第26話 傾国の遠雷



「ノボメストが落ちたそうだ」

 セニ地方長官ウゴル・フォン・タマチッチが暗い顔で言った。


「すみません。深刻そうにしているところ恐縮ですが、それってどこですか?」


「こ・こっ!」

 タマチッチ長官が指で地図を示す。


 王都ザグレブから北西百キロ付近にある町だ。


「規模は、かなり大きいのですか?」


「う゛むむ。カーロヴァック市とほぼ同等だ。川を挟んだ町作りもおなじだ。

 ただ、カーロヴァック市は城郭。こっちは普通の城塞都市だそうだ。無論、国境の町だから堅牢な町として他国にも知られていたがね」


「そこが落ちた。帝国はいよいよ王都の喉笛に刃を突きつけた格好ですか」


 俺が盛り上げてやると、長官は大きくうなずいてまた深刻そうな顔に戻る。


「先ほど、〝海鷹〟パンディオンの報せで、ハドリアヌス海沿岸都市連合は、この地域からこちらへ流れてくるであろう難民約三〇万人を受け入れないことに決めた」


「えっ?」

「それでは、帝国側につくと?」


 シャラモン神父が冷ややかに言った。

 タマチッチ長官は心外そうにかぶりを振った。


「少なくともプーラとリエカは、交易物資の損耗に保護態勢を取ると表明した。町の住人に身分証の携帯を義務づけた。セニもそれに足並みを揃えるかたちだ」


「それでは難民には生活物資を売るつもりがないのと同じではないですか。難民を寒さと飢えで見殺しにするおつもりですか」


「神父。関わらないのは見殺しではない。実際、もう冬が始まっている。食糧を町の外にまで配ってやれる余裕は、どの町にもないのだよ」


「それなら、ヴェネーシア共和国の意向はどうなのですか」


 タマチッチ長官は肩をすくめた。


「これは各地方長官の専権事項だ。もっとも本国議会が戦時難民法を制定していなかったのは、こういう時のためだがね」


「こういう時のため?」


「ネヴェーラ王国に貸した金が踏み倒されそうな時だ。別の物でその埋め合わせをするためだよ」

「無体なっ。国政の負債の責を、被災民の命から巻きあげるおつもりですか!」


 シャラモン神父が顔を真っ赤にしてまなじりを釣りあげた。


 政治に商売上の私情を入れてくるあたり、商人の国らしいと言えないこともない。

 俺は言った。


「それで、帝国の、その後の動きは?」

「うむ。数日前。ラルグスラーダ皇太子が全権大使として王都入りしたそうだ。降伏勧告を含めた和睦条件の講和会議が始まっている頃だろう。決裂すれば、王国は二六〇年の歴史に幕を閉じる」


「その講和会議に次期皇帝みずから……本気なのですね」

 タマチッチ長官は力強くうなずいた。


「弱冠十七歳にして、皇帝アウルス3世から軍事裁量の大半を委譲されている奇才だそうだ。彼が総司令官に就いてから、連戦連勝。帝国臣民からの人気も高いな。王国側の王太子とは星と砥石ほどの差があるよ」


「王国の王太子。どなたでしたっけ?」

 俺が訊ねると、タマチッチ長官は、さもありなんとほくそ笑んだ。


「トゥドル王太子は、同じ十七歳でも暗愚だよ。政治に興味がなく、部屋に引き籠もって劇作家の真似事をしているそうだ。社交界では彼を〝部屋犬プゥドル〟とか〝カタツムリ王子ツィガ・ヘルツェグ〟と呼ばれているそうだ」


「その二人が講和会議を?」


 すると、タマチッチ長官は腹を揺すって大笑した。


「だとしたら帝国の圧勝だな。幸運なことに国王はまだ生きてる。ボケかけているそうだがね。カタツムリ王子の方は今ごろ家財をまとめて、王都から脱出してるんじゃないか。カーロヴァック戦役の時にも、初陣にあるまじき大失態をしでかしたという噂だしな」


