第25話 狼、温泉宿をつくる(19)


「なんだ。今日は、やけに獣臭いな」

 男は入ってくるなり、独りごちた。


「いらっしゃいませ。ヴィサリオ・ウラ辺境伯様!」


 六人のメイドが壁ぎわに整列して、一糸乱れぬ所作で頭を下げる。


「ようこそおいでくださいました、ウラさ──」


 サラ夫人も両手を広げて迎える。が、男は彼女の脇を抜けて歩いて行く。

 振り返ると、キツネ耳の娘のおとがいをとっていた。


「今日は珍しく表情が華やいでおるな。何か良いことでもあったのか。んん?」


(愚物……っ)


 サラ夫人は、欲望を隠そうともしないこの男に薄ら寒いものを感じた。


「あのドワーフ以外に、誰かここに来たのか」

「マクガイア家政長からのご依頼で、ヴァンドルフからの来賓を数日泊めることになりました。来賓を泊める手頃な給仕がいないのだと言われまして」


「ヴァンドルフ領から来賓? ヤツらは使者に獣人をよこしたのか。しかも中央都ではなく、身代の傾いたオラデアに?」


「さあ。それを聞こうとしたところに、ウラ様がいらっしゃったのです。もし良ければ直接お訊きなればいかがでしょうか」


「不要だ。獣と話をする幻想趣味はない。獣とは狩る対象だ」


 このヴィサリオ・ウラは政界で力はあったが、個人の世界観に学ぶべきものがない。むしろ、先ほどの狼という彼のほうが好奇心をそそられる。


「おい。スヴェトラーナ。おれの前で他の男の顔を思い浮かべたな?」

「いけませんか? ここはまだ、あなた様の持ち家ではありませんでしょう」


「上客に対して無粋な真似だと言っている」


「会って早々、女主人ミストレスの目の色を言い当てる客は無粋ではないと?」

「ふんっ。ああ言えばこう言う。さかしい女め」


「それで。今夜はいかがなさいます? お食事の用意もできますが」


「亭主のシマが死んで喪にも服さず、宿屋の女主人気取りか。立ち居振る舞いが早すぎると、薄情のそしりを受けるぞ」


「ご忠告、痛み入ります。閣下。ここは心細い女所帯、多少なりとも働かねば、メイドに支払う給金にも事欠きますもの。どこかの若騎士のように、貧しきドワーフをいたぶって町に居場所がなくなっては困りますものね」


 ヴィサリオの顔からサッと余裕が消えた。

「その話……どこで聞いた?」


「すでに町中に広がっている様子。明朝あたりには、貴族街へも達するかと」


「ちっ。ドワーフが家政長に就いて、旧市街の陰りも濃くなっているというのに、まったくマルスコットのやつめ。余計なことをしてくれたものだ」


 ヴィサリオの上京目的は、また家族の火消しらしい。


「それから、近々、オークションが開かれますわね。ウラ様も参加なさいますか?」

「押さえるべき物件を押さえたら考えよう」


然様さようでございますか」サラ夫人は目を伏せた。


「なんだ? なぜおれに訊いた」

「いえ。マクガイア家政長があちこちに参加招聘を頼んでいらっしゃるそうなので」

 ヴィサリオの目に酷薄な光がともった。サラ夫人の二の腕を強く掴む。


「スヴェトラーナ。今、何を隠したっ」


「くっ。わ、わたくしは何とも申せませんっ。ただ、家政長にとって良い競売参加人を捕まえられたようで。今夜より数日、来賓とともにこちらに滞在されるそうです。獣族ですが商人だとか」


「獣族の商人だと!? ……おのれぇ、ドワーフ風情がオラデアに妙な連中を引き込みよって。おれをダシ抜く気か!?」


 食いついた。掴んだサラ夫人の二の腕を振り離すと、ヴィサリオは旧館を飛び出していった。閉まるドアの隙間から甲冑を着た護衛兵が七、八人、てらてらとした闇を反射して主を覆い隠すのが見えた。


