第10話 婀娜(あだ)めく龍となるために(10)


 覚えたての治癒魔法の最初が自分とは、やるせない。


 ライカン・フェニアは、操作卓コンソールの前に黄色いビールケースの上にのり、反重力制御装置のキーパネルを叩いて、プログラムを作っている。


 管理者アカウントに、ムトゥ家政長から借りた黒のカードキーを使った。その選択に澱みがない。

 モニター画面に表示された権限アカウントは、〝Tycho Brahe〟──。


 ティコ・ブラーエは占星術師にして錬金術師。俺の世界の物理学史において、ヨハネス・ケプラーの友人にして共同研究者だ。かの有名な惑星運動の定義、ケプラーの法則は彼の観測データを承継したことで発見された。


「案の定じゃ。アップグレードが三八二世代も更新されておらん。最初から作り直した方が話が早いわ」

「あまり時間が無いのですが」


「わかっておる。緊急停止プログラムだけ作り直せば良いから、あと五分くれい。ここで作ってしまえば、他は複製データで事足りるでな」

「ダンジョンの前で行き倒れていた目的というのは、ここの修復ですか?」


 魔女は心外そうに首を振った。


「吾輩は博士研究員ポスドクなのじゃ。エンジニアではないよ」

「博士。ちなみに、専攻を訊いても?」


 ライカン・フェニアは手をとめずに言った。


「培養人類学じゃ」

 俺は一瞬、きょろりと目を動かして、

「培養、人類……それって、クローンの作成ですか?」


「んふふっ。平たく言うと、そうとも言うの」


 ラノベでクローンは手垢のついたネタだからな。


「俺のいた世界では、国際会議で表立ってのホモ・クローン作成は禁止でしたけど」


 表立っては、どの国も行っていない。だが研究まで進んでいないとも言ってない。

 国際倫理の届かない後進国。紛争地帯。社会共産主義国では、どうしているのかも俺は知らない。研究結果さえ発表しなければ、放任状態なのが科学の実情だった。


「吾輩の世界でもホモ・クローンへのアレルギーは強かったぞ。じゃがな。惑星外からアイツらが現れてから、そうも言っとれんようになっての」


「アイツら?」


「〝徨魔バグ〟じゃ。この世界にもたまに出るようになった。おそらく、ケルヌンノス──我々は[SAC-003]と呼称したが、あやつが亜空間に残してきた時空フェロモンをたどってやってきておるのだろう」


 長い説明でも、ライカン・フェニアの手は止まらない。


「時空フェロモン……ちなみに、SACってなんの略ですか?」

「Subspace Anomaly Cryptid──名付け親は、吾輩じゃ」


「なるほど。亜空間異常未確認生物といったところですか」


「お、なんじゃなんじゃ。人狼。英語がわかるのか」

 振り返って嬉しそうに微笑む。それでも手は止まらない。


「英語は大学で必修科目でした。ここの世界の言葉より判りやすいですから」

「人狼。前世界の国籍は」

「日本です」


「ふむ、そうじゃったか。あの国の北方で出会った日本兵が作ってくれたサケカマメシがうまかった。吾輩の生まれはイラクのバスラでな。──よし、これでよかろう」


 魔女が最後のパネルを押した直後だった。

 俺はちっちゃい魔女に飛びかかり、床に押し倒した。

 せつな、その五〇センチ上方にあったモニター画面にイタリア製のスクーターが突っこんできた。


「ライカン・フェニアっ。ローティングはっ!?」


「まだじゃ。メインモニターをやられただけじゃ。大事ない。ローディング完了後は通信プロトコルで他の三炉にプログラム複製転送される。それに、六〇分の遅延ディレイもかけた。それまでに他の三炉を起動させて、四炉同時に停止させねばならんので、なっ」


 そう言うなり、俺の首にむしゃぶりついてきた。


「さあ、道案内は吾輩がしてやる。キリキリ跳び移るのじゃぞ。狼っ」


 これって、急に親しみを持たれたってことで、いいのか。

 俺は魔女をまた大背嚢リュックに入れて背負い、指示された〝島〟に向かって跳んだ。


  §  §  §


 一方、〝翡翠荘〟──

 夜空から飛来するソレを最初に見つけたのは、メドゥサだった。


 南西の森上空に目をすがめ、それから狼の望遠鏡で確認する。

 青白く光る形は、翼のようであった。


 その間にぶら下がるように形づくる影は、人のようであった。

 それがまっすぐこちらに向かってくる。しかも速い。


「角笛吹けぇ! 短笛たんてき三回!」


 パォン、パォン、パォン!


