第14話 シャラモン先生の魔眼講座


「魔眼というのは、生物学上の眼球だけをさすものではなく、魔法使いの道具――いわゆる魔法具の一種として珍重されています」


 シャラモン神父は、数学の公式を並べるように言った。


「そういや、昔。ダンジョン内でゴブリン・シャーマンが〝邪視〟イービル・アイの魔眼を使ってきたことがあったな。シャラモン。確かお前もそこに、いたよな?」


 ムラダーがぽつりと言った。シャラモン神父はうなずいて、


「ええ、そうでしたね。その存在を斥候せっこう(偵察)隊が見落として、序盤から苦戦した記憶があります。

【闇】チェム属性の中位クラスで、魔法具としては錬成四、五年程度のごく若い魔眼でした。くわえて使用者も未熟なゴブリン・シャーマンだったことも幸いして、すぐに魔法具が壊れてくれて助かりました」


「ゴブリンだと、魔法具が壊れやすいんですか?」


 俺が質問した。ゴブリンなら編集仕事で散ざん目に耳にしてきた魔物の名前だ。

 シャラモン神父は頷いて、年長組の二人にも聞かせるように居ずまいを正した。


「まず、ゴブリンの中でも知能の高い個体は、〝メイジ〟。地方によっては〝シャーマン〟と人族から呼称され、一定の月齢期に達すると、魔法に目覚めます。


 彼ら魔族は、人と違い、術式を学習して言語を媒体に効率的な魔法発動を行うわけではありません。ある種のヒラメキによって魔法を発作的かつ力任せに会得するといわれています。


 このことから、一般的にゴブリンの使う魔法は、触媒魔法に分類されます。乱暴な言い方をすれば、生贄や魔法具を当てにした〝借り物魔法〟ですね。


 また、ゴブリンの魔法は、詠唱者の体調で発動できたりできなかったり、意思に反して効果にムラがあったりと不安定なため、人の血や骨などを使って魔法具を創造し、補う必要があると推測されています。その中には必然、魔眼も生まれます。


 そして、人が造った魔法具にはマナの安定的な供給が求められます。なので、不安定なゴブリン・メイジ程度のマナでは、すぐに供給不全となり、発動効果をあげるまでに魔法術式を維持できません。結果、術式バランスが崩れ、魔法具は壊れてしまうわけです」


「話がなげぇ。ゴブリンの話だけで、長過ぎだろ」

 ハゲ頭の後ろに両手を回し、ムラダーは面倒くさそうに言った。


「そうですね。すみません」

「いえ、実に興味深かった内容です」

 俺はラノベ脳を刺激されて、何度も頷いた。


 シャラモン神父は俺の態度に好感を持ってくれたのか、気を取り直して、

「本論として、人の魔法使いにもこれと同じことが言えます。すなわち、魔法具によって使用者の能力を補うという点です」


「マナ石みたいにですか」スコールが指摘した。


「そのとおりです。マナ石は、一般的な人間にとって非常に有用な発見でした。あなたが持ってる〝梟爪サヴァー〟が【風】ヴェチェルですし、ハティヤの弓は【風】と【水】ヴァーダの混成。そう、あとムラダーさんの【地】ゼムリアですか」


