第8話 葬滅の都(8)
眼球を剥き出すほど見開いた目で、その場にいる男女を視認する。
「カラヤン・ゼレズニー、だな」
「ティボル──じゃあ、ねえのかい」
カラヤンは玉座の背後に設置された同じ顔の石膏像を一瞥する。
「七城塞公国大公、サルテコア・アゲラン・ズメイだ」
威厳を含んだ声音で名乗り、暗黒騎士は誰かが落としていったなまくらの剣を拾った。
「ローイズっ!」
カラヤンが直感的に叫ぶのと、剣が部下へ投げられるのは同時だった。
ロイズは脱出の合図と勘違いしたか。剣を見ずに、建物の外へ身を躍らせる。それが好転に回った。勇敢な部下は、飛剣を背中に浅く掠めただけで最上階から姿を消した。
「どうやら……、おれ達を都市から出してやろうって気は、さらさらなさそうだな」
カラヤンは
「そこのバケモノを蘇らせる作業をやめよ。そしてその畜生首をこちらによこせ。それでお前たちだけは都市の外に出してやってもよい」
「謹んでお断り申し上げる」
カラヤンは漆黒の剣を踏みつけると、大公に向かって床を滑らせた。
「こいつらは、おれの家族だ。バケモノであろうと魔女であろうと、おれはこいつらを命がけで護る」
大公はゆっくりと自分の剣を拾いあげた。
(こいつ。
「ならば……。貴様は無名ながら、剣豪に匹敵する達人だそうだな。ティボルから聞いている」
「……」
「お前の血が欲しい」
「なに? 何を言ってやがる」
「お前の血潮を浴びて、この冷えきった感情を温め、威信を取り戻すのだ。だから──」
大公が漆黒剣を構えた。
「お前の血をよこせぇええええ!」
大公が滑走してつっこんでくる。カラヤンはとっさに防御態勢を取った。せつな、背筋に鋭い悪寒を覚えた。ただちに防御を諦め、床に身体を投げ出した。
その背中の羊皮紙一枚上を、大公の一閃が通過した。
「あれを避けただと?」
大公が意外そうに驚きを口にした。
カラヤンはすぐに立ち上がって魔剣を正眼に構えた。
(なんだ、今の。避けたつもりの剣の軌道に身体が吸い寄せられた……っ?)
今まで感じたこともない不可思議な相手だ。その原因が剣にあるのか、大公にあるのかまだ判然としない。その
(慌てるな。ヤツの注意がおれに向いているうちは、狼の修復は進む。こうなりゃ、見極めるしかねえ)
カラヤンは腰をやや落として、目を細めた。
再び大公が音もなく床を滑ってくる。ギリギリまで待って、左後方へ回避。反撃不可。
「ぐ……っ!?」
革鎧の肩当てが飛んで、肩に赤い線が走る。
(半歩。また引き寄せられた)──いや違う。何か、ある
「くっ、うくくくっ。お前たちはバケモノ集団なのか? 魔法を使う狼男といい、すべてを斬り裂く鬼娘といい、お前もオレの思慮の上を行くぞ」
カラヤンは依然、正眼に構え、腰をやや落として籠城の姿勢を崩さない。
「黙りか? つまらんな」
「バケモノなら、あんたも含めていいぞ」
「ふんっ。オレは龍人だ。人を超越した存在だ」
「違うな。あんたは龍公主たちとは少し毛色が違う」
「……」
「あの子らは、戦闘アイディアが豊かで、精神面が強靭柔軟だ。身体の使い方を熟知しているし、合理的に動かす。だから動きにまったく無駄というものがない。カプリルに一本取られた時には、あの若さでおれが十年かけて登った場所まで来れるものかと驚き呆れたもんだ。だが」
「……」
「だが、あんたからは、それを感じない。純粋な強さの精度は、親のあんたより娘ほうが上だ。だから戸惑ってる。あんたは……そう、なんだか作り物めいている。魔法使いの言葉を借りれば、
「もういい。その感覚に答えが出たとしても、お前は追い詰められていることには変わらない」
これか。カラヤンは目を細めたまま軽笑を浮かべた。
「ほう。あれしきのことで追い詰められていると〝他人事〟で語れるほど、この場であんたは何もしてなかったのか」
「……なに?」
