第11話 空が明日を分かつとも(11)


「あら、真っ昼間から良いニオイさせてるわね」

「ええ。ひと仕事を首尾よく終えて、ふた仕事目にかかる景気づけですよ」


 俺は借り物の馬車に満載された麻袋を見上げた。 


「あんた。これ、どうするんだい?」

「ゴブリンに食わせるんですよ」

「はあ、ゴブリン? これだけのイモをかい?」


 もったいないねえ。リマは頭を抱えて嘆いて見せた。


「ところで、ジャガイモの芽は……?」

「ああ。あんたに言われた通り、全部摘んで、すり潰して、なんだっけ白い粉? それと混ぜてイモにまぶして袋詰めにしておいたよ。八六袋」


「あれ。三〇〇袋購入したはずですが」

「さあね。あたしゃ知らないよ」


 あさっての方角へ口笛でも吹きかねない様子でリマが逃げようとするので、丸っこい肩を掴んで引き留める。


 鼻に咬みつける距離まで顔を押しつけて、俺は相手の目を覗きこんだ。


「そっちの取り分は五袋という約束だったはずです。半分以下とは舐めたまねをしたもんですね。この顔が善人に見えますか?」


「あっ、あああたしゃ、やめとけって言ったんだよ? 本当さ」

「あなたとの約束に変更はありませんよ。リマさん。三〇〇袋のうち五袋があなたたちの報酬。それ以外はすべて毒入りのイモに変えてもらいましょう」


「ど、毒入り……ッ!?」


「俺はこれを持ってゴブリンの巣へ突入します。そこから帰ってくる門限までに残りの二〇九袋をジャガイモの芽を摘んですり潰し、イモにまぶして用意しておくように。でないと──」


「で、でないと?」


「見ず知らずの娘を救い出した魔法使いの恩を仇で返すような人間どもです。この下町に呪いをかけて差し上げましょう。今年の夏。この下町に毎日ゴブリンの死体を投げ込み、悪臭で住めない町にして差し上げましょう。この顔が善人に見えますか?」


 リマさんはゴクリと固唾を飲み下すと、町内に駆け戻っていった。


「あっひゃひゃひゃっ。ひで~嫌がらせすんなぁ。狼ぃ」


 いつの間にか、ヴィヴァーチェが馬車の荷台のイモ袋の上にあぐらをかいて笑っていた。


「お母さんは?」


「宿。ワインがうまかったらしくて、ちょっと寝るってさ」

「そう。じゃ、出発するよ」


 てっきり降りると思ったのだが、あぐらをくるりと後ろから前に向けただけで降りる様子がない。ついて来る気らしい。

 俺は御者台に乗って、馬四頭の手綱をあおった。


「なあ、狼ぃ」

「なんだい」

「なんで、あの女。殴らかったんだぁ?」

「殴って言うことを聞きそうな人に見えたかい」


「見えない」

「俺もだよ。むしろ殴ってしまえば、反抗の火がついて余計に仲間を庇っただろうね」

「わかってたのかぁ?」


「いいや。こういうのは、順番さ。言葉で相手を言い負かせるうちは、拳を振り上げたりしない。仕事の不備は誰の落ち度なのかをはっきり言い聞かせる。

 言葉で言い負かせなくなったら、相手の嫌がることをする。そこからまた、仕事の不備は誰の落ち度なのかをはっきり言い聞かせる」


「仕方ないよな。あの女、約束を破ったんだから」


「そう。約束を破る時は、ちゃんと破られた相手も納得する理由を言わなくちゃならない。約束を破られた側の損害は仕方なかったんだと、諦められるほどの理由だ。あの人はそれができなかった。それだけさ」


 約束を破った後では、普通、どんな言い訳をしたところで相手が納得するはずもないけどな。


「狼ぃ。前に、どこかの組織にいたのかぁ」

「いないよ。学校って所で、ちょっと裏で債権回収キリトリまがいの仕事に片足ツッコんでた」


 学生時代。

 なまじ国から生徒費名目の給料が一〇万円も出たので、子供の間でそういう安易な金銭の貸し借り問題がよく起きていた。

 無論、教師にバレたら一発停学だ。


 そこで代行業として学年でも腕っ節の強いヤツに仕事が回ってきた。でも実際に腕っ節を使うとすぐ通報され、貸した側は連帯停学。借りた側はまんまと転校して高飛び、金は戻ってこない。貸した側は丸損だ。


