第20話 鬼雨(きう)の夜襲(3)


「それにしても、この大砲は……」


 目算で、全長八メートル。口径は四〇センチ。

 形状から第一次大戦前のロシア帝国M1910シリーズによく似ている。これが本当に火薬のない世界の大砲なのかと思えるほど、洗練されていた。


 見た目通りなら、重量は三トン近くあるはず。この一門に八頭立ての馬車が必要で、なければ三、四〇人で牽引して進まなければならない。雨でぬかるんだ森林地帯でこれに立ち往生されたら、俺でも泣ける。


 思わず触れようとして、不良ボスに肩を掴まれた。


「やめとけ。悪いことは言わねぇ。呪われっちまうぞ」

「例の声というヤツですか?」俺は砲身を見つめたまま言った。


「ああ。その柱に触ると聞こえてきちまうんだ」

 試したらしい。俺はやんわりと手を払いのけると、うなずいた。


「松明をこちらに。それから怖いと思う人は、もう少し離れてください。その恐怖があなた自身を救うかもしれません。非難はしませんから」


「お、おめぇはいいのか?」

「さっき墓から蘇ってきたばかりです。呪われるくらいなら安いですよ」


 怨霊におののく不良達を置き去りにして、俺は松明を手にしたまま砲身に耳を澄ませてみた。


「……」

 何も聞こえない。両耳をパタパタ動かしてピンッと張り、そっと砲身に触れてみる。


『……誰?』

「名前はありません。狼の頭を持った人間です」

『それって……魔物?』失礼な。

「あなたは、誰です」

『……』


「もしかして、あなたは〝ジンニー〟なのですか?」

 返事がない。違うのか。あっ、もしかして──。

「失礼しました。〝ジンニーヤ〟なのですか?」

『……そう』

 消え入りそうな、肯定だった。

 マジか。俺はどっと大息を吐き出した。


 ジン。

 アラブ世界における守護神とも祖霊とも見なされる精霊の総称だ。

〝ジンニーヤ〟は、ジンの女性格。男性格は〝ジンニー〟だとされる。ちなみに、某世界的アニメキャラクターはフランス語の英語読みが由来だと言われている。


 アラブ世界でイスラム教が起こる前から尊崇そんすうを受ける存在だ。一方で、精霊ごとに個性があり、気性の激しいのに出会うと悪霊とみなされて恐れられた。

 面白いのは、イスラム教圏で認知されているのに、彼らの中にはイスラム教に帰依しないジンもいるそうだ。


 俺が前にいた世界で有名なのは『千一夜物語』にでてくるランプの精がそれだが、妖精ではない。あくまでも精霊だ。ひょっとすると、アスワン帝国とはアラブ世界によく似た帝国なのだろうか。


『ねえ。ここから……助けてくれる?』

「かまいませんが、この大砲は何なのです?」


『知らないのっ。気づいたらライカン・フェニアにここへ入れられてたっ。お願いよ。ここから出してちょうだいっ!』


 急に感情を昂ぶらせる精霊を、俺は慌てて宥めた。


 ライカン・フェニア──。

 アスワン帝国の魔法使い。そして、この大砲の形状。

 俺は、アスワン帝国に少し興味が湧いた。砲塔に話しかけた。


「大砲は六八門あると聞いています。あなたを助けたら、他の六七柱を助けなくてはならなくなります。俺は、この大砲の力を使いたいのです」


『なによっ、それ! じゃあ、あんたもあいつらの仲間──』

「違います!」

 俺はピシャリと言った。


「兵器と会話ができるなんて胸が熱くなりますが、違います。俺はあなた方の力を借りて、とある城を攻めたいのです。その城に、俺のマスターが幽閉されています。彼を助け出したいのです」


