第7話 迷い犬と踊れば 後編


 一〇分後──。


〝屋根犬亭〟から西城門近くの駅馬車場バスステーションをかねた広場。そこから少し奥まったところに安宿〝金しゃち亭〟に、俺とカラヤンは踏みこんだ。


 男は、事務室の壁に背中からたたきつけられて、ずり落ちる。


「ありがたいですねえ。盗んだ証拠を棄てずに、俺たちを待っていてくれたなんて」


 俺は金の入った金袋を摘まんで、ぶらぶらと揺らして見せた。

 金袋にはややかすれていたが〈Barnaróca cég〉と読めるロゴが入っていた。


 金袋があったのは、ホテルの接客カウンターの下。棚と鉄金庫の隙間につっこまれていた。

 大金の入った財布を探しに戻った旅娘をうまくあしらえて、安心しきっていたのか。さもなくば、宿の売上げとも客の預かり物とも言えなくなった微妙な取扱に困って、隙間に押し込めたのか。盗人の挙動不審な心理状態を表現していた。


「お、おい。てめぇら! オレにこんな真似してタダですむとは思うなよっ。ここは〈マンガリッツァ・ファミリー〉の縄張りなんだからな!」


「あぁ?」


 カラヤンの目がギラリと光った。宿主人の胸倉を掴んで足が浮くまでねじり上げると、二度、三度背中を壁に叩きつける。虚勢をガス抜きさせてから、鼻先まで引き寄せた。怖っ。


「だったら、ここの回収担当の名前を言ってみろ」

「うぐぐぐっ。え、へっ?」


「マンガリッツァ・ファミリーなら、目抜き通りにある〝チェヴァピ〟の店の裏手にある花屋だ。まだあるよなぁ? ほら、言ってみろよ、担当者の名前だ。

 お前の口から出た名前が見事におれの知ってる〝六人兄弟〟だったら、お前。ちょっと大変なことになるからな。覚悟してうたえよ」


 宿主人の顔がさっと青ざめた。もちろん、お口はチャックである。


(あれ。この銀の板はなんだろう……?)

