第27話 狼、温泉宿をつくる(21)
「で、結局、お前はどうしたいんだ?」
朝──ティミショアラ・将校団地。
公国軍服を着たカラヤンは腕組みして、首を傾げた。
「計画の変更はわかった。集める商店の誘致もこれから。施設購入も競売待ち。大勢に影響はねえ。というか、騎士団長殺しと貴族とのトラブルにマクガイアが巻き込まれているとしても、それは商売には影響してねえことも、一応わかった。
お前が問題にしているのは、一人で一八〇万もする奴隷の購入をモモチから頼まれた。これを買っちまえば、購入不動産の規模が目減りする。と、こういうわけだな」
「ええ。そうです」
「買いたきゃ、買えばいいんじゃねえの?」
「えっ?」
「だって、お前の金だろ」
「それはっ、そう、ですけど……」
カラヤンはコーヒーをすすって、言葉を継ぐ。
「ヤドカリニヤ商会は、お前がつくった物を買い上げる。その方針になんら変わりねぇだろ。六ヵ所買う施設が一ヵ所になっても、それがデカい売上げを叩き出すなら、それを買う。今回は建物ではなく利権だったな。それで商会に損が出ないのなら、お前の金だ。好きに使ったらいいじゃねえか」
「いや。そう、なんですが……」
「何に引っ掛かって前進をためらってる? モモチの
「それもありますが」
「競売当日に、その奴隷の値段が異様に跳ね上がることか?」
俺はうなだれた。
「はい。本来の物件購入が不可能になれば、
「なら、購入できる金額まで
「……っ」
「こう言っちゃなんだが、どんな国のお姫様だろうと奴隷に墜ちれば、そいつは奴隷だ。割り切るほかねぇだろうが」
「えっ!?」
俺はハッとなって顔をあげた。
「お前は商人で言い張るってんなら、数字で義理も人情も割り切るしかねえだろ」
「いえ、そうではなく、お姫様のほうです」
「あん?」
どうして今まで、そのことに気づかなかったのだろう。モモチ老人のあの執拗なまでの食い下がりと、落札成功後の無茶とも言える見返り。その一言で全て片付くじゃないか。
ミランシャは、獣人狩りに遭ったモモチ老人の教え子というだけではなかった。
獣族のお姫様なのだ。
『桔族は、獣族の中でも〝巫族〟とも呼ばれ、門外不出の民なのだそうです』
人族における〝王族〟だって、門外不出の民だ。
巫族。獣族の大半がヴァンドルフ家に従属しているらしいが、それは人族から見た建前上のこと。あの土地が、巫族を中心とした独自の統治制度をとっているのなら、ヴァンドルフ家を含め、各部族が守り忠誠を誓う存在。
それが桔族。その王女が、彼女──ミランシャ。
(それならそうと、はっきり言えよ。爺っつぁまよーぉ)
「おい、狼」
「わかりました。カラヤンさん。奴隷を買おうと思います」
「お、おう……」
「施設は二ヵ所に集約し、複合施設のほうはドワーフ組合と〈ヤドカリニヤ商会〉で四対六の利権分配をします」
「四は渡しすぎではないか?」
二階から正装で降りてきたメドゥサ会頭が指摘する。
「いいえ。施設業務は現地委託するわけですから、現地で売上げを伸ばすも断ち切るも、現地労働者の頑張りです。それなりに旨味を持たせないといけません。そして、この利権は一定の売上げに応じて商会側を減らし、最終的には七対三まで減らします」
「うちの儲けを三分の一まで減らすのか」
「はい。でもそれは一〇年先ですね。その間に客足も安定し、投下資本の回収をすませて、施設も老朽化しています。それまでにブームが起きて売上げを最高潮時にもっていかなければなりません。
その終息直前で回収できた利益で、新しい施設をまた作り、古い方の施設をオラデアの町に売ります。売上げ実績があれば、それなりの商業価値で売り抜くことができるはずです」
「実りの最盛期で土地ごと売っ払うのか。まるで果樹園だな」カラヤンは肩をすくめた。
「よし、狼。それなら私も行くぞ!」
メドゥサ会頭が愉しそうに言った。
「え? 行くってどこへですか?」
「お前は今までなんの説明をしていたのだ。睡眠不足で寝ぼけているのか? 競売に決まっているだろう」
「寝ぼけてませんよ。これからセニへ帰る段取りをする人が、急に何を言い出すのですかと、お伺いしているのです」
「競売参加はなんだか面白そうだと思っていたのだ。私だって、たまには人助けがしたいのだ」
この人、今、面白そうだと言いました。遊び気分で行くんじゃねえか。
「いや、それならご自分のお腹の中ですくすく育ってる人を助けてあげてくださいよ」
「大丈夫だ。ちょっとやそっとの旅で挫けるような子に育てた覚えはないからな。つべこべ言うな。どうせニフリートをオラデアから護衛して帰れば、退官になる。良い骨休めにするのだ」
(誰か、お医者さん呼んで~。この妊婦さん、無茶苦茶なこと言ってる~っ!)
