第17話 翡翠(ひすい)龍の子(1)


七城塞公国ジーベンビュルゲン〟西都ティミショアラ


 国境の七割を高さ十一セーカーの城壁で囲み、諸外国との国交を拒んで三〇年。

 公国の国家元首の名を知る交易商人は少なく、ここ、ティミショアラ都主の名を元首に挙げる者がほとんどだった。


 ニフリート・アゲマント・ズメイ──〝翡翠龍の子〟と。


「アレは一体何だったんでしょうかねえ」

「さあな」


 不思議そうに呟くティボルのとなりで、カラヤンはあくび混じりに応じた。

 昨夜の未明。東の空に突如として流星が現れた。

 赤い流星は不規則な動きでしばらく無明の夜空を翔け回ると、そのまま山の方角へ飛んでいった。


 ティボルは驚いて、幌の中で寝ていたカラヤンを起こし、この椿事ちんじを報告した。

 カラヤンも確かにその赤い光の軌跡を見て言葉を失った。だが、こっちに飛んでこないとわかると、また幌に戻った。


「明日、町に入ったら噂で持ちきりだろう。聞き込み、おれの分までやっとけ」

「なにか、悪い兆しですかね?」

「お前、いつからそんな信心深いことを言い出すようになったんだ?」

「ずっと前からですよ。旅商人はそういうことも気にしないと、命がいくつあっても足りませんや」


「なら、あの町にとっての悪い兆しだろうよ」

「えっ?」

「ずっと町の上を飛んでたろ。飛び出してきたのも町からだろうよ。なら、町の事情だ。おれ達は商売と聞き込みだけしたら、さっさとずらかる。あと、手紙も出しといてくれ」


 このカラヤンの直感は当たりを引いた。

 町に入るなり、広場で衛兵と傭兵と有志町民が槍を手にして整列していた。数にして二〇〇人はいる。


 ティボルは帽子つばの下から、うかがいつつ手綱を握る。


「旦那。当たりですかね」

「あっちを見るな。言ったろ。商売と聞き込みだけしたらずらかるんだよ」

「へい」

 とはいえ、二人揃って高みの見物は嫌いじゃない。


「都市駐在の正規兵らしい姿がちらほら見えるな」

「あの光の調査に正規軍……。大掛かりな森狩りでもするんですかね」

「かもな。何か剣呑けんのんなことが想定されてる。おれ達が首を突っこんでも実入りはねぇことだけは、これで確定だ」


 泊まりの宿は、〝たんぽぽと金糸雀カナリヤ亭〟に決まった。

 チェックインを済ませて部屋に荷物を置き、ティボルは馬の手入れに階段を降りてきた時だった。

「金がないって、どういうことだいっ!?」


 宿の女将の剣幕がロビーまで飛んできた。

「ない物はないのじゃ! ここはメシを食わせてくれる処じゃと聞いておるぞっ」


 フードを頭からかぶった幼子が舌足らずな声で尊大な抗弁をする。


「そりゃあそうさ。ここはそういう店だよ。だけど、その代わりに御銭おあしをいただくのが常識ってもんだ。親はどこだいっ」

「知らんっ。そんなものはおらぬっ」

「孤児かいっ! だったら、容赦はいらないね。衛兵所につき出してやる。来なっ」

「ワシにさわるでない。いやじゃ。離せっ!」


 さてどうしたものか。と悩んでいるうちに後ろから肩を叩かれた。振り返ると、カラヤンも不本意そうな弱り顔をしていた。それだけでティボルは笑顔になった。


「女将さん。その子の代金はこっちで持つよ。それで勘弁してやってくれ」

 ティボルが笑顔で声をかけると、女将は早乙女のように頬を上気させた。


「お客さん。来たばっかりで、厄介事を抱えこむもんじゃないよ。こういうのはケジメだからね」


 国際都市という土地柄か、商売柄か流暢なネヴェーラ語だった。それに心から鬼を見せているわけでもなさそうだ。悪くない居酒屋に当たったらしい。


 ティボルは金袋から小銀貨を取り出すと、女将に手渡した。


「これで足りるだろ。残りは子供のミルク代にでも──」

「ロット銀貨ならあと三枚、足りないね」

「は?」

「足りないんだよ、それじゃあ。大人の五人前食って逃げようとしたんだよ。この子」


 女将の説明に、思わず後ろを振り返る。カラヤンも渋い顔をして外へ逃げようとするフードの首根っこを押さえこんでいた。


「離せ。離さぬかっ」

「払うって言っちまったからな。仕方ねえ。晩酌を三、四日我慢すればいいだけだ」

 ティボルは肩を落として小銀貨をもう三枚、女将のぶ厚い手に載せたのだった。

「だから、あたしは厄介事だって言ったのさ」


  §  §  §



