第2話 鉄火の夜をくぐる 前編


 シャラモン神父が胸をおさえたまま御者台で気を失った。

 一家の大黒柱の急変に、子供たちはパニックに陥った。俺もカラヤンも泣き叫ぶ子供たちを宥めるのが大変だった。


 幸い、シャラモン神父に命の別状はなさそうだが、昏睡から目を覚まさない。


 それをカラヤンが「夜逃げやら、魔眼やら、周りのやかましさやらで気疲れが一気に出たんだろう。だからたまにはしばらく寝かせてやれ」と無理やり子供らを説き伏せた。言い方っ。


 俺たちはプーラの町には戻らず、東へ進んだ。次の都市──港湾都市リエカのほうが近かったからだ。

 その町にカラヤンの昔なじみの居酒屋があるというので、そこへ向かう。


〝屋根犬亭〟。右の足に義足を入れた恰幅のいい店主が、カラヤンを歓迎した。


 シャラモン神父は二階大部屋の二段ベッドに寝かされると、そこでようやく子供達は空腹を訴えるまでに平静を取り戻した。

 それでも彼らは養父のそばから誰も離れようとしない。もう泣き出すでも騒ぐでもなく、ぐっと唇を噛んでただ動かない。それが健気で可愛らしかった。


「おい、狼。もうすぐ市場が閉まる頃だ。メシの調達に行くか」

 カラヤンが立ち上がる。


「あの、おじさん……」


 養父の枕許まくらもとから、ハティヤが申し訳なさそうに声をかけた。パンパンに膨れた布袋を差し出す。

 カラヤンはそれが何かわかったらしく、顔を振った。


「ふんっ。お前らが食べ盛りなのはわかってる。食い物の代金も後できっちりもらう。あと、お残しは許さんからな」


 それだけ言うと、カラヤンはアゴで俺を促して部屋を出るのだった。

 いい歳したオッサンは優しさを見せるにも素直じゃなかった。


  §  §  §


 市場で買ってきたのは、雑穀パンとチーズ、かご買いのイチゴや干し果実。そして部屋ににおいが充満するほどのイカの唐揚げをテイクアウトした。

 子供たちもお腹がすいていたのだろう。あっという間になくなった。年少組には果汁ジュースも飲ませた。親になるって結構大変だ。


「シャラモンは気を失う前に、何か言ってなかったか」

 カラヤンが年長組に訊ねる。二人は曇らせた表情をうつむかせた。


「わたしは、何も」

「先生が、『あれはこのためのエサだったのか』って……」

 スコールだ。


「このための、エサ?」

 カラヤンが太い眉をひそめた。


「スコールは、先生と一緒に御者台に座ってたんです」ハティヤが補足する。

「おっさん。本当にそう言ったんだ。どういう意味かわかんねーけど」


 カラヤンはひとつ頷くと、少年のほっそりした肩を叩き、立ち上がった。

「おじさんっ?」ハティヤが心細そうな眼で見上げてくる。


「お前らは知らなくていい。シャラモンが目を覚ましたら、カーロヴァックのことを相談しろ。この町で向こうの情報を集める必要があるかもしれん。このまま進むにはげんが悪すぎる」


 子供たちは神妙に頷いた。旅というのは危険を伴うから、験担げんかつぎは重要らしい。迷信や信心とは無縁そうな元盗賊ですら、プーラの町を出る時に馬車に生米をまいて邪気払いをしていたほどだ。


「おじさんたちは?」


「プーラに戻る。シャラモンには伝えるな。おれの私用だ。用が済んだらお前らを追いかける。おっつけどこかの町で合流するだろうから、その時にまた話をしようって言っておいてくれ」


