第二章 魔眼強奪

第1話 黄昏の魔女


 狼とカラヤン・ゼレズニーがプーラの町を出た日の夕方。

 バルナローカ商会。

 ゲルグー・バルナローカ──〝黒狐〟は、番頭のメドヴェに声を掛けた。


「マチルダは、もう出たか」

「ええ、さっき。あんまり乗り気じゃなさそうでしたが」


「ふんっ。テメェを売り飛ばした甲斐性なしどもの所に戻るんだ。嬉しかねーだろ」

「まあ、そうでしょうね。ティボルは外に出したんで?」


「ああ、あとミハイとモーリツもな。あの狼どのの市場調査だ。半月は戻らねえよ。で、メドヴェ。おめぇはどうする」


「何言ってるんですか。私は会長と同じスロヴェキアですよ」

「そう、だったな。お互い、顔を見てやる親も子もなしか」


「ええ」

「おい。こいつも地下に入れとけ。大したもんじゃねえが、売れ筋だ」

「わかりました」


 メドヴェは木箱を抱えると、店裏の地下倉庫に運んだ。

 薄暗い階段を降りた先のドアに入ると、さらに階段。その先にある古くて頑丈そうな両ドアを抜けた先には、少し開けた場所に出た。

 地上の店舗よりも広く、高い天井。壁際をぐるっと囲う石造りの二段式寝台にはぎっしりと武具、美術品、宝飾品がひしめいている。その中には魔石や魔眼の水槽などの魔導具もある。


 もともと店舗の下は、およそ五〇〇年前、六〇〇体余りの亡骸が眠る地下墓地カタコンベだった。


 それをバルナローカ商会が五年の歳月をかけて倉庫にしてしまった。

 この地下の住人たちは今、地上で商会が建てた教会の納骨堂で眠っている。


 弱者の生き血をすするとまで言われる黒狐だが、意外と信心深いのだ。


 ……バタン


 メドヴェは遠くの方で扉が閉まる音を聞いた気がした。

 嫌な予感がして、慌てて戻ると倉庫の前のドアが閉まり、鍵穴までしっかり塞がれていた。メドヴェは必死にドアを叩いた。


「会長っ? 会長っ!」

「心配すんねえ」


 ドアの向こうから主人の声が、どこか悪ふざけしているように聞こえた。


「倉庫の奥に、売り物の戦斧があっただろ。オレに万が一のことがあったら、それで

ここぶち破って出るんだな。ドア代はオレの驕りにしておいてやる」


「会長っ、どうしてですか。水臭いじゃねえですか!」


「足手まといなんだよ」気弱な声だった。「親父のケツ拭きは、せがれのオレがしなくちゃならねえんだ。お前までついて来なくていい」


「そんなっ。相手は男一人じゃないですか。私やゲイツやホルスがいれば――」


「あの二人は、この店を出た後の行き先を追うために外に出してある。連絡は帝国魔法学会あてだ」


「帝国魔法学会っ!? 会長、どういうことですか。あの魔眼は一体っ」


「オレと親父は、その学会の〝ポジョニ〟ってお人にデカい借りがある。親子二代で三〇年待った釣り針にようやく魚が食いついてきた。

 だが、何を釣り上げるのかまでは聞かされてなかったんだ。この土壇場で、せめてエサの内容に気づけたのは、まあ、カラヤン達に感謝しとくか。……メドヴェ、達者でな」


「会長っ! ──おやじぃ!」


 メドヴェは必死にドアを叩いたが、もう返事はなかった。


  §  §  §


 亡き妻の愛用していた懐中時計が、閉店時間をさす。


「あらあら~。随分、店前が殺風景だこと」


 突然、影の接近や足音さえもなく、現れた。

 思わずむしゃぶりつきたくなるような美女だった。瘤の大きな杖を持っている。


「入って良いかしら」

「あ、ああ……どちら様かな」


 女が店と外の境界を越えて入ってくると、たちまち店内に噎せ返るような甘い臭いが充満した。


「〝金獅子帝〟の魔眼といえば、わかるかしら」


 黒狐は、とっさに手許の懐中時計を取り落とし、慌てて鎖を引きあげてポケットに戻す。この時の動揺がどれほどのものだったのか、最後まで思い出すことができなかった。


(女だとっ。ここに現れるのは、〝男〟のはずだ……っ)


 前の客じゃない。なのに既視感がある。

 どこかで嗅いだことのある、この〝甘い〟臭い。


 この女と、取引の予約をした気さえしてくる。

 違う。忘れるな。取引したのはオレじゃない。父親だ。


 そして名前は……名前……なぜ出てこないっ?

