第18話 鬼雨(きう)の夜襲(1)


 東に望む白い石灰岩の山脈が、雨にくすんで灰色に濡れていた。

 アスワン帝国属領バーニャルカ自治区から〝イフリート砲〟六八門が進発したのは、四日前。策定した日程から丸三日の遅れである。


 ビハチ城塞まで丸一日分の距離を残し、パジャルマという山岳隘路の手前の平原で今日の搬送を終える。


 今年の雨期は長いようだ。

 カーロヴァックまでの最短となる道はいまだすべて水没していた。 

 急がねば。だが天候を敵に回せばどんな屈強な兵でも勝てない。

 すするカルダモンコーヒーから焦燥の味がした。


 そこに天幕に将校が飛び込んできた。ずぶ濡れになった外套やバイザーから水を滴らせつつ敬礼する。


「兵站部隊より報告。運搬人夫がおよそ七〇名。逃散した模様。〝イフリート砲〟三門搬送のため、馬を借用したいとの由」


 ソコプル・ヘフメト大佐は、熱いだけのコーヒーに石が混じったような解せぬ顔をした。


「バニャルカ人の人足を雇い入れたのはいつだったか」

「はっ、四日前であります」


「数は」

「……一三〇名であります」

 ソコプル大佐は伝令をジロリと睨んだ。


「なぜ半数以上も逃げた。ビハチは、もうすぐそこだぞ。まさかメンデレスは、あの田舎者どもに前払いで給金を渡してやったのではあるまいな」


「はっ。それは……確認しておりません」


 糧食もある。水もある。給金もたっぷり約束した。なのに、人が逃げ出す。しかもバーニャルカ自治区に入る前にも同じことがあった。運搬人足が暴動を起こしかけてメンデレスが半金だけ払って解雇した。


 暴動の理由が、「輸送中の柱の中から人の声が聞こえる」というのである。

 馬鹿ばかしくて、怒る気にもならない……。


「捨てていけ」

「えっ?」


「その三門。ここに捨てていかせろ。そしてカーロヴァック到着後、再びここに取りに来させればよい。わが部隊の軍馬は、運搬用ではない。どうせここに置いていったとて一門盗まれるような物でもあるまい。数が合わずに困るのはカーロヴァックにいるライカン・フェニアの弟子どもだけだ」


「ですが、大佐」


「ハリト中尉。どだい六八門もの〝バケモノ〟をわずか八〇〇〇の兵站部隊で三〇〇ミレ(約六〇〇キロ)先のカーロヴァックまであと五日で輸送するのだ。その困難さはメンデレスもわかっている。吾輩の二年後輩だからな」