「え、おっさんも?」

 スコールが意外そうに禿頭を見た。


 ムラダさんはふんっと無愛想な顔をしつつも、


「この革鎧は、お前らの短剣や矢を受けても、そのマナ石のおかげで、鎧を貫通することはねぇのさ」


「へー。どうりで……」スコールが疲れたため息を洩らした。


 シャラモン神父はグラスから水で舌を湿らせると、

「これらのように、魔法を修得していない者でも魔法の補助支援を受けられるようにしたのが、魔法石付き装具。いわゆる〝魔導具ドラグーン〟と総称されます。

 魔眼は、この魔導具の本来の源流と言いますか、魔法使いのための魔力増幅器としてのアイテムとなります」


「それじゃあ、その魔眼を、魔法の素養がない人間が使えばどうなるんですか?」


 厳しい眼差しでハティヤが問いかける。

 シャラモン神父は肩をすくめた。


「ゴブリンと同じです。マナ供給が不安定なので、魔眼が破裂。さもなければマナの逆流現象が起きて身体が破裂するか、発狂するか……そんな感じです」


 おののく子供達。そこで俺が口をはさんだ。


「シャラモン神父。先ほど、他人の魔眼を装着した際、その目の持ち主の人生をも覗き見てしまう事故が起こることがあり、最悪、発狂する。と聞きましたが」


「ええ、そうですね。魔眼が魔法具の一種という位置づけだからといって、眼球本来の視覚能力まで、特別なモノになるわけではありません。

 ただ、魔眼内のマナ蓄積量によっては、視覚記憶という本来、脳内における短期記憶とされるものが紛れ込んで残ってしまう事例が、まれに起きるのです」


 それに一番最初に納得したのは、ムラダーだった。


「ああ、つまりあれか。目に死の直前の記憶が残るってヤツだな。迷信だと思ってたぜ」


「はい。〝稀〟という頻度で起きるから、迷信で納まっているのだと思います。発狂は、魔眼によって前の持ち主の死を追体験させられてしまうからでしょうね」


「先生……。やっぱり、やめませんか」

 ハティヤが不安そうに養父を覗き込む。


 シャラモン神父は笑顔を一瞬浮かべ、穏やかに言った。

「ハティヤ。スコール。狼さんが与えてくれたこの機会を逃せば、私は一生後悔することになるでしょう」


「……っ」


「私は、あなたたちを帝国から連れ出した時、すでに顔を見ることが出来なかったのです。もちろん、この眼窩がんかに魔眼を再び入れることは、危険が伴います。

 ですが、それを冒してなお、成長した我が子の顔が見たい。これは親の切なる願いだと思うのです」


 するとムラダーが真摯な声で口を挿んできた。

「だがな、シャラモン。お前が魔眼に喰われたら、この子供らは誰が面倒を見るんだ?」


 懸念を投げてくる旧友に、シャラモン神父はうなずく。


「ええ。ですから、私は死にませんよ。……ふふっ、大丈夫。私は元大魔法使いのレイ・シャラモンです。落ちぶれても、魔法絡みで死ぬようなヘマはしませんよ」


「うわあ、もう何かの予告にしか聞こえねーよ」

 スコールが頭を抱えると、シャラモンが長男の額を軽く突いてみせた。室内に笑いが起こった。

 ドアがノックされ、その和気藹々とした空気が一気に萎んだ。


「またせたな」

 黒狐が再びむっつりと不機嫌そうに入ってきた。


 黒狐の後ろに、手代が円筒形の水槽を抱えて部屋に入ってくる。

 その後背を、明らかに元兵士とおぼしき屈強な体躯の男が二名警護していた。


「おいおい、とっつぁん。目玉二つに、えらく厳重だな」


 ムラダーの軽口を無視して、黒狐は手代の仕事を見守る。円筒形の水槽が音もなくテーブルに置かれた。護衛二人とともに部屋から出た。


 黒狐がムラダーに言う。


「二階の別室にベッドを用意した。そこで寝ているのガキどもを含め、部外者をここから出せ」


「子供には聞かせられねぇ話か?」

「ムラダー、穿鑿せんさくはナシだ。心配ねぇ。子供はマチルダに世話をさせる」


「ハティヤ。スコール。頼みます」

 シャラモン神父が決意を固めて言った。年長組の二人は不安そうな面持ちで頷き、弟妹らを抱きかかえると部屋を出て行った。


 その作業をイスに座って眺めながら、俺は自分がこの一家に不幸を招き寄せた気がして、胸が痛んだ。

 だが今の自分には、この世界の魔法使いの〝知識〟が必要だったのだ。


 部屋から子供らがいなくなり、従業員が立ち去るとテーブルに残ったのは、四人。

 俺。ムラダー。シャラモン神父。そして、黒狐だ。


