い留まるマナのそれ〟。のことよ」
「え……なんて?」意味不明なんだけど。
代わりに狼が答えた。
「なるほどね。要するに、死を受け入れずに土に還らなかった人間の肉体や精神だったり。流れて巡るマナがその場に残って留まり、周辺の動物や植物を汚染させて魔物化、腐食化する状態を指す。うん、うまい比喩だね」
この人達は一体何を言っているんだ。ロギがついて行けないのに長姉だけはしみじみと感心している。
「狼。やっぱりそういうことも知ってたんだ。ちょっと悔しいかも」
「ち、違うよ。ハティヤの言葉でそう思っただけなんだって。ほんとほんと」
狼は長姉に魔法使い扱いされるのが苦手らしく、いつも言い訳している。長男スコールは狼がしっかり魔法を使ってるところも見たと言っていた。なのにいまだに本人だけが否定する。魔法使いの何が嫌なんだろう。
ロギは別の話をした。
「あとさ。あれって、何?」
幌カーテンをはぐって、幌の中で横たわるマミーを顧みた。
ウルダとライカン・フェニアという姉ちゃんと、ロカルダんちの母ちゃんが布袋に入って熟睡している。
「下ろすのを忘れてた寝袋をロカルダのおふくろさんが見つけて気に入っちゃって、そのまま寒さを凌ぐのに、みんなで使っているの図。かな」
「はあ? ……それって、バカじゃん」
ロカルダの母ちゃんはマルガリータと言って、たまに家に来てマチルダと世間話をしたり、イワシの油漬けやサバのシチューを差し入れしてくれる。
息子に婚約者ができて居場所がないのさ。と鍛冶屋の女将さんが言っていた。それは本当のことみたいで、狼の「リエカまで針仕事してきてくれませんか」という求めに二つ返事で乗ってきた。
あのおばちゃんも今じゃ石けんの売り子三〇人を束ねる販売課長なのに。
息子のロカルダは、今や石けん工場の主任技師だ。工場長は狼だけど、本人はこの通り落ち着きがないので、実質、彼が工場の現場指揮をしている。
春になれば、十七歳で総務部の五歳年上の主計課長と結婚式を挙げるのだとか。
ロカルダ一家が、狼の魔法で恩恵を受けた一番の体験者だ。
「ロギ。口が悪いわよ」ハティヤ姉が手の甲をつねる。
「いでっ。わ、悪かったよぉ」
ロギは手の甲を取り返すと、さすりながら狼を見る。
「おれが呼ばれたのは、なにかの仕事ってこと?」
「そういうことだね。今日一日、俺とライカン・フェニアの付き人になってもらう」
「えっ、二人? おれの身体は一つしかないけど」
「それは俺が折を見て指示するよ。今は俺の付き人、いいね?」
「別にどっちでも──」
言いかけた時、狼に頬を引っぱられた。痛くはないけど、びっくりして動けなくなる。
「今日は一日、無駄骨を拾うことになるかもしれない。だから、なんで? とか、どっちでもいい。なんて口答えは禁止だ。いいな?」
「な……わかった」
「あと、鉛筆と羊皮紙は持ってきてるよな」
「う、うん」
鉛筆の出来映えを、狼が褒めてくれた。あと鉛筆の削り方を教わった。狼はなんでもできて器用だ。
「それで、風景と鳥。それからいいなと思った人や物の絵を描いて、俺とハティヤに見せてくれ」
「なん……わかった」
「よし。それじゃあ、今日一日、よい仕事を」
§ § §
「おい、あんたっ。燃料か食料品を持ってないか。金ならあるんだっ」
「悪いな。病人を乗せてるんだ」
外で突然、
幌カーテンごしに、長姉ハティヤと狼の会話がする。
「今のがノボメストの?」
「そうみたいだね」
「お金ならあるって、ちょっと不自然な気がするけど」
「着の身、着のままで町を逃げ出したわけじゃないってことだろう。でも、お金があるんならリエカで買いに行けばいい。歩いてもここからそれほどの距離じゃない。手前のバカルって砦町もあるしね」
「顔を覚えられたくないってことかしら」
「あるいは、リエカの周辺都市は既にノボメスト達を難民と見なして、町ぐるみで関わらないように……あれ。ねえ、ハティヤ。あれ何かな」
「え?」
「ほら。あっちの防波堤っぽい岬に山積みになってるあの土」
「ほんと。あんな灰色の土、前ここを通った時あったかしら。行ってみる?」