「初陣にあるまじき、ですか」


「あー、うん。詳細は知らないんだが、王国軍内部でも禁句になっているそうだ。うちのワイフがヴェネーシアの社交場で仕入れてきた、ちょっとしたネタでね」


 ラルグスラーダ。俺はなぜかその名前に強く引かれた。


「ところで、狼くん」

 タマチッチ長官が急に卑屈な笑みを浮かべてきた。

「なにかいい知恵はないかね」

「と、言いますと?」


「難民対策だよ。わかるだろう? うちはあまり城壁も高くない。衛兵の数も充分というわけじゃない。静けさだけが取り柄のひなびた港町だ」


「おい」

 メドゥサ会頭がやぶ睨みする。タマチッチ長官は気にしなかった。


「難民はいつの時代も、受け入れた町の治安やら相場やらをひっかき回すいなごだ。暴動を起こされたりでもすれば、こちらの政治手腕を疑われる。なんとか追い払うことはできないだろうかねえ?」


 虫のいい話だ。すんなりと俺たちを執務室に通したのは、そういう下心があったからか。


「できますけど、一時しのぎですし、責任も取れませんが」

「策があるのかっ。いいぞっ。それで行こうじゃないか」


 本当に無策なのかよ。俺は地方長官のデスクを借りて、羊皮紙にペンを走らせた。


「これを、帝国語とスロヴェニア語に訳して看板に書き、町の外から少し離れた場所へ貼り出してください」


「んはぁん……なるほどぉ。ということはぁ、この貼り出しは三ヶ月くらいでやめないとなあ。あっちにバレたら事だ」


「ええ。その辺はお任せします」


 となりから俺の肩越しに覗きこんでいたハティヤが渋い顔をした。


「ねえ、狼。でもこの内容って……詐欺よね?」

「まあね。でも空家なのは間違ってないはずだよ。三万二〇〇〇人分」


 俺は小首を傾げて、そう嘯くしかなかった。


【ノボメスト地域からの避難民限定! 

 今ならカーロヴァック市郊外カールシュタットに空家あり。

 三千戸、先着順で終了間近! お見逃しなく!】


 高い天井から吊り下がる荘厳なシャンデリアの明かりは、くすんで見えた。


  §  §  §


 王都ザグレブ──。ヴァラジュディン宮殿。

 バロック様式の建築だが、洗練されていたのは百年以上前だろう。

 意匠は厳格だが面白味に欠ける。この国のように。


「殿下。前を向いていてください」


 右の隣席から外交武官役のマルフリートに注意されてしまった。


「そんなに私はキョロキョロしていたか?」

「ええ。緊張感がないことくらいは見て取れる程度に」


「私が緊張するとすれば、これから対面に座るのがタヌキかキツネだった時だろう。どう話しかけていいのか解らなくなる」


 左隣に座る上級外交書記官がぷっと吹き出したので、ぼくは満足した。


「しかし、待たせすぎだな」

 マルフリートのさらに右隣に座る、銀髪を逆立てた武官アブソルベントがぼそりと言った。


「これで騙し討ちの時間稼ぎなら、ここの国王は後世にアホと語り継がれるぞ。なあ、殿下」

「そうですね。そんな度胸があれば戦争にもならかったでしょうが」


 この十年。帝国側の死傷者だけで七〇万人。この王国では少なくともその倍だ。

 たった一人の矜持きょうじとたった数人の保身で流れた血の代償は安くはない。


 そこへようやく、王冠をかぶった白髪の老人と閣僚が現れた。

 ぼく達は席を立ち、厳かな表情で対向する。


「余は、本講和会議の全権を一任されたアウルス帝国皇太子ラルグスラーダである。此度は帝国の呼びかけに応じていただき、感謝を述べさせていただく」


 そして、彼らに対して悪魔が恫喝するように口端を釣りあげた。


「そして、わが栄えある帝国との講和は、ネヴェーラ王国の存亡にかかわらず、この会議をもって最後とさせていただく。よって、国王陛下におかれては、早急にしてよくよくの熟考を求めるものである。以上だ。では、会議に入ろう」


 一方的に不遜な態度を叩きつけると、王国側がぐぅの根も出ないうちに、上級外交書記官が起立し、講和条件を読み上げ始めた。


 締結しようと決裂しようと、ぼくは全然かまわへんねんで。

 アイツのいてへん国やったら、なんぼすり潰して燃やしたところで痛くも痒くもないんやから。

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