第27話 ペルリカ先生と飲む 前編


 三日後──。

 カーロヴァックの商店街。

 裏路地に入ったところに、その店はあった。


〈ペルリカ薬酒堂〉。


「シャラモンは、その後、息を吹き返したかな」


 ガラス製の薬瓶が棚一杯に陳列されている。いわゆる薬膳酒を売っている店だ。蒸留酒につけ込まれた薬草類や木の実、穀物などの色に染まってカラフルだ。


「はい。おかげさまでセニの町に着いた時には、もう歩けていましたから」

「それは何よりだ。とっておきの黒焼きイモリ酒を飲ませた甲斐があったな」


 どの世界でもイモリは酒に漬けられる運命だった。

 新宿で初めて飲んだ時には、正体を知らされてその場で吹きだした。先輩達に爆笑されたけど、その後丸一日、興奮して眠れなかった。

 滋養強壮。精力増進。媚薬効果は微妙だったな。


 俺は、これまでの宿題を済ませることにした。


「ヘーデルヴァーリから、あなたの魔眼を取り戻してほしいと依頼がありました」

「……そうか。変わっていないのだな」


「あの女は、あなたの魔眼を使って何をするつもりなのでしょうか」

 いまだ会ったこともない魔女ディスコルディアを、俺は〝あの女〟と呼んでいる。

「そもそも、過去視の魔眼とはどんな風に使用するものなんですか」


 矢継ぎ早の質問に、ペルリカ先生はついに沈黙した。

 俺が前回持参したバラのリキュールの封を切るとショットグラスに注いで、ひと息にあおる。


「ふぅっ。良い蒸留だ。飲み口、甘み、香り。この小さなグラスの手触り、気に入った」


「ヴェルビティカさんからも言づてを預かっています。──先生にいつ久しくご健勝ならんことを、と」


「ふふ。あの弟子らしい真面目な祝辞だな。旅の行商鍛冶屋に入れ込んでしまって。最初はどうなるかと思っていたが、まだ続いているようだな」


「仲良かったですよ。子供はいませんでしたが」


「いや、子供はすでに独立している。あの町から南にいったドブロヴニクという要塞都市で、やはり鍛冶屋をしている。すでに所帯を持って子供も二人いたはずだ」


「そうなんですか。弟子の家族をそこまでご存じなのですね」

「ふっ……師として、弟子には幸せになって欲しいではないか」


 ペルリカ先生は俺のグラスにも酌をしてくれた。二人で献杯してひと息にあおった。


「くっ、はぁ~っ!」

 甘いけど、喉が熱い。アルコール度数を上げすぎたかも。


「ふふっ。お前は、あまり酒は飲める口ではないのか」

「酒が、マナ蓄積に影響がないので。あまり飲んできませんでした」


「ふむ。なら、ジュニパーベリーと養老根の混合酒はどうだ。それならマナ蓄積は見込める。身体を温める効果もあるから、この時期にはうってつけだ。安くしておくぞ」


 商売上手だな。


「量と値段によってはいただきます」

「そうだな。他ならぬお前との交誼こうぎに答えて、一瓶で八ロットにしてやろう。お前のようなトラブルの多い魔造人間なら損はせんよ」


 ひどい言われようだ。そうは言っても、もう冬だ。この先もリンゴがあるとは限らない。金貨八枚をカウンターに置く。


 ペルリカ先生は奥から陶器の瓶を持ってきた。


「マナを滞留させるためにハチミツを入れ、ややとろみと甘みをつけてあるから、子供でも大丈夫のはずだ。用量はティースプーンで二杯。それをお湯か温めたミルクに入れて飲むといい」


「酒というよりは薬ですか」養命酒みたいな。


「酒として飲んでも良いが、酔いを求めるのならやや物足りぬだろうな。味はスッキリとした酸味に檜皮の香りが少し残る。好みの分かれるところだ。だから薬として少しずつ飲むといい」


 俺がうなずいて酒瓶を受け取った。

 ペルリカ先生はおもむろにカウンターの金貨を三角形に配置した。


「ヘーデルヴァーリはな、かつて二人の魔女に愛された男だった」

「……」


「本人は美形ではなかったが、陽気で、話がうまくてな。魔女だけでなく町娘や貴族令嬢にも顔を覚えられていた。もちろん、その中には恋遊びに興じた女もいただろう。本当によくモテたよ」


 俺はうなずきつつ、グラスにリキュールを注ぐ。ペルリカ先生はそれをあおると、


「途中の馴れ初めは割愛するが、結果として彼はわたしを選んだ。だが、あの女はそれを認めなかった。そして、ある時。妾はあの女の奸計に嵌まり、帝国魔法学会から三〇〇年幽閉された」


 ん、三〇〇年? おかしくないか。


「まってください。ヘーデルヴァーリは三〇〇年前から存在したんですか?」

「現在のゲルグー・バルナローカは、妾が知るヘーデルヴァーリから数えて三代目だ。二度転生している」


「えっ。転生? この世界に転生ってあるんですか」

「何を言っている? ……ああ、お前は〝転生補完論〟を知らないか」


 転生補完論。俺はラノベの中でしか知らない。


「それって、数多あまたの世界の魂の数は、常に一定に保たれるようにならされて、その世界機能を維持させるために過去から未来へ魂が器を入れ替えるように時間に組み込まれていく。という?」


