第14話 大聖堂、推参


「う~んっ! 久しぶりの地上の空気はうまいぜ~っ!」


 その日の夕方。

 ハティヤはサンクロウ正教会修道女の姿のまま、全身で思いっきり伸びをした。


 周りにたたずむ修道女らは感涙にむせいでいたり、魂が抜けたみたいに呆然と我が身に起こったことを反芻していたりしていた。

 その数、八人。

 周りの通行人で、彼女たちが事件の被害者だと気づく者はいない。


  §  §  §


 正午前。

 シャラモン神父は子供たちの世話に。ミチルとナギサにエステルの遺体を埋葬するため、別れた。

 俺とスコール、ウルダ。そして捕らえて説得した衛兵長ヴォースで町の北東にある教区衛兵庁舎に向かった。

 大司教主導で誘拐されていた少女を牢から解放するためだ。


「ヴォースっ! そいつらは何者だ。貴様っ、どういうつもりだ!」


 抵抗を見せたのは大隊長と呼ばれた人物だった。

 その偉そうな中間管理職を、ヴォースは無言で殴り倒した。


「いいんですか。ガントレットで殴って」多分、頬骨が折れてるぞ。


 ヴォースは苦渋のにじむ顔を振った。


「彼女たちの罪状の記す記録はどこにもない。これは誰かが言い出さなければならなかったのだ。だが誰も保身から言い出せなかった。単身では上に向かって〝否〟を言えなかった。部下を失ったが、お前たちがきっかけをくれたのだ」


 すると、その場にいた騎士達は、一斉に俺たちから背を向けた。


「ヴォース。鍵は八二〇番からの鍵束だ。早く行け。我われは何も見てないからな」

「連れ出すときは、北の搬送口を使え。今日はあそこの巡回は手を抜いておいてやる」


 騎士達が、なぞの友情を見せる。

 俺は、その手を汚さぬすがしい手のひら返しにムッときた。鍵をスコールに投げ渡し、ウルダとともに地下牢へ向かわせると、その場に残る。


「すみませんが、どなたか修道女の衣装を八着分。用意していただけませんか」

「修道女の服だと。なっ、何をする気──なの、かな?」


 彼らの鼻先に戦斧を、断頭斧のごとくつきつけて言った。


「これから大司教猊下げいか謁見えっけんするのですよ」

「たわけたことを……いや、それは、正規の手続きで予約を入れなければ、お会いになることはないぞ。それが規則だ。ましてや、お前は──」


 俺は、目の前にあった鉄兜を斧で真っ二つにして黙らせた。騎士達が生唾を飲む。


「予約は必要ありません。これは夢ですから」

「ゆ、夢……?」


「そう。夢なのです。その中で大司教猊下におかれては、自身の私欲に懺悔ざんげなされる時間が与えられるのです。神の思し召しによって。有難いことです」


「き、貴様。魔女か? その狼の頭は覆面なのか」


「聞いてどうするのです。あなた方も猊下とともに、我がつむぎし夢で懺悔する気概をお持ちならば、お教えしましょう」


 騎士達は一斉に顔を振って忠勤を拒否した。

 あんたらの騎士道は、ビジネスライクかよ。


「それでは、修道女の服の調達をお願いします。さあ、早くっ!」


 斧の石突いしづきで石床を叩いて、騎士どもを走らせる。

 その間に、俺はデスクに置かれた羊皮紙と羽ペンを取り、一筆啓上つかまつった。


 やがて牢から無事に解放された少女達に修道服を身につけさせて、ヴォースの案内で大司教の執務室に押しかけた。


 俺はドアに先ほどの羊皮紙の一枚を貼りつける。


【大司教猊下 大懺悔ざんげ中 面会謝絶】


「ヴォースさん。見張りをお願いします。後は俺たちがやりますので」


「大懺悔? 狼。よもや猊下をしいたてまつるのではあるまいな」

「しませんよ。ただ、ムチでお尻を叩くだけです。子供の躾のようにね」


 そう言い残して、ドアを閉めた。

 ムチと言ったが、それは嘘だった。


 連れ去られた少女達の怒りが子供のお仕置きで収まるはずがない。

 なので、俺は〝杖〟を用意した。


 直径一センチ。長さ七五センチ。女の子が振るにはちょっと長いかもしれない。


 材質はなんだかよくわからない低木植物の幹をあの森からとってきた。よくしなり、節が少ない。それを帰りの道すがら斧の刃で均等にかんながけにした。振るとピュンッといい音がするくらいに。