 俺は、金袋の脇に置かれた円筒形の水槽を見つめる。水にしてはやや濁った、ぬめりを伴う水溶液の中に目玉が二つ、滞留している。


「おい……これ。こいつを、どうするんだ?」


 ムラダーがもっともな疑問を、シャラモン神父に投げかけた。

 元魔法使いの神父は、やや緊張した表情で言った。


「魔法術式にのっとり、直接、眼窩に装着します。――ご店主。それではまず、この魔眼の情報をお願いします」


「ああ……属性は【陽】ソンツァ。〝金獅子帝の魔眼〟というそうだ」


 それだけで、シャラモンは表情を強ばらせ、イスを蹴って立ちあがった。


「そんな馬鹿な。信じられない! これが〝アバ・シャムエルの魔眼〟ですって!?」


 突然、シャラモン神父は狂乱したように髪を掻きむしり、部屋中を歩き始めた。


「考えろ。考えろ、私っ。誰なんだ。〝アバ・シャムエルの魔眼〟をたった五〇〇ロットで質入れした魔法使い……許されない。許されませんよ。これは大罪ですっ」


「お、おいっ。神父さんよ。オレはまだ魔眼の属性しか言ってねえだろうが」

 黒狐が茫然と戸惑いを口にした。


「もう充分ですっ。この千年紀の間で【陽】を宿す魔眼は、ただ一対なのです。くっ。なんたる千載一遇の僥倖でしょうか。……ご店主、これをいくらでお譲りいただけるのですか」


「はぁっ? ……おい、ムラダーぁ」

「おれに振ってどうすんだよ。商談は、とっつぁんの領域だろうが」


「勘弁してくれ。こんなやりづれぇ客はごめんだぜ」

 俺はずっとこの〝場〟を見つめていた。


(変だな。ムラダさんはともかく、神父さんのパニックに比べて、店主は落ち着きすぎてないか。商品に対する価値に温度差がある。なぜだ?)


「ご店主さん。客は、俺です。続きを教えてくれますか」

 俺が淡々と先を促した。黒狐は面倒くさそうに取り出したメモ紙を見て、


「確かに、その神父さんが言った通り。こいつ名前は〝アバ・シャムエル〟。大昔の、アルパート皇朝って時代の皇帝の名前ってことらしい。だからァ……五〇〇年前か?」


「五二六年前ですっ!」

 シャラモン神父が、即答で神経質な声をテーブルに投げてきた。


「――ってことらしい。で、〝アバ・シャムエル〟というのは、その皇朝時代の歴代皇帝の一人で、〝異端帝〟と呼ばれてたそうだ」


「異端帝?」

 俺が怪訝な声を洩らすと、そこから先は訥々とつとつと説明する老店主にじれったくなったのか、シャラモン神父が引き受けた。


「アバ・シャムエルは、アルパート皇朝期にあって、民衆のため貴族の既得権益を保護する法律を次々に破り捨て、当時の帝国を民間寄りにしようと抜本的改革に乗り出した賢帝です。彼は貴族主導の政治が帝国を滅ぼす未来を見通していたのです。

 ですが、彼のやり方は急進的すぎて貴族と貴族側についたサンクロウ正教の教皇に見放され、在位わずか三年で暗殺されました」


「しかして、その皇帝の遺骸から聖遺物級の目玉がなくなっていた。てか?」


 ムラダーの芝居がかったひやかしも、シャラモン神父は真面目に頷いた。


「そうです。そいて彼は魔法界で唯一無二と言われる【陽】ソルツァ〟の魔眼。未来を見通す、金色の眼を有していたと伝えられています」

 ムラダーが、片腹痛そうに鼻先で笑って胸を揺すると、肩をすくめた。


「おい、狼。やめだ。この話を白紙に戻せ」

「わかりました。ご店主、この魔眼の商談はご縁がなかったことにします」


 するとシャラモン神父は、バタバタとテーブルに戻ってきた。イスで膝を痛打したが、そんな痛みすら感じないほど興奮していた。


「なぜですか。狼さんっ。ムラダーさんも、どうかお願いします!」


 とたん、ムラダーが憤怒の形相に変わった。


「莫迦野郎っ! 頭を冷やしやがれ、シャラモンっ!」


 落雷一喝に、俺は思わず両耳を倒して首をすぼめた。

 シャラモン神父は、細い眉を跳び上がらせたまま言葉を失った。


「こいつはどう聞いたって、騒乱の火種だ。とくにお前が前にいた業界のな。そうなんだろ? お前のその慌てっぷりを見りゃあわかんだよっ」


「それは……はい。ですがこの機を逃せば――」

 言い終わるのを待たず、ムラダーはテーブルをたたいた。


「この機っ? 誰にとっての好機チャンスだってんだ? いいか、シャラモン。何遍でも言うぞ。コイツだけはやめておけ。子持ちの独身男が目玉として収めていい野心じゃあねえ。お前のせいで、あの子らの幼い身体が炎に焼かれちまってもいいってのか、あぁ?」