「ほら、しっかり力を入れてこすれよ。痛がってるかどうかは相手の顔を見ろ。痛かったらお前を睨んでくるからな」


 カラヤンは剣の手入れに研磨機を漕ぎながら、のんびり指導する。


 たんぽぽと金糸雀カナリヤ亭の裏手にある厩舎で、無銭飲食の小娘に馬の手入れをさせた。

 働かざる者食うべからず。カラヤン流の説教に心動かされ、少女は「仕方あるまい」と不承不承ながらに恭順をしめした。

 そこで無銭飲食の労働は、馬のブラッシングとした。


 少女は両手に余る大きなブラシに戸惑っていたが、馬は見慣れているようだった。それでも馬に直接ふれるのは初めてらしく、始めはこわごわやっていたが次第に慣れてくると腕や背を精一杯伸ばしながら作業に熱中した。動物は好きらしい。


「お前、名前は?」

「ん。いえぬのだ。子細あってな」

「どんな子細だ。聞こう」カラヤンは真面目に聞いてやる。

「うーむ。ワシはこう見えて公国貴族と同等の扱いを受けておってな」


「なるほど。毎日下々にかしずかれて、それが窮屈で飛び出してきたのか」

「まあ、な」


 言葉の濁し方まで大人ぶっていて、見た目とのミスマッチが可愛らしい。


「では、姫様は宮殿を飛び出して、いずこへと参られるおつもりで。宛てはございましたか」

「……ない。あと、その口振りはやめよ。気詰まりじゃ」


 少女がまっすぐ見つめてくるので、カラヤンも両手で降参して愛想笑いを浮かべた。


「どこでもいいから、どこか遠くへ。この辺りだとさし当たり、あの城壁の向こうへ行ってみたい。そんなところだったのか」


 少女はブラッシングの手を止めて、こくりとうなずいた。


「姫さんの家中は、今ごろ大騒ぎになっているだろうな」

「よいのだ。あやつらにとって、ワシは国家機密が詰まった人形にすぎぬ」

「おいおい、君さ。国家機密って──」

「ティボル」

「へ?」


 カラヤンにあごで促され、その視線の先を目で追った。

 少女のフードの袖がずれて、剥き出しの腕が覗いていた。

 緑色の光沢を持つ鱗が生えた腕だった。


 少女は慌てて腕をフードの袖で隠した。

「お前たち……見たなっ!?」

 こちらを見る少女の目が敵意に変わった。

 魔族の先祖返りが貴族からでるのは確かに珍しいかもな。ティボルは力なく笑うしかなかった。カラヤンに到っては不思議そうに首を傾げていた。


「おい、どうした。手が止まってるぞ。飯代の分。馬の世話で働いて返せよ」

「……っ」

「心配するな。おれ達は気にしてない」

「うそじゃ」

「うそ? なら、こんな話を信じるか。おれ達は、狼の頭を持つ人間と友達だ」

「なんじゃと? 狼の頭を持った人間? うそじゃ。そのような者がおるわけがない」


 ティボルはやや大げさに笑った。少女は目を見開いて、二人を見比べた。


「本当に、そのような奇怪な人間がおるのか?」

「ああ、いる。もっとも、名前は狼としか呼んでこなかったから、狼のままだがな」

「それは、流石にひどぉないか?」

「周りからそのことで、いつもおれが非難されてるな。だが本人は気にしてない。だからいいだろ」


「いや非難を受けておるのなら、正すのが賢い大人なのであろう?」

「おっと。一本獲られましたね旦那」

 ティボルがここぞとばかりに混ぜっ返した。


 うっせえよ。むっつりと言い返すカラヤンに、少女の顔に笑顔が戻った。安堵とも戸惑いともつかない。拍子抜けしたらしい。


「だがな、姫さん。これだけは肝に銘じておいてくれ。その秘密のせいなら、遅かれ早かれ姫さんの家から迎えがここまで来る。その時、身の危険があるようなら、おれ達は姫さんをその場において逃げる。それでいいな」

「うむ。かまわぬ。市井には、迷惑をかけとうない」

「それに関しては手遅れだな。そこのティボルがお前の飯代を持った。それでも大した迷惑だよ」

「……すまぬ」

 しょんぼりとうなだれるので、ティボルは慌てて膝を折って少女の目線を合わせた。


「いいんだよ。この世界の女性を救うことが、オレの使命だからさ」

「おぬし。実は、スケベなのか?」

「ハぁアッ!?」

 ティボルがすっとん狂な声で立ち上がった。

 カラヤンが笑いながら研磨機を回す。少女も楽しそうにブラッシングを続けた。

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