第47話 ヤドカリニヤ家の貴賓(きひん) 前編


 話を聞き終えたメドゥサ会頭の顔色から血の気が引いていた。夫の手を握る手も震えている。目だけがテーブルに置かれた似顔絵から動かない。


「メドゥサ……大丈夫か?」

「会った」

「なに?」

「この家に……来たんだ。この顔が。間違いないっ」


「な、なにぃっ!?」カラヤンは目を見開き、俺を見る。

「いつですかっ!?」

 俺もつい前のめりで詰問口調になった。


 メドゥサ会頭はベルを鳴らし、メイドを呼ぶ。震えた声で水と執事ノルバートを呼んだ。メイドが一礼してドアを閉める。


「お前たちがリエカに行っていた時だ。確かに、この絵の男はミュンヒハウゼン侯爵を名乗った。国内に点在するノボメストの難民街を訪れて、彼らに帰順を促す忍び旅をしていると」


「帰順……領主自らですかっ?」

「供の者は何人来た。騎士か。文官か」


 メドゥサ会頭は前髪をひと房掴むと、うわごとじみた声で呟いた。


「一人だった。そうだ、おかしいではないか。侯爵の身で一人だなんて。伯爵でも六人、いや八人だったかな。カラヤン……怖い。あの男は何しに父上に会ったのだ」


「スミリヴァルに……?」

 カラヤンが困惑しつつも、手を握りしめて妻をいたわる。

 そこへ、ドアがノックされて老執事が現れた。


「失礼いたします。お呼びでしょうか」

「ノルバート……水はまだか」

「はい?」


 メドゥサ会頭は混乱している。執事は給仕係ではないので職務上そういう世話サービスはしない。


 俺は似顔絵を手に取り、老執事に見せた。


「この絵の人物が一人でここを訪れた、というのは本当ですか」

 執事ノルバートは、絵を一瞥して頷いた。


「はい。二日前の夕刻。騎馬単騎でのご来訪がございました。ご用件は、御屋形様の見舞いをと仰られました。身なりも整っておいででした。その上で、侯爵と名乗られてはわたくしには抗すこともできませんでした」


 侯爵と言えば、王族か広大な領土を持つ上級爵位。無位の地方豪族では強盗を働かれても止めることができないそうだ。執事ノルバートは言葉を継ぐ。


「ただ、ミュンヒハウゼン家とは当家と正式な縁故えんこがなく、また来訪に馬車を用いておらず、従者もなし。いささか不可解な点が多ございました」


 その指摘に、メドゥサ会頭がハッとなって顔を上げた。


「そうだっ、狩猟服だ。彼の者はまるで狩猟のついでに立ち寄った体の服装だった。あの格好で見舞いというのは非常識なのだろう?」じいやに訴えた。


「はい。ですので、まことに勝手ながら、わたくしの一存でスコール殿に後を追っていただきました。報告が遅れたこと、お許しください」


「でかした!」

 カラヤンが席を立って喝采をあげた。だが俺は不審を持った。


「待ってください。あのどうして、この館の近くにスコールがいたのですか?」


「それは……誰にも言わないというお約束で、こちらからの頼みを無料でお引き受けいただきました。これ以上の経緯は、申し上げられません」


「そこを曲げて教えてください。俺も、彼にそのことを触れないようにしますので」


 ノルバートは毅然とした表情で視線を落とした。良い口の堅さだ。

 俺は、ストレートにカマをかけることにした。


「もしかして……彼は逢引きデート中でしたか?」


 俺を見つめる老執事の瞳孔がすぼんだ。口を閉じたまま頭を下げる。


 ご想像にお任せします。ということか。

 なら、想像してみようか。


 ここは何にもない田舎の港町。年頃の少年がこの寒空に独りでぶらぶらするにしても、わざわざ人気の少ない地元豪族の屋敷前は不審すぎる。


 ヤドカリニヤ家の子供は今や、メドゥサ会頭だけ。健全な青少年が恋慕するほどの対象はいない。メイドは見習いに到るまで、すべて寡婦(夫と死別した女性)だ。夫人の方針なのだろう。


 とにかく、スコールがこの辺を通りすがったとすれば、人目を忍んだ二人連れである可能性は自然な発想だ。


 それと、この老執事は〝配慮の人〟だ。


 スコールの逢引きが目立たぬようカノジョを屋敷に招き入れ、お茶やお菓子を供し──来客への歓待は執事の職務だ──、彼が戻るまで退屈させないよう話術を駆使して、彼に危険な任務を与えたと悟らせぬよう気を配ったことだろう。