 その敵襲合図に、壁の外にいた兵士達が急いで敷地内に撤収。鉄扉を閉じる。


「メドゥサ、〝本隊〟がきたのか!?」

 猟師帽のカラヤンが身体から湯気を立ち上らせて、弓射用の足場に登ってきた。


「南西の森、上空だ。青白い光が向かってくる。単騎だ」


 望遠鏡を受け取り、カラヤンも未確認飛行物体を確認する。


「あれが、ムトゥ殿の言っていた〝龍〟か。にしても、デカいな」

「ああ。ここから見る限りで、どう見ても巨人族ティターンだぞ。どうする?」

「どうするもこうするもねぇだろうなあ。ムトゥ殿の個人的な問題だって釘刺されてんだかよ」


『これは決闘でござる』

 ムトゥ家政長から、手を出すなと厳しく言われていた。


 その直後だった。館の屋根に積もった雪が地上に崩落した。

 馬蹄のリズムで近づいてくる地響きに、右横を仰ぎ見る。

〝翡翠荘〟の城壁の外を半人半馬の白い甲冑をまとった巨大騎士が雪を蹴って現れた。


「なんてこった。ここは神話の世界なのか……?」


 二人だけでなく、その場の全員が突然の巨人の出現に棒立ちした。


  §  §  §


『老醜をさらすか、ヨハネス』


 回線を介した漆黒の龍人からの挑発は、ムトゥを失笑させた。


「はん。オレの老いを待って毎回襲ってくるお前が、それ言うのかよ。ティコ」

『〝Vマナーガ〟の模擬演習じゃ、いつも私の[バラウル]は、君に負けてたからね。だから天の時を得るためさ』


「確かに年齢のハンデなら、お前が負けても言い訳できるもんな。若輩」


『老骨がっ!? 家政長の平均任期は七年だ。生態スーツの経年劣化の半分だ。なのにオイゲン・ムトゥは三〇年。長く居座りすぎだのだよっ。おかげで、この町だけ新陳代謝が遅れてる。君を中心にまとまりすぎてる。だから中央も、そろそろ君をしてほしいのだよ!』


