第11話 動乱の中を行く(9)


 翌朝。ズレニャニンの町からティミショアラに入る。


〝たんぽぽと金糸雀カナリヤ亭〟に一泊し、積荷の卸売りとダンジョン潜入の準備。四日後の宿泊予約と前金を入れ、町を出て北東へ向かった。


 これから向かうダンジョン【蛇遣宮】ミィオーセスこと〈ナーガルジュナⅩⅢ〉が、ふと〝死霊の住み賜う国〟だと思いついた。


 俺はまた、この異世界とは別の異世界──その境界線を越えに向かっているのだ。


〝死霊の住みたもう国〟とは、常世とこよであり、そこには人々を悪霊から守ってくれる祖先が住むと考えられていた。


 その来訪が〝まれ〟であったため、彼らを〝マレビト〟と呼ばれるようになったという。


 一九二九年。民俗学者で国文学者の折口おりぐち信夫しのぶ博士が提示し、『国文学の発生〈第三稿〉/古代研究』で調えられたとされる学説だ。


 折口博士は〝客人〟を〝まれびと〟と訓じ、フィールドワークによって現存する民間伝承や文献書物の記述から、それが常世の国から来訪する神と同義だと推定した。


 そのマレビトがいつの頃にか、集落の外からやってくる旅人達にも同じように呼び習わし、宿舎や食事を提供して歓待する風習が日本各地で散見されることに気づいたそうだ。


 また、仏教行事のお盆のお迎え作法、四国お遍路の〝お接待〟にも、根底にこのマレビト信仰と精神を同じくする地盤から来ていると推定された。


 その神様待遇の歓待がなされた風習から、貴種流離譚(尊い血筋の人が旅に出てさすらい、辛苦を乗り越え試練に打ち克つという説話類型の一つ)を生む母胎ともなった。

 ちなみに、貴種流離譚の命名も折口博士だ。折口ワールドは、なぜかラノベ愛好家を刺激するワードや説話考察が多い。


 ラノベを仕事として読んでいると、たまに氏の論文を読んだ作家の系譜を汲む作家がなんだろうなという作品にぶつかると、生温かい目になってしまう。


 善悪功罪の話ではない。温故知新の話だ。サブカルチャーと折口信夫という学者の結びつき、彼が掘り起こした偉大な発掘文化が言いたかっただけだ。


 閑話休題それはともかく


「これって、盗掘よね」

「そうだね。盗みだすモノは売らないけど」


 御者台のうしろ。幌カーテンから顔を出したハティヤが鼻まで覆ったマフラーの下で楽しそうに微笑む。


 前回は、〝翡翠荘〟の防衛と身重のメドゥサ会頭の介添えだった。

 シャラモン一家の大黒柱である彼女は、誰よりも刺激に飢えてきたのかもしれない。それでも家族への愛情も人一倍だったから堪えた。

 それがここ数ヶ月で弟妹たちは少しずつ自立を始め、手がかからなくなってきた。そのためハティヤが本来抱えてきた冒険心好奇心の炎はスコール以上なのかもしれない。


 そんな彼女が、俺を想ってくれている根底には、案外、俺にカラヤンと似た冒険のニオイがしたからだろうか。


 俺はこの期に及んでもまだ、ハティヤが俺を異世界人マレビト接待してくれているのではないかという懸念が頭から離れない。

 ハティヤの好意を疑っているのではない。その好意がなにか、この世界全体の魔法なのではないかとビビっている。


「フェニア。本当にあの山の中で待ってるのかしら」

「それ。今、言おうと思った」


「えっ。ちょっと、狼。しっかりしてよぉ。あなたが信じてなかったら、ただの盗掘旅行になるんですけどぉ」


「うん……腕の中で息絶えて消えてしまったから、いまだに復活する実感が沸かなくてさ」


「それにフェニアを巡って、本気の戦闘までしちゃったものね」


 死人まで出してる。どう逆立ちしたって言い逃れできない。

 そこへハティヤはさらに追い打ちしてくる。


「戦った相手の仲間から恨まれて、復讐されて殺されかけもしました。これで博士がいませんでした、おしまい。だと、ちょっと割に合わないわよねえ」


「まずいよなあ。もう博士が復活すること前提で、話進めちゃってるんだけど」

「どういうこと?」


 口鼻を覆っていたマフラーをあごの下まで押しさげて、俺は言った。


「俺から先に仕掛けたとは言え、犯人は、どうして町中で博士を殺したのだろう。そこが疑問の出発点だった」


「町中? あ、そうか。人目のつかない町の外で殺せば疑われることも、攻撃されることもなかったはずよね」


 俺は頷いた。


 この推理の前提として、ペルリカ先生が魔法使いであり、魔法感知で〝目撃〟したことの事実是非は考慮しない。ペルリカ先生が異常に気づいたのは、ライカン・フェニアが〝なぞなぞ姉妹亭〟を出た直後だ。


