第11話 魔狼の王(10)


 ヴィヴァーチェは低い曇の下を飛んだ。

 みぞれまじりの雪風が、顔に叩きつけられて痛い。

 それでも、空を飛んでいる実感がヴィヴァーチェを熱く昂揚させた。


「ファォオっ! ワァオン、ワァオンッ! フォオオオオオン!」


 空の上くらい、自由に叫んでもいいはずだ。

 自由だ。本当に雲と風の間には自分だけしかない。

 どこまでも飛んで行けそうだった。


  §  §  §


「おれは反対だぜ、狼」


 狼は、新しく買った魔導具でオレをセニに行かせると決めた。

 ベッドから上体を起こし、スコールが熱っぽい顔で言った。


「おれもエラそうな口叩ける身じゃねーけど。今日から魔導具を使い始めた素人に、四日五日もかかる長距離の伝令に飛べなんて無茶だ。伝令なら、ヴェルデが適任だ」


 狼はウルダにスープをさじで運んでやってから、言った。


「ヴェルデは森の動物の声を聞いてもらわなくちゃならない。〝魔狼の王〟の足取りを追ってもらう」

「ぐっ。なら、おれがセニに行くっ」


「スコール。二日間の謹慎を撤回する予定はないよ。ちょうど風邪もひいたことだし、ゆっくり養生してくれ。それに──」

「それに?」


「伝令用の魔導具は、今のきみには使いこなせない」

「伝令用? なんだよ、それ」


 スコールは名誉を傷つけられた顔で狼を見つめる。


「同じ〝飛燕〟なんだけど、元はオルテナの私物でね。俺が殴って奪った」

「はっ? 殴って奪ったあ?」


「ところが、それが彼女一流の罠だった。君たちを探しに森へ出かけた時に、それを使ったんだ。そしたら使いこなせなくて危うく死にかけたよ。魔導具の巻き取り速度が通常の三倍だったらしいんだ」


「さ、三倍っ。狼、ふざけてんのかっ。もっとヤバいじゃんか。ヴィヴァーチェを殺す気かよ!?」


 スコールが珍しく本気で怒った。


「狼だって、魔導具をつけたウルダと仕合して分かってるだろ。普通の魔導具で、あの速さなんだ。それを三倍の巻き取り速度で伝令に飛べなんて、無茶にも程があるって!」


 狼は逆に背筋が凍るほど冷静だった。


「無茶は承知だ。この場にいるみんなは誰一人として代わりが利かない俺の大事な仲間だ。だけど猫可愛がりはできない。それはヴィヴァーチェも同じなんだ」


 スコールが心底悔しそうな顔で押し黙った。

 なんか空気変えないと。オレは恐るおそる狼に言った。


「なあ、狼。〝魔狼の王〟のことで、なんか説明してくれるんだろう?」

「〝魔狼の王〟のことって、なんだよ」


 スコールが狼の後ろ頭をにらむ。狼はまたウルダに匙を運んで言った。


「俺が知りたいのは、〝魔狼の王〟がいつ、どこで、どうやって現れたかなんだ」


「いつ、どこで? だって、それはティボルが知ってたんじゃねーのかよ」


「違うよ、スコール。俺が言っているのは、ここオラデアに現れた時期の話をしているんじゃない。この公国に、最初に発見された時の状況原因が知りたいんだ」


「そんなの……っ。そんなの今、知ってどうするんだよ。あんなの、オレやウルダでも殺せたぜ。なんなら全滅だって──」


「スコール……っ」

 狼を間近で見つめていたウルダが、小さな掠れ声で制した。目顔で反論を封じる。


「みんなは〝ケルヌンノス〟の話を聞いたことがあるか?」

 狼が言った。


「狼。それって確か、マムを怒らせた話だよなぁ。マムの研究データをくれって言って」


 オレが言った。狼はこっちを見つめて、それからスコールを見た。


「スコールは」

「前も言ったろ。先生から何度か聞いた。森の滅びと再生を促す。一方で森に棲む動物を凶暴化させ、巨大化させる。何十年かに一度現れる精霊王だって。サンクロウ正教も神の一部として認定せざるを得ないほど信仰を集めてるって」


