第10話 大司教の醜癖
「失礼いたします」
カミックは上官のヴォースとともに大司教の執務室に呼ばれた。
執務デスクの前で踵を鳴らし、背筋を伸ばす。
が、当の主人は窓から町をを眺めてため息をつくだけで、返事がない。
何かマズいことをしただろうか。横目で上司にお伺いを立てる。返事は顔を振っただけ。黙ってろという。
「私は、また〝慈悲を授け〟たい娘を見つけたよ」
「は?」
カミックの反駁に、となりから肘で突かれた。まだこの主人の
「嗚呼、なんたる福音。これは間違いなく神の啓示なのだよ。ヴォース君」
「左様でございますな」
見事なお追従から、完全に心が抜け落ちていた。だが大司教は気にしない。
「ヴォース君。今こそ。此度こそ、私は確信を得たのだよ。あの者こそ、聖女。嗚呼、あの姿、
カミックが顔に出さぬよう感情を押し殺して、となりを盗み見る。上司は見事なまでに無表情だった。
大司教は執務デスクを指で叩いて、二人を近づける。
デスクの上には、羊皮紙に娘の似顔絵が描かれていた。大司教は趣味で絵を描く。うまいらしいが、いつも描くのは天使ばかりだとか。
その似顔絵は、ハティヤだった。
無論、彼らは名前を知らない。カミックにいたっては先日、一人射殺したばかりだ。興味を持たないようにしていた。
「猊下。この娘、どちらで見かけましたか」
「おお、ヴォース君。またしても私の〝慈悲を授ける〟御業に協力してくれるのかね!」
最初からそのつもりで呼んだんだろうが。カミックは目を忙しく瞬きさせた。これくらいのストレス発散は許されるはずだ。
「バルナローカ商会のそばに空き地があってね。そこに大型の幌馬車が止まっていたそうだ。幼子達の世話をしていたよ。美しい微笑をたたえていたね」
孤児の次は、旅行者かよ。節操がねえな。
「旅行者ですか。町中で旅行者を拿捕するにも、人の目が多すぎます」
ヴォースは生真面目に応じた。大司教はもっともだと何度もうなずくのだけ見れば、物わかりのいい爺さんにしか見えない。
カミックは胃がせり上がるのを感じた。
娘狂いの変態め。前職の物盗りだったおれの方が、まだ可愛げがある。
「そう。だから……夜だよ」
まるで悪戯を打ち明ける子供のように大司教は無邪気に声をひそめた。
「夜を待って、馬車に火をかけよう。ボヤを起こして馬車を出した隙に……どうかな?」
善人ぶる気はないが、悪党の自分から見ても、この坊さんはイカれてる。
「恐れながら。市中で火事をおこせば、衛兵庁の詮議は厳しくなります。アスワン軍との交戦からまだ日は浅く。猊下におかれましては、ご再考をお願いいたしたく──」
「そぉうだっ! 火事はいかん。放火は大罪だ!」
胃がムカムカする。この爺さんにとって、罪とはなんなのか。
「なら、ガキを一人。誘拐すればいいんじゃねえか?」
(紋章も徽章もない。どこの所属の騎士だ?)
近づいてくるに従って、われ知らず膝が震える。
なんなんだ。この男から発せられる冷気は。
カミックが怪しむのを後目に、大司教は一〇年来の旧友の態度で青年に近づいていく。
「おお、パラミダ殿。何か妙案があるのかな?」
「その娘が養ってるガキを一人誘拐すれば、娘達は方々に散って探しに行くだろう。娘が独りになったところを連れ去ればいい。エサのガキを連れ去る役はこちらでしよう」
「おお。何という忠心であるか。──聞いたかね。ヴォース君」
まるでこちらの精勤が足りないような責める口調だ。この間の汚れ仕事など完全に忘れ去ったらしい。
「承知しました。娘の方はお任せください。──クズルフ、いくぞ」
「はっ」
自分の名前を呼ばれてカミックは応じる。本来なら、大司教が退出を指示するまで動いてはならなかったはずだ。そう教わった。
カミックは廊下を足早に戻る上司を追った。
「隊長……っ?」
「黙れ。どこに耳があるかわからん」
二人は押し黙ったまま教区衛兵庁舎の隊長室まで戻った。
§ § §
「お前、あの男の眼を見たか」
部屋のドアを閉めると、背中に声をかけられた。
「えっ」
「眼だ。あのパラミダという男の。見たか」
「いや、すみません……ひんやりとした雰囲気に気圧されてしまって」
「それは私も感じた。あれは相当の人数を斬ってきた眼だった。この町の処刑人ですら、あんな血に飢えた狼みたいな眼はしない。猊下も厄介な者を引き込んでくれる」
「隊長。例の娘の誘拐、やるのですか」
ヴォースは、自分の額に手を置いて長いため息をついた。
「やらないわけにはいかんだろう。まだ孤児や旅行者で収まっているうちは、な。これが商家や貴族の令嬢となれば……考えたくもないがな」
「……」
「クズルフ。やはり気乗りせんか」
「いえ。これもお役目と考えます」
「うん。そう言ってくれると、私の負担も軽くなる。ロンゲスと三人でやろう」
「決行は、いつ」
「今晩だ。こんな胸の悪くなる雑務は早いほうがいい。衛兵の巡回時間は頭に入っているな」
「はい。あの……隊長」
「なんだ?」
「隊長は、この町の生まれですか?」
ヴォースは、ふと表情から緊張を解いた。
「いや。王都だ。下級貴族の三男だった。食い詰めかけていたところに、養子縁組の話を受けてこっちに来た。もう二〇年以上前の話だがな」
「それじゃあ、ご家族は」
「うん。妻と子供が二人。……守らねばな」
カミックはうなずくことしかできなかった。それに比べて自分はなんと身軽だろう。逃げようと思えばいつでも逃げられる。
「それでは、用意してきます」
敬礼して部屋を出た。
ほとぼりが冷めるまで。それまではこの町でせいぜい兵士のフリを続けるさ……。
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