「その身体も、剣も、鎧も、全部借り物なのか。大公陛下の生身の実力はどこにある。臣民から畏敬を持って慕われる大公の御心はどこにある。まさか、この国で大公って存在は、あそこではみ出てる醜悪な脳みそ程度じゃあねえよな」
軽い挑発のつもりだった。彫像の中に脳みそが埋め込まれている理由すらも、カラヤンにはよく分かっていない。
大公が眼前に現れた。
腹に強烈な衝撃。カラヤンは床を転がりながら一瞬だけ意識が飛んだ。ここまで容赦ない蹴りをもらったのは、ガキの頃だ。不法侵入がバレて近衛騎士三人に殺されそうになった。
「カラヤン・ゼレズニー。不敬に値する。次で殺す」無感情に宣言した。
「ぺっ。……だったら、今ので殺しておくべきだったな。大公陛下よ」
起き上がれたが、まだ下半身に力が戻らない。鎧を着けていなければ腹に穴が開いていたか。
ふいに視界の隅に家族が入った。アルサリアの狼修復作業はまだ続いている。
一方、〝弟〟は、動いていた。
母にも内緒で太股わきの床に指で何か描いている。素早く描いた円が床で黄色く輝く。
やがて、親指を立てた。
(お前っ。……ふっ、了解だ)
カラヤンはようよう立ち上がると、魔剣を鞘に収めた。それから鞘ごと身体の前に出して腰を深く落とし、親指で
右手は手の甲でそっと柄に添えるだけ。
「知っているぞ。それは〝居合い〟というのだろう」
「さあな。こいつはおれの我流だ。だが……このほうが、一番
剣での斬り合いなんてもんは、所詮、
もし、相手がこちらの攻撃のタイミングを先読みできているのであれば、こちらはその攻撃のモーションに入る一瞬
動作は最少。すなわち抜刀直後の一閃に賭ける。
いや、賭ける必要はないのだ。〝おれ達〟の勝機は、もうそこに見えている。
先に動いたのは、大公だ。
剣を右脇構えで、滑走してくる。
「──っ!?」
唐突に大公の接近が止まった。黒耀の床から暗黒の手がいくつも伸びて主人の両脚を掴んだ。
「小癪っ」
とっさに魔女を睨んだが、アルサリアは黙々と作業をしている。
違う。大公は顔に困惑をにじませる。
注意が逸れ、読みは働かなかった。
カラヤンは、
大公に神速の一閃を放つ。
漆黒剣が勝手に左へ二八度かたむいた。カラヤンにはそう見えた。そうとしか見えなかった。
決勝の一撃を漆黒剣が受け止めた。
「なん、だと……っ!?」
カラヤンは持てるすべての力で、そのまま圧し切る。漆黒剣の逆刃が大公の鎧に金切り声をあげた。
「どういうことだっ!? お前は一体どこまで先が読めるっ」
「クケケケェ。残念だったなあ、カラヤン。もう手詰まりか?」
醜悪な優越を浮かべ、大公は剣士の失策を
悔しそうな顔を見せていたカラヤンが、ニッと笑った。
「ああ……おれ一人ならな」
そこへ玉座の間に空いた壁穴から青い
「そん首、もらったぁあああっ!」
ウルダの〝
「やーっと見つけたばい。あんまり手間取らしぇるんやなかよ」
武闘派少女が短剣を抜いて首を獲りに行こうとする。
カラヤンはその奥襟を掴んで留めた。
「ウルダ。ちょっと待て」
「ちょっ、なんねっ? あ、カラヤンしゃん。カラヤンしゃん、あいつは狼しゃんの仇ばい!」
「知ってる。だがちょっと待てって」
「待たんっ。待てんとよっ。あいつの首ば獲って狼しゃんの墓前に供えったい」
どこから説明したもんかな。カラヤンが困惑していると、背後で歓声が起きた。
「よーしっ、あたしゃ天才だよっ。これでどうだい!」
こうして、形成は逆転の兆しを迎えた。
§ § §
「ティーボ──ルっ!」
覚醒するなり、俺は叫んでいた。
起き上がるなり戦斧を拾い、それを床に引きずりながらあの石膏像へ走る。
壁にめり込んでいた暗黒騎士も身体を引き剥がして、俺に向かってくる。
「狼っ!?」
「狼しゃんっ!」
玉座の階段を跳びのぼり、斧を振り上げた俺に暗黒騎士が漆黒剣で対応する。
ガゴォン!
