第8話 古き海賊の町

 

 セニの町は、小さな港町だった。

 リエカから東へ二時間。ハドリアヌス海の東沿岸は国が代わり、ジェノヴァ協商連合ヴェネーシア共和国属州ダルマチア領。俺にとって第二の外国となる。


 町に入るなり、シャラモン神父から教わった帝国式文法では聞き取れないノイズが増える。この世界に放りこまれて久しぶりに異国に紛れ込んだ気分がして、胸がどきどきした。


 港湾都市リエカほど華やかではないが、夜でも活気があった。あったが、革製の甲冑姿の男達からの視線がやたら刺さる。


「ここは、海で作った塩を内陸へ運ぶ中継地でな」

 カラヤンが説明してくれる。

「もっとも、カーロヴァックがアスワン帝国に攻められて塩を送れなくなったから、町全体がちょっとイラついてるようだ」


「カラヤンの旦那は、この町にはよくきたんですか?」マチルダが訊ねる。


「冒険者時代に何度かな。ここから南東にいった〝ディナル・カルスト〟って岩山脈がある。その山中に滝と湖の美しい〈プリトヴィッツェ〉って湖沼地帯があって、その奥が【黄道十二宮パンデモニウム】の一つ、ダンジョン【天秤宮ヴェスーイ】の入口だ」


 へー。俺とマチルダが観光丸出しの声でユニゾンした。


 カラヤンの後をついて入った居酒屋は〝爆走鳥亭〟。ダチョウに似た青い鳥の看板がぶら下がる。


「久しぶりだな。ロジェリオ」

「おい、マジかよっ。ムラダー、生きてやがったのか!」


 右目に刀傷がはしる宿主人がカウンターから出てきて、カラヤンとがっちり握手して肩を叩く。


「冒険者をやめて盗賊に転職したとは聞いたが。無事そうだな」

「そっちでもへマやって盗賊団を一つ潰した。今、カラヤン・ゼレズニーと名前を変えてる」


 正直すぎる応答に、宿主人のほうが虚を突かれた顔をし、ついで破顔した。


「はっはあ。当たり前だ。あんたは昔から欲がなさ過ぎる。盗賊には向かねえって、ここの連中とよく言ってたんだ。

 あのネヴェーラ領主どもを散々引っかき回したシャンドル盗賊団がついこの間、潰れちまった話も聞いちゃいるが……まあいいさ。また冒険者に戻るんだろ? だったらいい仕事が──」


「待て待て。もうそっちで稼ごうとも思ってねえんだ。しばらく旅のガイドだ」


 慌ててマチルダを紹介する。宿主人は彼女がバルナローカ商会と聞いて呆気にとられた。


「お嬢ちゃんが、この町の塩を買い付けに来たのかい?」

「えっと。し、塩はこの辺ではありきたりなので、朝市を見て決めようと思ってます」


 商人見習いとして本音は明かさないポーズのようだ。


「ふぅん……。なら良いことを教えといてやる。塩はウスコクから買ったほうがいいぜ」


「ウスコク?」

 マチルダが聞き返す。

「おい、ロジェリオ」

 するとカラヤンが睨めつけると、宿主人はニカリと笑う。


「冗談だよ。ウスコクは、この町の豪族だ。今も革鎧を着て町をぶらついてる強面がいたら、そいつらだ。町の北にある砦に住んでる。

 オレらのひい祖父じいさんの代から海賊稼業ででかい顔をしているが、副業でやってる闇塩売りは、お貴族商売で商いの仁義を知らねえ。安い値札をちらつかせて人を集めて、ふっかけてきやがる。気をつけな」


「わかりました。ありがとうございます」

「ロジェリオ。ウスコクはジェノヴァと手が切れると思ったがな」


 カラヤンが言う。宿主人は両腕を軽く上げて、鼻息まじりにももを叩く。


「ここの連中もそう思ってた。そしたら、折りよくアスワンの連中がまたダルマチア海域に廻ってきてな。結局もとの鞘さ」


「良くも悪くもウスコクのかじ取りはハドリアヌス海で一番だからな。カーロヴァックの情勢はどうなってる?」


「あー、そっちはだめだめ。話にならねえよ。道はヴルボヴスコ、オグリンまでを完全にアスワン兵で押さえられた。猫の子一匹はいる隙がねえ。アルサリア要塞群はビクともしてないみたいだが」