 だから代行業は、言葉でなだすかして債務者を堕とさなければならない。理数系の学校なのに、俺も金融と法律を少し勉強したもんだ。

 良い稼ぎではあったが、二度とこの手の問題に首をつっこむのはやめた。


 この手の金銭トラブルは面倒くさい。友達との貸し借りだから借用証書を取ってない。だから借りた側の実家に上がり込んでその親に泣きつくしかなかった。

 貸した期日と額と、相手の名前と住所を後書きした、貸した側の生徒手帳を持参して。


 回収総額三〇万円。その半分が俺の成功報酬になった。

 苦労した甲斐はあったとほくそ笑んでいたところに、依頼人が俺を藤堂先輩に売りやがった。


『中坊が暴力団まがいのことをしてんじゃねーよ。バーカ」

 十五万円を取り上げられて依頼人に渡され、俺は藤堂先輩に叱られたものだ。

『ナカムラ(依頼人)。ここの全員にラーメンおごれよ。それでこの件はチャラにしといてやるよ』

『ああ、わかったよ』

『あとな。……今度、おれの断りなくタクロウの頭を利用しやがったら、この学校通えなくすっからな。憶えとけよ。この件は、おれに貸しがあるってな』

『お、おう……わかった』


「ふうん。なあ、狼ぃ」

「んー?」


 呼ばれて我に返った。とっさに生返事になる。


「オレの副会頭になってくれないかぁ」

「意味がわからないんだけど」随分、薮から棒だな。


「オレ、あと二年したら兄貴達の下で働く年季が明けるんだぁ。そしたら、運び屋をやろうと思ってさぁ。どう思う?」


 運び屋という言葉に、俺は思わず後ろを振り返ってしまった。同じ業種に着目する人間がこんな近くにいるなんて驚きだった。


「運送業者のことかい?」

「ううん。運び屋ぁ」

「リエカで運び屋をしている商会はどれくらいあるのかな?」

「知らん」


 まだ雲の上の絵らしい。俺は前を向いた。


「じゃあ、そこからだね。既存の運び屋で必要なことを一年間勉強しておきなよ。人手を集めるのはその後だ」

「三年も我慢するの、さすがにオレも無理だってぇ」


「お兄さん達に頼んで働きながらすればいいじゃないか。実績のないうちは仕事は少ないからね。商家を起こすのなら、会頭がノウハウを知っていなくちゃ始まらないだろ」


「けどさぁ、ヤドカリニヤ商会って会頭のねーちゃんダメじゃん?」

 うぐぅ、痛いところを突かれた。


「だ、だから、カラヤンさんやカラス専務が苦労してるよね。でも本人だって、その辺を結構気にしてるんだよ?」だめだ、全然フォローになってない。


「そっかあ。やっぱ、あれか。兄貴が狼を手放さないかもなあ」

「まあね。自由にやらせてもらってるから、その辺は確かにありがたいと思ってるよ」


 何か話が噛み合ってない気がするけど、ま、いいか。


「うんうん。狼は忠犬だもんな」

「それを言うなら、忠勤な」

 俺とヴィヴァーチェは、ジェノア北城門をくぐって、町の外に出る。


  §  §  §


 町から北へ小一時間。問題の野盗出没エリアにやって来た。

 馬車道にかからないよう毒イモを袋ごと二人であちこちにばらまく。アリと同じで、その場で食べさせたいわけではない。巣に持ち帰って、みんなで仲良く食べてほしいからだ。


「こんなので、ゴブリンがひっかかるのかぁ?」


 ヴィヴァーチェは片手でイモの入った麻袋を遠くへ投げる。筋肉の付き具合はそれほどでもない痩せ体型なのに、見ていて不思議な怪力だった。


「さあね。お腹がすいていたら、拾って帰るんじゃないかな」

「でも、イモの臭い。しないぜぇ?」

「ホウ酸を混ぜてるから薄まってるんだ。まあ、細工は流々、仕上げをご覧じろって、ねっ!」


「狼。それ、どういう意味だぁ?」

「やり方は個人で違うけど、仕上あがりを見ていただければ、ほら期待通りでしょ? って意味。砕いて言えば、まあ黙って見ててよってことかな」


「ふーん」

 気のない返事で、赤髪の青年は馬車の荷台から麻袋を四、五〇メートル先まで投げる。


「おーっ。今のは、よく飛んだなあ」

「えへへへっ。オレ、こういうのは得意なんだぁ」


