最終話 春節祭までには間に合うように


 そもそも、この〝ナーガルジュナⅩⅢ〟は奇妙な採掘艦だった。

 艦内は居住区域を除けば、いろんな資材でスペースが埋まっていく。その中で、乗組員の食事はすべて真空パックで配給されていたようだ。


 なのに、食事形態とは関係なく、食堂と厨房がある。


 パック摂取なら長イスや長テーブルは必要ない。ブリーフィング室や会議室ですら手狭な部屋なのにもかかわらずだ。


 その厨房は、水道やコンロはもちろん、冷蔵庫、大釜の炊飯器、圧力釜や什器も完備されている。オーブンが電気ではなくガスだったことに驚かされたが、どれも永らく使われておらず掃除をして、インフラチェックして蘇らせるのに苦労した。


 一方で、この厨房には一種類だけ、たりない物があった。


 それは、刃物だ。包丁ナイフの類いが一本もない。

 調理施設としては致命的な欠陥だが、さっきも言った通り食事は真空パック。刃物の出番はない。代わりに戸棚のあちこちから薬剤カプセルが発掘された。睡眠薬から青酸カリまで。もっとも毒物は、長く放置されて続けたせいで酸化して、毒素が抜けてしまっていそうだが。


 俺はそれらをあえて処分しなかった。

 部外者が勝手に処分するのは、そこに置いていった乗組員らの悲しみと孤独の苦痛を否定するような気がしたから。


 あと、俺にここを去って行った戦士たちに感情移入している暇もなかったから、というのもあったが。


「カツ丼三つ、できあがったよおっ!」

「はーい」


〝静寂荘〟のメイド三人に給仕をやってもらい、俺はどんどんトンカツやザンギを揚げた。


 カレーを主軸に、コンソメスープ。チーズフォンデュにラザニア、パエリヤ。カツ丼。親子丼。かき揚げ丼。パスタに焼きそば。オムライス。ブルスケッタやサンドウィッチなどの軽食。

 メニューに米が多いのは、理由がある。


「ヤマガタさぁん。聞いてくらさいよぉ。狼ってやつぁねぇ、ひどい奴なんすよぅ。僕のこと本気で首しめたんすからぁ。きゅーって。きゅきゅーって。ねえ、聞いてますぅ?」


「はいはい。聞いてますよ、太夫たゆう


 サナダが泣きながら愚痴っている相手は、アウラール軍のヤマガタ中佐だ。スワ中尉は俺の後ろでおにぎりを握ってくれている。


 醤油を手に入れた以上、次なるは米だ。しかもおあつらえ向きに、同じ町で米が余っている場所まで把握済みだ。


 アウラール軍野営地。俺はそこにお邪魔して二人に事情を話し、米一俵を金貨五枚で買い取った。そしたら、部隊は交替で三日間の休暇中。二人も隊を離れるところだったそうだ。


 春節祭は一晩会なので、千客万来である。

 エリダとサナダの護衛という建前でご同道ねがった。ちなみに、サナダの護衛は、本人ではなくヤツから言い寄られる俺の護衛だ。大将首を挙げたのに、締め堕としたことをここぞとばかりに根に持たれた。しかも酔うと泣き絡みしてくるのが、俺が知ってるヤツと同じというウザさ。


「お醤油なんて、何百年ぶりでしょうか」

 スワ中尉はニコニコして、握ったおにぎりに刷毛はけで醤油を塗る。


「これからはジェットストリート商会が一手に担いますから、お求めやすくなりますよ」


「ヤドカリニヤ商会ではないのですか?」

 一軍の副官と言うだけあって情報量豊富で、頭の回転が速い。


「共同出資という名目ではそうですが、販路はオラデア発信になると思います」

「へえ。楽しみです。……ふふ。おいしそう」


 味醂と醤油で煮きったタレを塗り、オーブンに入れておにぎりの表面を軽く炙る。焼きおにぎりだ。


「残ったご飯は、潰して醤油せんべいにしておみやげにしますか?」

「あっ。それ嬉しいですっ。……やだ、なんだか懐かしくて泣けてきちゃった」


 わかる。わかるよ~。スワ中尉。


 そこに、ユミルとグローア、そしてあの事件で左右の目の色が変わってしまったギャルプがやって来て、

「狼ーっ。アイスクリーム。イチゴまだあるぅ? 」

「あるよ」


 冷凍庫からアイスクリームを入れた大容器をおろして、二人が持ってる器に二つずつ乗せてやる。リンクスと約束したイチゴのフレバーアイスだ。その約束当人は長テーブルの隅で、黙々と味わっている。彼女のおかわりは五度目。そろそろお腹を冷やし始める頃だ。