 革袋の中に入っていた銀板をしげしげと眺めて、俺は金貨のそばに置く。


「カラヤンさん。袋の中身は三五ロット。話に聞いてた額から十五ロットが抜かれてますね」

 カウンターの上に積みあがった金貨を見て、俺が厳しい声で言った。

 カラヤンはこれから鬼の首を取りに行くみたいに獰猛な笑みを浮かべた。


「おー、おー。たった半日で随分使い込んだもんだなあ。──おいっ。使い道は!」

「しゃ、借金とミカジメに……すみません」


「なら、補填してもらうぜ。店の七割でな」

「な、七っ!? そんな殺生なあ……」


「莫迦野郎っ! 宿の合鍵と〝眠り香炉〟までつかって昏睡強盗してたこと。守衛庁に恐れながらと訴え出てやろうか。絞首台の刑場はたしかこの先の駅馬車場だったな。

 証拠ネタは挙がってるから、刑はすぐに執行だ。絞首台の最前列からお前がションベン垂れ流してるザマを指さして笑ってほしいのか。さあ、どうするっ!」


「うっ。うう……。女房が立て続けにガキを産むから仕方なく──」

「やかましいっ。つべこべ言ってねぇで、さっさと出すモン出しやがれ!」


 片腕で安宿の主人を床へ投げ捨てると、カラヤンは這っていくその尻を蹴り上げた。


  §  §  §


 チェヴァピ。

 挽肉を筒状に固めて焼いたものを、生タマネギスライス。フライドポテト。〝レピニャ〟という平たいパンと一緒に供される。

 俺はこれに〝アイヴァル〟というパプリカの赤ソースを付けて食べた。

 ふいに軽井沢で食べたハンバーグステーキを思い出す。あれほど洗練された肉味はないが、美味い。とくに肉量が多いのがうれしい。


「お前、生タマネギ。大丈夫なのか?」

「……一応、やめておきますね」


〝屋根犬亭〟で、マチルダはまだ財布を抱きしめたまま声をあげて泣いているだろうか。

 革袋を渡した時、彼女は金貨の数よりもあの銀板を取り出して、そこにキスの嵐と頬ずりをした。金貨よりも余程大事なものだったのだろう。


 それが何なのか彼女に訊こうとして、俺はカラヤンに「ちょっと付き合え」と外へ連れ出された。


 行き先は〈マンガリッツァ・ファミリー〉の事務所。

 表家業は、ふつうの花屋さんだった。


「カラヤンさん。あのご一家と本当にお知り合いだったのですね」

「まだ生きてるとは思ってなかったけどな。あのバアさん、人のことをハゲハゲうるせぇから鬱陶しいんだよ」


マンガリッツァのボス(?)は、カラヤンと改名したことをすでに知っていた。


「エディナ・マンガリッツァよ。よろしくね。ワンちゃん」


 エプロン姿のおっとり朗らかな、ロマンスグレイの上品なおばさん(?)だった。童顔で若々しいので、ちっとも老人には見えなかった。


 ただ、彼女の周囲を固めるスーツ姿の〝六人の息子〟たちが、俺とカラヤンから目を離さなかった。


 会うなり禿頭をしきりになでくり回す銀齢婦人を、カラヤンは「おい、さわるな」「もう勘弁してくれ」と言いながら事情を話す。


 でも、銀齢婦人はやめない。泥団子を磨くようになでくり回す。

 セクハラならぬハゲハラの〝女親分ゴッド・マム〟。


 その彼女が一度だけ撫でる手を止めたのは、被害者がバルナローカ商会の手代だという一点だった。

 事情をなんとか話し終わると、彼女は「わかったわ」とだけ応じた。


 それから俺たちに〝ルドベキア〟という小さなヒマワリに似た花を一輪ずつもらって、店から掃き出されるように外へ追い出された。


「あの宿の主人に、何か制裁みたいなやつを頼まなくてよかったのですか」


 宿屋が昏酔強盗なんてタチが悪い。俺が不満を口にすると、カラヤンは撫で疲れた目で建物の間から見える空を見て、「これが制裁だ」と素っ気ない。


 よくわからない裏社会のルールだ。前いた世界でもあんな感じだったのだろうか。


「あと、この花はどうしたらいいですか」

「そいつは町を出るまで枯れても持ち歩け。フードを上げて奥襟に差してもいい。とにかく、それが町のモンに見えるようにしとけ。町を出たら捨てていい」


 本当によくわからない世界だ。


「やれやれ。セニの町に着く頃には、夜になるかもな」


 カラヤンの独り言は、ひと仕事終えたサラリーマンのつぶやきに似ていた。

 リエカ城門を出ると、カラヤンはすぐに半眼で前方を睨みつけた。


 真新しいほろを張った馬車が止まっている。

 真っ白な幌カーテンから顔を出して、こちらに小さな手を振る子供たちに俺は手を振り返した。そのそばで弓弾きの練習をする少女にも見覚えがある。


 少女はニカリと笑うと、御者台へ声をかけているようだった。

 すると髪の長い美青年が御者台から、ようやく来たか、と言いたげな微苦笑が迎えた。


「カラヤンさん。うちの馬車の幌、買うの忘れましたね」

 俺が力なく声をかけた。

「んあぁ? ……あー。そうだったな」


「あの様子だと、何を言ってもついてきますよ。怒らないであげてください」