俺はカラヤンを見たが、笑うばかりで妻の暴挙を止めようとはしなかった。
その笑顔に少しの屈託もないので、俺はほんのちょっぴり、ムカついた。
知らないことが、この場の幸福であったとしても。
§ § §
〝タンポポと金糸雀亭〟は、大盛況だった。
例のとんかつが人気を博して、食堂は満席。知らない娘女給がとんかつの皿を両手に持って忙しなく客の間を行き来していた。
「忙しそうだね」
「いらっしゃい。あ。狼さんですよね。──女将さーん。狼さんが戻りましたあ!」
大きな声だ。シャラモン一家のギャルプを思い出す。そう言えば、あの子は働く気概はありそうだったのに、俺には何も言ってこなかった。やりたいことはなかったんだろうか。
そんなことを思っていると、厨房からイルマが菜種油の匂いをさせて出てきた。
「狼。お帰り。鳩が来てるよ。オラデアから」
「ありがとうございます」
ロビーの受付に回って、女将さんが鍵付きの戸棚から書簡をとりだしてくる。俺は手間賃を払って書簡を受け取った。【至急】だった。
「大盛況ですね」
「ああ。狼のお陰だよ。亭主も珍しくうまいって言ってくれてね」
「よかったじゃないですか」
「まあね。このレシピ、他で見せてないだろうね」
「えーと。オラデアの〝クマの門亭〟という居酒屋で披露しました。ソースを変えて」
「なんだって? どうして、そういうコトするんだい!」
前のめりに怒られた。俺はのけ反って愛想笑いで受けるほかなかった。
「む、向こうにもお世話になってましたからっ。それにあの店にもこことは違う、いいソースを隠し持ってたんです。それで子供たちも、またとんかつが食べたいというので、鶏のもも肉と合わせて披露しました」
「鶏のもも肉? ああ、あれでもいいのかい。……でも、このティミショアラで他に広めないでおくれよ。この店の名物にするんだからねっ」
「ええ、わかりました。ティミショアラはここだけです」
挨拶をして二階の部屋に戻ると、書簡を開いた。
【騎士団長殺し。犯人四名逮捕するもウラ親子逃亡。
マクガイア、オルテナ負傷。至急帰れ】
捕り物は大騒動になったようだ。ヴィサリオ・ウラは自分の息子だけを連れて街を出たらしい。わが子可愛さにしても罪作りな親だ。そして、マクガイアとオルテナが負傷したらしい。
「マズいな……。大ケガでないといいんだけど」
そこで、耳がピンッとそば立った。下からせわしないカラヤンの足音が階段を昇ってくる。
「開いてますよ」
ノックする前に声をかけると、ドアからカラヤンが顔を出した。えらく慌てていた。
「狼。大変だ。マクガイアが斬られたらしいぞっ」
「ええ。さっき鳩を受けて、知りました。ケガの具合はひどいのですか?」
「ベッドから起き上がれないらしい。治癒魔法がつかえる魔法使いを探してるようだ。お前、行ってやれるか」
「はい。メドゥサさんはどうしましょう」
「バトゥ都督補から特別広域護衛許可の辞令を受けた。夕方に、その出立が整うはずだ。お前は先行できるんなら先に出立してくれ。オラデアのドワーフたちがいきり立ってるらしい」
「わかりました。荷ほどきはしていないので、これからすぐオラデアに戻ります」
「うん、そうか。頼むぞ」
「ちなみにですけど、メドゥサさんは馬車ですか?」
「ん? いや、騎馬だが?」
マジか。この世界は妊婦に優しくない。俺でも知っている妊婦さんへの配慮を、誰も知らない。魔法ってこういう時、役立たずだ。
「お腹の子をもう少し大事に扱ってくださいよっ。馬車で行政庁の前で待ってますから、合流を伝えてください。二頭立てにして向かいます」
「いや、しかし……っ」
「一刻を争いますが、メドゥサさんの身体も大事です。彼女が来るまでに、俺からバトゥ都督補にカラヤン中隊のオラデア出動要請書を書きます」