「奥様っ、おケガはありませんか」

 メイドたちが駆け寄ってくる。


「ふぅ、大丈夫です。でもこれで今夜の嵐は終わりでしょう。お客様に軽めのお夜食をお出しして。──ミランシャ。地下倉庫のお客様を食堂へ……ミランシャ?」


 キツネ耳の娘は、ポロポロと涙を流してサラ夫人を見つめた。


「奥様。わたしはまた、売られていくのですね」

 サラ夫人はとっさに彼女を抱き寄せていた。


「何を言うのです。させませんよっ。そんなことっ。よいですか、ミランシャ。よくお聞きなさい」

 女主人は、娘のプラチナブロンドの後ろ髪をそっと撫でた。

「大きな力を持つ者ほど、隙が多く生じるものです。事はお金のことですが、わたくしがきっとなんとかしてみせます。女には女の戦い方がある。それを男たちに見せつけてやるのです」

「……はい」


  §  §  §


(なるほどね……そういうことか)


 ドアの隙間から耳だけをだして、パタパタ。俺はドア口にしゃがみ込んで下あごをもふった。


「どうします。モモチさん。強大な力を持つ者ほど、隙が多く生じるものだそうですよ」


 フクロウ老人は白髭をしごきながら、低くうなった。


「ふむ。会話を聞く分には、あのウラという男。気に入ったものは手に入れるまで諦めそうにないの。ただ、ヤツにつけ込む隙があるとすれば、身内の不始末かの」


「そっちはたぶん、俺に心当たりがあります」

「ほー。なら、狼。ミランシャを取り戻してくれるのかの」


 やぶ蛇。申し訳なさそうに力なく顔を振ってみる。


「さすがに一八〇万ロットは無理ですね。今度の競売で、落札を予定している不動産の三件分です。それをたった一人の娘さんの身請けに使うのは、商人としても破産します」


「そうだのぉ……。時に、お前さん。みどもに借りがあったろう?」


 ドキッ。この爺っつぁま、ずりぃ。急に痛いところを突いてきた。


「り、リンクスの世話をお任せしていることには心苦しく思っておりますよ。しかしですね。感謝をお金で換算しても、せいぜい五〇〇〇ロットくらいですからね」


「ほっほっ。なら。明日からお前さんが情報集めや方々に手紙を出すのに走り回っておる時間、お前の従者二人と龍公主二人とリンクスに座学講義を開いてやろう。いかが?」


 俺は思わず食いつきそうになった腰を浮かせたが、グッとこらえる。


「それはありが……どうでしょうか、それでも一万くらいかな~?」


「ヴァンドルフ家の隠密は全員、みどもが育てた精鋭ばかりでの。次の偵察任務では、あの子らも監視目標を不用意に襲ったりしなくなるであろうの」マジか。

「でしたら、三万……?」


 何が何でもトラブルをお金で解決しようとしたが、先にフクロウ老人の我慢が切れた。


「ええいっ。ケチ臭いことを申すな。狼よ。ヴァンドルフ軍幕僚補佐であるテンプルトンに大きな貸しを作れるのだぞ。成功報酬に一つ二つ願いを聞き届けて終わるようなミミっちぃことは言わん。時が許せば、いつでもお前さんに兵站でも後詰めでも手を貸してやろう」


「領主の許可なく、軍上層部がごく個人的な貸しや借りで兵を動かしたら職権乱用でしょうが! ちゃんと文民統制してくださいよ」


「いちいち細かいわ。のう、狼。この通りだ。頼む。みどもが目に入れても痛くない教え子なのだ。ミランシャを取り戻してくれんか」


 フクロウが身体を折って頭を下げられた。

 なぜそこまで、あのキツネ耳の娘にこだわるのか。おそらくサラ夫人が言っていた〝巫族〟のことがからんでいるのだろう。それに老人のなみなみならぬ熱意も伝わる。


(でも正直、外にヴァンドルフ家に支援を期待することは、俺にはないはずだ)


 俺は、この時、ヴァンドルフ家当主のマナ被爆の中和剤を考案して恩を売る約束をした。でもなぜこの時、それを持ち出すことをためらった。出し惜しみしたわけじゃない。わからない。


