第46話 ヤドカリニヤ商会・面接試験
翌日の早朝。
炭焼き窯の煙突から立ち昇る青白い煙を見届けて、火入れ工程が終った。
通風口、煙突の口を塞ぎ、ここからは窯の空気の流れを完全に封じて三日間の冷却期間に入る。
最高温度は八〇〇度──まで達せたかどうか分からないが、窯内の酸欠消火を待ちながらゆっくり炭を冷やしていく。三日後の夜まで動かせない。
炭焼きが終わったその足で、俺はラリサを迎えに〝なぞなぞ姉妹亭〟へ行く。
彼女は古い革鎧を着て待っていた。それからヤドカリニヤ邸に向かう。
玄関先で真剣の素振りをしていたカラヤンに声をかけた。
昨日。帰宅するラリサにお使いでヤドカリニヤ邸まで予約の手紙を届けてもらった。
その中で、ラリサが元冒険者で、ズィーオの食客だったことも伝えてあった。
──採用したい。ぜひ試験をしてくれないか。と。
だからカラヤンが用意した木剣を少女にほうり渡したのは、自然の成り行きだった。
「悪いんだが、この辺にやわらかい土がなくてな。ガラス工房で待ってろ。まず、ここから工房までの駆け込みだ。向こうに着いたら身体の柔軟やっとけ。つまらんケガせんように、汗かくくらいしっかりとな。
狼は、おれ達の朝メシと、シャラモン家の三人をそっちへ運んできてくれ。あいつらには昨日のうちに声かけてある」
「了解です」
カラヤンは若い元冒険者に、ごつい手を差し出した。
「ラリサ。改めて、カラヤン・ゼレズニーだ。ヤドカリニヤ商会へようこそ。歓迎する」
こうしてラリサのカラヤン隊の入隊は、あっさり決まった。
§ § §
午前。セニ郊外のガラス工房の一角。
朝食を終えると、カラヤン隊長と新参者一名による個人教練から開始した。
「でぇあぃっ!」
「ただ馬鹿力だけで相手を押し切ろうとするんじゃねえっ。身体が固まってるぞ。身体全体を柔らかく保て。身体を硬化させるのは相手をぶった斬るその一瞬だけだ。
どこ見てるっ。相手の剣先を目で追ってるうちは、いつまでたっても先手はとれんぞ。斬られることを怖れるな。斬られる前に斬れ。相手の眼をよく見ろ。おれの眼を見て打ちかかってこいっ!」
ラリサの渾身の一撃を易々と受け流すや、カラヤンは足払いであっさり少女を雪泥の中に転がす。そして尻を軽く蹴った。
「おらっ! 早く立てっ。もたもたしてるとお前の身体に風穴が開くぞ。内臓ぶちまけてカラスどもに食わせんのか、あぁっ!? 立て!」
「ひゅ~っ。鉄血教育ぅ」
「懐かしかー。うちも受けたとよ。あれ」
ガラス窯の建設地に耐火レンガを積みつつ、泥稽古を眺める兄弟子と姉弟子の会話に俺は耳を傾けた。
「おっさんもオレらみたいな機動剣士じゃない正当な剣士だから、教え甲斐があるんだろうな。しかも元冒険者で、大したクセもついてないみたいだしさ。狼も良い拾いモンしたじゃん。──なあ?」
柵の上に腰掛けた灰髪の少女は、平和そうな目で眺める。
「うん。カラヤンしゃんの重い一撃ば受け止めながら、あの子、目ば輝やかせとーよ。よか師匠について自分ば鍛えたかったっちゃろね」
「ああ。オッサンほど教え方がうまい鬼師範はそうそういねえかもな」
二人してうんうんとうなずき合って、罵声を浴びせかけられながら叩きのめされる新人を眺めた。あの光景は、俺に入官したての頃の訓練生時代を思い出させる。いやあれは思い出したくない。もう二度と。
俺は、黙々とセメントをのせて耐火レンガを積んでいった。
それから二時間後──。
寒い冬空の下、泥人間が四体できあがった。
三〇分の個人教練ののち、カラヤンはなぜか自分を中心とした一対多勢の包囲想定訓練を命じた。
ルールは一つ。倒れたらすぐ起き上がること。これだけ。
付則としてハティヤに死角射撃を命じた。
この設定訓練は、カラヤンが不利な状況をみずからに課したかたちだ。
前衛についた剣士は今日入ったばかりの新兵だ。カラヤンの攻守の備えは頭上や背後から即応急襲と死角からの矢襲に終始することになりそうだ。
またラリサにとっても、入隊初日から苛烈な実戦形式の模擬戦となった。
団体戦が始まるとすぐ、カラヤンに叩きのめされるだけではすまなかった。
スコールやウルダに足場にされ、ハティヤの漆喰製の模擬矢を肩や背中に被弾した。
使いっ走りとしての冒険者経験は、彼女に筋肉意外の恩恵を与えなかったらしい。いわゆる
例えば、スコールとウルダは魔導具を駆使した連繋攻勢をとる。これにラリサが新人の機転として無理に合わせようとした結果、遅延になって周回遅れ。彼女の初撃がスコール・ウルダ組の第二撃の遮蔽物になり下がっていた。
ラリサにしてみれば、自分の番だと思って突っこんだはず。なのに、背後で二人がもう攻撃態勢で迫ってくるのである。敵前で見方に追い立てられ、挟撃されている気分だろう。
模範解答は、カラヤンの視線を自分に引きつけて、その場を後攻に譲ればよかった。だが実際は、左右の肩を同時に踏まれて吹っ飛び、泥へ背中から沈んだ。
それほどまでにカラヤン隊の
ハティヤの弓も同じことが言えた。彼女の速射はとにかく速くて正確だ。
当たった瞬間に自分が射線に入っていると気づいても、避けようと身体を動かす間にもう次弾が届いている。