「ヴェルデやウルダは?」

「それ、たぶん〝獣の神〟」


 ウルダが言うと、ヴェルデもうなずいた。


「死んだ祖父ちゃんが言ってた。森の恩恵に浴する民は、〝獣の神〟の道をさえぎるなかれ。汚すなかれ。引き留めるなかれって」


「引き留める?」


「うん……よくわからないけど。そう言われてる。母ちゃんは、〝獣の神〟が季節の風に乗って森に現れ、食糧を実らせていく。だから引き留めるような小細工をして恩恵に甘えるなって言ってた」


「やっぱり……そういうことだったのか」


「狼?」

 狼は、ウルダに匙とスープ皿を手渡すと、テーブルに地図を広げた。スコールがベッドから下りると、オレたち五人は顔を寄せた。


「この公国地図って、ティボルの?」スコールが言った。

「うん、その写しだ。デキのいい地図はひと目見ればざっと覚えられる。いいかい。俺の計画を言う。まず、ヴィヴァーチェ。飛行する道筋を指定するからよく覚えて」


「お、おうっ」


「オラデアは、ここ。そこから南に行くとダンジョン【蛇遣宮】ミィオーセスが埋まってる山がある。ここから跳躍し、南西のティミショアラに向かってくれ。そこにヴァルラアム大聖堂という教会の建物が見えてくる。それが見えた頃に西へ向かってくれ」


「西へ向かったらあのでっかい壁にぶつかるぞ」

「うん。乗り越えるんだ」

「えっ!?」

「ティミショアラの町には入らない。そして、壁を乗り越えた後に街道が見えるが、その街道が見える先、ここの南に森林帯がある。そこで一度地上に下りて、そこからセニに向かってくれ」


「その森林帯に姿を隠しながら?」スコールが訊いた。

「そう。人が空を飛んでいる姿を誰かに見られたら魔女騒ぎになるんだ。あと、その森林帯に沿って飛んでいけば、カーロヴァック市付近まで行ける。そこからはヴィヴァーチェでも見覚えのある風景に変わるはずだよ」


「ちょっと待ってくれよ。狼。その間の休息ポイントは?」

「それは任意だ。森から出て居酒屋に泊まってくれてもいい。期限は四日以内」


「四日っ!? 無茶だ。いくら伝令でも短すぎるって! ほぼ休憩なしで飛べって言ってるようなもんじゃんか」


 スコールが真っ赤な顔で吐き捨てる。


「本当に急がなくちゃ行けないんだ。──ヴィヴァーチェ。スコールとウルダに長距離を飛ぶ方法を教わっておいてくれ」


「狼っ!」

 スコールが食ってかかろうとする。でも、狼は取り合わなかった。


「俺は今、自分にしかできないことをする。だから、きみらも自分にできることを精一杯やることを要求する」


 自分にできることを精一杯やる。

 飛ぶことが、オレにできること……。


「ヴェルデ。今日中にグリシモンにツナギを取ってくれないか。仕事だ」

「えっ、グリシモンに……けど」

「苦手かい?」

「う、うん……いろいろ厳しい人だったから」


「そこをなんとか頼むよ。俺から手紙も書く。依頼内容は、中央都に行って大公の噂を聞いてきて欲しい。それだけだ。それだけで前金で二〇ロット渡しておいてくれ」


「えっ。あの、どうして大公の噂?」

「〝獣の神〟を狩ろうとした王族がいないかどうか調べてきて欲しい」


 するとヴェルデは急に途方に暮れた顔をした。


「そ、そんな……それじゃあ、アイツらが〝獣の神〟の影竜だってのか」

「影竜?」


 狼が聞き返すと、ヴェルデは眉間にしわを寄せていった。


「祖父ちゃんの昔話にあったんだ。大昔、サルテコア大公がこの国を治めるずっと前、アゲランという英雄が邪竜に戦いを挑んで国を造った。だけど、その邪竜から影が出て、森が長い間、実をつけなくなって民が飢えて困ったって」