重い金属音とともに戦斧が弾かれ、玉座の階段を滑り落ちていく。
「勝負あったな、狼。オレの勝ちだ」
切っ先をあごに突きつけられ、俺は動きを止める。
「バルマン……最後に、教えてくれ。ディスコルディアの目的は何だ? この公国で何をしていた」
「死に損ないに説明してやる必要を感じねーなあ」
「〝ハヌマンラングール〟は、再出発できるだけのマナ鉱石備蓄量を集められたのか?」
バルマンの顔が苦虫を噛みつぶしたように歪んだ。
「お前……ここへ来るのが遅れたのは、調べていたのか」
「軽くな。この都市は石油コンビナート施設なんかじゃなかった。石油を燃料とする重機を使い、大量にマナ鉱石を採掘、精錬するマナ燃料精製都市だった。つまり、あんたは〈ナーガルジュナⅩⅢ〉を再稼働させる計画を、あの魔女に代行させていたんだ。俺が訊きたいのは、その見返りだ。あの魔女に何を要求された」
「さあな。徨魔の生態だっけか」
「それは名目上の方便だ。なら俺から言ってやる。〝
「お前、どこまで知っている。どこまで探れば気が済むんだ……っ!?」
大公は、剣をつきつけたまま胸倉を掴んできた。俺はかまわず続けた。
「この東方世界は、あんたたち公国が北方を抑えてくれていたおかげで、帝国は西──西方世界と中央ネヴェーラ王国の防衛だけに専念できた。
近年、帝国にラルグスラーダ皇太子が若くして執政に立ち、西方世界も内乱で混沌とし始めている今、ネヴェーラ王国の崩壊を通じて、旧王国が公国にすり寄る気配を見せ始めた。帝国としては徐々にこの国の存在が目障りになってきていた」
そこで、ディスコルディア──エリス・オーが公国に送り込まれた。
エリス・オーは、この世界のマナ鉱石精錬技術を技術提供する代わりに、バルマンへの反乱分子を撲滅する企画立案を受け入れさせた。言い換えれば、大公に綱紀粛清を強要したんだ。
三〇〇〇年間。もはや動かない採掘艦の支配者としての存在が薄まっていたガブリエル・バルマンにとっては渡りに船。利害は一致していた。
さらに魔女は、再び〝ハヌマンラングール〟が徨魔の巣を目指せる状況証拠をも提示した。
「それが〝新アルマゲスト五次元座標星儀〟──リンクスの所在だ」
二万五〇〇〇の中央軍の目的は、〝星儀の魔女〟の身柄一つなのだ。
リンクスが再誕するまでにあと二四時間と少し。ダンジョン前に展開している演習日程の最終日に、中央軍はダンジョンを攻める。
「ディスコルディアの正体は、帝国執政部と帝国魔法学会の二重スパイ。その隠れ蓑としての禁忌研究結社〝黄金の林檎会〟だ。その実、主宰が会員の魔女たちの監視役もかねていたことに気づくまでに随分時間がかかったよ」
俺は、深呼吸を一つした後、言葉を継いだ。
「さようなら。ガブリエル・バルマン。正直、あんたの存在はウザかったよ」
「なにっ? 何を言っている。この状況で……っ!?」
勝ち誇っていたバルマンは漆黒剣を落とすと、両手で首を絞め始めた。
「げぇっ。なっ、なにが……まさっ、ティボルっ、きさま!?」
「狼やウルダ、グリシモンには面倒をかけたが、ようやく捕まえたぜっ!」
「う、裏切るのかっ!? 新しい身体は欲しくないのかっ!」
「裏切る? いつ、オレが承諾した? そんな約束、した覚えがねーな。」
苦しむ顔の半面だけが、会心の笑顔をつくった。
「悪りぃな、この身体は
俺は漆黒剣を拾った。握った瞬間、感電するような痛みが腕を這い上ってくる。
「狼っ! やれぇええええ!」
「やめろぉおおおっ。徨魔の巣を追わなければ、この世界は滅びるのだぞっ!」
一人芝居する滑稽な
「世界を救うにしても、三〇〇〇年は時間かけすぎだろうが」
俺は石膏像の胸に埋まっている水槽へ、漆黒剣を投げた。
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