 俺はラノベに出てくるような勇者じゃない。魔法使いも認めないが、周りから認められてしまうのは諦めるしかない。それでも、俺はあくまで商売を究道する者なのだ。


「モモチさん。結論を出すのは、本当に待ってください。事は途方もない大金が動く大事業です。早急に計画を改訂する必要もありますし、上司の許可や、俺の経営戦略プランを信じて期待してくださってる関係者への承諾もあります。時間をください。二、三日──いえ五日ください。ティミショアラまで馬で往復する時間も必要ですから」


「うむうむ。お前さんの温泉計画はそばで聞いておったしなあ。よかろう。ならば七日の間に、お前さんが出す結論を教えてくれ」


「あれ。二日延びたのは、なぜでしょうか」

 嫌な予感しかしない。案の定、急にフクロウのでかい顔に妖しい三日月が浮かんだ。


「その代わり、もしお前さんが協力できぬとあらば、七日間で薫陶を授けたお前さんの従者二名と龍公主二人を借りて、ミランシャ奪還作戦を敢行させる。彼女たちの動力源となるマナ鉱石は、ほれ。ここにあるからの」


 腰の革袋を揺すって、カラカラと石の音をさせる。俺は思わず立ち上がって、フクロウ老人のもふもふの胸毛を掴んでいた。


「ちょっ、待てよ! うちの子らを人質にするのは、いくらなんでも横暴だろうが!」

「ならんっ。これは決定事項だ。せいぜい慌てず急ぐのだぞ、狼」


 ほっほっほっと人畜無害そうに笑うフクロウ老人。


 この人、本当に策士だわ。人の弱味や旨味につけ込んで俺をあっさり雁字がんじがらめ。言い逃れさせない取引運びは鬼畜レベルの巧みさだ。


 でも、ここで「わかりました」と言うのは危険だ。言質を取られかねない。


「では、やれるだけやってみます。これ以上、俺にトラブルが降りかかってこないことを祈っておいてください。ただでさえやらなきゃいけない仕事が多いのですから」


 モモチ老人はうなずくと、ごく自然に翼を差し出してきたので、思わず握り返そうになった。すんでの所で、思い留まる。罠だ。この握手に意味がない。交渉成立の握手にされてたまるか。


「ほほっ、残念。ひっかからなんだか」

「たった今、確信しましたよ。あなたとは絶対戦いたくないです」

 少し不満そうに俺を見たが、フクロウお化けが頬の肉をあげてニヤリと笑いやがった。


  §  §  §


 深夜。方々に宛てた手紙を書くのに手間取った。

 とくにペルリカ先生へ宛てた手紙には書くことが多かった。感謝と崇敬。もちろん親愛も書きつづったが、何より寄る辺ない少女の未来をお願いした。


 それを和紙の封筒にいれ、狼の封蝋を押した時だった。


「いやぁあああああっ!」

「奥様ッ!」


 悲鳴の直後、一階のロビーが騒がしくなった。俺は背嚢に新しい手紙の束を押し込んで封を閉めて背負い、ロウソクの火を消して部屋を出た。階段を駆け下りる。


「何事ですか!?」


 ロビーでサラ夫人が昏倒していた。メイドのひとりに上体を抱き支えられて、集まったみんな途方に暮れている。


 玄関口に立っていた客は、サルトビだった。動揺しきった顔はアザだらけだ。


「サルトビ。どうした。ケガをしているのか。どうしてここが!?」

「せ、せつことはいいっ。それより、マクガイアってドワーフの旦那から、急いでこの屋敷のサラ夫人って人に報せろって。拙が狼の知り合いでも面が割れてないから、尾行つけられる心配はないだろうって」