「ヴェルデ。その話が今回のことと符合するかどうか、グリシモンと調べてきてもらえるかい」

「狼。どういうことだぁ?」


 オレはちょっと話しについて行けなくなっていた。


「これはまだ俺の仮説なんだけど。その〝獣の神〟がごく最近。何者かに攻撃を受けた可能性がある」

「攻撃?」

「弓や罠かは分からない。それによって、〝獣の神〟は身を守るために、邪神を呼んだ。それが〝魔狼の王〟なんじゃないかと、俺は考えている」


 スコールとウルダも目をパチパチするだけで、言葉を失っていた。


「狼。それじゃあ、なんでこの町までヤツらが来たんだぁ?」


 オレは思わず訊いてみた。

 狼は、まるで母みたいにわかりきった顔で言う。


「〝魔狼の王〟は別に、〝獣の神〟を守るために現れたんじゃない。人間をエサとする捕食者だからばれたに過ぎないのかもしれない。

 うん、そうなんだ。その喚び出されたタイミングが、この冬になった。だから彼らは本能的に数を増やす必要に迫られ、小さな町を選んで捕食して周り、急速に体力を蓄えた。それが十六隻。大きな町を襲う前に、オラデアで産卵に適した場所を見つけて産卵準備に入った。

 そこを偶然の成り行きで、俺とマシューが襲撃した。その後始末が、俺とヴィヴァーチェが今朝までやっていた洞窟の蒸し焼きなんだ。


 いいかい。俺が急いでいるのは、一刻も早くセニのカラヤン隊をティミショアラに入れなければ、ヴァンドルフ領にいる反乱軍がティミショアラの街道を封鎖する。

 そうなったらラリサ達が俺たちと合流できなくなる。結果、旗艦を失って行き先が分からなくなっている〝魔狼の王〟の再結集先も発見できずに、大きな町をいくつも失うことになるからだ」


 オレは、いやオレたちは、たぶん狼の説明にどう反論していいのか分からなかったと思う。

 この人の頭ん中はどうなっているんだろって。


   §  §  §


 午前。

 狼は、カラヤンの兄貴に謝りに行ってくる言い残して出かけた。

 その入れ替わりに、〈ホヴォトニツェの金床〉という鍛冶屋のオッサンがやって来た。


「狼に言われて、例のブツを持ってきたぜ」

 例のブツと言って分かるのは、狼くらいだ。オレたちは何も知らん。

「まず、ガラスで作った風よけの眼鏡。それと毛布と帆布を合わせて作った飛行服とかってやつだ」


 銅製のヘルメットにガラスで覗き窓がついているだけのモノ。あと毛布のマントに合羽の帆布を貼り合わせただけのモノ。腕と身体のラインを縫われてヒレがついてた。


「恥ずかしい」


 身につけてオレが一番に言うと、鍛冶屋のオッサンは盛大に笑った。


「なら、モモンガみたいに人の目につかない所を飛ぶんだな」

「いかれてる」と、スコールが苦々しく言えば、

「顔ば覆うマフラーと、手袋もほしいっちゃね」


 と、ウルダは枕から頭を上げずに要求を出す。


「オッサン。狼から伝言とかある?」

 スコールが訊ねると、鍛冶屋のオッサンは思案げな顔で小首を傾げた。


「ダンジョンの山の上で風を掴め、ってよ」

「狼も、昨日今日飛んだばかりのヒナに、簡単に言ってくれるぜ」


 スコールが諦めのため息をついて、肩をすくめる。


「あと、不時着できねぇほど速度が出ていたら、川や海に落ちろと言っていたな」

「あー、なるほどね。それもありか。このクソ寒い中、夜に落ちたら悲惨だけどな」

 スコールは皮肉って、それから神妙な顔でオレの顔を見上げる。


「ヴィヴァーチェ。長く高く飛ぶと身体が冷えて眠くなる。ヤバいと思ったら停まれる木を探せ」

「わかった。……それだけ?」

「ここから北の森まで飛べたんだろう。なら後は、風に訊け。おれが教えられることは、鳥が人に戻る方法だけだからさ」


 ウルダを見ると、同意するように微笑まれた。


「そっか。じゃあ……行ってくる」

「ああ、行ってこい。おれらの分まで楽しんでこいよ」


 スコールが狼にかみついていた理由が、少しだけ分かった気がした。



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