「うん。ちょっと興味あるね。バカルの人にちょっと聞いてみよう。少しだけ寄り道させてもらうよ」
馬車は道を真っ直ぐ進んで、バカルという小さな町に停まった。狼は町人を見つけて早速さっき見たという土の話を持ち出していた。
「すみません。セニから来た者なんですが、この先の岬に山積みにされてる土のことって何かご存じないですか」
「はあ、土っ? ……あーぁ。ありゃあ確か、そこの路地を進んだ先にある〈サブリャルカ商会〉のもんだと思うなあ。確か、ろう石とかいってたかな」
「えっ、ろう石?」狼が興味を示した。
「ふん。なんかさ。この間、その土を海に捨てようとしてるのがバレて、砦の監視所から喫水の深い船が入れなくなるからって、お
「わかりました。ありがとうございました」
それで狼の好奇心は満足するのかなと思ったら、幌カーテンをはぐって中に鼻先を入れてきた。
「博士。ちょっと一緒に来てくれませんか」
「了解じゃ」
さっきまで寝息を立てていたライカン・フェニアが寝袋から這い出して、大欠伸しながら馬車を降りた。
ロギは後れを取った気分で、かぶった毛布をはねのけた。
「狼っ。おれも……っ」
「うん。ハティヤに残ってもらうから、来ていいよ」
今日の仕事はなんにでも興味を持つことだ。ロギは自分を奮い立たせるように頬を叩き、馬車を飛び降りた。
§ § §
土をひとすくいして海水に浸し、両手で擦り合わせる。
手に吸い着いてくるような違和感があって、ロギは慌てて海水で洗い流した。
なんだこれ、変な土。なのにあの姉ちゃんは嬉しそうにさわってる。
「狼、間違いない。カオリンじゃ。これ全部、カオリナイトじゃぞ」
ライカン・フェニアが目を輝かせながら小声を震わせて、狼を見上げる。
「これで、まず止血ガーゼは確保ですかね」
「ぐふふっ。いやいや、現物を見るまでは安心できんのぅ。頼むぞ、狼」
ロギの知らない言葉で会話が続く。これがスコール兄が言う〝悪企み〟なのかな。
「でぇっ、どうするんだ。おたくら。買うのか買わないのか」
自分の手を腋で温めながら、商人らしい太っちょが言う。
「いくらで売っていただけるのですか」
「全部で一ロットだ。それ以上は負けられんな」
「「はい?」」
狼とライカン・フェニアがすっとんきょうな声を洩らした。
「何度でも言ってやる。こいつを引き取ってくれるんなら、全部だ。それで一ロット。たまにくる〈ブランツィン商店〉ってのが小型の馬車で引き取っていくが、もうそんな小商いはできねぇんだよ。
お上から撤去命令が出た。さっさと片付けちまわねぇと罰金の追徴金だけで首をくくる羽目になる。だから全部だ。運賃もこっちで持ってやるから、全部引き取ってくれ」
全部、全部とうるさいオッサンだなあ。
「店主よ。すまぬが、一つだけ教えてくれんかの」ライカン・フェニアが訊ねる。「そもそも、この土はどこから持ち込まれた物なのじゃ?」
全部おじさんは、いかつい肩をすくめた。
「北だ。帝国領のスロヴェニアだ。あそこはろう石の鉱山が複数あってな。そこの採掘権を
「ということは、文字通りこの山は氷山の一角。というわけですか」
「がっはははっ。誰がうまいことを言えって言ったんだよ。まあ、そうなんだが。これ以上引き受けるのは、ごめんだといってある。罰金三〇ロットで、年越しが底冷えしやがる」
「では、半分の十五ロットをこちらで持ちましょう」
「え。はっ? いいのか?」
「その代わり、お願いがあります。この土をそのブランツィン商店に運んで欲しいのです」
「えっ……なんで?」
「ヤドカリニヤ商会には、今これだけの量を置く場所がありません。ですが、数日のうちにこの土が必要になるのです。だから、そっちに送って置いてください」
「いいけどよ。他所の商会だろ?」
「大丈夫です。春頃には潰れますから」
狼って、何気にひどいことを言ってる気がする。
けれど、狼は涼しい顔(?)で契約書に署名すると、相手に十五枚の金貨を一枚ずつ手渡した。
「では、よろしくお願いしますよ」
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