第11話 婀娜(あだ)めく龍となるために(11)


 うおおぉおおおおっ! うおぉおおおおっ! うおおぉおおぉおおっ!


 突然、館内から多数の雄叫びが湧き起こった。


『おいおい。今度はなんの騒ぎだい。勘弁してくれないかな』

 回線から苛だちの混じった呆れ声が洩れる。


 ムトゥは口許に笑みを浮かべて、[バラウル]の顔面に拳をたたき込んだ。

 漆黒の龍が後ろへよろける。


「確かに騒がしいが、どれも知ってる声なんだよなあ。一人ひとりの声は判らないのに、兵の顔の一つひとつが目に浮かんでくる。──なあ、ティコ」


『なんだい。恥ずかしいセリフなら、禁止だぞ』


[ゲオルギオス]が槍を旋回させ、上段に構えた。


「お前に、裏切り者と呼ばれた五〇〇年──」

 四脚が雪泥を蹴立てて一気に間を詰める。

「まったくの無駄じゃあなかったぜ?」


[バラウル]は両腕からブレードを解放して、身構えた。


『いいや。無駄な空費さ、〝保守技官エンジニア〟っ。君らがこの世界と馴れ合ったから、私や艦長まで割を食う羽目になったんだ!』


 漆黒の腕を交差して、槍を突撃を挟み止める。押し切られながら出した〝踵爪〟ヒールスパイクで雪泥をえぐり、地に深い轍線てっせんを刻んでいく。


「だったら、オレもお前もこのザマはなんだっ。ニコラが船倉で〝重力檻穽コラプサー〟を誘爆させても、なんで艦内に残らなかったっ!? 

 もう、みんな〝あの旅〟に限界だったんだっ。〝Vマナーガ計画〟の[機体]性能も頭打ち。母星から三千世界を越えても〝巣〟は見つからなかった。見つけられたのはこの世界で[SAC-003]が一柱のみ。お前にだってこの徒労感を──」


[バラウル]は交差したブレードがはさみとなり、槍の白柄を剪断せんだんした。


『わからないね! 使命を棄てることは、宣教師が命がけで掲げてきた信仰を棄教するのと同義。私たちの〝Vマナーガ計画〟の萌芽が、母星の倫理議会に屈したのと同じさ! そんなことが許されていいわけがない!』


 翼から青白い光を放出して巨躯を浮かせるや、両足で[ゲオルギオス]の胸当てを蹴りつけた。その反動で背中から城壁に取りつき、城壁に刺さっていた剛剣を逆手に引き抜いた。


『君が落伍するなら、もう勝手にするがいいさ。だが君には消えてもらう。君さえいなければ、他の連中も目が覚めるんだ。私たちは〝ナーガルジュナⅩⅢ〟を復旧させ、次の世界に進むっ!』


[ゲオルギオス]は、短くなった白柄を槍構えにし、雪泥を蹴った。


「この石頭っ。何百年、同じお題目を繰り返せば気がすむんだっ。あー、そうかいっ。なら、かかってこいよ。ティコ。三〇年前と同じように、また全力で止めてやるっ!」


 おのれの意地と意地が激突した。その時だった。


 キュィイイイイイン──ッ!