新人からすれば、どこが訓練だと泣きたくなるほどの地獄特訓だ。
それでもラリサは師匠と三人の先輩達に罵倒されながら戦い続けた。前半を越えたあたりでついに泥から起き上がれなくなった。
その新人の足を掴んで外まで搬出するのが俺の役目だった。
「ハァ、ハァっ。う、そ……いき、生きて、る? ハァっ、あたし……はぁっ、はぁっ、くくっ。くひひひっ。生きてるっ」
ラリサは顔や腕に大痣をつくり、ぬかるんだ雪泥で胸板を上下させ、笑った。そして唐突に寝返りを打つと朝食を吐いた。それでも笑っている。ここだけ見たら、錯乱したんじゃないかと危ぶむほど満ちたりた笑みだ。
ラリサはアスワン軍に剣を持ったまま討ち死にした父親を見たと言ってた。それは彼女にとって父親の生きざまを言葉ほど無様だとは感じていないようだ。そのことは、使いっ走りだった冒険者に不釣り合いなほど古い革鎧がその顕れなのかもしれない。
「はーい。時間でーす。訓練終了。これからヤドカリニヤ商会でお風呂借りて、食事にしまーす」
ハティヤがアナウンスすると、冷たい泥に沈んでいた泥人間どもがのそりのそりと起き上がって、身体を引きずるように馬車へ向かった。
うちの巨馬が魔物と勘違いして、躯をねじってその場から逃げようとしていた。
§ § §
「ほう。この寒空に模擬戦二時間とは、酔狂だな」
メドゥサ会頭が厚手のガウン姿で厨房に現れて、コンロの前で暖と食事をとる〝湯上がり隊〟を眺めた。
昼食はソーセージとビートの赤い塩スープ。塩というがスープにソーセージから出た油がギトギトに浮いているやつ。
学生時代。ラグビー部が朝練後の食事にサラダ油入り味噌汁を食べているという話を思い出して、やってみた。肉体疲労は油を欲するらしい。それは本当だったらしく、カラヤン隊員から文句は出なかった。
そこに堅い
「カラヤン。狼どのが連れてきた新顔は、モノになりそうか」
メドゥサ会頭の茶化すような眼差しを夫に向ける。カラヤンは肩をすくめた。
「まだ初日だが、よくついてきたと思うぞ。合格だ」
「ふうん。──お前、名前は?」
「ラリサです」
「ラリサ。剣の腕はうちの亭主が強くしてくれる。お前は仲間とともに自分の心をしっかり鍛えることだ。ヤドカリニヤ商会を盛り立ててくれよ」
「はい……頑張りますっ」
胃液がなくなるまで吐いたので顔色も青白く、声にも覇気がない。だが何か手応えを得たらしく、瞳には原石のままだった彼女の可能性に光を発露させていた。
良かったな社長面接もこれでクリアだ。
§ § §
子供たちを帰し、ゼレズニー夫妻とリビングのテーブルに座る。
「お父上のその後は、いかがですか」
俺から切り出すと、メドゥサ会頭の表情は曇った。
「うん……。ペルリカ先生からいただいている薬が効いているようで、苦しむようなことはまだないよ。だが、日を追うごとに顔色が黒ずみ始めている。
医学とやらの知識がないわたしでも、死神が父に色目を使い始めていることはわかる。そちらの進捗はどうだ。道具は揃ってきているのか」
俺は真っ直ぐメドゥサ会頭を見た。
「三日後に。炭焼き窯から木炭を回収します。その後、予定を早め、年越しをまたず石炭精錬作業に入ります。
具体的には、取り出したばかりの木炭で石炭を焼き、鉄の錬成に必要な石炭を精錬。また、この石炭から溜出物を抽出して〝石炭の糸〟という道具を作ります。それから丈夫な糸や手袋を織ります。この完成を七日後と予定しております。
ですので、それに合わせて反射炉のガラス生産を止めて、鉄鋼錬成に移ってほしいのです。その鉄鋼からも、手術に使う重要な道具を製作します」
「相わかった。ナディムとの協議の上、カルヴァツにはわたしから伝えておこう」
「お願いします。それと、ライカン・フェニアより手術にかかる時間を聞いています」
「時間……かかるのか」
「うまく事が運べば、五時間から八時間を見ておいて欲しいと」
「八時間……っ。日中をすべて使ってしまうのだな」
メドゥサ会頭は
「はい。それと、手術の前日。お父上には絶食をしていただくことになるそうです」
「絶食……水もか」
「水は大丈夫のようです。ただ、その絶食が患者にとって一番辛い時間なのだと窺いました。どうかその日まで安らかにお過ごしくださいますよう」
「うむ。相わかった。両親にも折を見て伝えておこう」
次にカラヤンが口を開いた。
「狼。リエカから戻ってきて、気づいているか」
カラヤンも気づいていた。俺は確信を込めてうなずく。
「なんのことだ……カラヤン?」
メドゥサ会頭は戸惑いを俺たちに投げかける。
俺は、少し言葉に迷ってから説明した。
「おそらくですが、この町は監視されています」
「監視だと? 誰に、なぜだ」
「それは……」
「言ってくれ。私に理解が追いつかずとも構わん。お前たちが父上の施術準備と並行して気づいたことを、私にも共有させてくれ」
俺はカラヤンを見た。どっちが話すかの確認だ。カラヤンは頷いた。
「おれから話そう。いささか荒唐無稽な話だ」
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