第48話 ヤドカリニヤ家の貴賓(きひん) 後編


 ネヴェーラ王国反乱の狼煙を目論む老将の真の狙いは、俺だった。


 俺は言葉もなくとっさに後退り、テーブルに尻をぶつけた。

 手探りでテーブルに手をつこうとして失敗したらしい。床に頭からひっくり返った。


「狼どのっ!?」

 メドゥサ会頭が駆けよって俺を起こしてくれる。抱えられているのに、手足に力が入らない。そのくせぶるぶると震えていた。


 カラヤンがやや強い口調で迫る。

「ブロディア。教えてくれ。それで、スミリヴァルはなんと答えたんだ。これは、とても重要なことだ。しっかり思い出して答えてくれ」


 ブロディア夫人は友人の表情を読み取って、夫の危惧が正しいと判断したのだろう。泣きそうな表情で眼を伏せた。


「……〝彼らは東に向かった〟と」


「狼っ。おおかみっ! 聞こえたなっ。返事をしろ!」

「な、んとか……。発狂の一歩手前ですが」


「もともと狂った見た目してんだ、人並みに狂ってる場合じゃねえぞ。お前、命を狙われたことは?」

「あっ、あるわけないじゃないですかっ!」思わず怒鳴っていた。怖くて。


「今日中に、この後の手術道具製造の企画立案書を書け。そんでもって身を隠せ。それを基におれ達でなんとかやってみ──」


「遅いんですよ。もうっ!」

 俺は恐怖で泣き叫ぼうとして、犬の遠吠えみたいに空を仰いだ。


「俺みたいな特徴ありすぎるヤツは、どこに行ったって足跡が残るのです。いっそ、この場でカラヤンさんの手で俺を殺してください」


「狼どの、なんてことを言うのだ!」

 メドゥサ会頭に肩を掴まれて大きく揺さぶられた。

 俺は自分の悲観に根拠を確信していた。


「逃げられませんよ。スコールが見たという十数騎の騎馬は、スミリヴァルさんの言葉を手がかりに、カーロヴァックに向かったか、あるいは向かって戻ってきたのでしょう。

 さらにはティミショアラまで足を伸ばして、俺とカラヤンさんの足跡を見つけてるでしょうよ。

 この十日間あまり、彼らは漫然と難民に帰順を呼びかけて回ってたわけじゃなかったってことです。こっちは後手に回るどころか、最後尾の馬車止まりですよ。

 捕まったら最後、自分達の勝手な戦争に引きずり込まれて、牢屋みたいな所で何万人ともしれない兵器を作らされ続けるんだあ……っ」


「狼どの……」

「はんっ。泣き言はそれで打ち止めか。莫迦野郎。おれがここでお前を殺しちまったら、おれは一体何人の身内から恨みを買うことになるんだ。あぁ!?」


「だって……どこに逃げ隠れできるんですか!」

「決まってんだろうが。……海だ」

「海? その先のツテは」

「ない」


「もぉ~、だ~め~だあ!」

 俺は両手で頭を抱えて、床を転がった。


 ジャバババババ……ッ


「つっ、冷めてぇ!?」


 突然、顔面に冷水を滝のごとく落とされて、俺は反射で起き上がった。すると目の前で小麦肌の眼鏡イケメンに見下ろされていた。


「浅ましいですね……何をのたうち回っておいでか」

 ナディム・カラス専務だった。見下す彼の手には土器の水差し。


「何事ですか。この騒ぎは」

「ていうか、事情を知らずに突然現れて、俺に水かけるのやめてもらえませんかねっ」


「床で這いつくばっている生モノを見て、つい反射的に手近にある物で応戦したくなるのは人のさがですよ」


 俺はゴキブリかよ……っ。

 腹いせに頭を振り、ナディムに向かって水を弾いてやる。


「うっ。これだから犬畜生は……っ」

「先に水をかけたのはそっちでしょうが」


 してやったりとニヤつく。……ん、あれ。俺なんでのたうち回ってたんだっけ。


「なんだとっ。それでは当時、父上は無権限で会頭の顔をしてヴェネーシア僭主に会いに行かれたというのかっ!?」

「メドゥサ。今はそのことは置いておけ」


 ドア口で、執事に語気荒く吐き捨てるメドゥサ会頭を、カラヤンが窘めていた。


「それで、あなたは何しにここへ?」

 立ち上がると頭の濡れ毛を後ろへ撫でしつけながら、俺はナディムに訊ねた。


「年末の決算報告と手代に年末休暇を十日間与えることで調整に入ろうかとご相談に」


 専務ナディム・カラスは、我が道を行く。

 それにしても、あんた。ついこの間まで本当に軍人だったのかよ。その隅々にまで行き届いた事務配慮は何っ。それとも佐官時代はそんな後方支援ばかりしてたわけ。


「ナディムさんは、年末はどのように過ごされるんですか」

「スミリヴァル会頭代行のご容態のこともありますし、こんなご時世ですから、家で妻と過ごします」


「いいなあ。俺もサラリーマン時代に戻りてー」あと、リア充め。

「さらりーまん、とは?」怪訝な顔をされた。


「なんでもないです。よいお年をお迎えください」

「ええ……そうだ。もしかすると、これはあなたの処理案件じゃないですか」


 ナディムは水差しをテーブルに置くと、おもむろにポケットから木札を出した。


「二日前。職場に貴族とおぼしき紳士が現れ、ムラダー・ボレスラフに渡しておいてくれと頼まれました。そんな人間はいないと突っぱねたのですが」


「カラヤンさんっ!」


 受け取る前に、俺は上司を呼んだ。

 俺が受け取ると、背後にカラヤンとメドゥサ会頭が肩越しに覗きこんできた。


[ムラダー・ボレスラフとその相棒に告ぐ

 生存を当局に知られたくなければ、石けんを作ったという

 狼の頭を持つ魔人を捜し出せ。例の看板もその者の入れ

 知恵だとすでに判明している。

 見つけ次第、カーロヴァックに連行せよ


                ミュンヒハウゼン家証印]


