第56話 狼、魔法が使えることを隠す
その日の昼。
カルヴァツ工房長の家を訪ねた。
操業停止になってる反射炉の再稼働許可をもらうためだ。
すると、窓越しにノエミが居間の真ん中で腹を押さえてうずくまっているのが垣間見えた。さらによく見ると、頬も赤く腫れあがっていた。
(これがこの世界のヤキ入れってやつか。ウスコク。怖ぇ……)
あっ。台所から出てきた工房長と窓越しに目が合った。
「ちっ、違うんだ、狼! オレじゃないっ。これはマルガリータが──」
玄関から飛び出してくるなり、カルヴァツ工房長は必死で訴えた。
「いえ。工房長。お気になさらず。俺は何も見なかったことにしますから」
「ハア!? ちょ、ちょっと待て狼。本当にオレじゃないんだっ」
「い、いやぁ。俺、余所者ですから。ホントその辺のしきたりとかよくわからないですし。あ、あの贈り物、気に入ってもらえましたか? 来年もよろしくお願いします」
できるだけ目を合わせず、俺は用件だけ告げてカルヴァツ家を辞去する。
脱兎のごとく。
とにかく、手術が終われば、どこかへ去ってしまうライカン・フェニアに、せめて俺がマストで用意できる道具で挑んでもらいたかった。
とくに
五時間から八時間もの長丁場を耐えうる器具にしないといけない。そのためには、まず良質な鉄だ。
木炭に続いて
もどかしい思いを鉄鉱石にぶつける。五〇〇㎏分の鉄鉱石を石炭の時よりも小さく砕くのだ。
ラリサ組から、ラリサとカルチ、ヨージの兄弟を雇って作業をする。
彼らは働きたくてウズウズしていたようで、喜んでガラス工房までの馬車に乗り込んできた。
「どうしたんだい。狼。元気ないね」
「うん……ここ三日、まともにベッドで寝てないせいかもな」
子供たちが俺の顔を覗きこんでくる。事実だけど元気がない本音は別のことだ。
「本当に大丈夫なのかい?」
「うん。まだなんとか。それと今、炭焼き窯の中にあるのは、木炭じゃなくて石炭だから」
俺は昨日のうちに木炭作業から石炭作業に切り替わっていることをできるだけ簡潔明瞭に説明した。子供たちは「それをしたことでどうなるのか」という点でつまずいているような顔をしていた。
「と、とにかくさ。あたしらは狼に従うよ」
「その考えはダメだって言ってるだろ。ラリサ。ちゃんと理解して作業しないと、事故に繋がったりするから」
「あたしの前に、ロクに寝てない狼の方が事故に繋がりそうだけど」
「あ、うまいこと言った。ははは……。大丈夫。今日は下準備だから火は使わないから」
「石炭ができるのを待ってる間に、その石を小さくるんだっけ?」
兄カルチが言う。
「その通り」
「どれくらい、その鉄の石を砕けばいいの」弟ヨージが訊ねる。
「親指の爪くらいかな。石自体は大きさは握り拳くらいなんだけど」
「量はどのくらい?」
「馬車一台分」
え……っ。
質問が出なくなったので、俺は馬車を早めた。
§ § §
「なあ、ラリサ。あれ、なんだろう」
カルチが鉄鉱石を砕くハンマーを取りに来て後ろに訊いた。
「ん、どれ?」
ラリサとヨージが、工房の倉庫に顔を入れる。
カルチが指さしたのは部屋の奥隅。そこに白い物体が投網にかけられてまとめられていた。かたちは丸や筒状。ひし形の物。一つが大ぶりの籐かごほどある。ひと抱えくらい。
ラリサは近寄って、投網ごしに触れてみる。
「これ、
「でも、変なニオイしてるよ」ヨージが怪しむ声を洩らす。
「狼に訊いてみる?」
「おれ、どっちでもいいや。食いもんじゃなさそうだし」
そう言って、カルチがハンマーを持って振り返ると狼男が立っていた。思わず金づちを足下に取り落とした。
「見たね」
「あ、えっと。狼がこれやったのかい。あたしらそれ知らなくてさ。ごめん」
怖じ気づいて慌てて弁解するラリサに、狼は肩をすくめておどけて見せた。
「内緒にしておいてくれ、とは言わないけど。工房の人にはまだここに置いてることを断ってないんだ。仕事始めまでには片付けるつもりだから」
