第9話 婀娜(あだ)めく龍となるために(9)


 ウルダの背中とカンテラの明かりを頼りに、横殴りの雪が身体に叩きつけられる中を登る。

 

 パーティは二時間ほどかけて、ようよう中腹の洞窟に入った。

 空はいまだ夜が明ける気配もなく、風も鳴き続けている。


 洞窟に飛び込んだ途端、全員が声なくへたり込んでしまった。内部は風がないというだけで温かく思えた。


「ハァ、ハァ……っ。ウルダ。まだ、登るのか」

 息を切らせながら、俺が訊ねる。


 灰髪の少女もまた肩で白い息をあげ、首を振った。

「ここ。ここの、奥」


「了解。──ティボル。おひい様の状態は?」

「だ、大丈夫だ。呼吸は安定してる。眠ってるだけだ」


 呼気で前髪が凍りついているのも気づかず、ティボルは安堵の微笑をうかべた。

 俺はうなずくと、カンテラを行く手にかざして前に進む。


 その影に引っぱられるようにして、パーティも重い足取りでついてきた。


 休憩にしたいところだが、まだダンジョンにも入れていない。

 内部で休憩できるとは限らないが、達成実績のない行軍は予定進捗の遅滞と同じ。仲間に無理をさせてしまうが、時間が惜しい。


 ゆるいカーブを描いた先で、少し明かりが射しているように見えた。

 やがて広がる光景に、俺たちは言葉を失った。


「なんだよ、これ……っ。あの絵の、見たまんまじゃんか」

 スコールだけが酸素の足りない掠れた声で言った。


 よどんだ紫色の空間。山の内部だというのに果てもなく広がっている。

 あ然とする俺たちの目の前を右から左へ巨影が通り過ぎた。


 石橋の残骸。


 かつて堅牢であったろう石造りの橋。大きさは民家と同じサイズ。

 欄干と橋梁。そして橋脚が宙に浮かんだ状態で、静かに流れ去っていく。


 次に、貴族馬車。もぎ取られた戦車の砲塔。へし折れた鉄筋コンクリートの高層ビルの残骸。折れた航空ジェット機の前部と後部。人力車。砂岩の城壁の一部。石畳の道の一部。教会の鐘楼。耐熱外装の剥がれた宇宙船の残骸。木製の幽霊帆船などなど。

 それらが明るい白光を中心にして渦の中を回流している。


 世界も時代もぶっ飛んだヤミ鍋状態に、俺は吐き気をおぼえた。


「…………休憩しよう」


 のちに、この時の自分の発言根拠を、俺は思い出すことができなかった。


 スコールやティボルからも、俺が「撤退」ではなく「休憩」と口走ったことが奇蹟みたいに言われた。二人ともとっさに戦意が挫け、これ以上は進めないと覚悟していたらしい。


 俺は〝大背嚢ニモツ〟を背負ったまま、その場に座り込んだ。

 胸ポケットから携帯ケーキを出して、羊皮紙の先を犬歯でかじり取り、袋尻から絞り出しつつ、苦労して口に押し込んだ。


 唾液が出ない。手の震えが止まらなかった。絶望的な恐怖を前にアイディアが干上がったせいか。猛烈な寒さでかじかんでいたせいか、わからなかった。


「ウルダ。本当にここ、行けるんだよな?」


 少女が描いた絵を見ながら、俺は口の端からボロボロこぼしつつ訊ねた。

 ウルダも携帯ケーキを豪快に頬ばり、バリボリ音をさせながらうなずく。


「〝郭公ククーロ〟で、あの流れる〝島〟。取りついて進む。お師匠様とあの光の所、入った。第17階層でた」


「それじゃあ、ここにお父さんの遺体が流れてたわけじゃないのか」


 ウルダはうなずいた。

「第30階層。守ってる敵いる。でも小さい頃の記憶。ここ一番の難所と思う」


「ウルダ。俺を掴んだまま、ここを渡れそうかな?」

「狼っ。お前……ッ!?」


 ティボルは何かを言いかけて顔を歪めた。その先はわかる。俺も気が狂ってしまったんじゃないかと思うほど、やけくそになっていた。

 もうやるしかない。なにがなんでも進むしかない、と。


「大丈夫。ここの部屋だけ身体、軽くなる。〝島〟の進む流れバラバラ。別の方からもくる。それにぶつからなければ、うん。きっと大丈夫」


 何度も自分に言い聞かせよようと、ウルダは大丈夫と繰り返す。彼女がここを渡ったのは幼い頃だ。二度目でも十年近く経っている。


 自分が師匠にしてもらったことを、今度は俺にしなければならない。プレッシャーはあるだろうが、やり遂げてもらうしかこの現状を変えることはできない。


「スコール。先に俺とウルダで進んでみる。それを見て要領を掴んでくれ。ティボルとおひい様を頼む」


「っ!? ……うん。わかったっ」


 スコールも一瞬、緊張で顔が引きつったが、やはりいろんな修羅戦を見てきた男子。力強くうけ負った。


 ウルダは早速、自分の背嚢リュックからヒモを取り出して、俺のベルトと自分のベルトを結び始めた。足が自由な二人三脚だ。

 これが地獄の二人三脚にならないことを祈るほかなかった。


  §  §  §


「ところでさ。ウルダ」

「ん?」


「君が描いてくれた絵なんだけど。この──、これ、なんだと思う?」


 俺が羊皮紙の観測絵の中で指さしたのは、砂時計の形をした建造物。

 ウルダはしげしげと見つめていたが、結局判らなかったのか、顔を振った。


「どれも残骸じゃねーか。オレ達はそこを抜けるだけだろ?」

 ティボルが疲労のたまった目で俺を見据える。


「うーん……そうなんだけどさ」


 ラノベに、確かこんな奇妙な形の装置があったはずだ。スペースオペラでは、定番オブジェクトだと八木が何か言っていた記憶がある。

 どうしても気になる……が、だめか。思い出せない。まあいい。


 俺は観測絵を畳んで胸ポケットにしまうと腰を沈め、となりで身構えるウルダのほっそりした腰に腕を回して、ベルトを掴む。


「準備よしっ。秒読み、開始!」

「目標、前方の橋。距離八〇──トレイドゥウヌ走らんかアラーガ!」


 ウルダと俺は同時に左足で地面を蹴った。即座にウルダの腰に回した腕から彼女が浮き上がる。俺はマナで補って走力をあげ、彼女のベルトをしっかり掴んだ。


〝島〟から跳躍。踏み切りはほぼ同時。左側面からドイツの重戦車Ⅳ号ティガーⅡがゆっくりと縦回転をしながら接近してくる。


 ウルダが〝郭公ククーロ〟を放つ。


 かつて愚鈍な虎の名をほしいままにした重戦車が左から視界に迫ったところで、俺の背中がのけぞり目標の〝島〟へ急接近する。

 後頭部の毛が戦車の履帯りたいに触れた気がして、ゾッとしなかった。


 それで危難が去ったわけじゃない。むしろこれからが本番だ。


 二人三脚状態で着地とともに橋の上を駆け出していた。

 五〇メートルない距離を走る間もささいなゴミが飛んでくる。

 左肩にソレがぶつかり、左手の指先が痺れる。運動エネルギーは秒速三キロもないだろうが、激痛に顔がゆがんだ。


 当て逃げ犯は、飲みかけのペットボトルだった。ポイ捨てダメ、絶対!


「目標、前方右。距離一三〇の橋──三、二、一、跳んで!」


 再びの跳躍。精いっぱい身体をバネにして跳んだ先には足場がどこにもない。

 俺はとなりのウルダに命ごと信頼を預ける他なかった。


郭公ククーロ〟の鉤爪ハーケンが右から流れてきた橋に突き刺さる。


 ザイルが巻き取られた直後、ウルダの腰から俺の手が少しすべった。掴み直したはずの彼女のベルトにうまく指がかかっていなかったらしい。まずい。


 着地とともに失速。わずか半秒ほどのラグが生まれた。二人の間の腰縄が伸びる。さらにそこへ前から飛来してきたネジが、張りつめる直前の縄を断ち切った。


 俺は切れて残ったウルダの腰縄を掴むことで分離に耐えた。

〝島〟に着地する。ウルダは前だけを見据えて、こちらに気づいていない。


 俺はすぐ異常を報せるために制止を叫ぶ。はずだった。


 ふいに足下の石畳がかげった。見上げると、上から教会の鐘楼が突っこんでくる。

 錆びついた三角屋根が邪神のくり出した破滅のミサイルに見えた。


 俺たちは全力で橋を駆け抜けた。


 ウルダが走りながら〝郭公〟を放つ。ところが、目標の〝島〟の手前で突如、鉤爪ハーケンが跳ねあがった。


 公国兵の銀兜だった。〝島〟のコンクリートの壁面が保護色となり、その存在を隠していた。  


「次の〝島〟だっ。早く巻き取るんだ!」


 俺は少女が失敗を悲観するよりも速く、叱咤した。

 ウルダは獰猛に歯を剥きだし、露骨な前傾姿勢を取って疾駆する。


 そして、俺たちは橋から跳び出した。


 一般的な人間の跳躍でも五メートルがやっと。その先で着地できそうな〝島〟はどこに見当たらない。


 それでも俺たちは止まらず、跳んだ。


 と、そこに視界の外から〝島〟が流れ着く。女神から授かった幸運ではなく、悪魔から挑まれた運試し。砂岩で築かれた城壁だ。流れが速い。感覚で時速四〇キロくらいに見える。


