第十三章 オラデア破綻

第1話 双頭グリフォンの本懐


「まずは、いろいろ助けてもらったお礼だ」

 俺は、木箱の中から蒸留酒を出した。残り三本のうちの一本だが、元々ドワーフ三兄妹への置き土産にするつもりだった。二本になっても大丈夫だろう。


「へえ……おや。ラベルがないね」

 リンクス婆さんの目の色が変わった。


「俺が作ったんだ。試供品で町で泊まった居酒屋に置かせてもらってる」

 揺れる馬車で封を切り、木のコップに入れて手渡す。


 リンクス婆さんは受け取ると、少し匂いを吸い込んでから、ひと息にあおった。


「おい、そんな一気に飲んだら……っ」

「ぷっは~っ。……熟成が若い。妖精の力にでも頼ったみたいな味だねえ」


 言い当てられた。酒を売ってる居酒屋でも、酒にうるさいドワーフでも分からなかった秘密まで全部指摘された。


「なんだい。狼男。お礼は一杯だけかい?」

 俺は狼狽を隠しつつ、差し出されたコップに酌をする。


「でも、いい水を使ってる。醸造所はどこだい」

「セニだ」

「セニ? あの岩盤だらけの?」


「ああ。森の奥に地下水が湧き出ている岩場があって、そこから水を汲んで濾過してつかってる」


 濾過装置に作ってるのは植物紙だ。まだ品質が粗く、筆記用紙には数えるほどしかできない。成功品はロギにあげて、失敗作の使い道はそれくらいしかない。


 それでも一〇日ぐらい水を越していると、その紙が真っ黒になる。他の醸造所では、帆布を使って粗いゴミを取るだけのようだ。だから醸造者はよい水の湧く場所にこだわっている。


「作り始めてどれくらいだい」

「まだ半年だ」


「はっ……妖精を酷使しすぎだよ。あんた」


 軽くにらまれて、俺は思わず頭を掻いた。


「まあ。その分、〝妖精の取り分〟を多めに出してるから」

「妖精もとんでもない醸造者に目をつけられたもんだねえ」


 そんな世間話をしていると、ぐぅ~と腹が鳴った。ウルダが恥ずかしそうに背を向ける。


「そろそろ人も馬も夕食時だねえ」

「ああ。そうだな」


 俺は馬車係に声をかけて馬を止め、野営の準備を始めた。


「おかしいね……」


 寒波の夜空は冴えていた。リンクス婆さんは懐中時計の形をした天文計算機アストロラーベという機械と手帳をもち、星を眺める。


 俺はそんな彼女の静謐な横顔をたまに見ながら鍋をかき混ぜる。


 やがて星の会話は、彼女が目を見開いて緊張するのを最後に終わった。天文計算機と手帳をトランクにしまうと戻ってきて焚き火に手をかざす。


「リンクス。どうかしたの?」

 俺が声をかける。老婆はチラリとこちらを見あげてからまた炎を見つめる。


「……オルクスとフェヴルウスの光が強くなってた」

「えーと。それは、つまり?」


「この二つの星は三〇年以上前、一つの星だったんだ。しばらく分かれて別々の周回軌道を回っていた。ところが七、八年前から天体衝突を起こしていたんだ。それで今、その光が強くなった。もうすぐ、死と再生が始まるよ」