「あ、そう。そうなんだ。で、なんなの。これ」
「俺の魔法」
その説明に、子供たちは顔を見合わせた。
「意味分かんないんだけど」
「うん。種明かしはできないんだ。ただ、あの中身は空っぽなんだ」
「からっぽ? じゃあ、布でどうやってあの形が?」
「それが俺の魔法なんだよ。あれが割れたら──ドカーンッ!」
狼が大声で叫んで、目の前にいたカルチが身をすくませた。
「──って、なるはずなんだ」
子供たちはまた顔を見合わせると、リアクションに困って笑った。
「ドカーンって意味がよくわからないけど、それくらいうるさそうな物だってことはわかったよ。要は触らなきゃいいわけだ」
「そういうことだね」
「了解りょうかい。あんた達もそれでいいね」
カルチとヨージも少し興が薄れた様子で頷いた。
「うん。俺も早めに片付けるようにするから」
「そうしたほうがいいよ。それよか仕事、仕事っ」
ラリサが音頭を取ると、カルチとヨージも金づちを持って、倉庫を出た。
「……俺も、コイツの出番が来ないことを祈ってるよ」
投網の中を眺めて、狼の呟きは誰にも聞こえない。はずだった。
§ § §
同日、深夜──。
狼の頭を持つ怪人の監視を始めてから、一月余りが過ぎた。
オイゲン・ムトゥ様のご下命でずっと見ていたが、あの怪人はいろんな物を作る。だが金の使い方を知らない。これは間違いない。
子供たちに鉄鉱石を割るだけの作業で、銀貨を配っていた。
ティミショアラで子供に銀貨を渡す仕事は、炭鉱人夫で半日働いても大銅貨三枚になるかどうか。銀貨の半分だ。鉄鉱石を砕くだけで大銅貨三枚は破格と言っていい。
この町なら、大銅貨三枚で大麦パンが九つ。大人用の靴で大銅貨四枚。〝なぞなぞ姉妹亭〟でコーヒーを頼むには銀貨二枚といったところか。
当然、子供たちは大喜びだ。その上、町で噂になり始めてる〝なぞなぞ姉妹亭〟で甘い物を奢ってやる。三人で銀貨三銅貨二枚のものを簡単に払ってやる。
この町の親でも子にそこまではしない。
当然、子供は狼に
たぶん、親代わりの怪人がこの町からいなくなったら、彼らはすぐに飢えるだろう。自分の経験からも、その未来が見える。
とはいえ、自分もオイゲン・ムトゥ様に取り立ててもらったから、ここまで生きてこれた。
ここで呑気にガラス吹きの〝顔〟をして、バカっぽい犬男を観察するだけの極楽生活ができるとは考えもしなかった。
仕事は火の前できついが、物作りは楽しい。そして、できあがった物が研磨されて商品になった瞬間の輝きはまさに神々しいばかりだ。
あの、えも言われぬ充実を生き甲斐というのだろうか。
これをあの狼が考案したというのは、やはりムトゥ様の慧眼どおり、あの頭につまっている知識は油断ならないのかもしれない。
しかし、今日のあいつには違和感があった。
あの男が工房の倉庫に置いてある、アレが魔法だと言った。
周りから魔法を指摘されるのを何より否定し続けていた男が。
第一、あの中身は石炭を焼く時に煙突から出た、ただの黒煙だ。仲間からも報告があった。断じて魔法などではない。
なのになぜ、子供たちにはそれを魔法と言って遠ざけたのか。
あの物体には何かある。調べておかなくては。
その日の夜。真っ暗な倉庫に入り、部屋の奥の投網に手をかけた。その時だった。
「触るな──って、聞いてましたよね?」
背後から聞き覚えのある声とともに、闇の中で背中に固い尖った物を押しつけられた。
「ようやく、一人現れてくれましたか。待っていましたよ」
「くそっ」我々をおびき寄せる罠だったのか。
「その声、たしかハトさんでしたよね。本名は?」
「……っ」
「ま、いいです。ところで──、今の生活。充実してますか?」
ん? 何を言われた。
「意味が……わからない」
「今の、ガラス工房の職工として働き始めて、ティミショアラでの暮らしに比べて、毎日が楽しいんじゃないですか。そう聞いているのです」