 ウルダは迷わず右腕の〝郭公〟を構える。


 この時、彼女は気づいていなかったようだ。


 俺が見ても、さっきの〝島〟よりまだ距離がある。その大きさと漂流速度がウルダに〝島〟の距離感を同じに見せている。


 このままでは〝郭公〟のザイルの長さが目標までわずかに足りないことになるだろう。


 あと、もう一つ。ウルダは気づいていない。

 俺が今、彼女の背後に回りこんでいることに。


 正直に言おう、俺は出遅れたのだ。

 いやー。女子中学生相手に元自衛官が競走で負けるなんてな。歳はとりたくないもんだよ。


「刺されぇええええっ!」

 気合いの咆哮とともに〝郭公〟の鉤爪ハーケンが発射される。  


「ウルダ。後で迎えに来てくれくれると、助かる」


 その言葉を残して、俺は彼女の腰を両足で押した。

 見方によっては俺がウルダを踏み台にして離れたようにも見えるが、そこは四次元。なんとでも。


 前に押し出されたことにより、ウルダの鉤爪がかろうじて城壁に刺さったらしい。ザイルが張りつめて即座に巻き取りが始まった。


「狼っ!? 狼ーっ! いやぁああああぁぁぁぁ……っ!」 

 ウルダの驚きと悲しみに強ばった顔が、あっという間に遠ざかっていく。


 背後では破滅が始まった。

 さっきまで走っていた石橋が教会の鐘楼に穿壊せんかいされていく。惑星同士が衝突したら、神の耳にはこんな不吉な音に聞こえるのだろうか。


 飛んできた石礫を俺は必死で手や足で払った。それだけでも運動エネルギーが働き、橋の解体現場から軌道が逸れていくのがわかった。


 と、そのうちの一つが避けきれず、胸に入った。


「がっ……ごはっ!?」


 ちょうどレモンの形をしたつぶてが、胸にギシギシとめり込んでくる。めちゃくちゃ痛い。

 胸ポケットに羊皮紙の観測絵が入っていなかったら、貫通していたかもしれない。

 だがその運動エネルギーで、俺は大破壊に巻き込まれずに遠ざかることができた。

 俺は、意識があるうちに大背嚢ニモツの口を縛っていたヒモを解いた。


「お、起きて、ください。ピンチ、です……っ」

「ふわぁ。なんじゃ、意外と早かったのう」


 大背嚢からぴょこりと顔を出したのは、タヌキに似た丸顔の少女。

 魔女ライカン・フェニアだ。


 恩を返してやるから奥の手になってやろう。小さな身体で豪語するので、俺は遠慮して一度断った。そしたら涙目で見つめてこられたので……仕方なく、連れてきた。


 小さな魔女は周囲の情況に見回しても、泰然としていた。

「ほほう。ふむふむ。僥倖じゃな。──狼。十七秒このまま。あっちから〝反重力制御装置〟が流れてくる。それに取り付け」


 反重力制御装置っ!? ああ、それだ。


 ライカン・フェニアが幼い指でさした紫の雲は、狼の目をもってしてもよく見通せない。

 それから五秒ほど見つめる。と、残骸の中から例の砂時計の建造物が姿を現した。こっちに向かってくる。いや、俺たちが近づいているのか。


「人狼。周囲警戒を怠るなよ。アレに取りつく前にゴミでこの漂流軌道を弾き出されたら、我らもゴミとなって漂う羽目になるでな」


「りょ、了解」

 警戒してたとしても、この状態でどうしろってんだ。


「あとな。あの反重力制御装置が、この亜空間内にあと三つあるのじゃ」

「へー。そーなんですかー」嫌な予感がした。


「吾輩をそこまで連れて行くとよいぞ。この空間暴走を止めてやるでな」

「それって、割と無茶言ってますよね?」

「よいのかや。そんなあっさり思考を止めて」

「え?」


「吾輩の記憶が正しければ、反重力制御装置は船倉にあったはずじゃ」

「そりゃあ、そうでしょうね……船倉?」


 つまり、船底。ということは──


「ここが最下層?」

素晴らしいアゼィーム。ご名答じゃ。んふふっ。どうじゃ、人狼。少しは働く気になったかの?」


 小さな魔女は老獪ろうかい狡智こうち者の笑みを浮かべて、俺を少し怖がらせた。 

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