「ふんっ。相変わらず、強い者の味方だな。お前は」


『大公の監視から抜け出せぬ以上は、何もできないと悟った。実に複製人間レプリカントらしいだろ?』

「自虐なんざ聞きたかねえよ。血の通った人間らしくないって、言ってんだっ! フェニアを見習え!」


[ゲオルギオス]が大弓をよっぴいて矢を放った。上空の[バラウル]がそれを黒い骨角の剣で斬り払う。一瞬、青と白の衝撃地場が拮抗し、矢はその場で砕け散った。

[バラウル]は翼を旋回ぶれいくさせ、地上の半人半馬へ急速降下する。


[ゲオルギオス]は雪上を駆り、距離をとる。矢をつがえて振り返りざまに放った。が、漆黒の〝龍〟は翼を傾けるだけであっさりとかわし、距離を詰めてくる。

 半人半馬は弓を諦め、鞍につけた白柄の槍を掴む。後脚をドリフトさせながら反転しつつ槍を突き出した。


[バラウル]はそれを読んでいた。穂先を剣で打ち払うとショルダータックルをぶちかました。


「しまっ、だっ!」

 落下速度に物を言わせた痛烈な体当たりを胸に受ける。半人半馬がどうっと雪の中に突っこんだ。


『今回こそは私の勝ちだ。ヨハネス』

[バラウル]が追撃に剣を振り上げたとき、視界に光を帯びた矢が飛んできた。


 とっさに剣で叩き落とす。矢の放った射手を探すが、〝翡翠荘〟の城壁には誰もいなかった。だが二〇倍ズームすると城壁の影から、ちらちらっと少女の頭が見えた。


『ふぅん。君に人の和があるとは言いたくなかったのだがな』

「ぬぐぐ……なら、素直にオレの人徳だって言っとくか?」

 槍を杖にして[ゲオルギオス]が立ち上がる。


『ふん……言うわけないだろう?』

 渾身からくり出された槍の一突を、[バラウル]は剣で受けた。

『我々の使命を棄てさせた裏切者の君に人徳なんて、似合わない』


 その槍の首を掴むや、自分の剣を城壁に向かって投げた。

 牙のごとき黒い角骨が、少女がいたと思われる城壁を深々と貫いた。


  §  §  §


「ばっかもーんっ!」


 少女の奥襟をひっつかむなり、カラヤンは弓射用の足場を飛び降りた。

 死の宣告の到達とは、まさに僅差きんさだった。


 ハティヤのいた城壁が黒炎の噴出さながらに貫かれた。


 隙間なく積まれた石壁が一瞬で瓦礫となって飛び散り、館の窓ガラスを破る。

 ハティヤがその刃をまとも受けていれば、五体飛散していたことは間違いなかった。


 カラヤンは少女の頭と身体を抱きしめ、雪上に背中から落ちた。雪は凍結する前だったのが幸いし、二人は雪の中に沈んだ。


「カラヤン!」

 メドゥサが慎重に足場のハシゴを下りて、やってくる。


「あー。生きてるよ。ハティヤも無事だ……無事だよな?」

「う、うん。……ごめんなさい」


 カラヤンはすぐに雪から身体を起こすと、弟子の上着襟を掴んだまま歩き出した。


「お、おい。カラヤンっ!?」


 メドゥサが慌てた表情で、二人を追って今来たばかりの道を戻る。

 師は、禿頭からうっすらと湯気を立ちのぼらせて庭の雪を踏み進む。


「ハティヤ。ムトゥ殿は命もメンツも賭けて決闘に出た。だが、それ以上に外野にいらん気を廻させたくなかったのはな。味方が、ああなることがわかってたからだ」


 ハティヤが連れられていったのは、〝翡翠荘〟の正門だった。

 門の前に女騎士が立ちはだかり、殺到した兵士達を押し留めていた。


「ミルシア兵長、そこをどいてくださいっ!」


「出てはならんっ! ご家老のお言葉を忘れたか。我々は翡翠龍公主様の兵だ。外の血闘フェーデに助勢することは、ご家老の名誉だけでなく、アゲマントの家名をも汚すことになるのがわからんのか!」


「しかし、コーデリア様っ。このままご家老をむざむざ討ち取られては、ニフリート様に、お前たちは何をしていたのだとのお叱りは免れませんっ!」

「そうですっ。ご家老はアゲマント家になくてはならない大黒柱。そのことは、兵長もよくご存じのはずでしょう」

「ぐっ……ならん! そのご家老様の御下知である。ならんと言ったら、ならん!」

 兵達を相手に、女騎士が鉄扉を背にして必死の制動をかけている。


「おじさん……」

「うん。お前の放った矢が、ここにいる兵士達に火をつけちまったんだ」


 それ以上の言葉は必要なかった。

 カラヤンは足を止め、ハティヤは彼らの前に進み出た。それから凍えた唇をぐっと噛むと、ぺこりと兵士達の前で頭を下げた。


「先ほど、矢を放った。カラヤン配下。ハティヤ・シャラモンです。この度は、わたくしめの浅はかな単独行動により、部隊全体の士気に動揺を与えたこと謝罪いたします」


 毅然とした陳謝に、兵士達は黙り込む。


「その上で、わたくしに一計がございます。これは敵の気勢を散らし、ご家老様の勇を鼓舞する方策だと考えます。どうかこのわたくしの思案に賛同をいただきたく存じます」


 兵士達はお互いの顔を見合わせた。

「それは、どのような方策だ」

「はい。吼えるのです」

「ほえる?」


「ご家老様にお独りではないと。敵に、我らが多勢であることを声をもって知らしめ、圧倒するのです」

「なるほどな。ここからやかましく吼えれば、敵も耳障りではあるか」


 カラヤンが弟子の肩を持つ。ハティヤは真顔でかぶりを振った。


「戦術における、籠城戦において城外の敵へ罵詈雑言を浴びせる挑発などではなく、単純に吼え立てて威圧します。これにより敵の戦意を削ぎ、ご家老を励ますのが目的です。

 それならば、後でご家老様から『真夜中に何を騒いでおったのだ』とお叱りを受ける程度で済ませられると思います」


 最後の言葉に、兵士たちから少し笑いが起こる。


「この場で何もせず押し問答しているよりは、マシだろうな」

 そう言ったのは、ミルシア兵長だった。

「おい、壊れた足場の補修を急げ。城壁、館の窓際。屋根。立てる高台に立って朝まで吼えたてるぞ。ご家老勝利の酒は、我々の喉に沁みさせるのだ!」

「おうっ!」

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