「おれが?〝魔狼の王〟は討伐しただろうが」
「カラヤンさんっ。次の相手は、魔物よりも厄介な人間ですよ」
オラデアの町に軍が配備されてないわけではない。だが赤鎧騎士団は〝魔狼の王〟に惨敗し、今また騎士長が殺され、犯人はその末端団員。もはや弔い合戦どころではない。
だったら、俺の手札から〝
「パラミダとの戦いで、剣士として全てを出し尽くしたというのなら、ここに残ってもらって構いませんよ。あなたは公国騎士です。朝、登庁して雑務と訓練を片付けて、夕方に退庁。それでサラリーを受け取る。そんな人生を止める権利は俺にはありません」
「なんだとぉ……っ」ハゲ頭にミミズのような筋が浮き上がった。
「でも、俺はそんなありきたりな兵士生活を送ってもらいたくて、あなたをここへ仕官してくれと頼んだのではありませんっ」
カラヤンの太い眉毛がくわっと跳ね上がった。
「だったら、お前はなんでおれをここへ仕官させたんだよ。パラミダの件でもそうだ。お前は俺に一体何をさせたいんだ」
「大公とのコネ作りです」
「なっ、なにぃ!?」
「大公に謁見したあなたに便乗して、俺はこの国の秘密を大公から聞き出そうとしたのです。ところが、どうやら大公がそれを聞いて欲しくないらしくて、俺を遠ざけようとしている。
そこに他の家政長反乱の兆し。マクガイアさんの家政長就任がありました。ところが、それを待っていたように次々とオラデアで問題が噴出しました。呑気にかわいい奴隷ちゃんなんか買ってドキドキしてる暇もないほどにです」
「かわいい奴隷ちゃん?」
「カラヤンさん。大公はマクガイアさんが嫌いなのですよ。いや目障りと言ってもいいでしょう」
「目障り?」
「その理由にも、まだ深くは踏み込めてません、でも今回のことは大公もやり過ぎました。彼を今、殺そうとするべきではないのです」
「これが大公陛下の仕業だと?」
「直接ではないと思います。遠因というやつです。大公が目障りだと思わなければ、マクガイアさんは貴族を押さえ込めたはずです」
カラヤンは禿頭をつるりと撫でた。だが笑顔がない。
「だめだ」
「え?」
「だめだって言ったんだ。お前の頭ん中にあることがさっぱり理解できねえ」
カラヤンの本音は俺を少なからず落ち込ませた。この世界の住人に彼らの〝
「俺は、オイゲン・ムトゥと出会って、ダンジョンに入って、あなたに言えないこの国の事情というものを多く抱えさせられてしまったのです」
「あー。そうだ。あの辺からだ。ダンジョンから戻ってきてお前ら、なんかおかしくなったよな。なのに、ムトゥ殿やライカン・フェニアとは話す機会が多くなって……おれはてっきりムトゥ殿に気に入られたんだと思ってた」
ねーよ。絶っっ対にねーよ。むしろ俺が嫌だわ。あれだけ駆け引きして拒絶したのに、この現状。こんな土にも埋めておけない秘密を抱えさせられてしまったんだ。
気に入られてたら、あんのクソジジイに全部丸投げされて、命がいくつあっても足らなかった。心臓はもう止まってるけどな。
「俺はこの国のことを知りすぎてしまった。でも肝心なところを押さえられていない。だからまだ大公に生かされてるんだと思います」
カラヤンは大きく鼻息すると、昔のように俺の頭をがしがし乱暴に撫でた。いや、まだギリギリ一年経ってないんだ。なのに、この人との冒険が遠い昔のように感じられていた。
「少しずつでいい。おれにも、お前の負担をよこせよ。おれ達は相棒だろう?」
「カラヤンさん……っ」うちの上司、かっこええぇ。
「メドゥサを呼んでくる。要望書はおれが上申する。読ませろ」
「了解です」
立ち去る大きな背中を見送りながら前職の敬礼をし、俺は少しだけ鼻をすすった。
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