 記憶の自信がゆらぐ。黒狐は背筋が凍るほど焦った。


〝未来視〟の魔眼。

 認めたくないが、商品の価値を計り損ねたかもしれない。

 悪魔と取引しているような恐怖と悦楽の混濁。頭の中で理性がチリチリと引きちぎられていく音がする。


「ああ。あんたがそうかい。て、定刻通りだな」

「取引を持ちかけたのはこっちだもの。時間は守る主義なの」


「例のモノは個室に用意してある。こっちだ」

「そんなことより……。お店、辞めるの?」

 エスコートに動く黒狐の手を払いのけるように、女は店の中を見回した。


 沈黙……。黒狐は盛大なため息をついて見せた。


「余人に知られると困ると言ったのは、そっちだろうが。使用人全員を郷里に帰らせた。明日から店も一週間ほど休業することにした。おかげで棚卸しがはかどらなくてな」


「ふぅん……徹底してるわね」

「これでも客の信用でメシを食ってる。その分、儲けさせて欲しいもんだな」


 軽口を叩いて先を歩いた。逃げ出したがっている足を懸命に鼓舞して、平静を装って前に出す。


 商談部屋は、カラヤンたちが魔眼で大騒ぎした部屋だった。


 店主がドアを開くと、テーブルにはすでに円筒形の水槽が置かれて、水溶液の中に眼球が二つ浮いていた。


 だが女はなぜか廊下で棒を飲んだように立ち尽くして、部屋に入ろうとしない。


「どうした、入らんのか」

「あなた。どういうつもり?」


「はっ?」

「この部屋……魔法を施行した形跡があるわよ」

 黒狐はのど仏が動かないように慎重に呼吸した。


「すまねぇな。掃除はさせたんだが、魔法の形跡とやらまでは取り除けなかったようだ」

「こっちは説明しろって言ったわ。言い訳しろとは言ってないのだけれど」


 静かに詰問する女の瞳から人間性が消えていく。黒狐は両手を小さく挙げた。


「待て。わかった。そう怒るなよ。午前中に、お前さんと同じ魔眼を買い求めて客が来た。三人ずれの男だ」

「三人? ……違うでしょ。女もいた」


 女? 黒狐は真摯な眼差しで強くかぶりを振った。


「いいや。間違いなく男だ。一人はハゲの盗賊くずれで、もう一人は長髪の神父、もう一人は狼の獣族だった」


「職業どころか種族までバラバラって、どういう三人組なのよ」


「知るもんか。冒険者になるかならないかで揉めとったようだが。あとは……さあな。詳しいことは知らんよ」


 ウソは言っていない。だが真実でもない。


「どんな魔眼を、その中の誰に売ったの?」


「おい。いい加減にしてくれんか。あんたの欲しがってた〝金獅子帝の魔眼〟はそこだ。間違いない。さっさと三〇年越しの商談に入らせてくれ」


「答えないつもり?」


 にらみつけてくる女の瞳を、黒狐は取り合わない。

 本音は顔を背けて、相手の眼を見たくなかったのだが。


「あんたとの商談とは関係がないことだからな。さっきも言った。こっちは客の信用でメシを食ってる。オレの流儀が気に入らねぇなら、この話はナシだ。帝国魔法学会にかけ合って適正価格で処理させてもらうぜ」