 大司教の執務室に入る。ハティヤが既にカラヤン仕込みの体術で、法衣をまとった老人を後ろ手に縛りあげていた。窓に頭を向けた姿勢でデスクに上体だけうつぶせにしてある。口には牢屋にあった雑巾がつっこまれていた。病気にならなければいいが。


 俺はまず、大司教の尻に向かって、貴族風に胸に手を置いてお辞儀した。


「大司教猊下におかれましてはご機嫌うるわしく。本日は誠にお仕置き日和びよりにて──」

「う゛むむ~っ!」

 あー、ちょっと何言ってんのかわかんねーわ。お爺ちゃん。


「この度は、ここに控えます八人の淑女の方々が、猊下に大変お世話になったよし。つきましてはそのお礼参りをなされたいと、たってのご希望を、わたくし率爾そつじながら叶えて差し上げようと試みましてぇ、ございます」


 う゛むんっ。う゛むむんむーっ! 


 何か必死に叫んでるみたいだけど、誰も来ないよ。あんたが連れ去らせた彼女たちの絶望と恐怖を、あんたも追体験するがいいさ。


「それじゃあ、始めようか。一人、十発だから。怒りと恨みをいくらでも込めて良し。それで今回のことは水に流してほしい」


「ふざけないでよっ」少女の一人が怒気を吐き出した。「あたいら長い間あそこに閉じ込められて、連れ出されたと思ったら、コイツの慰みものにされてたんだよっ。それをたった十発って……殺させてよっ」


 俺は厳然と彼女を見つめ、顔を振った。


「一人につき十発。八人で八〇発だ。老人への体罰としては重い罰だ。死ぬかもしれない。きみ達の中で殺人者になることを望むのなら、その杖を持たず少し待っててもらおうか。

 俺は、きみ達がその杖で八〇発打った後、この人に生涯消えない呪いをかける。それでなお、この人を殺したいのなら俺が退室した後で好きにすればいい。せっかく自由の身になれるのに人殺しの共犯者なんて、俺はゴメンだ」


「ぐぅっ……でもっ」


「いいよ。迷う時間をあげよう。君は最後だ。その間じっくり考えてほしい。護衛隊が来れば、全員牢屋に逆戻りだ。今度は絞首台も待ってる。さあ、始めてくれ。

 ──ハティヤ。手本を見せてあげてよ。尻を叩くのは得意だろう?」


「どういう意味よ、それっ!」

 ギロッと睨まれたので、俺はささっと顔を背けて気にしなかった。


 執務室の壁際にならぶ書架を散歩する。


 本を見るとつい吸い寄せられてしまうのは、本好きの本能のようなものだ。

 窓辺をのぞく部屋の壁三面には、神学や王国法などの書籍が書架に隙間なく納まっている。

 この世界の宗教家は、法律家でもあるらしい。

 蔵書はツカサんの書斎と同じくらいだ。向こうは法律よりも歴史が多かったな。

 そんなことを懐かしみつつ、俺は杖のぜる音を聞きながら背表紙を眺める。

 と、おもむろに足を止めた。


(なんだ、これ)


 一冊だけ、やけに背表紙がすり減っているのを見つけたのだ。


  §  §  §



 俺はそのすり切れた背表紙の本を引き出してみた。

 すると本は取りだせず、丈夫そうな細い紐がついていた。


 カコンっ。


 ずいぶん古典的なカラクリの音がした。だが室内に変化はない。書架がガラガラと動いて奥に隠し部屋なんてお約束は──。


(んっ。もしかして手動か?)


 俺はその紐付き本を書架の中で横に寝かせた。それから書架そのものを横へスライドするスペースを探す。……あれ。ないか。


(とすると、考えられそうなのは……こうかな?)


 書架の右側を押した。果たして書架が半転し、その奥から暗い小部屋が現れた。

 どんでん返し。この世界で初めて見る機械細工ギミックだ。設計者に会ってみたくなる。


「狼。なに見つけたの?」


 背後でハティヤが声をかけてくる。規定の十発にしては早いアガリだ。曲がったことが嫌いで、弱い者イジメもしない優しい娘だ。衛兵の奇襲にこそ不覚を取ったが、大司教にさほど恨みはないのだろう。本当に手本で四、五発打ったら飽きたのかもしれない。


 俺は曖昧に肩をすくめてみせた。


「さあ。たぶん大司教のへそくり部屋とか、かもね」

 俺は指先に【火】マナを灯す。


 四畳ほどの狭い小部屋。だが天井を見上げれば、元は六畳ほどだとわかる。金貨の壁が整然と積み上げられ、黄金に輝く部屋の主人面をしていた。

 総額は想像もつかない。けど少女達の慰謝料には充分すぎる額だ。


 カラヤンの手紙には、大司教は金に執着しているという話だったが、これはデマカセ以上だ。病的ともいえる。俺はマナを燭台に移し、金貨の上に置かれた金袋を一枚掴んだ。


「ハティヤ。口が開きっぱなしだよ」

「へ? えっ。なに?」ハティヤは両手で下あごを支えた。


「ムチ打ちが終わった人から呼んできて。一人二〇〇ロットで手打ちにしてもらおう」

「それなら、最初が私でいいのよね?」


 ニコニコ顔を指さす、ハティヤ。俺はちょっと首をかしげてしらばっくれてみる。頬皮をにゅうっと摘ままれた。……すまんかった、ってば。


 俺は高さが揃っている金柱を四本。袋に流し込んだ。すばやく口を縛り、ハンドボールほどに膨らんだのを手渡してやる。


「うっわわ。けっこうっもい……っ」


 前世界で、24金の金貨一オンスが約三一グラムだったはず。それで二〇〇枚を計算してもざっと六・二キロ。文字通りのずっしり感はあるだろう。


「次の人を呼んであげて」


 俺は事務的に金貨の袋詰めを続けた。袋は残り七つ。総額一六〇〇ロット。それでも金貨部屋の風景に変わった様子がない。


 最後に、あの不平を口にした少女もお金を受け取りに来た。


「たった二〇〇……こんなにあるのに?」

 悔しげに吐き捨てた少女に、俺は目をすがめた。


「君はここへ何しに来たんだ。殺人かい。ドロボウかい?」

「あっ、ぐっ。あたいはただ……っ!」


「自分の復讐に来たんだよな。なら、越えちゃいけない一線は越えるべきじゃない。君がこの二〇〇ロットを使い切るのに何年かかる。二年か三年?

 君は賢そうだから、もっと長く生活に余裕が持てるはずだ。それまでに、真っ当な身の振り方をよく考えるべきじゃないのかな」


「うっ、うるさいわねっ。獣人のくせに……っ」


 俺は真っ直ぐ彼女を見つめて言った。

 ウザがられても、きみが納得するまで俺は説教をやめない。


「大司教は君たちにひどいことをした。でも、だからといって大司教からすべてを奪っていくのは、筋が違う。相手の罪に乗じて欲をかくのは、邪悪な行いだ」


 少女は悔しげに下唇を噛むと、俺の手から金袋を両手でひったくっていった。


 俺が、書架を閉めて執務室に戻った。大司教はデスクに突っ伏したまま動いていなかったが、ちゃんと背中が大きく上下していた。新世界が拓けてなければいいけど。


 杖打ちは、実際にきっちり八〇発が打たれたわけではなさそうだ。


 弓で鍛えたハティヤを除けば、牢屋に囚われていた少女たちの腕では打撃力もたかが知れている。それでも、老人の法衣の尻部分が赤黒く斑ををつくっていた。少し皮膚が裂けたのだろう。同情はできないが。


 さて、次は俺の番か。


 窓際に立ち、手に凸レンズを掲げた。望遠鏡の予備レンズだ。

 望遠鏡を持ってくるつもりだったが、ユミルに「いやっ。これ、ユーのっ」と借りパクされてしまっている状態だ。


 大司教が初めて、俺の顔を見上げて、目を見開いた。

 今にして、人ならざる異形の冒涜者の陰謀に気づいたらしい。

 だが、遅い。


「おお。我が主にして、全知全能なる太陽神ラーメンよ。この者、我が帝国の姫君を拉致したばかりか、その魂をけがさんとした邪淫じゃいん不埒ふらちな邪教のしもべであーる。今こそ、太陽神の力をここに示し、悪しき魂に来世へいたる呪いを刻ませたまへー」


 エンヤーコーラヤドッコイジャンジャンコーラヤ! オマエノカアチャンヒゲダンス~!


 軽妙奇抜なリズムで詠唱し、俺は老人の頭を掴んで顔をデスクに強く押しつけると、首許に凸レンズを近づけた。うなじの下あたりで光が収束する。


「んばぁっ。うぐんっ、うばばぁばばばばばっ!」


 雑巾をくわえさせられた老人から悲鳴が起こり、うなじから皮膚の焼ける臭いが犬鼻を突く。お灸程度の小さな火傷。だが熱さはお灸ではすまないヤツ。

 そして、俺は手刀を打った。もがいていた老人はバタリと昏倒した。


「狼……殺したの?」


 ハティヤをはじめとする少女達が静まり返って奇異な目で俺を見る。

 お嬢様がた。そんな虫ケラを蔑むような目でこちら見るのやめていただけませんかね。


「殺してないよ。殺したら今までの俺の言葉が全否定だからね。さあ、急いでここを出よう」


 俺は修道女見習い然と駆け出す彼女たちを追い立てて、執務室を出た。もちろん、ドアの前にはヴォースが不安そうにまだ立っている。


「狼。終わったのか。猊下は無事か」

「生きてはいますが、今、気絶してもらっています」


「気絶だとっ!?」

 騎士は目を剥いて迫ってくる。俺は愛想笑いを浮かべて、両手で防御しつつ、


「すぐに気がつくでしょうから介抱してあげてください。お尻をこっぴどく打ち据えて、うなじに軽い火傷を負わせました。呪いだと言って」


「本当にやったのかっ!? 被害者の遺恨を残さないという話だったろう。やり過ぎではないかっ」


「ご心配なく。本当の呪いではありません。嘘っぱちの虚仮コケおどしです。ですが本人はそう思っているでしょう。なので念のため、これを」


 俺は修道士ローブの袖から羊皮紙のメモ紙と、アルコール消毒液の入ったガラス瓶を差し出す。


「なんだ。これは」


「呪いを解く方法と聖水です。呪文を書いておきました。俺が廊下に落として逃げたことにして結構です。これを読んだ後、この液体を傷口にかけてから、そちらで治療してあげてください」


「ん。……ちょ、チョイトチョックラチョイトキテネ。ニワサキャタマコサヤマチャドコロワァーオノヨンチョウメ? なんなんだ」


「異教の呪文です。もちろんっ嘘っぱちです。大司教は信じるでしょう。ちょっと恩着せがましく持ちかければ、あなたの信頼も回復できるはずです」


「お前……まさか私を?」


「いいえ。偶然捕らえた敵の騎士が、俺に協力してくれた。それだけです。それであなたの星が幸運に巡るか不運に巡るかは、あなたの日頃の行い次第でしょう。では、失礼」


 俺はハティヤ達を追って、廊下を駆け抜けた。

 しかし、ツカサの趣味がこんな場面で役に立つとは思わなかったなあ。

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