「……っ」


「吾輩の責任において、ビハチ城塞で一日だけ兵を休ませる。ジェヴァトの若造に貸しを作るのは癪に障るが、背に腹は換えられん。

 二個中隊ほど輸送部隊を借りて、一気に遅れを取り戻す。だから六八門が六五門になったところで、大した差はなかろう?」


 ハリト中尉は沈黙した。肯定も否定も発言が許される立場ではなかったから沈黙したのだろう。まあいい。


「ハリト中尉。メンデレス大佐に伝達。〝イフリート砲〟三門を一時放棄させろ。あくまで一時だ。任務完遂の後、再度運搬せよ。この雨に留まれば地獄ぞ。とな」


「はっ」


 ハリト中尉は敬礼して、天幕から再び滝のような雨の中へ飛び出していった。

 ソコプル大佐は忌々しげにコーヒーカップをあおった。


「ふんっ。なにが〝イフリート砲〟だ。ライカン・フェニアめ。あんな薄気味悪い物で、戦局を左右されてたまるかっ」


  §  §  §


 シャラモン神父の助言を聞いていて正解だった。


 夕方。

 ツァジンの町にアスワン兵が馬で一〇騎ほど入ってきたらしい。


 その時はもうヤドカリニヤ商会は町を出たことになっていた。彼らは町を三度ほど巡回した後、何も訊ねずに城塞に戻ったと、スコールが報告してくれた。


 俺たちは郊外の牧場に馬車を隠して、夜を待った。


「今夜は、嵐がくるな」

 閉めかけた雨戸の隙間から、ズィーオは渦巻く風雲を見上げていた。その時だった。


 俺の耳が、隙間から微かにこちらへ近づいてくる馬蹄をとらえた。

 マチルダの会計作業を眺めていた俺は席を立ち、玄関先に立てかけた戦斧を取りに行った。


「どうした、狼っ?」老人が振り返る。


「連絡が来たようです。友好的な相手ではないので、ズィーオさんは室内を固めてください。俺に万一のことがあった時は、彼女たちをよろしくお願いします」


「むっ。……わかった」

「スコール。一緒に来てくれ。──ハティヤ。室内に入ってきた敵に備えて弓を。相手は複数だ」


 スコールとハティヤが同時にうなずく。

 協力関係は取り付けたが、味方だとは少しも思えない。


 フードをかぶって玄関を開ける。一頭の軍馬を先頭にした十数騎の小隊が牧場に入ってきた。

 彼らの最後尾がロープで両腕を縛られた人間を引きずっていた。

 西部劇かよ。

 俺とスコールが家を飛び出すと、たちまち騎馬に取り囲まれた。

 その話の外にパラミダはいた。俺を見て誇らしげにニヤリと嗤うと、ロープを握る仲間にアゴをしゃくる。


 俺の前に、手首を縛られた人間がほうり捨てられた。


「ひでぇことしやがってっ」

 スコールは思わず呻いて、短剣で捕縛を断ち切った。


「パラミダ。鳩は、飛んでいるか」俺は訊ねた。


「さあな。町中で散々喚いてやったから、今ごろは飛んでるんじゃねーの?」

「……」


「もっとも、あの片肺女がセニからここまで来る頃には終わってんじゃねえのか」


 スコールが辛そうにこちらを見た。俺は腰の革袋から金貨を一枚取り出した。


「そうか。散ざん喚いたのなら、喉が渇いただろう。酒代だ。いるか?」

「へっへぇ。石けんで儲けてるヤツは違うな。気がきくじゃあねーか」


 俺は差しだした金貨をふと掌の中に隠し、拳を突きつけた。


「ただし、町衆があんたを信用せず、鳩がセニへ飛んでいなかったら、酔いつぶれたあんたらの喉をかっ切りに行く。一番は仕事をしなかった、お前からだ」


 相手の仏頂面へ一ロット金貨をほうった。パラミダは片手で受け取り、酷薄な目で俺を刺すと牧場の外へ馬の鼻先を返した。


 雨が降ってきた。


「スコール。その人は」

「まだ息はある。けど、足が……っ」


 長い距離を引きずられてきたのだろう。彼の両足は膝から下がなかった。


  §  §  §


 銅の柱の中から、人の声が聞こえるんだ。

 狭い……。昏い……。ここから出して……って。


 わたしは、その柱を運んでいる間ずっと、怖くてたまらなかった。

 弟のサカクは、柱の中から怒り憎しむ声が聞こえたらしい。


 ここから解き放たれた瞬間、お前らを一人残らず殺してやる、と。

 わたし達は一体、何を運ばされているのだろう。


 居たたまれないほどの恐怖が、脱走を決意させた。わたしはサカクと逃げた。アスワン軍からの給金は破格で惜しかったが、柱に呪い殺されるよりはマシだと思った。


 パジャルマに着いた休憩時間に目を盗んで逃げた。すると他の同郷の連中もあの声を聞いたらしい。次々わたし達の後を追いかけてきた。少しして彼らに追い越されて、わたしはサカクを見失った。