 女は舌先で唇をなぞるように小さく舌打ちすると、廊下の壁に背中を預けた。


「とにかく。部屋を変えてちょうだい」

「今日は、従業員がおらんのだがなあ」


「ちょっとっ。手代がいないと、途端にボケるのがこの店の流儀なわけ? いいから、部屋を変えなさいっ」


 黒狐は渋々といった態で部屋に入り、水槽を両手に抱えて出た。

 それから隣室のドアの前に行くと、


「ご覧の通り、手が塞がってる。開けてくれい」

「クソジジイ。今度はこっちが客だってことまで忘れたの?」


 客の罵声は聞き慣れてる。むしろいつもの調子が戻ってくるくらいだ。


「手代がいねぇってさっきから言ってんだろう。コイツは、あんたが欲しがってる商品で、こっちはあんたの要望を叶えた。ドアを開けるくらいケチケチすんなよ」


 彼女は素手でドアノブを回し、ドアを開けた。

 となりの部屋は、やはり同じ造りだ。テーブルと水差し。


 黒狐は魔眼の水槽をテーブルに置くと部屋を出た。


「ほれ。買うか買わないか、しっかり吟味してくれ。五分したら、また見に来る」

「この部屋、盗聴されてないでしょうね」


「はんっ。女の独り言を聞いて、おってる趣味なんざぁねえよ」


 客への暴言だったが、気にせずドアを閉める。

 黒狐は大きく息を吐くと足音を消して走った。


  §  §  §


 ……思い出せっ。……思い出すんだっ。


 地下へ続く階段を駆け下りながら、黒狐は自分の灰色の脳細胞に訴えかけた。


 あの甘く獣臭いニオイ。


 どこかで嗅いだことがある。なのにどういうわけか思い出せない。


 酸いも甘いも咬み分けた裏商売。耄碌もうろくしたヤツから墓に入るのがこの世界の常だ。

 思い出さなけりゃ、オレはここで終わる。 

 地下を降りた所で、遠くの方からドアが硬い何かで打ち破る音がした。


「メドヴェっ」

「会長ぉ!?」


 三分の一ほど打ち破れたドアの隙間から安堵のこもった番頭の顔が現れた。

 普段はむさ苦しいクマ男だが、見慣れた顔を見ると全身にまた血が通いだす気さえした。


「メドヴェ。情況が変わった。あと三分でまた接客に戻る。手短に話す。よく聴け」

「は……はいっ!」


「店前に突然、〝女〟が現れた。そしてその周りから、噎せ返るような甘い臭いを嗅いだ。香水なんて洒落たモンじゃあねえ。もっと生々しくて、抗いがたい力を持った臭いだ。オレはさっきからそいつが何だったか、思い出せないんだ。お前、心当たりねえか」


 するとドアの向こうで、手代は考え込むと、やがて顔を上げた。


「もしかして、〝アーピエン〟のニオイじゃ?」


 黒狐は強くかぶりを振った。


「違うっ。薬とかじゃなくて。もっと。もっとこう獣じみた、だが甘いニオイなんだ」


 数秒、二人はドア越しに見つめ合った後。メドヴェの顔からみるみる血の気が失せた。


「会長。ダメだ。……逃げてください。今すぐにっ!」

「わかったのか!? なんだ。ヤツはなんなんだ!」


 メドヴェは死相に近い顔色で言った。


「――魔女です」


「ディスコルディア──あの女、黄昏の四魔女か」

 思い出したのを自覚するより、舌が先に名を呼んでいた。


 とたん、全身から汗が噴き出した。

 詰んだ。三〇年。待ちに待って、とんでもないのに食いつかれた。


(これが連中の、オレたち親子に対する罰か。逃げられるのか)


「メドヴェ。今から言う内容を憶えろ。もし、オレにもしものことがあったら、カラヤン・ゼレズニーと契約を結べ。こんな面倒ごと、アイツにしか頼めねぇ」


「会長の仇をアイツに取らせるんですか!」

「バカヤロウ。[討伐]じゃあねえ。[奪還]だ。オレを勝手に殺すな。だが無事に切り抜けられるかどうかはわからん。頼むぞ。メドヴェ」


  §  §  §


「どうかしたの?」


 魔法陣を六つも同時展開させ、魔眼の分析を続ける女に、黒狐は肩で息をしながら部屋に入った。


「この五分の間で、死にかけるようなことでも、あった?」

「ハァッ、ハァッ。棚卸しで忙しいんだよ。それで……ハァッハァ、どうなんだ。ハァ……買うのか?」


「もうちょっと待ってくれるかしら。仮演算の結果がもうすぐ出るから。それを見て値段を決めるわ」


「仮演算? おい、こっちの言い値のはずだったろうが」


「どんな価値にも基準は必要よね。ふっかけるならふっかければいいわよ。ただ、国を一つ買うほどの額は無理。せいぜいこの町くらいかしら」


「この町の去年一年間の総収益は一億四七〇〇万ロットだ」

「あら。へぇ。まあ、妥当じゃないの?」


「目玉二つにか?」あえて一般常識をぶつけてみる。


「商人のくせに、売り出す商品に自信が持てないの?」


「生憎だったな。オレはその商人のくせに、魔法物品には疎くてな。とくに〝金獅子帝の魔眼〟を扱ったのはオレの父親てておやだからな」


「あ、そう。……すっかり忘れてしまったのね」

「あん?」

「独り言よ。ちょっとは名の知れた魔法使いなら、道具屋にコレがあること自体、パニックになってるシロモノなんだけど」


 既になってるんだよなあ。一人。


「……はい。鑑定が終わりました。フフン。いい品ね。いただくわ」

「買う? それは、つまり……本物だったのか?」


 女は口の両端を死神の鎌のように吊り上げると、眼に残酷な光をたたえてわらった。


「ええ。立派なだったわよ」

「──ッ!?」


「あの世でその父親とやらに思う存分、文句を言ってくるといいわ。──ヘーデルヴァーリ」


 女は魔眼の入った水槽を軽々と小脇に抱えるや、その場から忽然と姿を消した。

 残ったのは、六つの魔法陣。それらが一斉に赤黒く熱膨張を始める。


「ちっ。うちの店から魔女が魔眼を万引きして行きやがった。……ポジョニ。これで親子二代の借りは、返しましたぜ」


 黒狐は、禍々しい赤い光に飲み込まれた。


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