 先生は店内にいながら、窓ガラス越しにその異常を認知したことになり、魔法を使ったかどうかは問題にならない。

 追跡者は五人。全員が、戦闘経験者。

 彼らは自分達が目撃されていた事実に気づかなかった。

 これが、ペルリカ先生にまつわる事実証拠のすべてだ。


 なので、目撃は偶然であったと見ることとし、ペルリカ先生がその五人を操ってライカン・フェニアを襲わせたという事実無根の暴論も、ナンセンスとする。


「〝なぞなぞ姉妹亭〟の立地が、商店が多く建ち並んだ人気の多い場所だったことが重要なんだ」


「それだと……フェニアが町の人に目撃される前提で動いていた?」


「いや、俺が〝なぞなぞ姉妹亭〟の前から走り出した時、もう黄昏時で周りに人はいなかったと記憶してる。博士は、お店で食事を摂って、閉門ギリギリに町を出てリエカまで足を伸ばす予定だったんじゃないかな。みんなに黙ってサヨナラするために」


「あの子、シャイなの知ってたけど、水臭いわね」


「まあね。ここで問題になるのは、博士の監視役が五人同時に追尾する説明にはならないと思うんだ。どうして一人ではなく五人で監視していたのか。実際、その不審さがペルリカ先生の琴線に触れた。なら、なぜそうする必要があったのか。

 俺は、彼らも博士と一緒に町の外へ出ようとしてたんじゃないのか、と考え直してみた」


「えっ。それだと……ペルリカ先生の勘違いだし、あなた達も間違って〝影〟達を殺したことにならない?」


「うん。実はそうなる。〝影〟たちも博士の調査に同伴するつもりだった。俺がそれを襲撃と誤認して先制攻撃をかけたことになる。そうだったとしても、問題なのは、結果だ」


 ハティヤは腕組みしてあごをマフラーに埋めた。


「そうか。間違っても、狼も〝影〟たちも、フェニアを殺すはずがない。なのに殺された。この一点は揺るがないのよね。そして〝影〟五人のうち、二人が現場から消息不明になったこと。でも……フェニア暗殺は、死んだ〝影〟三人には知らされていない計画だった?」


「そう、ひっかかってるのはそこなんだよ。だから事件当時の〝影〟と〝霧〟の所在確認を調べ直す必要があるんだ」


 事件当時、〝影〟は、一人がティミショアラの報告で町を出ていたから、四人。

 霧は〝五人〟。俺にのしかかってきたのが〝霧〟全員だとすると、〝影〟の方で一人足らない。


「それじゃあ。その〝影〟に加わっていた部外者一人が、犯人……?」


「ところが、そう判断するためには、ペルリカ先生の証言が邪魔をするんだ。〝影〟五人は結束が強かったようだ。そこに部外者が一人加わっていれば、死んだ護衛役三人も排除できていたはずだ。だから彼らを説き伏せる役の人物がいた。だから説得役が二人ないし三人だと思う」


「〝影〟の中に裏切り者がいたのね」


「そう。だからあの暗殺計画の主謀犯は、最低二人なんだ。そして、ニコラ・コペルニクスが暗殺計画の黒幕だとすれば、町の外では殺せなかった」


「フェニアは〝ケルヌンノス〟の調査に出かけようとしてた。町の外ではなくあえて町中で殺したのは、狼にその意図を覚らせないためだったのね」


 俺は苦笑した。ハティヤはちっとも驚かない。もしかすると寝室で馬車係との会話を立ち聞きしていたのか。今さら咎める気もない。むしろ頼もしかった。


「ニコラ・コペルニクスは、博士の元同僚で〝ケルヌンノス〟の殺処分を主目的として動いている。博士自身も最初は〝ケルヌンノス〟を発見次第、殺すことを主眼に置いていた。

 でもヘレル殿下の証言『徨魔が植物的である存在』から考えた俺のアイディアが、自身の研究経験で『殺すことの危険性』の糸口を掴んでしまった。

〝ケルヌンノス〟の殺処分を推進するニコラ・コペルニクスにとっては、その危険性を立証されるわけにはいかなかった」


「でも、その仮説で行くと、ニコラ・コペルニクス自身も〝神殺し〟がいけないことだってわかってることになるけど」


「そうだね。そして、ライカン・フェニアが〝死ねない人ヴァンパイア〟だって知ってることも前提だ」


「死なないとわかってても殺そうとするなんて、目的はなんなのかしら?」


「うん……たぶん、足止めだと思う」

「え、足止め?」


「ライカン・フェニアを殺して、再び復活するまでの時間を稼ぐ。その復活までの時間がどれくらいかかるかわからない。それに、これは最悪の想定なんだけど──」

 俺は手綱をかるくあおった。


「ニコラ・コペルニクスは、もう〝ケルヌンノス〟を発見したんじゃないのかなって」




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