 会いたい。わたしは、弟に会いたい……。


 男はうわ言のように一方的に語り連ねた。それから大きなため息をつき、動かなくなった。


「この辺で、墓を掘れそうな場所はありますか」

 名もない不運な人を悼み、俺はズィーオに尋ねた。


「ここから北へ少しいった先に、よそ者用の墓地がある。浅く掘ってある穴があるはずだ。墓守には後でわしから言っておいてやる」


 俺は頭を下げて、家を出た。

「狼」

 老人に呼び止められて、俺は振り返った。

「カラヤンを必ず奪り返せ。それに失敗したら、お前も、こいつも救われん」

 俺はうなずいて、闇の中を進んだ。


  §  §  §


 妖精──。銅の柱の中から人の声──。


 この世界に〝火薬〟はまだ生まれていない。〝キャノン〟。

 目眩めくるめく心地で掘った穴に、雨水がたまり始めた頃。スコールが呼びに来た。


「狼。メドゥサ姉ちゃんが来たぞ」

「時間、どれくらい経ってる?」

「たぶん、四時間くらい。晩飯も先に終わらせた」


 もうそんな時間か。早いな。伝書鳩ってそんなに速いのか。


「彼の遺体は?」

「納屋に移動させた。じーちゃん、姉ちゃんにも狼と同じこと言ってた」


 スコップを地面に突き刺し、スコールの手を借りて穴から出た。高さは胸より少し足らないくらいの暗闇の穴。地表に出て改めて、風雨が増したことに気づく。

 俺は、言った。


「きみは、誰だい?」

「……っ」

「きみは、スコールじゃないよな」


 スコール──いや、少年を装った相手は、怪訝そうに俺を見た。それからニンマリと笑った。


「どうしてわかった?」

「手さ。スコールの手は、そんな絹のようにすべすべした柔らかい手をしていない。家族を守るために必死で自分を鍛えて、掌の皮が何度も破れて肉刺まめが潰れた硬い手をしている。同じ十四歳の子と比較にならないくらい覚悟をした手をね」


「……」

「悪いけど、きみにだまされてあげる時間がない。用件だけ聞くよ」

「カラヤン・ゼレズニーを諦めなさい。でないと──」


 俺は首を振った。


「それはきみの目的じゃないだろ。カラヤン・ゼレズニーは、俺の目的だ」

「……っ」

「言えない用件なら、俺の前に姿を現さないでくれ。魔女」

「……っ」


 俺は少年を装った相手の隣を通り過ぎた。後ろ手に手を掴まれる。


「アスワン帝国を滅ぼしたいんだ」少女の声に変わった。「姉様のために」

「今すぐは無理だ。でも、ビハチ城塞が機能不全に陥れば、アスワン軍は大打撃を受ける。運が悪ければ滅びるかもね」

「機能不全?」


「近日中に、〝キャノン〟という攻城兵器がビハチ要塞に運び込まれる。その前に俺たちが強奪し、ビハチ城塞へ逆用して混乱させる。これにより指揮系統を切断する」

「逆用。指揮系統……よくわからないけど」


「ならこう言えばいいかな。カーロヴァックの戦いをアスワン帝国の負けとして終結させれば、アスワンは弱体化する。有能な指揮官が責任を取って処刑されるからだ」


「だめだ。総司令官のカラーム・ラッディーンの星には衰退の陰りすらないんだ」

「落ちる間際の星の輝きは強いもんだよ」

「お前ごときに、星の何がわかるっ!」


 魔女は、俺の手を振り払った。

 俺は魔女から顔を背けた。


「失望だな。黄昏の魔女なんて、こんなもんか」

「なんだって?」

「きみがアストライアと呼ばれる魔女なんだろ。会ってみて拍子抜けした。普通の占い娘じゃないか。占う相手に不幸しか言わないから、魔女扱いされてるのか?」


「っ……ぼくを愚弄すると地獄へ堕とすぞ!」

 ボーイッシュな陰キャラ美少女のボクっ娘魔女か。設定盛りすぎだよな。

 