「ふんっ。とうに怒る気も失せたぜ」


 小さく吐き捨てると、カラヤンは手綱で馬をあおった。彼らの前を他人のフリをして通り過ぎるつもりらしい。


「カラヤンさん。それはさすがに大人気ないですよ」

「うるせぇ。おれは待ってろって言ったんだ。ついてこいとは言ってねえ」


 直後、荷台に〝梟爪サヴァー〟を装備したスコールが降り立った。彼はすぐに御者台にとりつく。


「おっさん。ヴルボヴスコもダメみたいだぜ。アスワン兵の手勢が駐留してるって」

「なんだとっ!? そりゃあ本当か!?」 


 手綱を引いて馬車を止める。俺とスコール、カラヤンは御者台を降りて、シャラモン神父の幌馬車までへ駆けていった。


「シャラモン、ヴルボヴスコが落ちてるって?」

 シャラモン神父は焦りも困惑もなく、涼しげに頷いた。


「ええ。そうモデラートさんからうかがいました」

 誰? 俺はカラヤンを見る。

 この世界にはなかろうが、酸っぱい梅干しを食べたような顔になっていた。


「……あいつ、他には何だって?」

「今度帰ってくる時は、まっすぐ家に来い。ティムの宿になんか泊まるな、と」


 我々は被害者なんですよ。とさらに付け加えた。


「どういうことですか?」俺が訊ねる。

「宿を追い出されたのです。この人が無茶をしないように見張れ、とね」


「くっそ。マンガリッツァどもがっ」


 カラヤンは頭を真っ赤にして顔をしかめる。

 いまひとつ理解が進まない俺に、シャラモン神父がヒントをくれた。


「狼さん。プーラで、彼のダンジョン探索の話を思い出してください」

 ダンジョン探索? えーと……。


「十五歳の時に、ダンジョン【天秤宮ヴェスーイ】の第二八階層が最初で、喧嘩仲間と八人で忍びこんだ。

 第二八階層で幼なじみが目のない白いワニに左足を食いちぎられて、撤退。

 カラヤンさんは、幼なじみを背に担いで生還。地上には誰もいなかった。愛用している剣は、その時の逃げるどさくさに掴んだもの。でしたか」


「お、憶えすぎだろ。お前っ」

 カラヤンさんが目を剥いて声を荒げた。珍しく動揺するので、俺は理解した。


「えっ? じゃあ、もしかして。ここリエカが、カラヤンさんの地元?」


「彼は現在も人兄弟の長男だそうです。そこに宿屋の息子が加わって八人です」


 なるほど。今日一日、心当たりがありまくりだった。マンガリッツァの女親分は、長男カラヤンの無事な顔を見れたのが嬉しかったんだ。ハゲハラなんかじゃなかった。


「当時、兄弟仲は最悪だったそうで喧嘩ばかりしていたそうです。そんなある時、肝試しのつもりでダンジョン探索をしようということになったのです。


 でもパーティの一人──幼なじみが足を失う重傷を負いました。それで連れ帰った長男が責任を感じて家を出たそうです。

 それで他の六人兄弟は目が覚めたのでしょう。以来、マンガリッツァ家は結束し、現在この町の顔役になっているのだそうです」


「やっぱり、いい話には後日談はあるんですよねえ」

 いい話だったの? ハティヤに怪訝な顔をされた。


「ちなみにモデラートさんというのは?」

「マンガリッツァ家の二男だそうです。最初、私を女性だと勘違いされていたので、カラヤンさんとの関係をやたら聞かれました」


 俺が思わず噴き出すと、カラヤンさんに後ろ頭をはたかれた。

 子供たちも笑ってるのに、俺だけひどい。おかしい。


「おい。シャラモン。ついてこなくていいぞ」


「そういうわけにもいきません。マンガリッツァ家から幌馬車を馬付きで新調していただいたので。長年連れ添った馬はそのままですが、二頭立てはありがたいですね。ハティヤとスコールにも若い馬が手に入るので、その役目をお引き受けしたのです」


「なんで受けたんだよっ。今のお前なら、馬車くらい買えるだろうが」

「倹約倹約。貧富の別なく、お金はいくらあっても足りないくらいです」


 神父に僧侶っぽいことを言われてしまい、誰も反論できなかった。


「マチルダは?」

「馬車の中で革袋を抱えてぐっすり眠っています。宿では落ち着かなかったのでしょう。あとバルナローカ商会へ手紙を送りたいからと、モデラートさんが現住所を聞いていましたね」


「マンガリッツァの縄張シマで、とっつぁんの手下にアヤつけたんだ。挨拶しておかねぇと後が怖ぇからな」


 カラヤンは顔を伏せて舌打ちすると、靴のつま先で地面を蹴った。


「で、そっちのこれからの計画は」

「いいえ。カーロヴァックが交戦中になった今、路頭に迷っています。そのことを話し合う前に、宿を追い出されてきたんです」


「馬車を新調されて、な。……まあいい。なら、このままセニに行くか」

「どんな町ですか?」


 カラヤンは御者台に戻りながら振り返って、告げた。

「海賊の町だ」

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