「「「ありがとぉ」」」

「春節祭、楽しんでいってね」


 子供が立ち去り、俺もまた作業に戻る。その時、背後から声をかけられた。


「おい、狼。余にもあのアイスクリームというのをくれ」

「はいはい。いいです……よ?」


 振り返ると、油田皇子が立っていた。


「どっから湧いてきやがりました」あんたが油田そのものかよ。

 俺は仕方なく木の器にアイスの球を二つ落として、匙と一緒に供した。


「なんだ、冷たいぞ! でも、うまいっ! 冷たい、うまいっ!」

 その場で口に入れて、無邪気な子供のように目を見開く。


「あの、狼。この騒がしい方はどちらさまですか?」スワ中尉がたずねる。


「ヘレル・ベン・サハルといいます。ライカン・フェニアから紹介された友人です」

「へえ」


 呼んでないのに現れるとか。それ以上のことは、サワ中尉には黙っておこう。混乱を来す。


「そうだぞ。余は大精霊にして、狼の友なのだ」

「大精霊?」

「もうこれ食って帰れよっ。話がややこしくなるからっ」


 ヘレル殿下にカツカレーを渡して追い払う。


 それからスワ中尉が焼きおにぎりをオーブンからだし、その匂い(米)に釣られてニフリートとエリダがやって来た。かき揚げカレーおかわりと焼きおにぎりを持っていく。和解できたらしい。


 入れ替わりに、メイドさんたちからオーダーが入る。ザンギばかりは嫌だと言い始めた。そんなおっさんどものために、鶏肉のカシューナッツ炒めを作る。味の決め手はもちろん醤油だ。


 シャラモン神父は、公国の家政長らと議論を交わし、カラヤンは黙って聞きながらもワイン三本目。スコールとウルダは、カプリルとフルコース制覇を競い合い、フレイヤが胸焼けした様子でそれを眺める構図。

 セレブローネは親子丼を暗記中。商売に繋げようと目をキラキラさせている。ティミーはティボルとトビザル。そして金床の店主というなんだかよく分からないコミュニティを形成中。