「わかった……おじさんたちも、気をつけて」

「ああ。──スコール」


「えっ?」浅く顔を俯かせていた少年がハッと顔を上げる。

「お前はシャラモンの長男だが、ハティヤがいる。一人で抱え込むなよ」


「うっ。……るせーよ」

 不安そうに口を尖らせる少年に、カラヤンはニヤリを笑う。


「合流したら、剣の稽古をつけてやる。シャラモンがこんなことになったんだ、少し厳しくいくからな。覚悟しとけ」


「う、うんっ」

 カラヤンは二人にうなずきかけると、部屋を出た。俺はその後をついて行った。


  §  §  §


「なあ、狼」

〝屋根犬亭〟を出るなり、カラヤンは振り返って俺を見た。


「〝あれはこのための、エサ〟だとすれば、お前とシャラモンが感じたのは、どんな魚だった?」


「恐ろしかったです。心臓を冷たい手で撫でられたような恐怖でした」

「ちっ。面倒くせぇなあ。こっちは失業中だってのに、厄介なタダ働きになりそうだ」


 そんな悪態をつきながら、町の石畳を進む歩調に迷いはなかった。


「バルナローカ商会を助けに行くんですか」

「助けねぇよ。死んでたら、骨くらい拾ってやろうかくらいの確認だ」


「死んでなかったら?」

「なんでちゃんと殺しておかねぇんだって、殺そうとしたヤツに説教をする」


 不安をかみ殺す顔で憎まれ口を叩く。この人も素直じゃない。


「なあ、狼よ」

 カラヤンは肩越しに振り返った。


「お前、なんでとっつぁんに魔法をかけろって、シャラモンに言った? もしかして、お前。……こうなることをあらかじめ見通してたのか」


「そんなわけないでしょう」

 即答した。俺は魔法使いじゃない。その意思を込めて。


「あの防御魔法は、シャラモン神父の魔眼の値段をねぎるための口実です。まさか本当に防御魔法があるなんてこと自体、俺は知らなかったんですから。回復魔法をチョロチョロっとかけてもらえれば、値切れたんです」


「だが、実際に魔法はあったわけだろう」


「結果から辻褄をあわせれば、そうなりますね。防御魔法はあった。ゲルグー・バルナローカは人の善悪を問わずしたたかに商売をし、大なり小なりの恨みを買ってきた。その中で今回、魔眼の取引でトラブルを抱えていた。そう見えたんです。

 一方で、シャラモン神父はその日、体調が悪かった。魔眼の情報が欲しくてカマをかけた元魔法使いが半狂乱を始めた。店主はそれを眺めて、相当ヤバい代物だと気づいた。

 最後に行き着く原因は、ご店主にシャラモン神父が元魔法使いであることを教えたのはたぶん、あなたでしょう?」


「いやまあ、あれはとっさに。って、おれのせいかよっ」カラヤンのノリツッコミ。

「誰のせいだったかなんて不毛です」


「フモウって何だよ」

「聞かない方が俺たちはこのまま良好な関係を築けます」

「要するに、悪口か」


「取り留めもない。無駄。意味がない、という意味です。とにかく、俺たちはとっくの昔にバルナローカ商会のトラブルに巻き込まれていると自覚するべきではないでしょうか」


「自覚したいのか」

「まさか。怖い目に遭うのは、夜の盗賊狩りで充分です」


 酒場の前で、バイオリンを持った羽根つき帽子の男が、音楽を奏でながら自慢の声を披露している。そのテラステーブルでは、町に入った時に酒を飲んでいたおっさんが、まだ酒を飲んでいた。

 いいなあ、スローライフ……。こっちはトラブルだらけだよ。


  §  §  §


 足早に進むカラヤンの右肩を追いながら、俺は考えていたことを言った。

「そもそも、ご店主の〝金獅子帝〟の魔眼に対する説明には、筋が通っていませんでした」


『元々そいつは売り物じゃあねえ。借金のカタに、魔法使いと名乗る男が置いていったものだ。その男には両眼があったらしいから、男の眼でもない』

『とっつぁん、そりゃあいつの話だ』

『帝国大粛清よりもっと前。三〇年も昔だ。オレの父親てておやが五〇〇ロットの質草にした』


「シャラモン神父の魔眼は、五年物で提示価格は一八〇〇ロット。魔眼はそれだけの相場商品にもかかわらず、持ち込まれた〝金獅子帝〟の魔眼は五〇〇年以上前の骨董品。それを質草に、わずか五〇〇ロットを貸している。

 しかし借り主は魔眼を引き取りに来ず、三〇年が経過。どう考えても質契約の期限切れです。この段階で、〝金獅子帝〟の魔眼が偽物である可能性が出てきます」


「それじゃあとっつぁんは──」


 カラヤンが足を止めて振り返る。最後まで言おうとするのを俺は手で制した。


「魔眼の真贋はいったん置いておくとして、バルナローカ商会は長い期間で見て五〇〇ロットを取引上で損しているんです。

 にもかかわらず、店主は魔眼を売らずに損失を補填しない。これって、商人の態度としては矛盾しています」


「ったく。お前は。魔法の知識の次は、商売の知識か。そりゃあとっつぁんも知り合い客だから、魔眼を質入れした時の意向を受けたんだろう?」


「いいえ。質契約というのは、物を預ける見返りに金品を借り受けるという交換契約のことです。俺は、バルナローカ商会が悪名高くなったのは、あのご店主が、こと商売に関して客の事情をくみ取るような温情も見せなかったからだと思います。