「へえ」

「ばか犬」


「えっ、急に何? あと、素人にもわかりやすくお願いしますね」

「はあ……ったく。素人は天体ショー感覚か。気楽でいいね」


 リンクス婆さんはうんざりした様子でため息をついた。それを取りなすように、最初のシチューを器によそって手渡してやる。


「死と再生の暗示だった星が、融合を始めた。それが、起きるってことだよ」

「死と再生が、融合? ……あっ」


 俺は思わず鍋の中に大匙を取り落とした。


「〝ケルヌンノス〟!?」 


  §  §  §


 キキンダ村。

「最後通牒から十四日。ティミショアラは回答を拒否した。よって本日只今をもって、かの都市は我が軍に対し、敵対意思を示した」


 オクタビア王女の宣言は、貴族達を緊張させた。


「グルドビナ。敵兵力を申せ」

「親征軍三万と都市衛兵一万五〇〇〇の計四万五〇〇〇でございます。陛下」


「ほぼ互角か……」

「だが落とせればデカいな」

 貴族から洩れでた独白は、無策の懺悔ざんげにしか聞こえなかった。


 オクタビア王女はつまらなさそうに視線をそらせて、


「グルドビナ。策を申せ」

「はい。ティミショアラには南北と西から様々な物産が運ばれてくる公国の玄関口であります。まずは街道を封鎖し、この物産をティミショアラの手前で私掠いたします」


「私掠? 我々に盗賊に落ちろというのかっ!」


 ひとりの貴族が憤然と立ち上がって吐き捨てると、他の貴族も異口同音に騒ぎ始めた。

 エチュードはパラミダを見た。若き大将は腕を組んだまま目を閉じていたが、仕方なさそうに大息する。


「嫌なら、やらなくてもいいぜ。ただし──」

「……っ!?」


「俺が出かけていって手に入った物は、おたくらに配当しねぇ。俺たちが勝手に処分して、懐に入れる。兵を動かすにも金がいるからな」


「なっ!?」


「綺麗事を言うつもりはねーよ。俺はここでやらなくちゃならねーことをするだけだ。何の罪もない商家たちを襲って金品を奪い、そいつらにティミショアラに駆け込ませる。

 町にしてみりゃあ、被害を補償してやる義理はねえわけだから訴えは空振りだ。そうなったらティミショアラの信用は落ちる。だから、俺たちが襲い始めたら、あの町は、城壁から出て商家と荷物を警護してやるしかなくなる。互角兵力で攻城戦なんてするだけ無駄なんだ。だったら町から引きずり出すしかねえだろ」


「しかしっ。貴様、騎士としての誇りはないのかっ」


「誇り? おいおいここが王宮に見えるのかぁ? ここは戦場だ。戦場で作戦に従わないおたくの言う誇りってのは、どのことを言うんだ? それとも代案があるなら披露してもらおうじゃねーか」


「そ、それは……っ」

「ブラウンエイド家兵三〇〇〇は誇りと名誉のために、オクタビア王女の御前において本作戦を辞退する。それでいいのかぁ?」

「うっ、うう……っ」

「シュレッダー伯が草葉の陰から笑ってるぜ。なあ?」


 貴族たちが青ざめた顔を上座にすわる王女にむける。パラミダは王女の傍に控える小男を見る。


「グルドビナ。俺から代案がある」

「是非うかがいましょう。少佐」


「今から、南部のヴェルシェを落とす。兵は先発七〇〇〇。後発で五〇〇〇あればいい」

「ヴェルシェ。アスワン帝国側だね」


「そうだ。あの町よりかは城壁が薄い。新共和国の応援からも遠い。それを落としたら次はデオグラートだ。その二都市を押さえて足掛かりにすれば、兵站も安定するし、ティミショアラへの塩と油の供給が止まる」


「うん。実に有望な策だね。だけど、問題点がある」

「なんだ」

「パラミダ軍一万二〇〇〇は、すべて騎馬だ。攻城戦には向かない」

「ならばそれがしの歩兵七〇〇〇も向かいましょう」


 メッテルニヒ家が手を挙げた。それを皮切りに次々と貴族たちが手を挙げる。


(やれやれ……計画通りっと)


 エチュードは内心でホッとため息をついた。その時だった。

 教会の鐘楼に登っていた物見伝令が叫んだ。


「ご注進っ。北ホルトバージより軍勢を発見! 数……八〇〇〇。なお増進中!」

「観測班。識別旗はっ。どこの軍だい!」


「旗は──、グリフォン!」

「なんだとっ、ヴァンドルフ家が動いただとっ!?」

「援軍だ!」


 貴族の一人が叫んで、聖堂に歓声が反響した。


「観測班、識別旗は一旗かいっ?」

 エチュードはそれを打ち破る声をあげた。


「違いますっ。グリフォン以外に四旗ありますっ!」

「四旗もだと? どこの連合隊だ」

「ヴァンドルフ家はどこの貴族を集めてきたんだ?」

 貴族達は援軍だとまだ信じている。エチュードは思わず親指の爪を噛んだ。


(誰だ。誰がどんな魔法を使った……っ? 今、ヴァンドルフ家が動くはずがないんだ)


 パラミダの偵察隊──厳密にはシュカンピら元不良たちに、ヴァンドルフ領の数都市で情報を集めさせた。

 エチュードの推測では、ヴァンドルフ軍二万六〇〇〇は機能不全に陥っているはずだった。

 兵を統べる将が一人もいないのだ。当主が、あの軍の「多部族混成軍」を統制していた将だったのだ。

 他部族混成。そう評するしかない。他部族とは獣人族による家族統制が行われているようだ。


 シュカンピの子分に、カブロスキとスクロヴァクというのがいる。この二人が偵察中、ハメを外そうとして娼妓館に入った。ところが中の娼婦キャスト全員が獣人だったために驚いて逃げ出してきたと報告した。不良達は笑い話にしたが、エチュードは慄然とした。