「なんだっ。なにがあった?」

 サルトビは唇を居心地悪く動かすと、言った。


「コンシュート・シマって人が、死体で発見されたって」


 俺は一瞬、思考が飛んだ。思考が回り始めた時、寡黙に敬礼する騎士の顔が思い出された。


「どこだっ、場所は!?」


「えっと。西側城壁の、池ってだけ聞いた。マクガイアって旦那は、手下連れて現場を見に行ってる。それで、狼にはサラ夫人って人と一緒に、守衛庁の死体置き場で確認してきてくれって」


「わかった。──スコール。ウルダ。戦闘準備。装備携帯後、俺の馬車の用意を頼む」

「了解っ」


 スコールとウルダは、地下倉庫へ駆け下りていった。


「メイドさん達は、奥様に外出の支度を。奥様の馬車の用意もお願いします」

「ええっ。このお身体でですかっ?」


 冗談じゃない。メイドのひとりが非難めいた声で言い返す。俺は少し焦れた。


「なら、コンシュート・シマとの関係はっ? なぜマクガイアは彼女を呼びに来させたんだ!」


「夫です」

 メイドの腕の中から起き上がり、サラ夫人は朦朧とした声で言った。

「コンシュート・シマは、わたくしの夫です。……確認に参ります」


 今はそれ以上の穿鑿せんさくは無用だった。オレはメイドに再度同じ指示を出した。


「死体置き場は寒いのでお召し物は厚着をおすすめします。警備上、介添えのメイドは一名。他のメイドはここに待機して、帰宅後、奥様の心をお慰めするサーヴィスをお願いします」


 メイドたちは顔を見合わせたが、最終的に女主人のうなずき一つで俺の言葉に従った。

 俺は、装備を調えて地下から戻ってきた最強コンビに追加指示を出した。


「二人は、サラ夫人の馬車に同乗。警護を頼む。馬車に何者かが接近してきた場合、必ず所属と名前を名乗らせろ。無応答。ヘラヘラ笑って近づくるヤツは敵だ。迎撃態勢をとり、排除だ」


「了解っ」二人はドアの外へ飛びだしていった。


「トビザル。こっちにこい」

 手招きすると、フラフラとやってくる小柄な青年の顔を両手で包んだ。冷たかった。


「よく慣れない土地で、ここまで報せにきてくれた。ありがとうな」

「うん……でも、拙は」


「〝上肢〟のヤツらに路銀とられて、調子に乗るなって折檻されたのか」


「っ……なんで、わかったんだ?」

 服を見ればわかる。追いはぎに遭ったようなザマだ。服も顔もボロボロだ。


「ごめんな。実はさ。お前を送り出した後で、金のニオイが洩れるほど多く渡し過ぎたなって後悔していたんだ」


 トビザルはフッと笑って、すぐに泣き顔になった。


「拙は、喧嘩も弱くて。もらった金、全部とられた」

「いいさ。トビザルが根性でオラデアの俺の所まで来てくれたからな。次の仕事まで、俺たちに付き合ってくれるんだろ?」

「う、うん」


「死体の確認が終わったら、俺はマクガイアさんに会って話をしたあと、夜明けを待たずティミショアラに行く。お前はスコールやウルダと一緒に、この屋敷でテンプルトンさんの講義をうけろ」


「こうぎ、って?」


「勉強だ。話を聞くだけでいい。わからないことは質問しろ。お前には腕っぷしの前に、知識が必要だ。スコールとウルダに負けないくらい、いろんなことを吸収しろ」


(結局、あの爺っつぁまの要求は呑まなきゃいけなくなりそうだ。だから、しっかり授業で元を取ってやる……っ)


 顔から手を離すと、トビザルの全身から傷は消えていた。青年は傷のない自分の手のひらを少しの間、珍しそうに見つめていた。


「できるかな、拙にも……」

「今後、お前には、ぶっ飛ばされた上肢たちから俺が渡した金を奪い返す目標ができた。そうだよな?」


 トビザルは目を光らせてうなずいた。


「ああ、あいつらずっとムカついてたんだ。いつかぶっ飛ばすっ」

「よし。その意気だ。お前は俺の馬車に乗ってくれ」


 俺は青年の肩を叩いて、一度、クレヴェルの間──リンクスのベッドへ向かった。

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