 表では決して売れない魔眼を質として預けるから金を貸して欲しい。という相手に対して、バルナローカ商会なら、相手の申し入れ金額の倍額を払って魔眼を買い取り、さっさと魔眼と客の縁を絶ち切ろうとしたでしょうね。商会には魔眼を売り抜く才覚も人脈もあったのですから」


「ふん。確かに、そっちの方がとっつぁんらしいな」

 カラヤンも本人の性格を思い出したのか、何度も頷く。


「なら、魔眼を質草した話自体が……でまかせか」

「はい。魔眼に関してシロウトの俺たちを信じ込ませる誘い水。シャラモン神父も体調が良ければ、その矛盾をあっさり指摘できたのかもしれません」


 シャラモン神父は、あれだけ魔眼について解説しおきながら、金獅子帝という単語だけに興奮し、見えもしない魔眼に自身の知識を暴走させた。大罪であると。その驚天動地に慌てる感覚が、俺もカラヤンも共有できなかった。


「あれはこのためのエサ──。『あれ』が魔眼をさすのだとすれば、『このための』というのは、〝金獅子帝〟の魔眼の名前に食いついてくる誰かを呼び寄せるため、ということになります」


 俺たちは、城門そばの駐車場にいった。世話人にカラヤンが金を払い、馬車に乗る。


「あのシャラモンがぶっ倒れるほどだ。魔法使いがらみの何かってことはわかった。にしても、お前はよく無事だったな」

「俺の身体は、魔法の仕組みで動いているようですが、魔法が使えないのでその差だと思いますよ」


  §  §  §


 カラヤンと俺がプーラの町に戻った頃には、日はとっぷりと水平線の向こうに落ちていた。


 だが城門は開け放たれており、そこから住民が次々と掃き出されていた。

 城壁の上から頭を出す屋根の向こうで、赤い炎と黒煙が立ち昇っている。


「なんてこった。おそかったか」


「魔眼のために、ここまでするか」俺には信じられなかった。

「感想は後だ。馬車を町から離して隠す。避難民を乗せて近隣まで運んでやってる余裕はねえ」


「残れ、とは言わないんですね」

 俺が意地悪な問いを返した。カラヤンは荷台から半弓を肩に通すと真顔で夜を見つめる。


「お前、その鼻は飾りじゃなかったよな。おれ達はこれからたった一人のクソジジイの命を掬い取りに行く。

 とっつぁんさえ生きてりゃプーラの町は安定する。おれはあの町が気に入ってる。執政長官の頭ならいくらでもげ換えられるが、町のヌシの頭はすぐに換えがきかねぇんだ」


 俺は改めてあの鷲鼻の老人の顔を思い出していた。


「わかりました。ゲルグー・バルナローカのニオイ、探してみます」

「当てにするぞ。城門前は避難民でごった返してる。海沿いに貨物車用の搬送ゲートがある。そっちから入る」


 小さな雑木林に馬車を隠し、先を走り出すカラヤンについて走った。

 プーラの城門から右、壁を西に廻って海岸を目指す。


 貨物用の搬送ゲートは開いており、たまに荷物を満載した六頭立て、八頭立ての大型馬車が三、四台の隊列をつくって飛び出していく。きっとロビニという港町に荷物を避難させているのだろう。


 カラヤンと俺は砂埃の舞うゲートをくぐると、倉庫街を走った。


「カラヤンさん。あれ、シャラモン神父も使ってたヤツですよね」


 倉庫街の路地で、衛兵五人が二体の骸骨剣士と戦ってる。狼牙兵ウルブズだったか。


「かなり苦戦してるみたいですけど」

「ちっ。わぁかったよっ。行きがけの駄賃だ」


 カラヤンは半弓を構えると、高く積まれた資材の物陰から素早く二連射した。

 衛兵の頭上に白い片刃の剣を振り上げていた狼の頭骨が吹っ飛んで、壁に縫い付けられた。もう一体は、膝の関節を打ち砕かれて、地面に倒壊した。


「なんだぁ? えらく脆い狼牙兵だな。術者は大したことねぇのか?」

「カラヤンさん、倉庫の屋根から変なニオイがします」


 薬草くさいというか、お線香くさい。カラヤンはすぐさま弓を上方に向け、矢を放つ。屋根から人影が衛兵達のいる地面に落ちていった。


 その安否やその場の処理は感知しない。カラヤンと俺は、さっさと狭い路地を駆け抜けてバルナローカ商会をめざす。


 風景が見慣れていくほどに熱と明るさが増してくる。

 なのに首筋は寒く、毛が逆立つ。

 口やかましいヘンクツ爺さんだったが、炎に囲まれた地面に倒れ伏す姿を想像して嫌な気分になった。



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