『ほっほう。狼人間で騎士物語とは恐れいるねえ』

 別の砲身から声がした。男の精霊だ。

『幽閉されてんのは、姫さんかい』


「いえ。男です。逆立ち腕立てが一六〇〇回できる三〇代の男です」

『はあ? そんな筋肉ダルマなら、自力で抜け出せんじゃねえのかい』ド正論。


「そうですが。勝手に捕まえられて、牢屋に閉じ込められたのです。アスワン帝国にひと泡吹かせたいじゃないですか。どうです?」


 境遇が同じだと同情を誘うアピールをしてみる。


『ああ、そうだな。……へっ、面白ぇ。その話、おれは乗ったぜ』

『私は嫌。絶対に嫌っ。とにかく、ここから出してぇ』

『ったく。うるせぇなあっ。おい、狼頭っ。そいつを出してやんな』


「えっ」

『どうせオレ達は、ヤツらからも見捨てられた身だ。他の連中もこいつだけが飛び出してたって、文句を言うヤツはいねぇだろ』


「はあ……では、どうやって出せばいいんですか?」

『さあな。どっかこすったら出てくんだろ』


 ランプじゃあるまいし。安直すぎだろ。こっちの大砲の期待感を大暴落させんなよ。

 俺は後ろを振り返る。


「すみません。誰かこの松明を持っててくれますか」


 さっきの片目ボスが律儀に松明を持ってくれた。俺は昔の教則に従って、薬室をチェックする。と、薬室に触れる指先をとっさに引っこめた。


「どうした?」

「魔法陣です」


 触れる直前で浮かびあがった。この場にシャラモン神父がいないことが悔やまれる。何の魔法陣だ。セキュリティか。起爆か。自爆か。


「そうか。これは大砲は大砲でも、〝魔導砲〟なんだ。ライカン・フェニア……精霊を大砲に組み込んだ魔法使い。なら動力は……精霊のマナ、か」


 だったら尚更、ヘタに触れられない。俺はぬかるんだ地面に両手をついて、薬室周辺を見て回った。蛇竜の身体が柱にとぐろをまいた彫刻。その隙間には月が月齢ごとにちりばめられている。美術的博物的価値がありそうだ。


 思わず指を近づけ、また触れるなと言わんばかりの色とりどりの魔法陣が現れる。

 俺は苦々しげに舌打ちした。


「だめだ。どこも魔法陣でがっちがちに固めてある……ジンニー。ジンニーヤでもかまいません。答えてくれますか」

『なあに』

「この魔法陣の意味ってなんなんですか?」


 沈黙。やはり動力素材の精霊には分からないか。

 すると、声がした。


『〝ヘレル・ベン・サハル。太陽神にそむきて、海に沈み、やがて闇のおりを開かれ、あけに魂を解き放てり〟』


 どこか陰鬱そうな低い美声が口ずさんだ。三門目の魔導砲からだ。


『あん? おい、そりゃあどういう意味だ』

 おっさん精霊の問いかけに、三門目は無視した。


「もしかして──」


 俺は水たまりに頬を沈めて底を見つめた。

 大円の中に左寄りの小円が描かれ、日と月が寄り添って一つの円を描いた彫刻レリーフがある。触れると黒い魔法陣が波紋のように展開する。


 ……これか?


南無なむさん。解除失敗したらごめんなさい、よっと!」


 その彫刻に触れると、マナを受けて魔法陣が黒く浮かびあがった。

 俺はとっさに背後にいた不良ボスを突き飛ばして、その場を追い払った。


「退がって! みんな、さがって!」


 薬室をがっちりと覆っていた魔法陣が次々に発光し、せつな煙を上げて光を失う。

 その煙が雨の夜空へらせん状に昇って、やがて一人の艶容えんような女性を形作る。


「サイィーディっ!」


 そして、真っ直ぐ俺のところまで飛んできた。

 ま、逃げるよな。条件反射として。だから俺は逃げ出した。

 女性らしい曲線をした煙の魔物にしか見えないのに、背後からまとわりつかれた。

 それを見て、周りの不良達も俺が悪霊に取り憑かれたと勘違いして逃げ回る。さらには馬まで怯え出すから、現場は大パニックになった。


『ぐぅあっはっはっはっはっ!』


 逃げ惑う愚民を眺めて魔王みたいに哄笑するのは、あの三門目だった。

 醜態を晒したみたいでちょっとばつが悪い。俺は煙にまとわりつかれながら、二門目のおっさん精霊を解放した。


 黄色い煙が飛び出て、上半身ガチムチの弁髪おじさんが現れた。テンプレか。


「おい、狼頭ゼェップラース。ワシまで開放してよかったのかね?」

「ええ。あの砲塔は恐ろしく重いのです。あれを持って俺たちについてきてくれませんか」

「おお。心得た」


『おい。我は解放せぬのか。異邦の半魔よ』


 黄色い精霊の肩に〝魔導砲〟が担がれて、俺と同じ目線になった。

 まともに語りかけられると、マジ魔王。


「俺はこの大砲を使って城壁を壊したいのです」

『ならば答えよ。異邦の半魔。解呪の秘文。どう読み取った?』


 魔王は交渉のイニシアチブを手放さない。俺は憮然とした顔で答えた。


『〝ヘレル・ベン・サハル〟は異国の名だと思うので分かりません。ですが、〝太陽神に背きて、海に沈み〟は、たぶん堕天使ルシフェルのことで、〝やがて闇の檻を開かれ、曙に魂を解き放てり〟とは、明けの明星みょうじょうのことです。