 金属音にも似た飛空音が上から降ってきた。

 つば競り合いの状態のまま、二人は同時に空を仰ぎ見る。


 翡翠色の鱗を持つ美しい〝龍〟が、満月の光を浴び、鮮緑に輝く大翼を広げて急降下してくる。


『なっ、なんだとっ!?』

「[プリティヴィーマ]っ!? ──おひい様っ!?」


 翡翠龍は後脚で[バラウル]の両肩を掴むや軽々と再飛翔した。そして中空でくるりとムーンサルト。漆黒の龍を彼方に向かってぶん投げた。


 やがて、彼方の山腹に墜落し、盛大な雪柱が舞い上がった。


[ゲオルギオス]は穂先のない白柄を握ったまま呆然と〝龍〟を眺めた。


「くっ。くくっ。……くはははははっ!」


 無性に可笑しかった。待ちに待って待って、待ち続けた果報がもたらされた瞬間。心は、この冬の暁のようにスッキリとしていて空虚だった。昏く、何も見えない。

 なのに、笑いがこみ上げてきて仕方がない。


「おーい、ティコ。生きてるかあ」

『………………うるさい。今、話しかけないでくれ』


 無事のようだ。なら、もう心配はすまい。


 翡翠龍は、春泥のように柔らかな地上に降り立つと、胸部ハッチを開いた。

 中から現れたのは、やはり翡翠色の鱗を持つ、十五歳ほどの少女だった。

「みんなっ! ただいま!」

 少女は晴れやかな美笑で地上に、〝翡翠荘〟に向かって元気よくみせた。


「おお……っ。おおっ」


 城壁からの熱い歓声が夜を奮わせる中、[ゲオルギオス]の胸部から老人も出る。袴裾はかますそが泥で汚れるのも構わず、もたもたと駆けだしていた。

 この身体も、もうじき限界らしい。

 もはや見ること叶うまいと諦めていた婀娜あだ姿が、涙でかすむのが口惜しい。


(狼が、が、フェニアと組んだことでやっと揚がったのだ……オレ達の反撃の狼煙のろしが)


  §  §  §


 話は前日までもどる──

〝ナーガルジュナⅩⅢ〟船倉。

 それを見た瞬間、俺は背筋を突き上げられるような嫌な予感がした。


「ん、どうした?」

 背中から右肩へ少女のあごがのってくる。俺はその顔を手で遮った。


「見ない方がいいです。人が喰われたと思われる現場です」

「なんじゃと?」


 俺の指間をブラインドよろしく押し割って、ライカン・フェニアは現場を見下ろした。


 普通の四輪駆動の荷台トラックだ。

 だが、荷台に載っているのはブローニングM2という重機関銃。


 かつての職場では、12.7mm重機関銃M2と呼ばれていた。

 俺が所属していた空挺団ではヘリのドアガンとして、戦車隊や特車隊では戦車や装甲車で見かける普通装備だった。

 それが三脚銃座に残っている。ハンドルを掴む射手の両手首と一緒に。

 付属品はカーキ色の弾薬箱が二つ。一つはずっしり。もう一つはカラカラと中で転がる音がした。


「出血はないのに、切断面が乾いておらんようだな……。間違いない。この亜空間に〝徨魔バグ〟が入り込んでおる」


「銃で、なんとかなるんですか?」

 俺の問いかけに、なぜかライカン・フェニアは言い渋った。

「博士?」


「実は……吾輩は、まだ〝徨魔〟を直接この目で見たことがないのだ」

 俺は別に驚かなかったが、彼女には屈辱的なことらしく顔をしかめる。


「データ上のことでも構いません。報告事例でも」


「うむ。それなら過去一五〇年で約九万件ある。それらを整理して対応マニュアルとして八〇〇通りにまとめた。皮肉なことに割と好評でな」


「その中で、亜空間内に関するものは?」

「ワープ航行中だ。偶発的に船体に貼りつかれて遭遇戦になったのが六八件あった。毎件一人から三〇人の死者が出ておる。今回のように亜空間滞在中の残骸からの痕跡確認は珍し……おっと、次の〝島〟が来たようじゃ。あれに移ろう」


「これを持っていっても?」

「かまわんが、両手が塞がってしまうぞ」


「俺の勘が、連れて行けと言ってます」

「んふふっ。そうか。ならば……お前のその腰ひもでくくりつけてみるか」


 ウルダが結んでくれた紐だ。

 ちぎれてしまって半分になったが、本来なら六〇キロ近い機関銃をつなぐ長さはある。質量が軽くなる空間といっても、持ち歩くのはひと苦労だが。


 俺は大背嚢を胸に回すと、弾薬箱二箱全部をヒモの両端に結びつけ、重機関銃M2一挺を肩にかつぎあげた。


「うおっ、おお……っ」

 やっぱり重い。銃身が肩に食い込む。

「やはり、やめたほうがよいのではないかのぅ」

 あご下から見上げられて心配されたが、俺は【土】のマナで筋力を上げる。


「大丈夫です。博士。移動しましょう」


 俺たちは〝島〟に飛び乗った。

 その後、第二炉の反重力制御装置までに二回の乗り換えをして起動に成功。すぐに第三炉へ移動を開始した。


 ライカン・フェニアは俺を気遣ってくれているらしく、なるべく起伏のない安定した〝島〟を選んでくれているようだった。

 そして、第三炉へ向けての〝島〟──ブレジャーボートに乗り込んで、二分もしない時だった。


「人狼。2時の方角じゃ。第三炉が見えてきたぞ」

「あ、意外と速かった──」


 言いかけた時、うなじの毛が逆立った。さらに突き上げられるような悪寒。

 とっさにキャビン内に隠れて、辺りをうかがう。


「どうした? もう、すぐ目の前に──」

「しっ。何か来ます。小声でお願いします」


「〝徨魔〟か……っ!?」

 魔女も口を両手で塞いで小声をかけてくる。


 俺は是とも否とも言えず、腰を屈めてボートの窓から周辺の観測を続ける。

 そして、また後ろを振り返って、狼の目をすがめた。……いた。


「8時の方角。距離三〇〇。接近中のデブリ漂流帯です」


 漂流する瓦礫や残骸をぴょんぴょんと猿のように跳び移ってくる米粒の影を見つけた。


(もしかして、あいつ……こっちにくる)