「アルサリア要塞群ってなんです?」俺は思わず口を挿んだ。

「うお、お前。人の言葉がしゃべれんのかよ」


 素で驚かれた。奥のテーブルで酒を飲んでるトカゲがいるのに。いや、あれで人なのか。


「ロジェリオ。おれの連れで、冒険者見習いだ。おれは狼って呼んでる」

 カラヤンの紹介で宿主人はすぐに納得した。俺が斧を持っていたせいだろう。


「いいか、狼の。アルサリアってのはな、アスワン帝国の言葉で、〝すばる〟って意味だ。星だ。わかるか? 

 カーロヴァックには城壁の高ーい六つの星形要塞があって、その間を縫うようにパーラ川が流れてる。そこからアスワン帝国のヤツらがアルサリア要塞群って呼んでるのさ」


「敵ながら、ずいぶん詩的な名付けをしますね」

「へへっ。実は先週からでな。オレ達は普通にカーロヴァック要塞って言ってる。名づけたのは連中の何番目だかの皇子おうじらしい」ミーハーかよ。


「今回の指揮官か?」カラヤンが訊く。

「いや、指揮官はその兄貴だ。名づけたのは、指揮官と親子ほども年の離れた弟のジャラルディーンって言うらしい。こっちは初陣だったかな」


「詳しいですね」

 俺が褒めると、宿主人はまんざらでもない顔をして、

「居酒屋が情報を持ってなきゃ、どこが持ってるって言うんだ?」


 そこへ突然、ドアが開いて、タコ坊主が三つ入ってきた。

「ロジェリオぉ。ムラダー・ボレスラフを出せぇ!」

 宿主人がため息交じりで、対応に動いた。


「パラミダ。お前、そんなに酔っぱらって。どこで飲んで──」

 言い終わるのを待たず、宿主人の頭上に白刃が振りあがった。


 宿主人はまったく動けなかった。目を見開き、ひたいの直前で止まった横暴の一撃を見つめる。白刃は俺の斧とカラヤンの剣が交差して受け止めた。


「パラミダ。てめぇ酔った勢いで前も後ろも見えてねぇのかっ!」カラヤンが吼えた。

「なぁんだあ? いんじゃーん。ムラダー・ボレスラフぅ」


「狼っ。ロジェリオとマチルダを下がらせろっ」

「了解、ですっ!」

 俺はタコ坊主の腹を蹴った。


 相手がよろよろと後退して背後の二人に受け止められる。6LDKの腹筋に、会社員六年目の蹴りではダメージにならなかったようだ。


「おっ、おっ? やんのか、犬っコロ。上等だあ! かかってこいよ! そっ首たたき落としてやるぜっ」


 血走った酔眼で、手招きしてくる。ここまで殺気だった酔っぱらいは新宿にもいなかった。売上げトップの座を奪われた三流ホストのヤケ酒よりひどい。


 俺は宿主人の腕を掴んで、マチルダとともに店の奥へさがった。

 カラヤンがすっと眼光を細めて剣を逆手に持ち替える。腕一本くらい落とすと決めたらしい。

 その時だった。


 外からまた客が入ってきた。小麦色の肌をした二〇代半ばの女性。その手には、猪の頭も粉砕できそうなデカい棍棒を持っていた。


 新手か。と思った直後。その棍棒がタコ坊主の背後から頭上へ振りあげられた。


 ごっ!!