「意味はわかった。だが、それが……」
「では単刀直入に。一つ、俺との契約を呑んでください。そうすれば、あなたがその約束を守ってくれる限り、殺すことはしません。ここでの生活が続けられます。
でも、もしあなたをここで殺すことになったら、あなたの死体を使って残りの仲間もあぶり出して殺します」
「なんだ。その契約とは……っ」
こいつはムトゥ様の怖さを知らない。だがそれを示すより先に訊ねていた。自分でも信じられないことだった。
「俺の味方になってください」
「なっ。ムトゥ様を……裏切れと?」
「そうではありません。ムトゥ家政長と今後とも俺の監視役として連絡を取りつつ、俺の要望も叶えて欲しいと言っているのです。もちろん、タダでとは言いません」
「おれだけか」
「はい?」
「おれが他の仲間にも声をかければ、お前への恭順が露見することは難しくなるだろう。おれだけ懐柔するなら、早晩、他の仲間にも悟られるぞ」
「ふふっ。頭のいい人は嫌いじゃありません。監視は何人いますか」
「おれを入れて五人だ。今日はたまたまおれの当番だった」
つい、こちらの監視役の数と内情をしゃべってしまった。ヤバイと思ったが、この生活を守りたい欲を止められなかった。
監視がバレたことは仲間から非難されるだろうが、たぶん異論は出ないはずだ。どうせあいつらもここの生活に充足している。この上は、地獄まで付き合ってもらうとしよう。
「なるほど。ではその人達にも支払いましょう」
「なに。頭割りじゃないのか?」
「ヤドカリニヤ商会の労働の対価は、労働をした仕事の数と質で支払われます。何もしなければ払いません。結果が出てないと判断した相手にも支払いません。
その代わり、こちらの要望を叶えてくれさえすれば、誰でもかまわないのです。仕事に対して支払います。頭割りにする時は、一つの仕事に対して複数人で達成した場合に限ります」
「……なるほど。本当に一つだけか?」
「はい。その上で、仕事を頼みたいのです」
「わかった」
沈黙が少しあった。迷っているような気配ではなかった。
「グラーデン・フォン・ミュンヒハウゼンの動きを監視して、逐一報せてほしいのです。五人で」
「その間に、お前が監視から逃れるのではないだろうな」
「味方になってくれと頼んだ相手をダシ抜いたところで、この頭である以上、損をするのは俺のほうですけどね。しばらくセニにいます。第一報の期限は二日。カーロヴァックにいたのなら、三日とします」
「あんたの読みとしては、あの大貴族は動くということだな」
「はい。目標は俺じゃなく、このセニそのものです」
身が引き締まった。この怪人は決闘ではなく、市街戦を予測しているのか。
「報告場所は」
「ここにしましょう。二日後の
「わかった。いなかった場合は」
「俺の寝室まで合図をください。すぐに外へ出ます」
「わかった。ところで改めて訊きたい。これは一体何なんだ?」
「ムトゥ家政長に内緒にしてくれるのなら、教えますよ」
「ふぅ……わかった。それも約束しよう」
「グラーデンが俺との約束を破ったことを後悔させるための兵器です」
兵器。そんなに、あのネヴェーラ王国の大貴族が嫌いなのか。
「ところで、本名を言う気になりましたか?」
仕方ない。不覚を取った上に、恭順姿勢を見せたのだ。
「
「わかりました。振り返って、こちらに手を出してください」
言われたまま振り返ると、暗闇の中に浮かぶ金眼とぶつかった。近い。本能的にその場で漏らしそうになった。
手に、その目と同じ輝きの硬貨を五枚置かれた。思わず脱力する。
「あんた。本っ当に非常識なヤツだな。銀貨でくれ。旅先で金貨なんか使えるかっ」
「そ、そうでしたね。すみません。考えが足りませんでした」
監視対象兼雇用主にあやまられた。賢いのか抜けているのか。まったく調子のくるう怪人だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます