第24話 狼、温泉宿をつくる(18)


 スヴェトラーナ・サラ夫人邸は、山の手と呼ばれる宮殿側の城壁を抜けた林の中にあった。

 雑木林を抜けていくと、〝レシャチカ荘〟という看板のそばを通り過ぎる。

 その看板は千客万来という意味ではない。ここからは貴族の私有地であるという「関係者以外立入禁止」を意味している。


 錆びた鉄格子の門から眺める石造りの旧館は、地味だが落ち着きのあるたたずまい。ひと目見て、美術館ばかり建てたがるホリア・シマには「ひどく退屈な場所」と映ったかもしれない。

 社交を好まず華美を好まない、さりとて人を寄せ付けない場所でもない。しっとりとした静謐な箱庭だった。


 俺は眠り続けるリンクスを抱きかかえて、鉄格子の門の前に行く。

 すると、鉄格子の門がうっすらと開いた。その隙間から枯れ葉をつけた子供のような人影が顔を出す。


「ほほー。若い〝シルヴァヌス〟だの」

 モモチ老人が小声で驚嘆する。

「風の精霊だ。大きな声で驚かさねば、人にも親切な精霊だの」


「ありがとう」

 俺が礼を言うと、シルヴァヌスは嬉しそうにその場で舞い、葉擦れの風音をさせて館へ走って行く。そして勝手にノッカーを打った。

 すぐにドアが開いたので、俺たちは急いで二〇メートルダッシュ。玄関前に駆け寄った。

 風の精には、いたずら好きも追加だ。


「どなた?」

 ドアから顔を出したのは、メイドを思われる目許のキツそうなクリシュナ人女性だった。


「し、失礼。家政長マクガイア・アイザック・アシモフからの紹介で、逗留のお願いに参りました。ヤドカリニヤ商会の狼と申します」


 メイドは俺が胸に抱えている老婆を一瞥して、「少々お待ちを」とドアを閉めた。


「ほー。やれやれ。心の準備をさせてもらえんかったの」フクロウ老人は吐息する。

「まあ。この場合は、むしろその方がよかったのかもしれません」


 やがて、メイドが戻ってきた。ドアを大きく開く。


「どうぞ。奥様がお会いになるそうです」

「ありがとう」


 ぞろぞろと室内に入ると、多種多様な草花の匂いがした。清々しい香りでありながら、母の手のようにそっと気分を落ち着かせてくれる。


「モモチ先生っ!?」


 不意に声をかけられ、俺たちは足を止めた。

 廊下の奥からキツネ耳のメイド女性がかけて来た。


「そなたっ、ミランシャ。ミランシャではないかっ。おお、翼の風霊ウィルザークよっ。なんということだ。生きておったあ!?」


 モモチ老人は杖を手放して、翼を広げた。ほぼ覆い被さる体勢で抱きついてきた女性を翼で包み込み、お互い万感を込められたハグを交わした。


「大きくなったの。ミシュラもターシャもさぞ喜ぶことだろうの」

「はいっ、はいっ。とと様とかか様は、お元気ですか」


「無論だとも。シュラトゥもケーシャも元気にしておるよ。家族みんなで毎日精霊に祈って、今もお前の無事を祈っておる。ああ、よい旅じゃ。みどもはよい旅をしたぞ!」


「ミランシャっ。仕事の邪魔をしないでちょうだいっ」


 メイドがぶっきらぼうに叱る。キツネ娘はしきりに手で目許を拭いながら、進路を譲った。


「モモチさん。お知り合いですか?」

 廊下を歩きながら、俺がそっととなりに訊ねる。


「うむ。ミランシャは、獣人狩りにさらわれて領外へ連れ去られての。もう二〇年近く行方がわからなくなっておった。だがあの明るい表情……ここで大事にされておったようだの」


 再会の興奮に酔いしれいてるフクロウ老人。だが、俺はなぜか嫌な予感がした。

 やがて、メイドがとあるドアで足を止め、ノックする。


「奥様。マクガイア家政長の紹介で、逗留を希望される方をお通ししました」


 どうぞ。その声を受けて、メイドが愛想なく路を空けた。

 俺はリンクスを抱いたまま部屋に入る。

「失礼いたします」


「ようこそ。レシャチカ荘へ」


 暖炉の前で、クリシュナ人の女主人がソファから立ち上がった。


 長身の女性だった。身長は俺と同じくらい。一七五センチ。晴天の空を思わせる真っ青なルームドレスをまとい、ほっそりとしたなで肩。長く尖った耳。美しい絵画のようだった。


 そして、彼女の周りには【風】マナが蛍火のように漂っていた。


「この〝レシャチカ荘〟の元主人スヴェトラーナ・サラです」

 俺はリンクスを抱いたまま片膝を折り、頭を下げた。


「突然の来訪、失礼いたします。わたくしはマクガイア・アイザック・アシモフ家政長の紹介で逗留をお願いにまいりました、〈ヤドカリニヤ商会〉の狼と申します」


「狼さん……そちらの方は」


「みどもは、ヴァンドルフ家教師モモチと申します。ミランシャは我が集落の生まれでしての」

 フクロウ老人は、一般人には教師と名乗るらしい。


「ええ。そのお名前は伺ったことがございます」

 素っ気ない態度であしらった。サラ夫人は俺の腕で眠る老婆を覗きこむ。


「彼女は、魔女かしら」

「えっ。はい、リンクスと言います」


「シルヴァヌスが教えてくれたのよ。眠る魔女が狼の顔をした嵐を連れてくる、って」

「それは……」


 まるで預言。電波系美女。もっとも、さっき俺たちもシルヴァヌスに門を開けてもらったのだが。


「いいわ。ここを彼女の終の棲家としてお貸ししましょう」

「あっ、ありがとうございますっ」


 終の棲家。礼こそ言ったが、リンクスの死期まで悟られているのは薄気味悪い。


「他の方は、今夜、地下倉のほうで泊まっていただけるかしら」

「えっ」

「今夜、もう一つの嵐が来るの。わたくしも嵐を二つもお相手するのは大変ですもの。──キミコ」

「はい、奥様」


「こちらの魔女さまに、〝クレヴェル〟を用意してあげて」

「かしこまりました」


 メイドは部屋の外で一礼するとドアの向こうに消えた。


「ミランシャー。ミランシャー」

「はい、奥様っ」


 廊下を駆けてきたであろう弾んだ呼吸で、キツネ娘が部屋に入ってくる。

 サラ夫人は、口許に長人差し指を立てて、静寂を命じた。


「今夜だけ、あなたの部屋に彼らを泊めることにしたわ。もうすぐ別の嵐が来るわ。避難させてちょうだい」


「はっ、はい奥様っ。それじゃあ、えっと。こちらです」

 きつね娘は嬉しそうに龍公主たちを案内していく。

  

「狼さん。お話があります。どうやら話をしなければならない相手は、魔女ではなく嵐のほうみたいだから」


 女主人は、瀟洒しょうしゃな装飾の入ったティーポットで、カップにお茶を注ぐ。匂いからハーブティーのようだ。ただ俺たちのはなさそうだ。招かざる客なのは覚悟していたけど。


「あの、ちなみになんですけど、クレヴェルというのは……」


「部屋の名前です。わたくしの趣味で、この館の個室には七つそれぞれに草花の名前をつけてあります」


 旅館で言う〝紅葉の間〟とか〝青柳の間〟とかってやつか。

 女主人は、カップを唇から離してソーサーに置くと、


「マクガイア家政長から、このやしきの事情はもう察していただいているかしら」

「はい。軽くですが。お庭が素晴らしいそうで」


 もう日没なので、窓からの景色は真っ暗だ。サラ夫人には俺が話をはぐらかしたと思われたのだろうか、失笑めいた微笑を浮かべる。


「ええ。シルヴァヌスに教えてもらいながら……ほかには?」


「ここが競売物件であることと、庭の調製ができる人物で、サラ夫人のお眼鏡に適わなければ、立ち退きを拒否される条件がついていることでしょうか。

 マクガイアさんはできるなら、あなたに敬意を払いつつ、ここを競売したいそうです。それならヤドカリニヤ商会の方でここを保養地として買い上げ……、管理人としてあなたにここの管理を、お願いできないかと……」


 話の途中から、サラ夫人は顔を横に振り始めた。


「ずるい人。肝心なことは全部わたくしに言わせる気なのね」

「と言いますと?」


 サラ夫人の青い瞳が真っ直ぐに無知なる者を見つめてくる。


「ここの物件は、近く開かれる競売には出品していなかったはずです。その理由はお聞きになったかしら」

「出品していなかった理由ですか。……いいえ。特にはなにも」


「この建物自体は築三〇〇年ほどの邸宅です。売り払おうと思えば簡単に売れてしまうの。クリシュナ人は庭造りを趣味にしている者が多いですから」


「はあ。では、この建物の競売出品を見送ったのには、裏があると?」

「この建物の所有条件に、桔族フーの娘の所有権者であることを付記しました」


 俺が反応するより早く、モモチ老人が首の周りの羽を膨らませた。


「ふざけたことを申されるなっ!」


 サラ夫人は予測できていたのか、細い息をつくと静かにフクロウ老人を見つめた。


「とても残念だけど……彼女はもう二度と、故郷には帰れないと思うわ」

「なっ!?」

「どういうことですか?」

 女主人は、ティーカップで唇を湿らせてると、物憂げな眼差しで言った。


「ミランシャは奴隷です。所有者名義は、ホリア・シマなの」

「つまり……彼女も競売対象っ?」


  §  §  §


 嫌な予感が当たったらしい。俺は思わず耳の後ろを掻いた。

「狼っ。どういうことかのっ?」


 モモチ老人はこちらを強く見つめ、でかい顔で迫ってくる。近い近いっ。


「み、ミランシャさんは、奴隷──つまり〝物〟として、ホリア・シマに買われ、その後、彼の破産によって財産差押物件の対象にかかり、現在はこの邸宅同様にアラム家の管理下に置かれているみたいです。このままいけば後日、彼女もまた競売にかけられ、落札した人物の所へ連れて行かれることになります」