 俺は思わず目と耳を同時に閉じた。次に目を開けた時、酔漢が声なく床に倒れ伏していた。


「あっ、あねさんっ!? ちょっ、待っ──」

 取り巻きの弁解を棍棒の一撃が遮る。人が二つ、ゴミのように店の外へ吹っ飛んだ。


「ヤドカリニヤの名をぶら下げたまま、この〝爆走鳥亭〟でバカをやるなと何度言ったらわかるのだっ。このクソ雑魚フナ虫どもがあ!」


 騎士のような仰々しい口調で、悪罵を吐き捨てる。


「よう、メドゥサ。相変わらず身内の〝躾〟しつけに精が出るな」


「おっ? おお、ムラダーっ。やはり帰ってきてくれたのだなっ!」

 帰ってきてくれた、とは? 女傑の目がキララッと艶めくのを俺は見逃さなかった。


「愚弟がまた、あんたに面倒をかけてしまったようだ。すまんな」


 弟。あれが? どんな遺伝子組み換えをした姉弟なんだよ。月とスッポン。人魚姫とサハギンだ。


 カラヤンは軽く息をつくと、剣を納めた。


「謝るなよ。おれはご覧の通りだ。お前が来てくれて助かった」

 どうした、カラヤンまでイケメンに輝き始める。彼女は清々しい笑顔で頷いた。


「なら明日の昼にまたここで話そう。今度は逃げる気はないのだろう?」


「ああ。お前との話はおそらく、おれ達にとっても有益なものだ。町の外に連れを数人待たせてる。同伴でいいか」


 彼女は一瞬、不満げ笑みをうかべ、すぐひっこめた。うなずくと、ごつい棍棒を肩に担ぐ。そのほっそりした身体のどこにそんな怪力を秘めているのか、弟だという若者を足を掴んで居酒屋を引きずって出て行った。


「か、かっこいい……っ」

 マチルダが両手を合わせて感激に声をしびれさせる。


「カラヤンさん。彼女、誰なんです?」俺が訊ねた。

「噂をすれば、ってやつだ」


「じゃあ、あれがウスコク?」

「メドゥサは特別だがな。それより、さっきのお前……いや、いい」


「あ。この斧に魔法の詠唱痕タトゥが刻まれてるからですよ。本当に良い斧です」

 言いかけた言葉を補足すると、カラヤンは横顔だけで微笑んだ。


「なあ、ムラダー。今夜はウチに泊まっていってくれねぇのかよ」

 ロジェリオが懇願せんばかりに詰め寄ってくる。


「今日は連れの数が多くてな。お前んとこのベッドじゃ足らねえんだよ」

「はあ?」


「子供が七人。大人が三人。ガイドの客が一人だ」

「子供が七? なんていうか、ムラダー……お前、変わったな」


 ロジェリオは毒気を抜かれた顔で、なんでも屋に鞍替えした旧友を見た。


   §  §  §


 翌朝。

 マチルダは、セニで一番大きな町市場に顔を出してみた。


 海塩の中継地というだけあって、海塩商だけの売り場があった。

 でもよく見ると、とある塩の見世棚だけは買商バイヤーが一瞥もせずに通り過ぎていく。

 驚くほど美人の女性が売り子に立ち……立ってるだけで胸の前で腕を組み、むっつりと押し黙っている。視線が合いかけて思わず逸らす。なんか、機嫌悪そう。


 値札を遠巻きに見ると、相場が他の見世棚の半値だった。


(町の市場で露骨な闇塩売りって……。よく捕まらないなあ。だから〝御貴族様〟なのか。あと、混ぜ物とかも入ってそう)