 アルサリアはカレーライスを気に入り、ワインを傾ける。メドゥサ会頭は意外にも親子丼と控えめ。しゅうとめの前でがんばって猫をかぶり続けている。


 これでいい。こういう日常がいいんだ。

 異世界にやってきた俺の新しい生活は、こういうのがいい。


「ふぃ~っ、やっとメシだぜえ~」


 カウンターに顔を出したのはオルテナ。〝龍〟の整備がようやく終わったのだろう。緑のつなぎ姿のままで俺に手で挨拶する。


「ここって、なに食わせてくれんの?」

「人気はカツカレーだよ。どう?」


「マジでっ!? いるいるっ。バンクーバーで食ったのより美味くなくてもいいからさ」

 どんな例えだよ。絶対負けねえ。


 それから三〇分ほどして、そろそろ頃合いかなと俺は冷蔵庫から今日のメインを取り出した。

 いちごのショートケーキだ。

 スポンジケーキは久しぶりすぎて、一度失敗した。二号機、三号機である。

 それにロウソクを六本ずつ立てて火を灯し、子供たちのテーブルへくばる。

「なにこれぇ?」

「春節祭から、みんなは歳を一つ重ねるだろ? だから、お祝いのお誕生日ケーキ」


 俺がエプロンを外してみんなの前に立つ。すると、ティボルがさりげなくギターとイスを持って俺の後方に座ってチューニングを始める。


「今から、俺のいた世界で誕生日を祝う歌を歌います。グローアほど上手ではありませんが、聞いてください」


 Happy birthday to you,

 Happy birthday to you,

 Happy birthday, dear my family

 Happy birthday to you


 同じ歌詞を三回歌った。短い曲なのでくどいかと思ったが、途中から気持ちがとめどなく溢れてきて止まらなかった。


 二回目から歌大好きっ子のグローアも歌い始め、三回目からみんなで唱和した。

 俺は幸福に頬毛を濡らした。


 長い一年だった。


 死んで生まれて、いろんな人と出会い、別れ、覚悟し、怒り、悲しみ、喜びをかみしめた。

 人からバケモノに生まれ変わっても、世界が変わっても、生きることは自分から楽しんでいかなければ楽じゃないことに変わりなかった。

 幸福だと思える日々は長く続かないことも、変わらなかった。 


 そんな世界を、なあ、ツカサ……。

 俺はまだ生き続けなければいけないらしい。


  §  §  §


 歌い終わって拍手をもらっていると、俺の後ろをマシューが足早に通り過ぎていった。

 人々の視線からすり抜ける歩調で、できあがりかけたマクガイアの所に近づいた。


「兄貴っ。D3がロイスダールの残り半分をキャッチしとったで」


 硬い口調で報告するや、とろけかけていた家政長たちの眼光が一斉に鋭くなる。

 バトゥ都督補が穏やかな口調で命じる。


「これを持ってパーティは終了する。給仕はさがって休憩に入れ。──神父殿は子供たちのそばに」

「了解です」

「わかりました」


「マシュー。ロイスダールの野郎をどこで見つけた」

 サングラスを額にあげて写真を食い入るように見つめるマクガイアの問いに、マシューは自分の腕に書いた数字を見て、


「座標E133.N438.ポイント。ロイスダールが黒い蛇に食われた地点から、北東約二〇メートルじゃ」


「馬鹿なっ。その距離範囲なら我々が草の根を分けて探したぞ!」


 アッペンフェルド将軍が屈辱ににじむ形相でまくしたてた。マシューは気を呑まれて押し黙る。マクガイアが落ち着いた様子で制した。


「将軍。記録時間は上半身がちぎれ飛んでいって、八分後になってる。捜索はその四〇分後だったとこっちで記憶してますよ。なら、とっくにヤツの身柄は持ち去られた可能性が高い。

 それに捜索起点は魔獣が倒れた地点からじゃあねぇんですかい? だから下半身しか発見できなかった」


「それは……うむむっ」

 マクガイアが苦る白銀将軍に写真を渡す。


「オレも現場を責めてるわけじゃあねぇんですよ。こっちもロイスダールが〝半食い〟された情報を出さなかったわけですしね。──マシュー。回収後の追尾は」


「それが、いけんダメでのぅ。その八秒後に堕とされたわ」

「堕とされた? 高度は」


「十八メートル。低気圧のせいで高度は下げとったんじゃが、せぇでも並みの人間ならローター音もまず聞こえんはずの高度じゃ」


「それにこの暗さでは、誰がロイスダールの身体を持ち去ったか判然としないな」

 アッペンフェルド将軍が苦る。


「ねえ。ぼくにもちょっと見せてよ」

 リンクスがやってくる。将軍の肩ごしに覗きこむと、切れ長の目が鋭さを増した。


「おばちゃん。まずいよ。──エインヘリャルだ」


 アッペンフェルド将軍から写真をひったくると、隅にいる魔女までテーブルの上を滑らせた。アルサリアは写真に触れずに覗きこむと、鼻息した。


「……大方、〝堕落の聖杯〟に引き寄せられたもんかねえ。でも出て来たはいいけど、手に負えないと判ってそのロイスダールって騎士を連れてったのかもしれないねえ」


「おふくろ。エインヘリャルってのは?」

 カラヤンが訊ねた。


 アルサリアはマイペースにカレーを口に運びながら、ちょっと首を傾げて、

「〝死せる猟兵〟〝冥界の猟団〟〝ワイルドハント〟。時代や場所でいろんな呼び方があるよ。共通しているのは、とにかく戦争好きな冥界の騎馬部隊で、一騎当千ってこと。死んだ兵士を冥界まで連れ去って毎日戦争させてるらしいよ」


「じゃあ、ロイスダールも?」


「おそらくあいつらの目的も、堕落の聖杯さ」

「なんだと?」


「堕落の聖杯は、持ってるだけで戦争を巻き起こせる呪物だからさ。戦場あるところ死者の魂あり。でもね。心配しなくても、ヤツらにはもう聖杯の在処なんてわかりっこない。あたしが臭いすら嗅ぎつけられないように封じたんだからね」