「なっ、なんじゃとぉ!?」

 サラ夫人はテーブルから羊皮紙の巻紙をもって、俺に差し出してきた。


「これが、彼女の現実です」

 ミランシャと名前が刻まれた奴隷購入証書だった。落札金額も記載されている。


「百、八十、万。ロット……っ」


 俺の手許から羊皮紙がひったくられた。横でモモチ老人も現実味のない表情で大きな目をまばたきさせる。


「シマは悔しそうに言っていました。〝また当て外れの散財だった〟と」

 サラ夫人は素っ気ない目線で俺を見つめ、昔の思い出を口ずさむ。


「当て外れの散財……?」


桔族フーは、獣族の中でも〝巫族〟とも呼ばれ、門外不出の民なのだそうです。だから並みの獣族の取引相場ではないそうです。そこに書かれた価値をつけながら、私に預けられたのはごく普通の娘でした。

 シマも最初のうちは彼女を大切に接していましたが、いつしか顧みることもなく二〇年が過ぎていました。それが彼の死後になって……この証書金額でミランシャの競売基準価格を設定するそうです。破産管財に来られたマクガイアさんも困惑しておいででした」


 マクガイアも仕事だ。シマの持ち物で値段がついていれば、それを価値物として扱わなければならなかったろう。人身売買の片棒を担ぐまねは腹立たしかったに違いない。だから俺に白羽の矢を立てたのか。


「それなら、なぜ、ホリア・シマは彼女を売らなかったのですか」

「存じません。それ以上のことは何も……ただ──」


 すると、突然、その場にフクロウ老人が倒れ込んだ。床に両翼と両膝をつく。


「お願いじゃ。どうかミランシャを、ミランシャを故郷に戻してくだされっ!」


 サラ夫人の表情は穏やかなままだった。

「モモチ様。この家も庭も競売に出されるのです。この家のすべて……そこにわたくしが抗える物は何一つありません。何一つです」


「そこをどうか……どうか……っ!」

「……」

 サラ夫人は顔を横に向けて、吐息した。その時だった。


「ぐぬぬぬぬっ……これが、人族のやることかぁ!」

「モモチさんッ!?」

 やおら立ち上がり、モモチ老人は羽を総毛立たせ、目を真っ赤にしてサラ夫人に食ってかかった。俺は急いで横から両肩を抱き留めて制するほかなかった


「獣族は、古代種族。貴様たちよりも古い時代から存在したっ。なのに後から来た者が先住者を虐げるとは、どのような了見か!」

「お静かに。それは侵略による勝者ゆえ、でしょうか」


 淡々と抑揚なく言ったので、、俺もモモチ老人もあ然とした。


「有史とは人族による侵略の歴史。歴史とは生存競争に打ち勝った、正義と称する暴力の記録。先住者に敬意を払った歴史などどこにもありませんわ。新しき者が旧き者を征する。生き残るためには弱者の肉を喰らって、血をすすって罪をも飲み込むのです」


「な、なんたる不遜な!」

「モモチさんっ。落ち着いてください!」


「お静かに……。有史後半。人は、火と金を手に入れた。神話において、神々は人に火を与えたことを悔い、その一方で金は無視した。金は汚れの源泉であり、悪心を抱かせる知恵の林檎であるにもかかわらず。どうしてかしら」


「話をすり替えるではないわ!」

「サラ夫人。それは、すでに神ですら制御できないほど、〝価値の信仰〟が人々に浸透していたから。ですか」


 激高する賢者の代わりに俺が答えると、サラ夫人は楽しそうに微笑んだ。


「興味深い答えですわね。……そう。信仰よりも利欲は人々を魅了するもの。現にこの家でさえ、利欲にまみれています。侵略とは〝価値の信仰〟を他者に押しつける行為でもある。

 あなたがたのような獣族に、人族の価値を理解してほしいわけではないのです。これは、抗わず甘んじてしまった者への過剰暴力。強制搾取──〝いじめ〟ですもの」


 その時だった。玄関のほうからドアを乱暴に叩く音がした。


「来たようね。もう一つの嵐が」


 サラ夫人は慌てず騒がず、部屋を出て行った。

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