 今度は俺から魔女の手を掴んだ。

「そんなことより、魔女に会ったら訊いておこうと思っていたんだ」


 泥だらけの手をアストライアは必死にふりほどこうとしたが、俺は離さなかった。


「〝過去視〟の魔眼を盗んでいった魔女がいる。心当たりはある?」

「……っ!?」


 手をふりほどくことに一生懸命で答える気はないらしい。俺は手に力を込めた


いたっ。……離せよっ」


「ディスコルディアは〝過去視〟の魔眼を盗んで、何を企んでいるんだろう。きみの意見を聞かせて欲しい」

「その名前を口にするなっ。知らないっ。ぼくがアイツの頭の中まで、理解してやる義理は、ないっ!」


「でも、推測くらいはできるだろう? 仲間なんだから」

「離せって……アイツがくる。アイツは自分の名前や陰口を聞き逃さないんだ」


「彼女のことが知りたいんだ。陰口じゃない。約束できるのは、悪いようにはしない。必ずしも魔女の都合という意味じゃないけど」


「卑怯者っ。そんなの約束にならないっ」

「契約じゃないだけマシだろ。友達の雑談気分で話してみるかい?」

「と、友達……こんな場所で友達気分になれるかっ!?」


 ごもっとも。なら魔女らしいムードを出すか?


「いい加減、抗い続けると、抱きしめるぞ」

「ファッ!?」

「ここには今、俺ときみしかいない。魔女の身体にイタズラするには墓場なんておあつらえ向きだとは思わんかね」ぐへへ。

「ひぃっ!?」

 魔女って貞操観念がぶっ壊れているって言うが、アストライアはそうでもないらしい。


「なあ、頼むよ。蛇の道は蛇。天才は天才を知り、魔女は魔女を知る、っていうだろう。〝過去視〟の魔眼の使い道だけでも教えてくれないか」


「魔法使いは、凡人に説明するのは嫌いなんだ。中には意地悪で、大量の説明をして相手のバカ面を見て愉しもうとするヤツもいるけどな」シャラモン神父のことかな。


 魔女は自分達を魔法使いだという。

 そうだよな。狼男が自分を狼男と言うわけがない。


「でも、そこをあえて、どうか一つ。お美しいアストライア様」

「っ……じゃあ、答えてみなよ」アストライア、案外ちょろい。


 魔女の謎かけに、俺は全神経を集中した。


「今、カーロヴァックで起きている戦争を大きくするには何が必要だ。カーロヴァックとは別の場所で、大きな戦争を引き起こすには何が必要だ」

「なんでそんなに戦争したがるんだい?」

「設問に設問で返すな。未熟ものっ!」


 思いっきりすねを蹴られて、俺は古典アニメみたいに脛を抱えて片足ケンケンを始めた。


「ごめんごめん、悪かったって。戦争を大きくする……。別の場所で大きな戦争を引き起こすには……」


 俺は片足を抱えたまま、闇の中で血の気が引いた。

「大国の軍事介入、〝過去視〟の魔眼は、大国の国政的弱点の検索……か?」


 国家戦争になるのはさまざまな理由がある。俺のいた世界では、日本と中国の小競り合いだった戦争が、大国アメリカの介入により大戦にまで発展した悲劇を知っている。それを未来から過去へ紐解けば、戦争回避もできたと分かる。


 では、その逆は?


「奪った〝過去視〟の魔眼で過去にさかのぼり、各国の弱点を抉りだして〝世界大戦〟を作り出そうとしているのか?」


(ん……なんだっ? これ)


 ふいに、俺の鼻が現実の〝危機〟を嗅ぎ取った。

 「さあね」アストライアはうつむいて呟いた。「知らないよ。ぼくはあくまで〝過去視〟の魔眼の使い道をきみに教え──」


 話し終わるのを待たず、俺はぼくっ娘魔女を抱きすくめて、墓穴に飛びこんだ。


「ちょっと、きみは──」

 俺は穴底の土壁を背に座り、地上を見あげたまま魔女の反論を胸に押しつけて黙らせる。


「しゃべるなっ。誰か来るっ。たぶん……人じゃない」


 雨の向こうからうっすらと漂ってくるんだ。

 甘ったるい、獣のような臭いが。



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