 領民は、宗教上の理由から頭はフードをかぶり目許以外は顔を隠して、手足も隠れるローブを着ている。だがそれは表向きの理由で、実は獣人であることを隠すためだ。

 領内出入りの商家までが、このことを知りながらあくまで宗教上の理由と秘密にし続けてきたのだとすれば、大した結束だった。


 人族が獣人族を擁護することは、この東方世界においてはきわめて稀有だった。

 獣族は、旅団とはまた違った意味で忌むべき存在、軽蔑の的、常に弾圧の対象であり、商品だったからだ。

 大貴族が趣味や好奇心から獣族を〝愛玩ペット〟として買うことがある。

 だが、ヴァンドルフ領においては彼らを半ば公然と、人族と同等の生活を保障し続けた。


 差別の対象だった獣族によって、ヴァンドルフ家が王国の守護者たる軍団の地位に押し上げた原動力になっていたのだとしたら、皮肉なことだ。

 王国歴代の国王が獣族に弾圧をくわえ、擁護者としてのヴァンドルフ家当主たちは事あるごとに獣族擁護を疑われ、しかし躱し続けてきた。とくに前代、カロッツ2世が娘オクタビア王女との婚約を踏み絵にして、獣族との関係を断つよう迫ったのかもしれない。


 だから、ヴァンドルフ領を守るために、前当主スペルブは死ななければならなかった。


 命を賭けて王族の子弟を守る姿勢でもって、国王の疑心を躱さなければならなかった。同時に王女との婚約関係を断ち、兵だけでなく使用人に到るまでを国許に帰したのは、ヴァンドルフ家の秘密を守る必要があった。


 その苦肉の策はグラーデンの変と、カロッツ2世崩御によって不問となった。けれど、現当主のダーヴィッドが、現在奇病によって病床にあり、会話もできなくなりつつあるという。領民は我がことのように悲しんでいるとか。


 貴族たちは獣族のこと以上に、彼の呪いを知っていた。だから反乱決起会合ではヴァンドルフ家の不参与を端っから当てにしていなかった。むしろ、会合の場に町外れの教会しか貸さないのは、亡き国王への忠誠にしては扱いが悪いと苦笑する程度だったろう。


 彼らは、王国の守護者たる〝双頭グリフォン〟の本懐に気づいていない。


 だから反乱決起会合に立ち会った執事も、案山子かかしに徹していた。

 あの〝案山子〟は、王女たちの決起会合の一部始終を見ていた。引率した兵の数が少ないと難癖をつけて味方を殺すイカれた女に、彼は荷担したいと思っただろうか。


「観測班、識別旗の判読、まだか!」エチュードはいつになく急かせた。

「──完了しましたぁ!」

「送れ!」


「アラム・ズメイ家。アルジンツァン・ズメイ家。アウラール・ズメイ家。アゲマント・ズメイ家です!」

「ズメイ家の一党? ズメイ家とはどこの所領だ?」

「いや、聞いたことがない家名だ」


 貴族たちが顔を見合わせる中、オクタビア王女がパラミダに目線を流した。


「アルハンブラ。先般、ティミショアラへ使者に立った相手。確か領主はアゲマント・ズメイだったな」

「ああ。公国大公の四姉妹で、その一人がそんな名前だったか。顔は見てねーがな」

「た、大公の娘たち……公国だとっ!?」


 貴族たちが狼狽する中で、王女だけはイスに膝を立てて頬杖を突く。

「観測班、現在の兵数は!」エチュードが叫んだ。

「現在一万、訂正──一万三〇〇〇。なお増進中!」


 オクタビア王女は額を押さえながら前髪を掴んで、肩をふるわせた。


「くくっ、うくくくっ。やってくれるじゃあないか。たった十四日で三〇年も壁で隔ててきた宿敵と手を結ぶとはなあ」

 オクタビア王女は手首の脇から小男を見据えた。

「グルドビナ。どうだ? 我々は戦わずして、詰みか?」


 エチュードは即座に丸い顔を横に振った。


「恐れながら、先ほどのアルハンブラ少佐の案をご採考いただきたく存じます。全軍をもってヴェルシェとデオグラードを攻略。その後、急速反転して川に囲まれたデオグラード城塞を盾として敵兵を引きつけ、ヴェルシェ側を矛として敵陣営の脇腹に穴を開けてはいかがでしょうか。

 無論、ティミショアラから出撃してくる親征軍の動きを警戒しつつです。この二都市の傘下は片や、旧王国領で現ミュンヒハウゼン領。片や、アスワン帝国です。公国もヴァンドルフ家も、攻めたてるほどの大義名分は持ち合わせておらぬかと」


「よかろう。──どうだ、アルハンブラ。時間を稼いでくれんか?」

「お待ちください、陛下っ。それは──」


 慌ててエチュードがとめたが、その下あごを王女に片手で掴まれた。さらに軽々と持ちあげられる。エチュードの靴底が床から王女の腰まで離れた。

 しとやかな指の間から、むちむちした頬肉がはみ出る。


「お前の部隊五〇〇〇と、グルドビナをここに置いていってやる。時間を稼げ」

「稼いでもいいが、そっちは俺やグルドビナがいなくても落とせるのか」

「うくくっ。さあな。二日。いや一日半持ちこたえろ。できなければ、この反乱は失敗だ」


(ここからデオグラードまで、二日かかるんだってば……っ)

 エチュードは王女の破天荒な戦略に物申したくて 宙で短い足をばたつかせた。



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