 ものの二〇分ほどで、謎の麻袋八六袋がばら撒けたところで、俺は馬車をまた町に戻す。


「ヴィヴァーチェがいてくれて助かったよ。俺一人じゃ夕方になっても終わらなかったかもしれない」


「えっへへへっ。狼は何でも一人でやろうとしすぎなんだよなぁ」


 褒められて嬉しかったのか無邪気そのものの笑顔。それでいて針のような鋭い指摘に二の句が継げなくなる。


「……怒った?」


「ううん、違うんだ。ヴィヴァーチェの言う通りだと思ってさ。俺も本当に一生懸命になると周りを頼らなくなる癖、どうにかしないとな」


「そうだぞぉ!」

 背後から首に腕を回された。そして、うなじに顔が埋められた。


「うわあ。すげぇ、もふもふだあ! しかもバラのいい匂いまでするぅ」

「こら。おい、じゃれつくなっ!」気色悪ぃ。


「うひひひ。……来た、ゴブリンだ」

 耳許にささやかれ、俺は緊張した。馬を止めずに意識を後方に向ける。


「っ……4時方向か」

「──二体め、8時。三体目も同じ。ぞろぞろ出てくんな」


「ずいぶん釣れるのが早い。どこから現れた」

 馬車が五〇メートルも離れてないのに。


「たぶん廃屋からじゃね? この辺の朽ち果てたヤツ。あそこのどっかに巣に繋がる地下穴があるのかも」


「よし。少し馬のペースを上げる。残りの二〇〇袋もばらまくんだ」

「二〇〇ねえ……。あのオバサンに回収できたとしても、せいぜい五〇くらいかもなぁ」

「できるだけ、回収しておいてもらいたいんだけど。なんせ敵は一万匹だ」


 ヴィヴァーチェは俺の首から腕を放さず、頭に頬を押しつけながら、


「ゴブリンってのは、アリやハチと同じで階層構造ヒエラルヒーを持ってるって兄貴達から聞いたことがある。八六袋の毒イモは上に献上されるんじゃねーの?」


「うん。だとしても、今回の作戦目標は、殲滅せんめつだ。一匹残らずの皆殺しを俺は狙ってる。このまま指揮系統が麻痺してくれるのはありがたいけど、ゴブリン全体の機能不全ってわけじゃない。しかもイモ一つの毒は死ぬほどじゃない。毒で足止めして動けない程度だ。その状態から、やつらを水で溺れさせたい」


「なあ、なんで全滅させる必要があるんだぁ?」

「えっ?」

「ゴブリンなんてゴキブリと同じだって、レント兄貴が言ってた。上の連中潰せば、一万だろうが二万だろうが、しばらくは大人しくなる。それでいいんじゃねーの?」


 正論だ。しかも要領も良くて賢い判断だ。そもそもゴブリン退治なんて、余所者がお節介で首をつっこんでも損しかない。


「実は、俺もよくわかっていないんだ」

「へ? なんだよ、それ」


「でもね、きみのお母さんは、俺の魔法を信じて王様にまで報せに行ってくれたんだ。俺が見せた魔法であの町の危急を感じてね。俺の魔法なんて無視して、見て見ないフリしておけば、美味しいご飯を食べてゆっくり寝て、さっさと町を離れられたのに」


「うん、そうだなぁ」


「想像してごらん。頭の中できみがお母さんに尋ねるんだ。なんでゴブリンなんて退治しようとしているのか。すぐに増える魔物なのに無駄じゃないかって。その時、お母さんはきみになんて答えると思う?」


 ヴィヴァーチェが黙り込んだ。俺の首は離してくれないけれど。


「たぶん……自分が魔法使いだから」


 俺は少しだけ横を見た。

 肩から赤毛の狼が顔を出していた。片耳のない赤狼。

 まばたき二つで元の青年に戻った。幻覚か。わからない。


「魔法使いだからできた。できたのに、今やらないのは臆病者のすることだ、かなぁ」

「そうだね。ヴィヴァーチェは賢いな」

「ん~ぅ?」


「俺は、魔法をオモチャみたいに振り回すだけの半端者だけど、お母さんの魔法使いとしての町を守りたい心意気に共鳴したんだ。そのために俺は圧倒的な結果を出す。ゴブリンを全滅させてあの町の王様をあっと言わせてやるんだ」


「うひひっ。王様を驚かせるんだな。よーし、愉しそうだぁ!」


 いい加減もふもふするのやめろよ。くすぐったいからっ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る