 ペルリカ先生は、犬がお座りを覚えた時みたいに口をOの時に開いた。


「なんだ。知っておるではないか。ふむ。ただ、誤解してはならないのは、転生という次元事象は一つの世界だけで行われているわけではない。

 他の世界軸に魂は流れてそちらで過ごし、また別の世界に流れる。

 妾は師から、タテ糸が世界軸、ヨコ糸が魂の流れと教わった。

 魂はつねに一つの世界・時間に留まらず、いくつもの世界を流転して世界全体の秩序を維持しようと補完的に転生していくわけだ」


「それじゃあ、俺も転生したというわけですか」

 ペルリカ先生はあっさりと顔を振った。

「お前は、その例外だろうな」


  §  §  §


「えっ、例外!?」

「転生とは本来、魂による肉体の移し替えだ。なのにお前の肉体はそのまま、魂は狼の頭蓋ずがいに封じ込めて流転させないよう細工までして、この世界に運ばれた。術者の意図はわからんが、考えられるとすれば……」


「とすれば?」


 ペルリカ先生は見えないはずの目で、器用にバラのリキュールのガラス瓶からショットグラスに注ぎ込むと、ひと息にあおる。


「お前のいた前世界での肉体が、この世界に必要だったのではないかな」

「魂ではなく?」


「うん。あるいは、その両方か。仮説に過ぎないがな。そうすると、お前は既にここへ転生してきたどこかの魂の誤作動を修正できる存在なのかも知れんな」


 魂の誤作動。転生者の誤作動を修正……。つまり俺はそのバックドア的な何か。


「意味がわかりません」

「ふっ。だろうな。あくまでも妾の仮説に過ぎぬ。忘れてくれてかまわんよ」


 微苦笑するとペルリカ先生は、話を戻そう、と口調を改めた。


「どこまで話したかな。ふむ。あの女は私を幽閉に追い込んだ後、ヘーデルヴァーリに詰め寄ったらしい。だが、彼は……あの女を拒んだのだと思う」


「その辺の詳細は」

「ない。だが二代ヘーデルヴァーリが四〇年ほどで私の石室に現れたから、おそらく早い段階で死んだのだろう」


 俺は背筋に寒気を覚えた。自分の愛を拒んだ男を、女は殺せるのか。


「顔も声も違う男が現れて、先生はヘーデルヴァーリの転生が解ったのですか?」

「魂を見ればわかるからな」


「は……っ?」


「長く魔女をやっているとな。相手とまぐわった時に魂の色や形状を覗き込める。もちろん、その時に向こうからもこちらを覗き込まれるわけだがな」


 お子様たちを宿で待たせておいて正解だった。これを聞いて魔法の練習とか始められたら、恐くて泣いちゃう。


「それで、たしか二代目ヘーデルヴァーリの助力で脱獄したんでしたよね」


「うん。そして、彼もまた死んだ。だが、帝国魔法学会の誰かが面白いことを思いついたようだ。私の行き先を知ろうとして、二代ヘーデルヴァーリの記憶を保管しておいたヤツがいた。それを三代ヘーデルヴァーリへ移植させたのだ」


「記憶を移植……そんなことが」


「可能だ。邪法だがな。二代ヘーデルヴァーリの頭部を保存していればな。それで三代となる肉体を見つけ出し、魂が過去の記憶を発露している三歳までに記憶をすり込むのさ。その結果、三代は精通する前から私に恋焦がれているというわけさ」


 卑猥な冗談を口にしたが、ペルリカ先生の声には学会への憎しみがこもっていた。

 俺は質問を重ねる。


「ゲルグー・バルナローカは、過去視の魔眼を守ることが父親の罪をあがなうこと言っていましたが」


「それは違うな。彼の中で融合しなかった記憶部分が自身の経験にすり替えられている。おそらく二代ヘーデルヴァーリの記憶が、肉体の持ち主であるゲルグー自身の記憶に干渉し、記憶の混線をもたらした可能性が高い。喩えば、父親が三代ヘーデルヴァーリに間違われて逮捕された、とかな」


 ということは、学会の中でも記憶の上書きをほどこしたのと、逮捕処刑した相手は別勢力。それにしたって、生まれ変わっても前世の罪を持ち出して逮捕するなんて。いやな連中だ。


「ヘーデルヴァーリの魂は同じ家系に現れるものなのですか?」


「ふむ。一概には言えぬな。ヘーデルヴァーリの魂が家族に執着していれば、何十年もかけてその家系に魂が帰還することは考え得る。もちろん、これも仮説だ。

 魂というものは感知性の精神体なんだ。想いはあっても理性は足りない。もちろん、これも学説であって、実証した者など魔法使いにすらいないがな」


 俺は理解して、注いでもらったバラ色の酒を手に取った。


「ということは、先生が会わないことがゲルグー・バルナローカの身の安全というわけですか」

「そういうことだ。……悲しいがな」


 最後の言葉は魔女ではなく、一人の女性の本音を聞いた気がして胸に響いた。

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