 鬼の居ぬ間に洗濯とはよく言ったもので、スコールも隅に置けないな。事態緊張の入口で少しほっこりしたわ。

 スコールの意中の相手? それは既にヒントは出てる。ごく最近、人だ。


「それで、スコールからの報告はなんと?」


「はい。北東七キール先の雑木林で十数騎の騎馬と合流。その後、彼らとともに東へ向かった由にございます」


 暖炉で薪が爆ぜる音を聞きながら、部屋の温度が急に下がった。


「北東の森と言えば、十日ほど前に不告伐採で交戦となり、死者まで出た場所ではなかったか? 父上から聞いた覚えがある」


 俺は顔を振った。

「メドゥサさん。あそこで不告伐採が起きて、あの辺の巡回が強化されるようになったから、彼らはあそこを集合場所にしたのでしょう」


「ん? どういうことだ」

「その巡回時間を外せば、安心して密談ができますよ」


 巡回は見張りじゃなく、見回りだ。強化は回数であって時間じゃない。森の中にも雪は厚く積もっている。巡回も一時間二時間おきということはないだろう。

 あ然とするメドゥサ会頭から、俺はカラヤンを見た。


「シャラモン一家をリエカに移したいのですが」

「同感だな。おふくろに鳩を飛ばして手配させよう」


「カラヤン、どういうことだ? なぜシャラモン神父達を?」

 メドゥサ会頭は戸惑った目で夫を見る。


「スコールに尾行の技術はひと通り教えてある。だがあの貴族が、自分を追尾させることを前提で、狩猟着で単騎訪問してきたのなら、スコールはまんまと罠にかかったわけだ」


「カラヤン様」

「ノルバート卿、心配しないでくれ。スコールは無事に偵察から還ってきている。気取られるヘマはしなかったよ。だが、念には念だ。

 シャラモン家は直接的間接的にミュンヒハウゼン侯爵に関わりすぎた。最初の望遠鏡、この似顔絵、そしてスコールの尾行だ。


 ユミルが狼の望遠鏡を壊されて、すでに半月が経った。もうこの町の内偵はすんでいて、おれ達は泳がされてる可能性も視野に入れて動かないと足下を掬われる」


 カラヤンは妻を見る。メドゥサ会頭はすぐ顔を横に振った。


「わたしはヤドカリニヤ家当主代行だ。そしてカラヤン・ゼレズニーの妻だ。敵を前にして臆することなどないぞ」


「おふくろが、今のお前に会いたがってる。顔を見せてやってきてくれねぇか。それが済んだらまた戻って来りゃあいい。スミリヴァルやブロディアもお前がいてくれたら心強いはずだしな。一時だけだ」


 さしもの一騎当千の女傑も、姑さんには弱いらしい。いや、あのエディナ様より強い嫁が現れたらぜひ会ってみたいもんだ。


「狼。スミリヴァルの手術準備を急げ。手術中に攻め込まれたら降伏するしかない。シャラモンやライカン・フェニアにもこのことを伝えろ」

「了解です」


 俺が部屋を出ようとした時、廊下からドアが開いた。

 顔を出したのはブロディア夫人だった、看病疲れが出たのか頬が少しこけていた。


「カラヤン。ごめんなさい。いいかしら」

「ブロディア。どうした、スミリヴァルに何か」


 カラヤンが歩み寄れば、メドゥサ会頭と執事ノルバートもそれに続いた。


「いいえ。あの人が、あなたに伝えて欲しいと。もしかしたら、自分はあの見舞客に妙な情報を流したのかもしれない。って。さっきまでずっと悩んでたみたいなの」


「ブロディア。すまない。その前に教えてくれ。ここにやってきた見舞客は、本当にスミリヴァルの知り合いなのか」


「ええ。そうみたい」

 俺とメドゥサ会頭は顔を見合わせた。カラヤンが真っ直ぐ夫人を見て訊ねる。


「スミリヴァルは、どこでその男と知り合った?」


「ヴェネーシア共和国の僭主シニョーレヴィスコンティ家の晩餐会だそうよ。あっちで石けんの評判が良くて招待状をいただいたの。当家始まって以来の栄誉よ。私も出席したのだけど、その時にあちらか声をかけられて」


「そんなことが……。いつのことだ?」

「えっとね。──ノルバート?」

「はい。少々お待ちください。ただいま調べて参ります」


 慇懃に会釈して、老執事は足早に部屋を出て行った。


「ブロディア。客の名前は知っているんだよな?」


「ええ、もちろん。グラーデン・フォン・ミュンヒハウゼン。ネヴェーラ王国だけでなく、帝国やヴェネーシア共和国でもかなり名の通った方みたい。

 ヤドカリニヤ家の栄達を侯爵様に讃えられて、スミリヴァルったら興奮しっぱなし。宥めるのが大変だったもの。それからずっと懇意にして戴いているの。

 でも、見舞いに来られたその方の口から、ムラダー・ボレスラフの名前が出て、彼もさすがにお客様に思惑があると訝しみ始めたのね」


「何を訊かれたんだ。まさか、おれが密かに使ってる毛生え薬は何か、とかか?」


「使っているのかっ!?」

「使っているのですかっ!?」


 メドゥサ会頭と俺が同時に目を見開いて聞き返した。カラヤンは頭を真っ赤にして俺たちを睨みつけてきた。

 自分で行ったのに、そんなに怒らなくても……。


 ブロディア夫人は、ぷふぅっと吹き出した。 


「カラヤン。あなたって本当に面白い人……っ。えっと。だからムラダー・ボレスラフのことだったわ」

「つまり、盗賊時代のことか?」


 ブロディア夫人は顔を横に振った。

「その後よ。盗賊時代の後のことみたいなの」


「ちょっと待ってください」俺が二人の会話に口を挿んだ。「ムラダー・ボレスラフはプーラの町で、晒し首になって終焉を迎えていますが」


「ええ、そうらしいわね。でも、あの方はその事実をまるで信じていなかった。というか、ムラダー・ボレスラフが最初から生きているものとして話を進められて、でもそのこと自体にはあまり興味がなかった感じだったのよ」


「なんだって、どういうことだ」

「それでね。その方が、うちの人に訊ねたのは──」


〝──ムラダー・ボレスラフと一緒に逃げている?〟

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