第25話 海鷹(パンディオン)
それから二日後。
ロジェリオ家族の墓参りをして、旅立ちの報告をするためだ。
小さな花束を手向けて、みんなで短い黙祷。
それから、シャラモン神父と子供たちに見送られながら馬車に乗り込み──
「どぅわああああっ!?」
蹴り落とされた。
俺は悲鳴とともに地面に尻餅をつき、馬車から顔を出す人物を見上げた。
「おい。狼どの。私になんの挨拶もなく、一体どこへ行こうというのだね」
幌カーテンをはぐって中から現れたのは、メドゥサ会頭だった。
最近は事務ワークが多いのか、ややふっくらした印象。小麦色の肌もすっかり薄まったが、美貌の衰えは微塵もない。笑顔の中で笑わない目が俺を見据える。
黒鼻の先に
いやな予感がした。
「なん、なんのまね、ですかっ?」
「それはこちらが言うべきセリフだな。戻ってきて私にひと言の挨拶もないままカラヤンを追うつもりだったのだろう。カラヤンのつ・まっの私を差し置いてっ!」
どうするの、狼……っ。ハティヤが横から囁いてくる。
俺は顔を振った。今は何を言っても無駄な気がする。
「なんだよ、姉ちゃん。おっさんから手紙とかもらって事情は大体わかってるんじゃないのかよ」
スコールが腰の短剣の束に手を置いて言った。師匠カラヤンを見習って、説得よりも話を聞いてやろうという姿勢だ。けれど、今は火に油を注がないで欲しい。
「手紙が来たのはカーロヴァックからの一通だけだ! あとはずっと来てない!」
「じゃあ、寂しかったのか?」
「う、うるさいっ。子供のお前に何がわかるっ!」
「だってさ。狼」
俺を見るスコールの苦笑に詫びが混じる。出会ってまだ一年も経ってないのに彼はすっかり大人になったなあとしみじみしてしまう。最初に会った時の彼は、子供扱いされたら誰彼かまわず突っかかって行っていたというのに。
でも、炎上させたまま、こっちにパスしないでくれるかな。
とりあえず、謝罪から始める。
「黙って出て行こうとしたのは謝ります。手紙に関しては……、俺たちではどうしようもありません。おそらく、カーロヴァック市で陸運業の馬商人たちがこぞってシステアに移動してしまったようなので、郵送馬車の調達に遅れが出ているんだと思いますが」
「あー……そっか」
その場が一様に納得する様子を見て、メドゥサ会頭も信憑性を持ってくれたようだ。俺は話を進める。
「あのぉ。カラヤンさんからパラミダの探索に出る。そう聞いて送り出したのですよね?」
「それはっ。それにしてもっ、便りが一通では、その……心配するだろうがっ!」
ツンデレか。俺は言葉を継いだ。
「あなたはもう商人なんです。そんな武器を持ちだして俺の馬車に忍び込んでも、あなたはこの町にいてくれなければ──」
「狼どのっ。私は仮にもカラヤンの嫁だぞ? 夫の身を案じて追いかけようとすることをなぜ止めるのだ」
嫁って言ってもまだ(仮)だけどな。ルール違反はカラヤンにあるが、あの人は意外に約束は守る律儀な人だ。なので何かあったと思っているに違いない。
「仕事。うまくいってないんですか」
「はんっ。うまくいかないどころか、いき過ぎている。ナディムとサルディナは実に有能だ。私は毎日、署名だけしていれば取引があっという間に成立して商品は飛ぶように売れて、金が入ってくる。私がいなくても……数日……半月でも、どうということはないぞ!」
社長なのに、職場に居場所がないのかよ。
「ティミショアラまで片道で十日はかかりますよ。その間、ヤドカリニヤ商会はどうします」
「抜かりはないさ。父上に代行をお願いしてきた」
「あー、やっぱりここでしたか。どうやら間に合ったようですね」
聞き覚えのある声に振り返ると、ナディム専務が細君と一緒に連れ立ってやってきた。細君は俺の狼頭をずっと怖がってるのか、夫の背後から出てこようとしない。かわいい。
「さっき、そこで鳩屋の配達員から手紙を押しつけられましてね。全部、カラヤンさんからメドゥサ会頭宛てでしたので、もってきました」
その手には七、八通の書簡の束が革紐でまとめられていた。
「やっぱり郵送が遅れていたようですね」
俺が馬車を見上げると、メドゥサ会頭は武器を俺の鼻先に突き立てて馬車を飛び降りた。書簡の前に立ち、両手で受け取るとそっと胸に抱きしめた。
「馬車の中で読まれるとよろしいでしょう」
「ちょっと待ってくださいっ。メドゥサさんを止めに来たのでは?」
ナディムはニコリともせず、眼鏡を指で押し上げた。
「いいえ。スミリヴァル会頭代行より、支配人任命の辞令をいただきました。以後、海外大口取引決済や外国為替取引決済など、会頭にしかできない決定権を一部預かることになります。
スミリヴァル会頭代行には、〈セニ商会〉会頭兼務で、他商会との連絡折衝をお任せしています。正直申し上げて、商会はこれから本格的に操業して行けそうです」
みんなマジメかよ。
とりあえずこの件はこれで終わったなと、俺が肩を落とした時だった。
俺の耳が、馬蹄の接近を捕らえた。
かなり速い。馬車から一歩離れて、城門の外を見る。
「狼、どうしたの?」
ハティヤが訊ねる。俺は答えるより先に、城壁上の物見兵が角笛を吹いた。
それを合図に、街路を歩いていた町衆が一斉に端によって道の真ん中を空ける。
そこへ城門から突破という言葉通りに三騎の伝令馬が一列で駆け抜けていった。
両腕に緒の長い赤いリボンをなびかせて。
「さっきの伝令、
メドゥサ会頭が緊張した声で言った。
「パンディオン?」
「ハドリアヌス海沿岸にある各都市が合弁出資で所有している特急伝令隊だ。切り捨て御免。駆け抜け御免の越境推参が認められている。腕のリボンがその証だ」
「今回の発信元はわかりますか?」俺は訊ねた。
「兜に孔雀の羽があったから、プーラだ。お前たち、もう出かけた方がいい」
「どういうことですか」
メドゥサ会頭は顔をしかめた。
「〝海鷹〟が町を駆け抜ける時は、良い報せであった
俺はうなずくと、二頭立ての馬車に乗り込んだ。
助手席にメドゥサ会頭。そして幌の中にスコールとハティヤ、ウルダが乗り込むとナディム夫妻も馬車に乗せた。
それを確認して、俺は手綱を返す。行政庁の方へ。
「狼どのっ!? 私の話を聞いていたのかっ」
となりでメドゥサ会頭が語気を強めた。
「聞いてましたよ。良くない報せでも、知るだけなら害ではありません。むしろ知らなくて戻ってみたら町がなくなってた、なんてことになったら俺も困ります」
「たわけたことを、そんなのは極論だっ」
「聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥ですよ。速度を上げます」
この解らず屋めっ。メドゥサ会頭は頬を膨らませた。
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