 俺の異世界ものづくりスローライフ──完。


   §  §  §


「──かみっ……おおかみっ。──狼、仕事はどうするのっ!?」

 仕事っ。俺は反射的に毛布をはねのけて上体を起こすと、枕許のスマホを探した。


「うわ。マジで、起きたよ」

「これ、仕事が好きとかやなかろうもん。ほなこつ病気ばい」


 焦点が合い始めると、俺の部屋だった。

 ベッドのそばに、ハティヤ、スコール、ウルダが俺を見下ろしていた。


「あれ、俺。どうしてここにっ? 今日はいつ?」

「大丈夫? まだ一日も終わってない夕方。おじさんが背負って運んできたの。急にお屋敷で倒れたからって。何があったの?」


 三人の顔を見て、カラヤンは何も伝えていないようだった。


「……俺、ちょっと出かけてくる」

「ラリサの所?」


 ハティヤの声が微妙に硬化した。昔、付き合ってた彼女の前でツカサの名前を出した時のような、ヤバイ音域のそれ。


「ペルリカ先生のお店……コーヒー飲みにだけど」


 ハティヤは目をすがめて俺を見つめる。

 一方で、スコールが興味を示して、


「なら、ユミル達を連れて行ってもいいか? ロギがあの店で狼が考えたお菓子が客を集めてるって。なんか食べたがってるんだ」


 ロギは耳が早いな。ていうか、もう人気になってるんだ。


「いいけど。おれ、ちょっと考え事したくてね」


「うん。邪魔しないように、ユミルやギャルにも言っとくよ」

「どんな考えごと?」


 場を明るくしようとしたスコールの努力も虚しく、ハティヤが俺を心配そうに覗きこんでくる。真摯に覗きこんでくる灰緑色の瞳に俺は魂まで吸い込まれそうだった。


 この目を、俺は、前の世界でもされたことがある。

 施設の先生だったか。ミユだったか。別れた彼女だったか。同僚の誰かだったか。いや、編集長。それとも……。



『なあ、タクロウ。

 苦しい時、独りで苦し言うても楽にはならしまへんえ?』



 俺はベッドに腰かけたハティヤとウルダの手を握った。


「助けて……欲しい。俺を……助けて、くれないかな」

「具体的に言って」ハティヤは口の両端を爽やかに引き上げた。「私たちは、誰と戦えばいいの?」


 俺は首を振った。


「戦いたくない。いや、あいつらの戦いに、この町のみんなが巻き込まれたくない。あいつらに頼まれたって、金を積まれたって戦争の手伝いなんて願い下げだ」


「でも、あいつら結構身分の高そうな貴族だったよな。勝てそうか?」

 スコールが自分から罠にはまりに行った。


「なんで、あんたが相手のこと貴族だって知ってるのよ」ハティヤは容赦しない。

「えっ!? えっとぉ……」


 スコールが目をぐるんぐるん回して逃げまわる。仕方ない助けるか。


「俺が頼んだんだ。俺たちがリエカに行っている間に、万が一、例の似顔絵の男がやってくるかもしれないと思ってね。留守番でも意義のある留守番をしてもらったんだ」


「ふぅん、なるほどね。その狼の万が一が、当たっちゃったわけだ」