「おふくろ。まだ何か事情を知ってるな」カラヤンが母親をじっと見つめる。


「聞かないほうが身のためだ。お前の幸せはもう目の前にあるんだしさ」

「その幸せを手にした途端、背中からぶっ刺されたんじゃあな。違うか?」


 アルサリアはちょっと目線を逃がして、


「コイツは噂だ。確証は何もないし、掴みようもない。ただの噂。……〝死せる猟兵〟の軍団長が数年前に代替わりしたって話を聞いた」

「代替わり?」

「ヴェレスグルという女猟師が新しく軍団長に就いたそうだ。コイツが無類の戦好きらしくてね」


「地上で戦場を作り出すために、堕落の聖杯を探していた、と?」

 俺が指摘すると、群青の魔女はたっぷり時間をかけてからうなずいた。


「でも、聖杯は壊した」

 ウルダがかたくなな声で言った。俺もうなずく。


 アルサリアは少女の灰髪を撫でた。


「ああ、そうさ。そしてその破片はあたしがちゃあんと全部集めて、ここに持ってる。臭いもさとらせない特別な壺に入れたから。狼の鼻でも追っちゃあ来れないよ」


「それなら、ヤツらは迂回してきませんかね」俺は言った。

「迂回、だって?」


「たぐる糸口は他にもあります。ロイスダールは今回の謀叛を、ある魔女と組んで動いた節がありました。あそこで〝堕落の聖杯〟が復活したのは、その魔女の裏切りだった可能性があります」


「……〝混沌の魔女〟ディスコルディアかい」

「はい。あの魔女は今、どこへ向かったのかは誰にもわからない。でも、ヴェレスグルが堕落の聖杯を探すとしたら、ロイスダールに問いただし、あの魔女を追うのではないでしょうか」


 アルサリアは顔を横に振った。


「おやめよ。わざわざ自分から面倒事に首を突っこんでいくのは愚者のすることさ。お前たちは真っ当な商売をやって、その儲けで家族を養って人生を楽しく暮らすんだよ」


「もちろんです。でも、万が一にも火の粉が飛んでくる、ということもありますので」


 するとアルサリアが初めて俺に険しい目を向けてきた。


「あたしはおやめと言ったんだ。せっかくうまいスープも、煮込みすぎれば味が悪くなるんだ」


「っ……はい」

 俺は頭を下げると、厨房までさがった。


 これで、この話は終わりになった。


  §  §  §


 祭りの後。食堂は再び眠りに就くように無人になった。

 食事が終わると、仲間たちはそれぞれの帰途に就いた。特にカラヤン夫妻とシャラモン一家は春節祭に間に合うように慌ただしく準備を始めた。

 テーブルやイスはもちろん、厨房もきれいに片付けられ、掃除されて、ガスの元栓もしっかりと止めた。

 俺はその広間にかるく頭を下げてから、灯りを消した。廊下の奥から朝日が差し込んでいる。


 楽しかった。嬉しかった。

 そして、なごり雪ほどの小さな不安がのこった。


「きみにとっての運命ならさ。きみが気にしなくても、向こうから来るよ」


 振り返った目の前にたたずむリンクスが言った。ちょっとびっくりした。


「なら、占ってよ。俺の明日はどっちに行ったらいい?」

「さあね。思った通りに歩いて行けば?」


「なんだ、意外とケチだな」

 俺はリンクスを先に歩かせて、あとを歩く。


「きみは星の間を歩いていないだろ。この地上を歩いてるんだ。なら、星が見せる運命はいつも上半分だ。残り下半分は見えちゃあいない。それが答えさ」


「なるほど。運命はその手を見せても、手の内まで見せちゃあくれない、か」


「そういうこと。それよりさ。あのハゲ頭。町の春節祭で婚礼を挙げるんだろう? どんなお祝いをしてやるのさ」

「へえ。リンクスもそういうの、興味あるんだ」


〝星儀の魔女〟は振り返ってニカリと涼やかに笑った。


「まあね。あれだけうまい物が食べられたんだ。婚礼ともなれば、もっとうまい物が食べられそうじゃないか」


 俺はようやく、胸に溜まった不安を吹き出せた。


「そっちか。食いしん坊だな。リンクスは」

「ふふっ。だって、ぼくの人生はまた始まったからね。出だしから楽しめるのなら楽しまないと損だろ?」


 リンクスが俺の袖を取って、光の扉へと引っぱっていく。

 俺の異世界生活は、これからもまだまだ続く。



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