 そこで、砲塔の中に月齢の月食とは別の、曙の明星と月の重なり合う彫刻があったのを思いだして、一か八かそこに賭けてみたわけです』


『ふっ。一か八か……なるほど』

 ふっ。ラノベ脳だって言っても、この世界の魔王にも分かるまい。


「ご満足いただけましたか?」

『ヘレル・ベン・サハルとは、〝輝ける曙の皇子〟という意味だ。覚えておくがよい』

「それはそれは、ご教授かたじけなく存じます。ヘレル殿下」


 第三砲塔、沈黙。さあて、次はさっきから鬱陶しいこの煙をなんとか……。


「ねえ。出してあげたんだから、地元に帰ったら?」

「イ・ヤ。ていうかぁ、わらわが人間風情の命令に従うとか、チョーあり得ないしぃ~」


 その言葉遣いやめろ。既聴感あるから。こいつ、さっきまでの気弱な訴えはどこに。俺をかしずかせたくて魔王様の真似しても無駄だからな。


「じゃあ、さっきの〝ザイィーディ〟ってどういう意味かな」

「あっ。あれは、えっと……その場の勢いというか」


 確かに勢いはあったよ。俺も身の危険を感じて逃げるくらいにな。ただ、開放第一声が不穏だ。ランプ魔人業界で言うところの〝ご主人様ぁ!〟以外の意味には受け取りにくい。

 こいつ、かなり気分屋で、あけすけな性格してそうだ。なにかと秘密の多い俺が持て余すこと請け合いだ。


「よし、わかった。それじゃあ、命令しないかわりに、お願いをするから聞いてくれないか。あっちに女の子二人いるだろ?」

 俺はこの場にいる唯二の女性を指さす。

「あの二人を守ってあげてくれないか。背の高い方がメドゥサで、低い方がハティヤだ」


「かしこまりっ」

 日本の女子高生か。煙が移動し、それを見て逃げ出す彼女たちの悲鳴を聞きながら俺は盛大に息を吐いた。


「苦労してるねぇ、狼頭」

 第三砲塔を肩に担ぎ直して、黄色い精霊がニカリと笑った。

「苦労ってほどでもないけど、調子は狂ったよ」

 黄色い精霊は、空いた手でぷっくぷくの頬を掻くと、


「なあ、狼頭。ワシにも名前をくれんか。それがないと、ほれ。この先、不便だろ?」

「そうすると、きみにこの世界での存在意義を与えてしまうんだけどなあ……前の主人からはもらってないの?」


 バレたか。黄色い精霊は俺から名前を騙し取ろうとしたことも悪びれず、ニカリと笑った。


「もういねぇだろうなあ。数百年前に主人からもらった名前を忘れちまってな。自由気ままにやっていたところを、ライカン・フェニアに捕まったのさ」


「そう。じゃあ……サラーってどうかな」

「サラーか。ふむ。まあ、悪くねえかな」精霊がはにかんだ。


 ハリウッド映画黄金時代の某冒険映画に出てきたエジプト人に似てるんだよ。雰囲気がなんとなく便利で、気のいい精霊っぽかったしな。


  §  §  §



 ソコプル大佐は最初、落雷かと思った。

 叩きつける雨音に混じった轟音が聴覚を奪う。

 地面で濃くなる自分の騎影に驚き、雷鳴に騒ぐ愛馬を宥める。ソコプル大佐自身もまた他の兵卒と同じくらいダルマチアの雨に疲弊していた。


 豪雨の夜間行軍が兵の体力をいたずらに消耗させるのは、承知の上だ。だがビハチ城塞に行けば増援を頼める。城塞までもう五ミレ(約一〇キロ)もないのだ。この無理は無意味ではない。そこまで行けば丸一日、兵を休ませてやれるはずだ。


「大佐っ。ソコプル大佐ぁっ!」

 後方から馬を駆って、ハリト中尉がやってきた。

「何事だ」

「落石です。負傷者多数。メンデレス大佐が負傷された由!」


「何だと!?」

 さっきの落雷か。脳裏に去来した後悔にソコプルは泥の味がする唇を噛んだ。


「行軍を急がせろ!」

「ですが、大佐」

 副官二名が食い下がると、ソコプルは鬼の形相で叱咤した。


「馬鹿者っ。我々は岩壁沿いを進んでいるのだぞ。落石の危険があるこの場に留まり続ければ次の被害を生む。城塞までとは言わん、ひとまず〝イフリート砲〟を安全な場所まで運ぶのが先決だ。──ハリト、指揮代理官にもそう伝えよ!」

「はっ!」


 ハリト中尉が後方に馬を返した。その時だった。

 彼らの頭上の空気が震動し、豪雨がうねって横殴りに叩きつけてきた。

 遅れてやってくる轟音。暗い空から闇の欠片が飛び散って、地上に降っていく。

 ソコプル大佐は頭上を見あげて、叫んだ。


「ハリト。ハリト中尉っ」

「はっ、ここにっ!」

「前令撤回。各部隊へ戦闘態勢を伝達。〝イフリート砲〟の防備を固めろと伝えろっ」

「えっ」


「今のは〝イフリート砲〟だ。信じたくはないが、後方で〝イフリート砲〟が奪取された。

 ──ザヒーム大尉。手勢七〇〇を連れて我々が来た道を五ミレ戻れっ。是が非でも〝イフリート砲〟を取り返すのだ!」


「はっ!」


 おのれ、王国軍。どうやってあの〝バケモノ〟を呼び覚ました。後方で何が起きている。我が軍はずっと、悪夢の中を進んできたのか。


「カターダ大尉。ビハチ城塞へ伝令を飛ばせ。救援要請だ。兵をありったけかき集めてこいと伝えるんだ」


 指示を出した副官が返答をする、その時だった。

 ふいにお互いの顔が真昼のようにはっきりと見えた。

 赤い閃光の中で。



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