 俺は神妙に頷いた。スコールは愛想笑いしながら何度もうなずいた。こちらに目顔で謝ってくる。ま、いつも世話になってるから貸しにしておいてやるよ。


「それで、相手はノボメスト領主。グラーデン・フォン・ミュンヒハウゼン侯爵と呼ばれる王国貴族の超大物らしい。そんな大人物が、俺の物作りの知識を利用したいと、カラヤンさん──ムラダー・ボレスラフを脅してきた」


 三人は戦士の顔で俺の話に傾注している。


「ウルダ。これからヤドカリニヤ邸に行って、カラヤンさんに〝なぞなぞ姉妹亭〟に来てくれるよう、伝令を頼めるかな。

 俺があの脅迫文をもう一度見たいと伝えれば、持ってきてくれるはずだから。スコールとハティヤは、子供たちを連れてきて。そっちでみんなでご飯にしよう」


「了解っ」

 ウルダは軽やかにベッドから跳び立つ。


「でも、あそこご飯作らないんじゃないの?」

 ハティヤが首を傾げる。


「俺がこれから作るんだよ」気分がしょげた時こそ、肉だ。

「だから先に俺がお店へ食材もって交渉してから厨房を借りることにするよ。あそこは今、他店と差別化を計ろうとしてて新レシピに飢えてるから大丈夫。ペルリカ先生の経営手腕、すごいよ」


「へえ。そうなんだ」

「あ、そうたい。ペルリカ先生で思い出したっちゃけど」


 ドアノブに手をかけていたウルダが、急に振り返った。


「スコール。帝国魔法学会と戦闘になる前に、ペルリカ先生助けたとやん? そん時、ペルリカ先生。衛兵達にグラーデンなんちゃら言うとらんかったと?」


「ん? グラーデン? ……ああっ、衛兵に薬を渡してた時だっけな」



『ラシュコー中尉だったな。これを持っていくがよい。代金はグラーデン侯から出世払いでいただくと奥方に伝えておいてくれ。機嫌がよくなったので、ふっかけることはしないでおく、とな』

『はっ。必ずやレブラ様にお届けいたします』



「レブラ……夫人かな?」

「うん。間違いねーよ」


 俺の怪訝に、スコールが力強く頷く。

「きみ達はペルリカ先生の警護でカーロヴァックに行って、会わせてもらってないのか」


「いや。向こうのえっらそうな警備に阻まれてさ。先生に診察だからと待ってろって言われたから大人しく引き下がったよ。どれくらい待たされたっけな……小一時間?」


「そうね。それくらいだった。地下倉庫みたいな所で、暗くてほこりっぽかったけど、割と暖かったわ。それで、いくつも部屋があるの」


 ペルリカ先生がかつてアラディジ旅団に売ったという、あの地下街か。


「先生とミュンヒハウゼン侯爵が……それじゃあ、カーロヴァックへはミュンヒハウゼン侯爵の家族がいた?」

「偶然じゃないわよね。この繋がりって」ハティヤの顔が迫ってくる。


「うん。訊いてみよう──ウルダ。よく思いだしてくれた。美味しい晩ご飯、期待しててくれ」

 褒めたら、ウルダは笑顔を輝かせて、伝令に部屋を飛び出していった。

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