 俺も直に見るのは初めてだけど。カラヤンに絵で見せてもらった。間違いない。

 カラヤンの体内から出てきた、あのバケモノだ。


「博士。この〝島〟の進路は」

「進路方向は10時の方角から4時半へ。第三炉とのランデブーポイントまで、あと七分じゃ」

 迷ってる時間さえない。俺は即断した。


 大背嚢をおろし、中からライカン・フェニアを抱え上げて出す。それから彼女の背にその大背嚢を背負わせた。フタは閉めない。

 背嚢が小さな魔女を抱きすくめてるように見えて、なんだか可笑しい。


「狼っ!? まさか討って出るのかや」


「ここで第三炉を見送り、第四炉から着手してまた戻ってくる時間はないはずです。幸い、相手はまだこちらに気づいていません。俺が聞いた話では、ヤツは目が見えず、鼻と耳で獲物を探すのだとか」


「なら、それは[SAC‐0013]〝ヴィイ〟かもしれん。音や臭気が伝わりにくい宇宙空間では生存できぬから、亜空間を渡り歩いてそこに迷い込んだ者を餌食にしておる。醜い顔ゆえに、ひと目見た者は発狂するそうだ。じゃが、こちらから先制攻撃などせねば、気づかれん」


 魔女は解説をまくし立てながら、不安そうな眼差しで見あげてくる。

 俺はうなずいた。


「そうです。先制攻撃をしなければやりすごせる。その後、ヤツは反重力制御装置を〝島〟として取りつくでしょう。それが起動直後なら音がして、二人とも捕捉されます。最悪、反重力制御装置を破壊するかもしれない。さっきも言いましたが、俺たちは次の第三炉を後回しにできる時間がないのです。俺が、今から博士を第三炉に向けて投げます」


「狼、それは……っ」

 俺はつい子供扱いして、魔女の頭を撫でた。


「奥の手らしく働いてもらいますよ。博士。第三炉起動後は、ご自分で〝島〟に跳び移るか、俺が戻ってくるのを第三炉で待っててください」


「わっ、わかった。待っておるから絶対に来るのだぞ。これは命令じゃからな!」

 俺はうなずいて、ライカン・フェニアを大背嚢ごと頭上に抱えあげた。両腕に【土】のマナをまとわせる。


「ライカン・フェニア。カタパルト射出、用意──」

「ひっ。れ、レディ……っ!?」

「ゴーッ!」

 音もなく流れてくる砂時計に向かって、俺は渾身の力で魔女を投げた。


  §  §  §


 カーキ色の弾薬箱から弾帯を掴み出すと、給弾カバーを開いて初弾をかませる。

 久しぶりに見る12.7mm弾の薬莢やっきょうのデカさに頼もしさを覚えた。


 薬莢押さえ、給弾カバーの順番で給室を閉じる。右脇のコッキングレバーを深く引き、長い銃弾を薬室へ送った。


 銃床の安全装置を解除に回し、左右のハンドルを握って逆Y字状の押金おしがね(発射かぎ)に親指をかける。


「弾薬装填ヨシ! 安全装置解除ヨシ! 砲向ヨシ! 撃ち方始め!」

 単独号令をして気持ちを落ち着け、一発だけ試し撃ちという名の、誘い弾をば。


 ドズンッ!


 腹底に響く爆裂音と反動に、ビビる。薬室の前方。廃莢口から船床に落ちた空薬莢の澄んだ音色で、銃に俺の前職経験を疑われた気がした。


 確か、この機関銃の利点は反動利用型なので連続で撃たないと安定しないらしい。先輩からの又聞き蘊蓄うんちくだから、ちと怪しいけど。


「さ、さあ。どっからでもかかってこ──」

 とんっ──。

 ボートが揺れた。銃口から四〇センチ先。船尾のへりに、顔の溶けた無毛ゴリラが立っていた。

「……いやあ」

 瞬間移動できるなんて聞いてねえよお。

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