 マチルダの興味を他の物品に向けた。


「それにしても……どれも高いなあ」


 市場の小売価格で見れば相場の影響は小幅だ。でもおろし価格で見るとプーラの町の二割も高く。逆に塩は、〇・八五倍。値崩れしているのが透けて見える。


 この町はすでに戦争の影響を受けているのだ。どれも戦時価格。品目では、食品や衣類などの繊維が品薄で値段は三倍にまで急騰していた。その上で特産の塩あまり。

 マチルダは戻って、このことをカラヤンたちに伝えた。


「なるほどな。塩のダブついているのは、塩輸出国のジェノヴァ協商連合が、アスワン帝国へ輸送中だった塩を捨てさせたのかもな。一種の経済制裁だ」


「おそらく。そうだと思います」

 セニの城門近くにある馬車倉庫。

 駐車された馬車で一番真新しい馬車の車内で会議する。


「商人は、カーロヴァックの攻城戦が長引くとの読みでしょうか」


 シャラモン神父様が怪訝そうな目を向ける。

 カラヤンの旦那は腕組みして軽く唸った。


「うーん。どうだろうな。……もしかするとアスワン軍側の補給物資の輸送が遅れてるのかもしれねぇな」


「なぜそう思うのですか?」


「もうすぐ、カーロヴァックの雨期が終わる。アスワン軍の兵站へいたん(補給)行軍はおそらく〝ディナル・カルスト〟山脈の東。森林地帯の中を脱ける進路をとったはずだ。

 だがあそこは雨期の終わりになると、川が氾濫して道が浸かりやすい。荷駄かだを通すのは至難になってくるだろう」


「では、兵站へいたん部隊は〝ディナル・カルスト〟山中を通しますか?」

 狼さんが推測に、カラヤンの旦那が頷く。


「兵站は軍隊の命綱だ。多少の強引な迂回はしても届けなきゃ意味がねえ。泥まみれの糧食メシや下着を配って兵士から恨まれるよりかはマシだろう」


「なあ。おっさん。アスワン帝国は、なんで船で海を廻って運ばないんだ?」

 スコールくんが地図を指さして、山脈を遠回りするように海をなぞる。


 カラヤンの旦那は、彼を子供扱いせず丁寧に答えた。


「海路輸送は、もう試したのかもな。ガルバリン半島廻りに船を通しても、ここハドリアヌス海は、ジェノヴァ協商連合の領海域だ。ここから南に行った先のドヴロブニクって協商連合傘下の町にデカい要塞があってアスワンの軍船には目を光らせてる。ここセニのウスコクとの雇用契約を延長したのも、それあるんだろうな」


 ジェノヴァ協商連合は、プーラ・リエカの二大港を持ってるネヴェーラ王国とハドリアヌス海を共有することで交易圏を広げ、莫大な利益で互いの国家を潤し続けきたそうだ。

 だからネヴェーラ王国に負けられると、ハドリアヌス海防衛の負担が重くなる。そんな関係にある二つの国が、アスワン帝国の海路輸送を見過ごせるわけはない。

 アスワン帝国も、陸でネヴェーラ王国と戦いながら、海でもジェノヴァ協商連合と事を構えたくはない。そう思わせるために、この町のウスコクにとっては海路輸送を阻むことで、ビジネスチャンスになる。

 ──というのが、カラヤンの旦那の見方だ。


「でも、カラヤンさん」狼が言う。「昨日、宿主人とのお話で、ウスコクがジェノヴァ協商連合との関係に見切りをつけそうだったと聞きましたが」


「ああ。何年も前からそういう動きはあったんだ。協商連合はこの町のウスコクに従属を促してきた。その条件として、貢納金こうのうきんを要求してきた」


「貢納金。ウスコクを保護する代わりに、町の利益をいくらか納めろという契約ですか」


「うん。だがウスコクは大昔から自由海族であることを誇りにしててな。長い時間をかけてこの岸壁の土地に土着して、町にした。その間、誰の保護も必要なかった。稼業として海上略奪をし、略奪品から金目の物を売り、捕虜を奴隷商に売り飛ばして〝自活〟していた。


 だが、自由都市として昇格には失敗した。協商連合・王国のどちらにも自由都市を認めさせるだけの貢納金を払えるほど裕福じゃなかった。

 自由海族としての血が従属を拒絶してるのかも知れねえ。それに、強国から要求する貢納金は定期納付だ。海賊なんて不安定な商売をいつまでも続けていれば支払いなんざ、まず無理だ。ちゃんと地に足をつけた表商売でも始めねぇとな」


「それで、あの闇塩商売ですかあ?」


 マチルダが思わず不平じみた声を洩らす。塩の値段は領主が決める価格より下回って販売してはいけない。それを下回ると〝闇塩〟として罰せられる。


 カラヤンの旦那は人の悪そうな笑みを浮かべて、ハゲ頭に手を回して幌にもたれた。


「誰からも教わらず、商人たちがやってるのを見て、〝お貴族様商売〟と言われるとこまで、できるようになったんだ。あと少し、誰かが教えてやれば商売は軌道に乗ると思わねぇか?」


「カラヤンさん。もしかして、さっきのメドゥサさんの〝躾〟も、その変革の一環ですか?」

 狼さんの指摘に「さあな」と、とぼけた旦那の顔は満足そうだった。


「化石みたいに石頭の海賊連中から〝このままじゃダメだ〟と思う勇気をもったのが現れたんだ。つい肩入れしたくなっちまうじゃねぇか。なあ?」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る