 強く諭され、シャラモン神父はテーブルに手をついて項垂れ、細いため息をついた。


「でも、アバ・シャムエルの魔眼さえあれば――」


「くどいぞ、シャラモン! それ以上、講釈をたれるんじゃねえ。お前のそのご高説をとっつぁんの耳に入れたが最後、その魔眼の価値が跳ね上がるどころか、この店が帝国の魔術師どもの標的になっちまうかもしれねぇんだ。


 お前は今、お前の百年以上の人生の中で一番の欲をかきすぎている。頭を冷やして、いつもの貧乏神父に戻りやがれ。それが子供らのためだ」


「………………はい」


 長い沈黙の後、消え入りそうな返事だった。未練たらたらなのは隠しようもない。

 俺でわかるのだから、ムラダーもその恭順をまったく信用しなかった。


「お前。もしかして、まだ魔法使いに未練があるのか?」

「……っ!?」


「おれはお前に命を助けてもらった借りがあるから、言ってるんだ。お前が魔法使いに戻ったところで、誰も得しねえ。誰もだ。お前を含めて、ただの一人も幸せにならねぇんだ。

 こいつは、この店の金庫の奥深くで永遠に眠っててくれたほうが、世のため人のためになる。そういう呪われた運命の魔法具なんだよっ」


「で、でもっ。ムラダーさんっ。それなら、あなたは悔しくないのですか!」


 悔しい。その言葉で、ムラダーは元魔法使いが何を悔悟しているかを察したらしい。目に失望の色が滲んだ。


「今のお前を眺めてると、永く生きるってことが呪いに思えてきやがるぜ」

 ムラダーは肩を落として、穏やかに諭す。


「レイ・シャラモン。お前の愛したお嬢は──ジナイダ団長はとうに死んだんだ。戦場でもなく、ただ権力闘争に敗れた皇帝の家族ってだけで、帝都でギロチンにかけられちまったんだ。

 それが、十年も前だ。今さら帝国にただ悔しいの一時の感情でぶつかっていけるほど、おれはもう若くねぇ」


 シャラモン神父は床にくずおれて頭を抱えた。

 哀れに思いつつも、ムラダーは神父の胸倉を掴んで引きあげた。


「それとな――、お前がその悔しいという感情でこの先もあの子供らを育てていくんだったら、おれは今この場で、お前を殺す」

「……っ」


「あの子らには、そこの魔眼で発狂したって言ってな。そして今、テーブルに載ってる五〇〇〇ロットを使って、おれがあいつらを育てて真っ当な道を歩かせる。

 それが、この魔眼を知る前の、おれと狼の危窮ききゅうを助けてくれた子煩悩な神父への供養だと思うからだ。だから……頼むから、戻ってこい」


 ムラダーは大きく息を吐き出し、神父をそっとイスに座らせてやる。

 そして、剣を抜きかねないほどの鬼迫で、黒狐を見据えた。


「おい、とっつぁんよ。これ以上こいつの知識を利用するのはやめてもらえるか」


 ひーっひひひっ!

 突然、おぞましい引き笑いが部屋に響き渡り、俺は耳をピンッと立てて目を瞠った。


「おい~、ムラダー。お前は本当に欲ってものがなさすぎるぜ。あと少しで魔眼コイツの本当の価値が聞けたものを。まあいい。〝アバ・シャムエルの魔眼〟──〝未来視〟の魔眼とわかっただけでも高値を呼ぶだろうなあ。いや、残念ざんねん」


 黒狐はずっと持っていたメモ紙をテーブルに投げ捨てた。

 白紙だった。

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